民営文化センター -109ページ目

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever






大分県立歴史博物館 は2度目です。



展示の規模、内容は太宰府にある国立博物館に引けをとらないレベルであり、中でも富貴寺阿弥陀堂の原寸大のレプリカは圧巻です。



せっかくの内容ですが、案の定、倭薈についてのコメントはどこにも見当たりません。



前回来た時に米田氏の著書『逆賊磐井は国父倭薈だ』を学芸員にプレゼントしたのに、その後、何の反応もありませんでした。



今回、受付で「“磐井の乱”知ってる?」と尋ねても反応はイマイチでした。



前回、スルーした風土記の丘古墳群を見て回りましたが、やはり解説に「倭薈」は出てきません。



もっと、異説も含めた歴史を発信すれば入館者は飛躍的に増加すると思われます。




歴史が好きなMA社社長T氏の運転のお陰で、安全、かつタイムロス最小限の大人の修学旅行が出来ました。



事前調査までして、適切なアドバイスと案内をしていただいた地元のA氏には足を向けて寝られません。




次回総集編を掲載する予定です。



貴男・貴女の旅行の参考にしてください。





昭和40年代、4年間の学部教育の前の2年間は教養部 と言って、其処には旧制高校の名残りがまだありました。




その2年間は振り返ってみると、その後の人生に多大なプラス効果を与えてくれました(すぐ専門科目が始まる今の学生は気の毒)。




入学後のコンパでは戦前から歌われたものを含め、裏の学生歌(いわゆるコンパ歌)の合唱で盛りあがったものです。




「ひとつ出たホイのよさホイのホイホイ・・・・直立不動でせにゃならぬ ホイホイ」とか「チンチロカンチロ 学校サボって **行けば~ ・・・・ やりたいな、やりたいな 〃 〃 」等、意味深なスタートで最後に「落ち」が待っているものが多かったように思います。




この「やりたいな~」の歌が、今の世界情勢における「戦争やりたいな~」の面々を連想させます。




北の国の公認「人工地震」 (いわゆる水爆実験)に関する報道振り は「やりたいな~」症候群の国々の意向に沿ったものと、すぐ理解でき、ドッチラケですね。




ネット情報 の重要性がどんどん増していると思います。





九州王朝の存在は唐の則天武后 と大和朝廷との密約で消されたのですから、いまさら真実の歴史が浮上することはあり得ないように思われます。



それ故、そのような状況を覆す楽しみが米田建築史学にはあるのです。



大人になったら受験を意識した勉強をもう一度繰り返すような馬鹿な真似はしないことです。




久々にホームページを更新しましたので、今知りたいことに直ぐ繋がるようにリンク先を並べてみました。



AB&JC PRESSとは?



全8作



新泉社発行


『法隆寺は移築された 大宰府から斑鳩へ』


『建築から古代を解く 法隆寺・三十三間堂の謎』


『列島合体から倭国を論ず 地震論から吉野ヶ里論へ』


『逆賊磐井は国父倭薈だ 薬師寺・長谷寺・東大寺』



AB&JC PRESS発行



『続 法隆寺は移築された 「源氏物語」は筑紫が舞台だ』



『現代を解く・長谷寺考』



『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』



『大倭歌聖 柿本人麿の真実』  



上記8冊の入手法  ←ここをクリック




倭薈終焉の地 宇佐(トップページ)


三瀬『源氏物語』玉鬘の巻の舞台





















ガイドブックには絶対載らない九州王朝名所巡りを終え、最終日です。




普通の観光地を回りますので、コメントは最小限にして、個々のスポットについてのリンク記事を見ていただきます。




青の洞門


青の洞門 は、やはりオリジナルのトンネルを見ると感動します。




中津城


中津城 も名古屋城と同様、鉄筋コンクリート製の天守で頑張っております。




福沢諭吉旧居・福沢記念館


福沢諭吉先生は随分背の高い人だったと知りました。




立派な資料展示 なのですが、都合の悪い部分、負の部分も、もう少し語られると良いのではと感じました。




例えばフリーソーメンとか・・・・・




この日の昼食はネットで調べて、天ぷらで有名な「天ぺいにしました。




休日の昼なのに地元の人でいっぱい。




天ぷら定食なのに3~4回に分けて天ぷらが運ばれ、口腔粘膜が火傷しそうなくらいアツアツでした。




この店目当てで、もう一度宇佐にやってこようと思えるくらいです。



あけましておめでとうございます。




天満宮 と言えば、菅原道真」を連想する人には驚きの内容です。



実は、道真公より前に、もっと凄い人が祀られているのです。



誰も知りませんし、知らせようともしません。



米田氏に教えられた時にはビックリしたのですが、さらに「これ以上は教えられない」と出し惜しみされたのです。



理由は分かりません。



祀られているのは、上宮王と千食王后、すなわち九州王朝の法興帝と皇后です。



表現された仏像としては、(観世音寺から移築された)法隆寺の救世観音 百済観音 の二体です(二人の間にできた王子が光源氏のモデル)。



天満宮の起源は626年に作られた北山御陵なのです。



現在、法隆寺では救世観音が暗い夢殿の中に、百済観音が宝物館のガラスケースの中に夫婦別々に押し込められています。



何も知らないで拝んでいる日本国民、夫婦離れ離れの仏像。



これらを解消しない限り日本の復活はありえません。


 





ホームページでご案内した米田良三氏の AB&JC PRESS 版第4作『柿本人麿と倭国・日本国』(仮題)の制作を始めました。



これからしばらくPCと格闘する日々が続きます。



このアナウンスにあたり、著者から寄稿がありましたので以下に掲載します。(S.渡辺)




老いの宣言



71歳の私に残された時間は限られている。



肉親の寿命からすると長くて20年であり、今日明日にもお迎えが来るかもしれない。



柿本人麿が104歳の長寿を全うしたことに関しては『柿本人麿と倭国・日本国』(仮題)をご覧いただくとして、限られた時間に鑑み、小僧と言われそうだが、 ここに老いの宣言を発することをお許し願いたい。




然ではあるが、5年後の2020年の東京オリンピック前後に東京駅辺の直下を震源とする大地震が起こる予感がある。



東京直下型地震と呼ばれる地震で、規模的にも安政地震の再来と捉えてよい。



地表面の地震水平加速度は980ガル(=1G)以上で、数秒間は大きい揺れが続く、阪神淡路大震災の震源域を襲ったのと同じ、震度7の地震である。



丸の内、銀座のビルは、1階部分の柱で剪断破壊が起こり倒壊する。



東京スカイツリーも同様であるが、倒壊によって続いてどのような事態が起こるかは誰も想像が出来ない。



安政地震の場合、激震地丸の内周辺の被害に終わったのは全ての建物が地震の被害を免れる技術で造られた伝統的日本建築(神社・寺院・城・民家など)であったからだが、今回は明治時代に西洋から取り入れた耐震技術で造った現代建築に代わっており、少なくとも東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県に被害が及ぶであろう。



取り返しのつかない事態になることは明らかだが、さらに時間がない。



専門家は伝統的日本建築の地震に対する技術を素直に学ぶべきであること、声を大にして言いたい。



又私が発明した免震治具アンティシスモは法隆寺金堂からヒントを得ており、伝統的日本建築技術の現代版だと考えている。



ご理解を頂き、導入事例が少しずつ増えているのが現状である。



地震対策に役立てば幸いと考えており、ぜひとも試していただきたい。



2015123日)



             米田良三




2015年1月の記事が読みづらいので改めて掲載しました。)



2日目の観光を終えて、いよいよ待望のカスタムディナーです。



前の晩が小倉駅前の居酒屋でしたのでリバーサイドホテルには「7人のグループ、予算は一人4000円で特注フレンチおまかせコース料理、ワインは持ち込み料0円で」とお願いしました。



さて結果です。



総合点では全員一致で「美味」。



複雑な調理はなく、パン、スープも素直な味。



何よりもシェフがしゃしゃり出て講釈を述べないのが好感。



ワインは午前、安心院のワイナリーで買った3本です。



発泡酒、白、赤、いずれもリザーブの金ラベルが貼ってあるだけあって、購入時「今晩は飲まない」と言っていた仲間も欲しがり、不足気味に。



もう1本買っておけばと反省。



本業の血液よりワインに詳しい(?)仲間の教授も太鼓判。



このところ、日本人が本気でワイン造りを始めたので、今後は国内産に切り替えようかと考え始めた晩でした。



わがままを聞いてくれたリバーサイドさんに感謝。



帰宅して数日後、Netで見たら「赤」のリザーブは既にSOLDOUT。



テレビでCMをやらないのも道理です。



グルメっぽいお話が出たところで今年はこれでおしまい。



旅行最終日のお話はまた来年。



2016年はB層がバッチし目を覚まし、大どんでん返しが起こり、世界の99%の人に幸せが訪れますように。











テーマパークのような宇佐八幡宮を後にして、五百羅漢を見に東光寺 に行きました。


寺とは云うものの、寺院建築はそこにはなく、敷地の突き当たりに多くの石像が雛壇に並んでいます。


五百羅漢は安政6年(1859)、15代住職道琳が干害に苦しむ農民を救いたいと、当時著名だった日出の石工に制作を依頼したことが始まりで、明治15年(1883)までの24年間に亘って521体もの羅漢像が彫り上げられたとのことです。


その雛壇の中央奥には仏足石(刺青が描かれた倭薈の足の裏の図)があります


薬師寺古図(描かれているのは虚空蔵寺跡の倭国時代の姿)に仏足石が描かれており、現物は現在 奈良薬師寺にあります。


その後、全国的に仏足石ブームが起こり、仏足石発祥の地に再び二つ目が設置されたことになります。


以前、安土城に行った時に仏足石を見つけました。


現地の解説はなく、その時は「変なものがあるなあ」と思っていました。


織田信長の時代も倭薈はスーパースターだったのでしょうか。



仏足石


何を云っているのか さっぱり分かりせん。

こんな解説で納得できますか?

真実の歴史を知らしめず、御伽噺でお茶を濁す。

古代史の解説は日本全国総てこの調子です。

(怒)そして()




ガイドブック的には宇佐と言えば八幡宮ですが、今回の旅行に於ける八幡宮の比重は米田建築史学的には大したことありません。


宇佐八幡 の起源は倭国時代に駅館川を挟んで薬師寺(虚空蔵寺跡)の対岸(現在の拝田地区)にあった神道の社殿群です。


それを大和朝廷が全国平定後、5Km東北東に位置する小山(現在、小椋山と呼ばれている)に遷宮し、その由来を捏造したのです。


即ち、祀られている応神天皇も実在が怪しい上、その業績も倭薈のものをそっくりパクッています。


小椋山と呼ばれる宇佐神宮のエリアは、倭薈が最期を迎えた(我々の登った)小倉山(注:現地でこの呼称を使う人はいません)を意識したネーミングであるのは間違いないと思われます。


倭国の時代には、仏教派、神道派がともに川を挟んで拠点を構え、両者とも倭薈をスーパースターとして仰ぎ見ていたのが神仏習合 の始まりだと考えます。


倭薈(=阿弥陀如来)は日本においては仏であり、神でもある理由はそこなのです。


わが国は世界に類を見ないほど宗教的に浄化されており、Webで日本の総てを絶賛する外国人が急増している原点は、当時、世界最高レベルの普遍的国家であった倭国(九州王朝)にあるのです。





宇佐~国東半島にかけての仏教文化の広がりは、後に阿弥陀如来と見做される倭薈が小倉山で戦死したことが発端であることは明らかでしょう。


訪れた冨貴寺の阿弥陀堂 は平安時代の建物とされますが、もっと古いoriginalがあったと考えます。


なんとなく平泉の中尊寺金色堂を連想します。


その中尊寺も歴史は遡り東北王朝と関係がありそうです。


多賀城廃寺は大宰府の観世音寺とそっくりですしね。


奥州藤原氏というのも学校の歴史だけではよく解らない一族であります。


ガイドブックで見ると、冨貴寺の阿弥陀堂は奥深い山中にぽつんと立っているイメージでしたが、すぐ近くにパーキングもあり、並みの観光スポットでありました。


お堂そのものは紅葉に包まれ、傾きかけた夕日に照らされ、一瞬の心の安らぎを覚えました。