三重塔心礎
ここまで断定する?
法鏡寺跡(発掘後再び埋め戻されている)の近くにあるリバーサイドホテルから車で5分足らずの距離にある虚空蔵寺跡は、戦後間もなく三重塔跡が発掘され、注目を浴びた遺跡です。
法隆寺と同じタイプの伽藍があったと発表されていますが、そのような大伽藍があったと断定できるわけではありません。
法隆寺のように回廊で囲まれているのではなく、三重塔、観音堂、金堂、三門等がランダムに散らばっていたと思われます。
その情景を表現しているのが「薬師寺古図」であり、現在の奈良の薬師寺の移築前の姿なのです。
移築後、抜け殻になった所に造られたのが虚空蔵寺という事になります。
発掘されたのはごく限られた部分であり、法隆寺型の伽藍の存在を証明するには無理があります。
門の位置から類推するに、南向きの伽藍とはなりません。
発見された塼仏が大和壺坂寺のものと同じだから、大和から運ばれたと言うのもおかしい。
宇佐のほうが先進的だった考えるほうが自然です。
「薬師寺古図」を詳細に観察すると、まだまだ納得できる数々の事実が発見できます。
例えば三重塔には裳階が付いており、奈良の薬師寺の東塔そのものと思われ、決して大分県歴史博物館にある模型のような単純なデザインではありません。
薬師寺の東塔そのものですね。