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海外を震えさせた驚愕の日本の風物詩
この写真、すべて私が撮影しました。
まるで三つ子のようにそっくりな巨大な梵鐘の造られた時(倭国の時代)・所(北部九州)が 一致こそすれ、バラバラなんてあり得ないと思うのですが、歴史学の先生方は なーんにも疑問を持たないのですかね~~。
卑弥呼以前から続く我が国の国名、建築、芸術、人材等、何から何までを乗っ取った帰化人の子孫、即ち古代から現在まで続く在日君たちは、如何に倭国に対するコンプレックスが強いとはいえ、成りすまし生活はもう限界に達していると思われます。
日本人の振りを続けるのはもう嫌だっ!と言っているようです。
古代史と現代史は見事に繋がっています。
以下、米田良三氏の『東アジアの悲劇』からの引用です。
現在、日本三大大鐘と呼ばれるのは奈良東大寺と京都の方広寺と知恩院の三つの鐘です。
鐘の大きさ・造りも鐘楼の造りもほぼ同じであり、同一工房の作品と思われます。
ちなみに一つは510年代に造られた(先に説明した)長谷寺の尾上の鐘、移築して現在京都知恩院の鐘、一つは520年代に造られた(奈良の京の東山麓の)豊山(福岡県上陽町北川内)の鐘、移築して現在京都方広寺の鐘、一つは536年からの数年間に造られた小倉山(大分県宇佐市)東大寺の鐘、移築して現在奈良東大寺の鐘の三つです。
吉野ヶ里近傍に造られた(奈良の京)を拠点に、本来の長谷寺と仏教道場である豊山を造ったのも、〝磐井の乱〟で亡くなり、阿弥陀如来(大仏)として東大寺に祀られるのも、〝倭の五王〟 最後の倭武と神功王后の子である奈良帝(倭薈)です。
観音信仰発祥から阿弥陀信仰へと倭薈を中心に歴史は動きます。
読者に混乱を招きそうな箇所(原文)は(赤字)に変換しました。