こんにちは
2014年度 が スタートいたしました。
本年度も どうぞ よろしく お願いいたします。
さて 今月も このブログでは ”ブッダの教え” が 収録されている・・・
“スッタニパータ” という ”原始仏典” の 内容について考えます。
これは 仏教における ”修行僧のための経典” です。
その内容は 私たち ”世俗に生きている人間” に とっては・・・
大変に “厳しい内容” にも 感じられます。
しかし ブッダは 人類に対して・・・
この世界で ”苦しまない方法” を 説いていたのであり・・・
私たちが その教えを 十分に 理解することで・・・
この人生で ”苦しまない状態” に 導かれることになるのです。
それゆえに 私たちが ”スッタニパータ” を 読むことは・・・
大変に 有意義なものであると 考えられます。
今回の記事からは スッタニパータの中でも 重要な意味を持つ・・・
“犀の角(サイのつの)” という節の 詩経について
これから 数回にわたって 考えてゆきます。
この記事では その詩経を ”解釈したもの” を 示してゆきますので・・・
読者の皆様には その ”原典” である・・・
“ブッダのことば スッタニパータ” (岩波文庫版 中村元氏訳)
を 参照されながら お読みください。
スッタニパータ 犀の角より・・・
35・ この世の あらゆる生き物に対して 暴力を加えず・・・悩まさず・・・
(つまり 決して 殺さないことです)
さらには 子(子供・異性) を 欲してはいけない。
朋友(友達) などは なおさらである。
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
36・ 交わり(接触) を すれば ”愛情” が 生じる。
“愛情” によって ”苦しみ” が 生じる。
”愛情” からは “禍(わざわい)” が 生じることを 観察して・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
37・ “朋友・親友” に 憐(あわれみ)を かけて・・・
心が ほだされると・・・自分の ”目的” を 見失う。
”親しみ” には そんな ”恐れ” が 生じてくるのを 観察して・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
38・ 子供や 妻に対する ”愛着” というのは・・・
枝が 広く茂った ”竹” が 互いに 絡み合うようなものだ。
生まれたての ”たけのこ” が 互いに 絡み合わないように・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
39・ 山林で 何にも 縛られていない シカが・・・
食物を求めて ”自由に” 歩き回れるように・・・
”聡明な人間” は “独立・自由な状態” を 目指すのです。
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
今回は これらの詩経を 考えます。
“犀の角” とは 先月の記事でも ご紹介しましたが・・・
動物の 犀(サイ)とは ”一角獣” であり・・・
それは ”単独” を 表す ”比喩の表現” であるわけです。
つまり ブッダは ”単独で生きなさい” と 説いていたわけです。
そして その理由というのが・・・
これまでの No.35~39の詩経に 現れているわけです。
しかし その内容というのは・・・
現代に生きる 私たちにとっての “常識を覆すもの” のようですね。
それは あらゆる生き物を 決して “殺さない” だけでなく・・・
人間同士における ”子供” や ”異性” を・・・
さらには ”友人” も ”欲してはならない”・・・というものだからです。
そして その理由とは・・・
人間の 人間に対する ”愛情”や ”憐れみ(同情)” というものが・・・
私たちを ”苦しめる原因” なのであり・・・
そのために 私たちは ”交わり(接触)” を 避けるべきである・・・というものです。
さらに 子供や妻に対する ”愛着” というのも・・・
”成長した竹” を 例にとって・・・
“大人の人間” が ”欲望によって 絡み合う状態” を 示していました。
また ”たけのこ” とは ”無欲な子供” を 意味しており・・・
”欲望が少ない” 子供は・・・
”欲望によって 絡み合うことはない” と 示しています。
そして ”聡明な人間” というのは・・・
“独立” しており・・・
“自由” に 生きることができる人・・・と 示されていました。
それは ”人間としての欲望” が 存在しない・・・
”野生動物(シカ)” の 生き方からも 理解できるようです。
私たちは ”人間” に 生まれて・・・
知らず知らずのうちに ”欲望” によって ”絡み合い”・・・
その結果 ”不自由な状態” に なっていることに 気づいていないようです。
そして 私たちは “独立” することができずに・・・
“他人” に ”いつも縛られている” ことに なってしまい・・・
つまり いつも “他人が気になる” ことに なってしまうので・・・
私たちが 本来 目指すべきである・・・
”生きる目的” を 見失ってしまうようです。
つまり ここでの 教えというのは・・・
”生きる目的” とは いったい 何なのか?・・・
ということを 私たちに 問いかけています。
そして それは おそらく・・・
私たちが この世界で ”苦しみ続ける” ことから・・・
“脱出すること” では ないでしょうか?
私たちが 今日 とても大事であると 考えている・・・
他人に対する “愛情” ”親しみ” “愛着” という 感情が・・・
自分自身にとって ”本当に大事なのか?” ということを・・・
ここで 改めて 考えたいですね。
(※) ”大切な人への思いやり” について 考えました・・・
“本当の思いやり・・・とは?” という記事は こちらからどうぞ
2014年度 が スタートいたしました。
本年度も どうぞ よろしく お願いいたします。
さて 今月も このブログでは ”ブッダの教え” が 収録されている・・・
“スッタニパータ” という ”原始仏典” の 内容について考えます。
これは 仏教における ”修行僧のための経典” です。
その内容は 私たち ”世俗に生きている人間” に とっては・・・
大変に “厳しい内容” にも 感じられます。
しかし ブッダは 人類に対して・・・
この世界で ”苦しまない方法” を 説いていたのであり・・・
私たちが その教えを 十分に 理解することで・・・
この人生で ”苦しまない状態” に 導かれることになるのです。
それゆえに 私たちが ”スッタニパータ” を 読むことは・・・
大変に 有意義なものであると 考えられます。
今回の記事からは スッタニパータの中でも 重要な意味を持つ・・・
“犀の角(サイのつの)” という節の 詩経について
これから 数回にわたって 考えてゆきます。
この記事では その詩経を ”解釈したもの” を 示してゆきますので・・・
読者の皆様には その ”原典” である・・・
“ブッダのことば スッタニパータ” (岩波文庫版 中村元氏訳)
を 参照されながら お読みください。
スッタニパータ 犀の角より・・・
35・ この世の あらゆる生き物に対して 暴力を加えず・・・悩まさず・・・
(つまり 決して 殺さないことです)
さらには 子(子供・異性) を 欲してはいけない。
朋友(友達) などは なおさらである。
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
36・ 交わり(接触) を すれば ”愛情” が 生じる。
“愛情” によって ”苦しみ” が 生じる。
”愛情” からは “禍(わざわい)” が 生じることを 観察して・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
37・ “朋友・親友” に 憐(あわれみ)を かけて・・・
心が ほだされると・・・自分の ”目的” を 見失う。
”親しみ” には そんな ”恐れ” が 生じてくるのを 観察して・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
38・ 子供や 妻に対する ”愛着” というのは・・・
枝が 広く茂った ”竹” が 互いに 絡み合うようなものだ。
生まれたての ”たけのこ” が 互いに 絡み合わないように・・・
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
39・ 山林で 何にも 縛られていない シカが・・・
食物を求めて ”自由に” 歩き回れるように・・・
”聡明な人間” は “独立・自由な状態” を 目指すのです。
犀の角のように ただ ひとり 歩みなさい。
今回は これらの詩経を 考えます。
“犀の角” とは 先月の記事でも ご紹介しましたが・・・
動物の 犀(サイ)とは ”一角獣” であり・・・
それは ”単独” を 表す ”比喩の表現” であるわけです。
つまり ブッダは ”単独で生きなさい” と 説いていたわけです。
そして その理由というのが・・・
これまでの No.35~39の詩経に 現れているわけです。
しかし その内容というのは・・・
現代に生きる 私たちにとっての “常識を覆すもの” のようですね。
それは あらゆる生き物を 決して “殺さない” だけでなく・・・
人間同士における ”子供” や ”異性” を・・・
さらには ”友人” も ”欲してはならない”・・・というものだからです。
そして その理由とは・・・
人間の 人間に対する ”愛情”や ”憐れみ(同情)” というものが・・・
私たちを ”苦しめる原因” なのであり・・・
そのために 私たちは ”交わり(接触)” を 避けるべきである・・・というものです。
さらに 子供や妻に対する ”愛着” というのも・・・
”成長した竹” を 例にとって・・・
“大人の人間” が ”欲望によって 絡み合う状態” を 示していました。
また ”たけのこ” とは ”無欲な子供” を 意味しており・・・
”欲望が少ない” 子供は・・・
”欲望によって 絡み合うことはない” と 示しています。
そして ”聡明な人間” というのは・・・
“独立” しており・・・
“自由” に 生きることができる人・・・と 示されていました。
それは ”人間としての欲望” が 存在しない・・・
”野生動物(シカ)” の 生き方からも 理解できるようです。
私たちは ”人間” に 生まれて・・・
知らず知らずのうちに ”欲望” によって ”絡み合い”・・・
その結果 ”不自由な状態” に なっていることに 気づいていないようです。
そして 私たちは “独立” することができずに・・・
“他人” に ”いつも縛られている” ことに なってしまい・・・
つまり いつも “他人が気になる” ことに なってしまうので・・・
私たちが 本来 目指すべきである・・・
”生きる目的” を 見失ってしまうようです。
つまり ここでの 教えというのは・・・
”生きる目的” とは いったい 何なのか?・・・
ということを 私たちに 問いかけています。
そして それは おそらく・・・
私たちが この世界で ”苦しみ続ける” ことから・・・
“脱出すること” では ないでしょうか?
私たちが 今日 とても大事であると 考えている・・・
他人に対する “愛情” ”親しみ” “愛着” という 感情が・・・
自分自身にとって ”本当に大事なのか?” ということを・・・
ここで 改めて 考えたいですね。
(※) ”大切な人への思いやり” について 考えました・・・
“本当の思いやり・・・とは?” という記事は こちらからどうぞ