宇佐八幡宮 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


何を云っているのか さっぱり分かりせん。

こんな解説で納得できますか?

真実の歴史を知らしめず、御伽噺でお茶を濁す。

古代史の解説は日本全国総てこの調子です。

(怒)そして()




ガイドブック的には宇佐と言えば八幡宮ですが、今回の旅行に於ける八幡宮の比重は米田建築史学的には大したことありません。


宇佐八幡 の起源は倭国時代に駅館川を挟んで薬師寺(虚空蔵寺跡)の対岸(現在の拝田地区)にあった神道の社殿群です。


それを大和朝廷が全国平定後、5Km東北東に位置する小山(現在、小椋山と呼ばれている)に遷宮し、その由来を捏造したのです。


即ち、祀られている応神天皇も実在が怪しい上、その業績も倭薈のものをそっくりパクッています。


小椋山と呼ばれる宇佐神宮のエリアは、倭薈が最期を迎えた(我々の登った)小倉山(注:現地でこの呼称を使う人はいません)を意識したネーミングであるのは間違いないと思われます。


倭国の時代には、仏教派、神道派がともに川を挟んで拠点を構え、両者とも倭薈をスーパースターとして仰ぎ見ていたのが神仏習合 の始まりだと考えます。


倭薈(=阿弥陀如来)は日本においては仏であり、神でもある理由はそこなのです。


わが国は世界に類を見ないほど宗教的に浄化されており、Webで日本の総てを絶賛する外国人が急増している原点は、当時、世界最高レベルの普遍的国家であった倭国(九州王朝)にあるのです。