テーマパークのような宇佐八幡宮を後にして、五百羅漢を見に東光寺 に行きました。
寺とは云うものの、寺院建築はそこにはなく、敷地の突き当たりに多くの石像が雛壇に並んでいます。
五百羅漢は安政6年(1859)、15代住職道琳が干害に苦しむ農民を救いたいと、当時著名だった日出の石工に制作を依頼したことが始まりで、明治15年(1883)までの24年間に亘って521体もの羅漢像が彫り上げられたとのことです。
その雛壇の中央奥には仏足石(刺青が描かれた倭薈の足の裏の図)があります。
薬師寺古図(描かれているのは虚空蔵寺跡の倭国時代の姿)に仏足石が描かれており、現物は現在 奈良薬師寺にあります。
その後、全国的に仏足石ブームが起こり、仏足石発祥の地に再び二つ目が設置されたことになります。
以前、安土城に行った時に仏足石を見つけました。
現地の解説はなく、その時は「変なものがあるなあ」と思っていました。
織田信長の時代も倭薈はスーパースターだったのでしょうか。