
倭国の建築、地名、文学、人材を近畿に移した一派には、それらに伴う不都合な真実の辻褄合わせに躍起だった時期(平安時代)がありました。
ことに文学作品の場合、紫式部、清少納言の作品の中で「初瀬」、「観世音寺」の書き換えには苦労したらしく、清水寺を建て、整合性を保つための役割を果たさせています。
ネーミングにしろ建物本体にしろ、清水寺の役割は重大です。
「清水山」という観世音寺の山号が清水寺というネーミングの由来ですし、いわゆる清水の舞台は長谷寺と同様の懸造(かけづく)りです。
そして作品の中では、場面に応じて「初瀬」が「清水」に化けたりしているのです。
奥の院には二十八部衆のミニチュアがあり、三十三間堂が観世音寺に在ったことを意識していたことが伺われます。
細心の注意を払ったのに『源氏物語』では一箇所「観世音寺」の消し忘れがあります。
文学作品改竄の具体例は米田良三氏の本にたびたび登場します。
清水寺での例年のイベントですが、今年を表す一文字の漢字は「安」だそうです。
そのときの写真を見るたびに、管主が「自分の寺の出自が怪しい」と白状しているようで、思わず笑ってしまいます。
米田氏の説を自分なりに解釈した独り言でした。
“ チャン・チャン!”