民営文化センター -110ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever





前回の神和住氏と言えば、もう一人は坂井利郎氏です。




学生時代、早稲田大学在学中の友人を訪ねて東京に行った折、ぶらりと早稲田大学のテニスコートに立ち寄りました。



綺麗に整備されたクレーコートの上を軽妙なフットワークで、練習試合をしている彼を目撃しました。




後年、デビスカップ・対オーストラリア戦を田園コロシアムで観戦したことがあります。



ダブルスは神和住・坂井組でしたが印象は薄く、記憶にあるのは坂井氏とM・アンダーソン選手のシングルスです。



坂井氏のストロークが打っても打っても浅く、すぐにネットに出られてしまうのです。



当時の自分の悩みと一致していたので、よく覚えています。




さらに後年、刈谷のテニスクラブで10分間ほどストローの相手をしていただいたことがあります。


本当に上手いですね、プレーは勿論ですが、口のほうも(乗せ)上手です。







倭国の建築、地名、文学、人材を近畿に移した一派には、それらに伴う不都合な真実の辻褄合わせに躍起だった時期(平安時代)がありました。


ことに文学作品の場合、紫式部、清少納言の作品の中で「初瀬」、「観世音寺」の書き換えには苦労したらしく、清水寺を建て、整合性を保つための役割を果たさせています。



ネーミングにしろ建物本体にしろ、清水寺の役割は重大です。


「清水山」という観世音寺の山号が清水寺というネーミングの由来ですし、いわゆる清水の舞台は長谷寺と同様の懸造(かけづく)りです。


そして作品の中では、場面に応じて「初瀬」が「清水」に化けたりしているのです。



奥の院には二十八部衆のミニチュアがあり、三十三間堂が観世音寺に在ったことを意識していたことが伺われます。


細心の注意を払ったのに『源氏物語』では一箇所「観世音寺」の消し忘れがあります。


文学作品改竄の具体例は米田良三氏の本にたびたび登場します。


清水寺での例年のイベントですが、今年を表す一文字の漢字は「安」だそうです。


2007年は「偽」でした


そのときの写真を見るたびに、管主が「自分の寺の出自が怪しい」と白状しているようで、思わず笑ってしまいます。





米田氏の説を自分なりに解釈した独り言でした。


“ チャン・チャン!”











iichikoの会社がワインも作っていることを最近まで知りませんでした。


テレビCMは流していないようです。




小倉池から南東に向かうと安心院(「あじむ」と読みます)というところにワイナリー があり、工場見学、試飲、買い物が出来ます。



工場は小さめですが、近代的で丁寧な仕事をしているよに見えました。



試飲での評価はGOOD。



生産量が少ないせいか割高感があります。



ここで、その日の夕食にみんなで飲む分を3本買いました。




ワイナリーに併設された(経営母体は別)ワイナリーレストラン「朝霧の庄」で昼食を頂きましたが、ステーキ丼は美味でした。




夕食、ワインについては後ほど書くことにします。


ぶどう畑


工場内部





 























バブルで盛り上がり始めた頃、SONYのベータHiFi(カタログ格:249800円)で音楽番組等をせっせと録画していました。



10年前に、それらをDVDに落としストックしてあります。



現在のテレビ番組は悲惨な状態になっていますので、この充分な内容と質をストックした My Library 後の楽しみです。



その中のひとつがビートルズの映画「LET IT BE 」です。



スポンサーが絶頂期のSONYで「名作洋画ノーカット10週 」と銘打って放映されたうちのひとつです(1984.4.14.放映)。



アンテナ経由でしたがゴーストの入らない良質な画面をβⅡモード、ダイナミクロンテープ(UHG)で録画、後にそれをDVD(XPモード)にダビング、1枚にまとめるためにSPモードでコピー、上映時間80分、幻のDVDが出来上がりました。



皮肉なことに、今となっては本編よりも、その前後のCMの方が断然Goo~です。



ゆだきんにメチャメチャにされる前の日本がそこには在ります。



まずは、あの頃の日本をトリモロスことです。








宇佐の山並み



以下のように市議会に働きかけたい。



後、小倉山の宅地開発を禁止する。


小倉山一帯に楓を植えて、倭国時代のような紅葉の名所にする。


独自の航空考古学調査を実施する。


米田説の解説・観光案内版を要所に設置する。


大分歴史博物館の展示解説を両論併記勿論一方は米田説)にする。


レンタサイクル環境を充実させる。


以下のポイントを結ぶサイクリングロードを整備し、倭国阿弥陀巡礼スタンプラリーを展開する。


即ち、柳ヶ浦駅・五百羅漢・法鏡寺跡・虚空蔵寺跡・山積神社・小倉山・東大寺跡・小倉池廃寺跡・鷹栖観音・風土記の丘古墳群・宇佐八幡宮等。


柳ヶ浦~宇佐 一帯は自転車で走り回るにはやや広い空間です。


良質な自転車とサイクリングコースが必須となります。




ひとまず米田説に関わる話題については一段落ですが、我々の旅はまだ続きます。








この日、礎石は水面下でした。





小倉池は古代からあるにもかかわらず、表の歴史では江


戸時代に掘られた溜め池と言われています。



このような小細工が歴史をつまらなくし、地域の活性化


を阻害しています。



小倉池廃寺は水面が下がると基壇と礎石が顔を出します。



創建時の池のサイズはもっと小さかったと想像します。



お堂のサイズは4間×5間だと言われています。



これは勝手な想像ですが、奈良の東大寺の三月堂(法華


堂)の西半分がここにあったのではないかと考えます。



歴史の勉強は、まずは楽しい仮説を立てることから始ま


ると思うのです。



『東大寺要録』にある説話に「執金剛神像を安置し、そ


の前で礼拝を行った」との記載があるそうです。



以前、奈良東大寺の三月堂の東半分(鎌倉時代の増築分)


に入るために拝観料を払った後、西半分では執金剛神像


が特別拝観ということで、追加して500円払ったことをよ


く覚えています。



この二つの執金剛神像が同じものかどうかは分かりませ


ん。



三月堂については既に触れています。

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小倉山から下り、倭国東大寺跡はすぐです。




終戦直後、米軍は日本全土くまなく精密な航空写真を撮っています。



得られた情報は米国の国益にかなう部分もあったと思われますが、日本の考古学、歴史学にとっても大いに役立っています。



田良三氏はこの小倉山周辺の航空写真を分析し、大和へ移築する前の東大寺跡を暴いてしまいましたので、九州王朝の存在を否定したい側にとっては、米国は負の働きをしたことになります。



倭国長谷寺跡に関しても同様のことが言えます。




現在、小倉山周辺は整備された広大な田圃が広がっており、「ここが東大寺跡である」と特定しづらいと思いますが、まずは東西にやたら長いストレートな道(赤い線)に注目します。



米軍写真(昭和20年代初頭)にも写っている この道は当時の農道としては異例な長さであり、中門前の通りの跡であろうと思われます。



写真はそこからの伽藍跡全景です。


前回述べたケータイ用の電波塔を遠くに眺め、小倉山と東大寺の位置関係が分かります。



右手前にコンクリート製の水路が見えますが、その工事の際に版築(ばんちく)など何らかの考古学的発見があったはずです。











小倉山を望む



小倉山に登るには3通りのルートがあるようです。



勝手に1.iichikoルート 2.ニシノユニティ・ルート 3.小倉池廃寺ルートと名付けました。



我々は2を選びました。


途中までスレ違い不可能な一本道を車で登り、中腹のミカン畑の横に車を停めました。



ここからの小倉池は絶景です。



神々しさすら漂います。


阿弥陀来迎図の舞台というのも納得出来ます。

こからは徒歩でしか進めません。



車で進むのはだんだん無理になります。




ケータイ用の電波塔












途中、ケータイ用の電波塔が立っています。



「聖地に何ということをするのだっ!」と腹を立てることもありましたが、小倉山の位置がどこから見ても分かり、好都合と言えます。



程なくして、緩やかに膨らんだエリアが現れ、ここが米田氏の言う終焉の地と想像します。



米田氏は「筑後国風土記逸文」を基にこの地を同定したようですが、そのほかの文献などにも目を通した上での結論と思われます。



倭国王薈(後に阿弥陀如来と見做される)がここに埋葬されている可能性は充分にあると思います。



それ故、iichikoは1480年以上の時を経て、阿弥陀の霊気を含んだ特別なお酒と言えるのではないでしょうか。



この小倉山を整備し、倭国の時代の人々が国王薈を慕って歩いた巡礼ルートを復活させれば、地域おこし、観に大いに資することになると思います。






三和酒類の西の端にある小倉山登山口




小倉山に向かう途中、iichikoの会社「三和酒類 」の前を通ります。



清らかな雰囲気に囲まれた広大な敷地、巨大なタンク群に圧倒されます。



この盛業に至るまでのスリリングな展開は2010年の「日経」夕刊の連載「また焼酎に恋してる」で知りましたが医療の世界しか知らない者にとっては、ロマンがあって羨ましい限りです。



しかし、ひとつ間違えば、地獄を見るわけですから、保険医療で保護されている我々なんて甘っちょろいものです(独り言デス)。




米田良三著『逆賊磐井は国父だ』79ページの小倉山遺跡配置図にはが継体軍に討たれた場所が×印で示されています。



そのポイントに近づきたいという思いが募っていた矢先、先ほどの連載に出会ったのです。



連載の中では小倉山のことにも触れられており、iichikoに無関心ではいられなくなりました。




今回の登頂に際しては、無断で他人の土地に侵入することは許されないので、会社に問い合わせたところ、目指すエリアは会社の所有でないことが確認できました。



結果的には無断で入山したのですが、所有者は近隣のカン農家かもしれません。

 



また君に恋してる by ビリー・バンバン
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この旅行記はしばらくマニアックな内容が続きます。
わかり難いと感じる人はホームページ を御参照下さい。

新泉社発行の4冊に立ち返ることが「急がば回れ」です。










山積神社


虚空蔵寺跡を分断するように南北にハイウェイ(宇佐別府道路)が通っていますが、この工事を契機に大規模な発掘が行われました。



その際、九州王朝の存在を裏付ける発掘品があったとしても、大和朝廷中心主義的解釈動画 )がなされたと思います。



都合の悪い所は意図的に掘られなかったかもしれません。



地図上、ハイウェイ寄りの南の端にマークがありますが、「薬師寺古図」上でもそのあたりに建物が散見されます。



現在、その場所には一般住宅が建っていますが、地元の情報では、その建物内に仏像が鎮座していたことがあったそうです(解釈不明)。



ハイウェイの西の部分(倭国薬師寺の敷地内)には本当の由来は不明ですが山積神社という随分由緒ありそうな神社が在ります。



薬師寺移築後に大和朝廷主導で建てられたもの、それとも倭国起源でしょうか。



昨年訪れた佐賀県三瀬村の杉神社 、鏡神社と同様、現在、本格的な御社(おやしろ)はないものの、佇まいには圧倒されます。



さて、いよいよ小倉山に挑戦ですが、その前に、あのiichikoの会社について触れねばなりません。