民営文化センター -111ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


三重塔心礎
ここまで断定する?


法鏡寺跡(発掘後再び埋め戻されている)の近くにあるリバーサイドホテルから車で5分足らずの距離にある虚空蔵寺跡は、戦後間もなく三重塔跡が発掘され、注目を浴びた遺跡です。



法隆寺と同じタイプの伽藍があったと発表されていますが、そのような大伽藍があったと断定できるわけではありません。



法隆寺のように回廊で囲まれているのではなく、三重塔、観音堂、金堂、三門等がランダムに散らばっていたと思われます。



その情景を表現しているのが「薬師寺古図」であり、現在の奈良の薬師寺の移築前の姿なのです。



移築後、抜け殻になった所に造られたのが虚空蔵寺という事になります。



発掘されたのはごく限られた部分であり、法隆寺型の伽藍の存在を証明するには無理があります。



門の位置から類推するに、南向きの伽藍とはなりません。



発見された塼仏が大和壺坂寺のものと同じだから、大和から運ばれたと言うのもおかしい。


宇佐のほうが先進的だった考えるほうが自然です。



「薬師寺古図」を詳
細に観察すると、まだまだ納得できる数々の事実が発見できます。


例えば三重塔には裳階が付いており、奈良の薬師寺の東塔そのものと思われ、決して大分県歴史博物館にある模型のような単純なデザインではありません。




薬師寺の東塔そのものですね。


「宇佐ホテル・リバーサイド」はビジネスホテルサイズですが、多機能を備えた地元型のホテルです。



宇佐に泊まる観光客は多くはないのですが、「真実の古代史」に目覚めた人たちが今後宿泊することになると思われます。



もうひとつの宿泊先として「かんぽの宿」がありますが、小泉・ケケ中路線の推移を掌握している身としては、評価に値しません。



自身が自営業になってからは、特に「真の民営」の方を応援したい気持ちが強くなっています。



このホテルは昭和の終わりの頃の雰囲気を維持しておりますが、利用者として何ら不自由、不満は感じません。



一泊朝食付きで6000円ですから文句レスです。



窓からは駅館川を前景に宇佐独特の山並みが広がり、古代ロマンを掻き立てますが、表の歴史では宇佐と倭国王との関連についての記載はどこにもなく、ガイドブック情報でも、宇佐にはときめくものがありません。



一番大切な情報に蓋をしておきながら宇佐が神仏習合の原点というのですから、大半の国民が理解不能なのは無理からぬことです。



ところが、米田建築史学を学べば、小倉池界隈は阿弥陀来迎図のモデルとなったエリアであり、その中に500年代、倭国の民がを偲んで巡礼したコースが含まれていることを知り驚きの感動が生まれることでしょう。




リバーサイド・ホテルのホームページ

ここをリンク


ホテルから見た駅館川

写真は11211750頃の小倉駅前



まずは 宇佐への玄関口 小倉からスタートです。



小倉と聞いて連想するものは、無法松、松本清張、抗争、目にするものとして、モノレール、駅舎のドーム天井などです。



集合・夕食の場として駅前の居酒屋 桜坂 をネットで選びました。



可愛いくて、元気のいい若い娘達がてきぱきと料理を運んでくれました。アラ・セブンティーにも優しかったです。



2時間弱で宴を終え、柳ヶ浦に向け特急ソニックで出発しました。



21時を過ぎた頃到着した田舎の駅は閑散として、どこからか高倉健が現れる雰囲気でしたが、現実は、翌日からお世話になる歴史好きのMA社の社長さんが7人乗りのトヨタ車でお迎えです。



向かった先は「リバーサイドホテル」、井上陽水のあの歌とは無関係です。



実際、駅館川(読めそうもありませんが、やっかんがわと発音します)という川沿いに建っています。こ
の川の流域で古代史上最大の激戦「磐井の乱」(真相は継体の乱繰り広げられたのです。




九州を走る列車は、ユニークでワクワクするデザインのものが多い。



板張りの床にはオシャレな焼き印が。


でも、ソニックは5年以上前に乗った時より汚れていました。










11月の3連休に、昨年佐賀県三瀬村を訪れた時と同じメンバーで宇佐に出掛けました。


意図的に真実が隠され、御伽噺のような歴史が語られ、結果として観光客数がイマイチ伸び悩んでいる あの「宇佐」です。


ハイライトは米田史学ファンの誰もが憧れる「小倉山巡礼」ですが、とうとう成就しました。


しばらく、この旅行について以下の旅程表の順で書くつもりですが、時々別の話題が挟まる日があると思います。




USA旅行 旅程


1121日(土)


18:00 小倉駅前 居酒屋「桜坂」集合 夕食 

 093-512-6038


20:12 小倉発 ソニック51号


21:00 柳ヶ浦着 


      リバーサイド・ホテル チェックイン 

      978-33-2222


1122日(日)


 8:00 リバーサイド・ホテル発 


 小倉山巡礼(米田説による解釈・未来の観

      光コース)


 虚空蔵寺(倭国薬師寺東塔跡)、山積神

 

      社、三和酒類iichikoの会社)本社、小倉

 

      山登頂、倭国東大寺跡、小倉池廃寺跡


      安心院ワイナリー見学 0978-34-2210


 昼食 ワイナリーレストラン「朝霧の庄」

      0978-44-1236


 冨貴寺、宇佐神宮、東光寺・五百羅漢


18:30 夕食 ホテルレストランにてフレンチwith

 安心院ワイン(持ち込み料0円)


1123日(祝)


 8:00 リバーサイド・ホテル チェックアウト


      青の洞門、中津城、福沢諭吉旧居・


      福沢記念館 

 

  昼食 天ぺい 宇佐柳ヶ浦店 0978-38-3750


  風土記の丘・古墳と大分歴史博物館


14:54 柳ヶ浦発 ソニック38号 


15:39 小倉着 駅弁購入


16:04 小倉発 のぞみ46号













名古屋の徳川美術館で「源氏物語絵巻」の展示が開催中です。



『源氏物語』は定説である平安時代のものとは別に約350年古い倭国時代のオリジナルが在る、とこのブログでも書き続けています。



米田良三氏は宮内庁が所蔵している可能性を述べています。



しかし、絵巻はオリジナルを見ることができます。



真の意味でオリジナルか、後の時代の模写かは断定できませんが、徳川美術館のものと全く異なる画調です。



代表的な2つの場面を紹介します。



天理大学の所蔵する北山の場面では五重塔が描かれていますが、歴史上京都の北山に五重塔が建ったことはありません。



この五重塔は法隆寺のそれが太宰府の観世音寺にあったときのものなのです。





ハーバード大学の所有する長谷寺の場面も大和のものとはマッチしていません。



五木寛之氏は(平安)清少納言の頃は登り廊は未だなかったと述べています。



これらの絵を載せた行為は出版社、許可した学者連中のオウンゴールと言えなくもありません。



「どうせ作り話だからマッチしなくたって問題ない」という返事が返ってきそうです。



夢のない人たちです。



ある医院の待合室に掲示されていたものだそうです。



時代は明らかに変わりつつあります。



2番については医療に限ったものではありませんね。



もうじき1.17、9.11、3.11等の真実が世界の総ての人に明らかにされるでしょう。



最近のパリのテロ も直後からインチキ が見破られています。



大真面目に報道しているマスコミ人、その家族は今後まともに町を歩けるのでしょうか。



りたい穴も見つからないでしょうから、自分で掘るしかないですね。







 





大和長谷寺本堂の度重なる消失、再建のお話は九州王朝倭国の存在を隠すためであり、嘘にまみれた御伽噺の連続です。


その挙句が「江戸時代に建てられたお堂」と表示する現在の案内板なのです。


その本堂の東南の隅に、太く丸い柱に囲まれた窓のない小部屋があります。


この部屋が『枕草子』に出てくる局(つぼね)です。動画  0:36~ 向かって右角の部屋)




倭国時代の清少納言、紫式部たち(平安時代の成りすましではない)が実際にいたお部屋であり、600年代の九州の初瀬で、この太い柱に彼女らも触れていたことでしょう。


部屋の中を是非覗いてみたいものです。


もちろん畳の寸法も測りたいですね。











再び調査が行われるそうです。


『法隆寺は移築された』の中で、米田良三氏は「壁画も壁ごと斑鳩に運ばれた」と述べており、法隆寺の解体修理の記録にその構造的・技術的な特徴も報告されていることを明らかにしています。


壁画の内容についても、その後の著作で仮説を述べておりますが、寸分の隙のない納得のいく内容と私には思えます。


壁画に描かれているのは、定説の解釈とは異なり、実在の人物であることが大きな特徴です。


最新刊の『柿本人麿の真実』から以下に引用しますが、ここまで筋が通っていると、九州王朝倭国を認めたくない研究者たちの胸中は如何なものでしょうか。


一個人として真実を知りたくないのでしょうか。


真実を隠す仕事をしていて楽しいのでしょうか。


NHKの教養番組の中で法隆寺の建築の権威であるS氏が「法隆寺には謎が多いが、謎は謎のままであるのがよい」旨発言していました。


そうであるなら「高い費用をかけて調査などしないで、保存に集中しろ」といいたいですね。




法隆寺金堂の壁画に描かれた人物は日本国王室の面々であり、四大壁には世世大王が描かれている。


六号壁は中央に奈良帝、左右に妃と神功王后が宇佐の地を背景に描かれ、九号壁は延喜帝を中心に、二人の后と二人の僧と六人の武人が描かれ、十号壁は天慶帝を中心に四人の后と二人の僧と六人の武人が描かれ、一号壁には天暦帝を中心に二人の后と十人の僧が描かれる。


継体軍の奇襲によって亡くなった奈良帝と、継体軍を掃討した延喜帝と、その後を継いで東大寺や各国の国分寺・国分尼寺を完成させた天慶帝と、平等院鳳凰堂を完成させ、阿弥陀の教えに忠実な浄土三部経(第二次本)を完成させた天暦帝と、帝の業績と中枢の顔ぶれが合致していることが読み取れる。




法隆寺壁画

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/11/horyuji_n_8538766.html?utm_hp_ref=japan  


 


http://www.google.co.jp/search?q=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA%E9%87%91%E5%A0%82%E5%A3%81%E7%94%BB&sa=N&nord=1&biw=1034&bih=534&site=webhp&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ved=0CB4QsARqFQoTCI7_0ozRjMkCFQFBlAodol8BNw




60~70年代、日本テニス界の大スターです。


わが田舎町のイベントで、彼と1m位の至近距離に接近したことがあります。


ネットの高さを調整中に「硬式は中央が低いのだよっ」と言われ、「ハアッ」となってしまいました。


私の不徳のいたすところです。


テニスの腕前が上がらない分、テニス関連の文献はいっぱい蒐集していたのですが、体を傷めてプレーしなくなったら、持っている莫大な資料が重荷となり、どう処分すべきか迷った挙句、一番ふさわしい人として彼を思い出しました。


彼の連絡先が分かりませんでしたので、「東京都 法政大学 神和住純 教授」と宛名したら届きました。


雑誌「モダンテニス」、「テニスマガジン」、「テニスクラシック」(田沼武男の写真が満載)は言うに及ばず、単行本、技術書、大会プログラム、ビデオ等を総て差し上げました。


http://www.tokyo-fashion.net/content/Article/JPsocial/3585.shtml


 


https://twitter.com/ryotatennis




その後、お礼の電話をいただき、かなり色々話し込みました。


言葉使いも丁寧で、いかにもGOODGUYでした。


縁があって、不思議で、得がたい体験でした。



写真は、前回の沢松嬢の時と同じ名城コートでの一枚です。







写真は昭和10年頃の名古屋市立第一高等女学校の校舎

当時の放課後風景(母が撮影)

<本文とは関係ありません>


いじめ」に関する議論は大いに結構。


昔に比べ想像を絶するレベルなので徹底的にやるのがよい。


大人社会が良い見本を示せない限り、学校社会も良くならないという結論に落ち着くはずだ。


マスコミの対応は完全にペケ。


自殺の記事は5cm×5cm程度で充分。テレビのワイドショーで葬式中継なんか絶対にやってはならない。(何処からか指示が出ており、ワザと濃密にやっている?)


詳細に報道すればするほど、自殺予備軍の背中を押すことになる。


中学校生活なんて済んでしまえば「屁」みたいなもの。


残りの人生の長さを意識できないことが現代っ子の弱点。


自殺を決行する段階では「頭が狂ってしまっている」ので親以外が責任ある対応を取れるはずもない。


親が守らんで誰が守るというのだ。親が最後の一線の責任を学校に求めて何になる。


死んでしまった生徒には悪いが、今後、犠牲者を出さない最良の方法は、校長が全校集会で命の大切さを長々と述べるより、「死ぬ奴はアホだ」とひとこと言えばよい。


「いじめ議論」と「自殺防止」とは全く次元が別。


市長までしゃしゃり出てきてどうしようというのだ。



以上、言いたくても言えない人の分も含め、誤解を恐れつつ述べた。


 



参考リンク記事

http://www.ijime.bizshin.com/teigen/index.html