『日本書紀』では嘘八百が語られている、と言われるが、対案を伴っての指摘は少ないように思う。
倭薈をいつまでも“大和朝廷に刃向った地方豪族「岩井」である”と学校で教えているようでは、すべての国民が思考停止のままである。
ザックリ示すと以下のようになる。
倭の五王の最後“武”の妃が長谷観音、その息子(倭薈)が薬師寺の阿弥陀如来(薬師如来と偽られている)、日光・月光菩薩がその息子たち、地蔵菩薩は倭薈の子供時代を表している。
救世観音が法興帝(聖徳太子のモデル)で百済観音はその妃。
その息子が光源氏(のモデル)。
阿弥陀信仰は大陸由来であったが、経典として整い確立したのは日本(倭)国に於いてである。
倭国民は自分たちの国王の死後、彼を阿弥陀如来と見做したのである。
倭薈は神道側からは八幡大菩薩、仏教徒からは阿弥陀如来と崇められるスーパースターである。
そして現代の日本人が新年に神社や寺院のどちらにも意識せず参拝するのである。
以上を知ると(前回の)米田氏の最後の1行(赤線)が理解でき、とぼけた仏像解説書がいつまでも国民の理解の邪魔をしていることに気づくであろう。
第3書の目次です。
序
第1章 ― さしでがましいとは思いますが、
知っていることをお伝え致します ―
第2章 法隆寺移築説の原点である観世音寺考
1.『二中歴』の観世音寺
2.『源氏物語』の観世音寺
3.観世音寺の鐘
4.観世音寺の碾磑
5.観世音寺の五重塔
第3章 漂泊の宇治平等院鳳凰堂
1.常識である千年前頃つくられた『源氏物語』
2.最勝院の古図二点
3.喜撰法師
4.『日本書紀』の記述
5.鳳凰堂の創建
6.『万葉集』と『古今集』と『源氏物語』
7.宇治平等院鳳凰堂
8.鳳凰堂仏後壁
第4章 年表 ―源氏物語―
注釈つき年表
[解1] 『源氏物語』解体
[解2] 中国正史(①『隋書』と ②『旧唐書』)の日本記述
[解3] 635年頃の長谷信仰
[解4] 扶桑国の興隆
第5章 出警入蹕図
第6章 清明上河図論
1.北京本、清院本、流布本
2.清院本と流布本の関係
3.真本の存在
4.描かれた場所
5.清明上河図真本の意味
第7章 石山寺論
1.観世音寺の造形
2.近年の中国の発掘遺物
3.宝慶寺石仏群
4.二つの石山寺
5.三宅廃寺遺跡
第8章 法隆寺の私的な価値の変遷
古代の建築等造形物一覧
あとがき
図、表、写真 出典一覧
次回に続く!