Midjourneyには、いつも英語でプロンプトを入れている。
それが当たり前だと思っていた。

 

でもある日、ふと日本語で入れてみた。

「ビールを飲んで読書をしている初老の男。隣には黒のラブラドールが寝て老人に寄り添っている。」

 

 

すると、生成されたのは日本人の男性だった。

 

試しに、まったく同じ文章を英語にしてみた。

今度は白人の男性。
 

 

さらにスワヒリ語にしてみると、黒人の男性になった。

黒のラブラドールという指示なのに、なぜか白いラブラドールになっている。

 

面白くなって、いろいろな言語で試してみた。

 

すると、その言語に対応した文化や雰囲気をまとったアートが次々に出てくる。

中には、
「初老の男」や「ビール」「犬」といったモチーフ自体が
主役ではなくなっているようなアートもあった。

 

ヘブライ語。犬はいなくなり、なぜか赤ワインになっている。

 

イヌイットの言葉。オオカミ?

 

アボリジニの言葉。もはや何の絵なのか分からない。


 

ここで、はっとした。

 

私たちは、

「世界を見てから言語化している」
つもりでいる。

 

でも実際は、
言語が先にあって、見える世界を決めている
のではないか。

 

だから言語を変えると、
同じ現実を見ているはずなのに、
見えてくる輪郭が変わる。

 

思い返してみると、
僕が大学でアメリカにいた頃は、英語で考えていた。

 

日本に帰国してから、
英語で考えるときと、日本語で考えるときでは、
思考の進み方や、結論の出し方が違うことに気がついた。

 

英語で考えると、
物事を分解して、構造で捉えようとする。

 

日本語で考えると、
前後の文脈や、人との関係性、
「言葉にしきれない部分」まで含めて考えている。

 

どちらが正しい、という話ではない。

 

ただ、
言語を変えるというのは、レンズを変えること
なのだと思う。

 

同じ景色を見ているつもりでも、
どのレンズを通して見るかで、
世界はまったく違う表情を見せる。

 

いつも、自分の感覚は正しいと思っている。
 

それなのに、
「なんで他人にはわからないんだろう」
そう感じてしまうことがある。

 

同じ文章でも、
文化や背景、使う言語が違うだけで、
これほどアウトプットが変わるのだと、改めて感じた。

 

世界は広い。


そして、自分の見ている世界は、思っている以上にちっぽけだ。

 

幅広い視野を身につけるために、
もっといろんな世界を見てみたい。


相手の文化や背景を理解しようとすることが、
きっとその第一歩なのだと思う。

 

そんなことを考えた一日だった。

 

健康のために、今年は週に1回は自炊することを目標にしています。
 

ただ、僕は料理がすごく下手です。

基本もほとんど知らないし、
自己流で作ると大抵まずい。

 

だからこれまで、
「料理は向いてない」
「自炊はたまにできればいいや」
そんな感じで過ごしてきました。

 

でも最近、そんな自分でも
それなりに食べられる料理が作れるようになった


理由はシンプルで、AIのおかげです。

AIを使うと、献立も考えてくれるし、食材も買いやすい。


なかでも一番便利だなと思ったのは、
AIと会話しながら料理できること

 

会話モードで話しかけると、
「次に何をするか」
「どのタイミングで鍋に入れるか」
をリアルタイムで教えてくれる。

 

イヤホンをしながら、
横で先生に教えてもらっている感覚に近い。

 

料理の素人が一番つまずくのは、
「何を、どの順番で、いつ入れるのか」。

 

そこが分からないから、
レシピを見ても手が止まるし、
火加減やタイミングで失敗する。

 

その一番むずかしい部分を、
AIが全部補ってくれるのは本当にありがたい。

 

今日の料理はハンバーグ。

ソースの作り方さえ知らない自分でもまぁまぁ上手くできました。

 

料理をしながら、
「考えるところはAIに任せて、
手を動かすことに集中すればいいんだな」
そんなことを思ったりしました。

 

料理が得意な人より、
むしろ料理が苦手な人ほど
この使い方は向いている気がします。

 

 

息子の高校受験本番まで、一か月を切りました。

この1年、家族みんなで受験に向き合ってきたこともあり、いよいよその時が近づいてきたと感じています。

 

振り返ると、この一年は本当に「受験中心」の時間でした。

塾に通い、オンライン家庭教師も取り入れ、生活リズムも見直し、家族全体でできることは一通りやってきたと思います。

 

本人なりに頑張っていることも、よく分かっています。

ただ、親の目から見ると、どうしても気になることもあります。

朝が弱いこと、エンジンがかかるまでに時間がかかること。

分かっていても、つい口を出したくなってしまう自分がいます。

 

そんな中で、最近よく考えるのは、

「親が先回りしすぎているのではないか」

「子どもの自主性を、知らず知らずのうちに奪っているのではないか」

ということです。

 

本人は本人なりに真剣に取り組んでいるつもりなのだと思います。

それでも、ふとした瞬間に、

「もしかすると、子どもより親の方が真剣になってしまっているのではないか」

そんな感覚に襲われることがあります。

 

中学三年生。

多感な時期で、いわゆる反抗期でもあります。

こちらが話したいと思うほど、距離は少し開いていく。

会話がうまくできないこと自体が、親としては一番のストレスかもしれません。

 

それでも、ここは一緒に乗り越えるしかない。

そう覚悟しています。

 

残り一か月。

ここまで来ると、親にできることは限られてきます。

新しいことを詰め込むより、

これまで積み重ねてきたものを信じるしかありません。

 

結果がどうなるかは、正直分かりません。

でも、どんな結果になったとしても、それを受け入れていこうと思っています。

受験は通過点であって、人生そのものではない。

頭では分かっていても、気持ちが追いつかない瞬間もありますが、それでもそうありたいと思っています。

 

この一か月、家族みんなが少なからずプレッシャーを感じています。

空気が張りつめて、ピリピリすることもある。

時には感情がぶつかって、大きな声で喧嘩になってしまったこともありました。

 

それでも、こうした時間を一緒に乗り越えることが、

家族としての絆を少しずつ強くしてくれているのだと、今は信じたいと思っています。

 

自分で考え、悩み、向き合う力をどう育てていくか。

そのことの方が、長い目で見れば大切なのではないかと感じています。

 

答えはまだ見つかっていません。

きっと簡単な方法もありません。

だからこそ、考え続けたいと思っています。

 

あと一か月。

静かに、できるだけ口を出さず、

同じ方向を見ながら、見守っていく。

 

親にできるのは、それくらいなのかもしれません。

 

 

今日はアスクの新年の挨拶回りをしてきました。

毎年この時期になると、お得意様を回ってご挨拶をするのが恒例になっています。

 

年賀状やお中元など、昔からの慣習は少しずつ減ってきましたが、

新年の挨拶だけは、今もなくならないなと感じます。

 

やっぱり顔を合わせて、人柄や空気感を確認し合うことで、

信用は少しずつ築かれていくものなんだと思います。

 

新年の挨拶回りをもう20年以上続けていますので、

大変だったトラブルや、苦しい時期の話も、

今では少し懐かしさを持って話せる関係になっています。

 

一緒に波を越えてきた、という感覚があると、

仕事は単なる取引以上のものになっていきます。

 

今回の挨拶回りで、特に印象に残ったことがありました。

あるお客様の会社がとても大きく成長しているのですが、

その社長さんの行動が本当にすごいなと感じたのです。

 

会社の規模はもう十分に大きいのに、

今でも現場に出て、社員と直接いろいろな会話をしている。

そこから新しい発想や仕組みを考えてしまうのだそうです。

 

ノウハウを語るより、まず行動する。

仕組みをつくる前に、人と向き合う。

現場主義とコミュニケーションの大切さを、あらためて感じました。

 

いろいろな会社を見ていると、本当に社風はそれぞれ違います。

 

事業は、いつもうまくいくわけではありません。

良い時もあれば、悪い時もある。波は必ずあります。

 

だからこそ思います。

 

どんな波の中にあっても、

良い仲間と、前を向いて、楽しみながら仕事ができる会社でありたい。

 

うまくいっている時だけ楽しい会社ではなく、

苦しい時でも、踏ん張りながら笑える会社。

そういう空気こそが、会社の本当の強さなのかもしれません。

 

新年の挨拶回りは、

ただの年始行事ではなくて、

自分たちがどんな会社でありたいのかを

静かに確認する時間なのだと思います。

 

今年もまた、顔を合わせて始まる一年。

 

どんな波が来ても、楽しめる会社であるために。

一歩ずつ、積み重ねていきたいと思います。

 

― 全国経営者セミナーに参加して ―

 

 




昨日は、日本経営合理化協会が主催する「全国経営者セミナー」に参加してきました。

日本経営合理化協会さんには、実はもう20年近く前から大変お世話になっています。

 

後継者として経営を学んだ「後継者長塾」では、決算書の読み方、マーケティング、財務、人事など、経営の基礎を本当に幅広く教えていただきました。

 

そこで出会った経営者仲間とは、今でも付き合いが続いていて、人生や経営における重要な示唆をもらう存在になっています。

 

この全国経営者セミナーは、年に2回、冬と春夏に開催され、パレスホテル東京に全国から経営者が集まり、3日間みっちり学ぶ場です。昨日は、協会の牟田会長のお話と、リコーの山下社長のお話を聞くことができました。

 

改めて感じたのは、経営にはゴールがないということ。

だからこそ、経営者は常に学び続けなければならないし、良質なインプットをどれだけ得られるかが、自分自身を育てることに直結するんだと思います。

 

今年は新年の挨拶回りと日程が重なってしまい、3日間すべて参加することはできませんでしたが、幸いオンライン配信もあるので、それを活用しながらしっかり学びたいと思っています。

 

もう一つ、このセミナーの大きな価値はネットワーキングです。会場にはすでに知っている経営者も多く、お互いに近況や課題を共有し、情報交換をする。この「人と人のつながり」こそが、合理化協会さんが長年築いてきたコミュニティの強さだと感じます。

 

トランビも、M&Aを志す人たちのためのコミュニティを運営しています。単なるサービス提供にとどまらず、良質なインプットの機会を提供し、人がつながり、学び合える場をつくる。

 

そんな価値を提供できる会社に、これからもっとなっていきたい。昨日のセミナーは、そんなことを改めて考えさせてくれる一日でした。

 

 

今日は、アスクのISO更新審査の日だった。

 

トップインタビューとして、組織図、採用、MVVの浸透、顧客満足度、来期の経営計画など、多岐にわたるテーマについてヒアリングを受けた。

 

改めて感じたのは、こうした定期的に外部から問いを受ける仕組みは、メンタリングにとても近いということだ。

 

自分では当たり前だと思っていることを、第三者の視点で問い直される。その過程で、自分の考えや前提が、少しずつ言語化され、整理されていく。

 

 

アスクはこれまで、100事業100幹部というスローガンをもって、新規事業の開発や挑戦を強く打ち出してきた。失敗を前提に挑戦し、その経験を通じて社員が成長していく。これは今でも、アスクの大切な価値観だと思っている。

 

実際、会社の「規模を先につくる」という判断は間違いではなかったと思う。この10年で、一層優秀な社員を新卒でも採用できるようになり、会社としてのレベルは格段に上がった。人数も増えた結果、判断の質も、議論の深さも、明らかに変わってきたと感じている。

 

ただ一方で、今回のインタビューを通じて、改めて自覚した課題もある。

新規事業に関わる社員には成長の機会が多く集まりやすい一方で、既存事業に携わる社員には、挑戦や成長の機会が相対的に少なくなりがちだということだ。

 

 

ここまで会社が成長してきた今、求められているものは、少し変わってきている気がしている。

会社には「段位」のようなものがあり、段位が上がれば、重視すべきポイントも変わる。

 

今のアスクにとって大切なのは、新しい事業を増やし続けることよりも、人が育ち続ける仕組みを整えることなのではないか。新規事業よりも、組織づくりや仕組みづくり、社員の満足度や成長実感を高めること。いわば「守り」の質を上げることが、次の成長につながる段階に来ているのだと思う。

 

 

もう一つ、大きな気づきがあった。

これまでは、「自分がリードして手を動かし、作ること」が正解だと思っていた。実際、立ち上げ期や成長期には、それが最適だった。

 

ただ、これから多くの社員に成長の機会を提供し、組織として強くなっていくためには、自分が手を動かす量を減らし、社員に機会を渡すことに、もっと意識を向ける必要があると感じている。

 

社長が一番動くことで会社が前に進むフェーズから、仕組みが人を育て、社員が主役になって会社が成長し続けるフェーズへ。

 

GPTWやISOといった外部からの問いは、その変化に自分自身が気づくための、良い鏡になっている。

今の段位にふさわしい経営とは何かを、これからも問い続けていきたい。

 

 

データ出所

 

 

「現在のキャリアに不安がある人が86%」

「収入源の多様化を望んでいる人が約7割」

 

この数字を見たとき、正直に言って、

高すぎないか?と思った。

 

そんなに多くの人が不安を抱えているのか、という驚きと同時に、

でもどこかで「やっぱりな」という感覚もあった。

 

多くの人は、本当は一つの肩書きや一つの仕事だけでなく、

いろいろな挑戦をしながら、自分の幅を広げていきたいと思っている。

収入も、経験も、価値観も、もっと多層的でありたい。

このデータは、そうした人としての自然な欲求が、

社会の中で十分に満たされていないことを示しているように見える。

 

 

なぜ、人は「点を打てなくなる」のか

点を打てない理由は、実はシンプルだと思う。

 

回り道をしたくないからだ。

 

ストレートにキャリアアップして、

収入を上げて、

ゴールに近づきたい。

 

そう考えるのは、とても自然なことだ。

いろんなことに手を出していると、

「遠回りしているんじゃないか」

「軸がブレているんじゃないか」

そんな感覚になる。

 

特に日本は、単一文化が強い社会だと思う。

評価軸も、成功モデルも、比較的わかりやすい。

だから意識的に動かないと、人のキャリアはどうしても収束していく。

結果として、伸び悩みや閉塞感が生まれる。

 

 

点を打つとは、「絵の具を集める」こと

でも、こうも思う。

 

もし人生を一枚の絵だとしたら、

いい絵を描くには、絵の具は多い方がいい。

 

限られた色だけで描くより、

たくさんの色がパレットにあった方が、

描ける世界は圧倒的に広がる。

 

点を打つというのは、

回り道をすることではなく、

自分の人生というアートのために、絵の具や道具を集める行為なんだと思う。

 

しかもその作業は、

大学を卒業したら終わり、ではない。

社会に出てからも、学びはずっと続く。

経験も、人との出会いも、挑戦も、すべてが色になる。

 

 

経営は、キャリアを一気に「着替える」行為

その中でも「経営」、特に事業を継ぐという行為は、

キャリアを一気にワープさせる力を持っている。

 

副業とも、単純な転職とも違う。

事業を継いでオーナーシップを持つということは、

社長業を引き受けるということだ。

 

自分を、まるごと新しい服に着替えるような感覚がある。

 

しかもM&Aによる継業は、

ゼロから何かを立ち上げる必要がない。

顧客がいて、事業があり、組織があり、歴史がある。

 

だからこそ、

どんな経験が得られるのか、

どんなネットワークが広がるのか、

どんな視座が手に入るのかが、比較的わかりやすい。

 

自分のキャリアを「設計できる対象」にしやすいのが、

継業という選択肢だと思う。

 

 

経営には、その人の思想が溢れ出る

経営は、技術やスキルの話だけじゃない。

 

同じ飲食店でも、

イタリアンをやる人もいれば、和食をやる人もいる。

同じ和食でも、

一万円の店もあれば、三千円の店もある。

 

それはすべて、

経営者の思想が溢れ出た結果だ。

 

ビジョン、ミッション、行動指針。

何を大切にし、何を捨てるのか。

経営という行為には、その人らしさが隠しようもなく現れる。

 

だから経営には正解がない。

そして、それでいい。

 

正解をなぞるためではなく、

自分らしさをこの世界に置くための手段として、

経営があってもいいと思う。

 

 

最初にやってほしい、たった一つのこと

 

「私はどの事業を買えばいいですか?」

 

そう聞かれることは多い。

 

でも、経営はアートだ。

答えは、最初から外に用意されていない。

 

だから最初にやってほしいのは、

自分が人生をかけてやってもいいと思えることを、できるだけ多く書き出すことだ。

 

一つである必要はない。

10個でも、20個でもいい。

 

やりたいことと、やれることは、大抵一致しない。

でも、心の中にリストとして持っていないと、

やれるタイミングが来たときに、気づけない。

 

釣りと同じだ。

針が一本だけでは、魚はなかなかかからない。

巻き餌を撒いて、いくつもの針を垂らしておく。

そのうちの一つに、ふっと反応がある。

 

キャリアも、きっとそれに近い。

 

 

回り道に見える点の一つひとつが、

あとから振り返ると、

自分だけの絵を描くために必要だった色だったと気づく。

 

経営も、継業も、

その点を増やすための一つの手段にすぎない。

 

正解を探すより、

どんな絵を描きたいかを考える。

 

その方が、

キャリアはずっと自由になる。

 

 

今日は、

僕が支援しているある売り手オーナーさんと、

30分ほど電話で話していました。

 

有名な賞も受賞していて、

地元の人にも、観光客にも長く愛されてきたお蕎麦屋さん。

 

「辞めてほしくない」

そう言ってくれるお客さんがたくさんいるお店です。

 

だからこそ、

オーナーさんの中には

お店をなくしてしまうのは、やっぱりもったいない

という気持ちが強くあります。

 

畳もうと思えば、畳める。

でも、できることなら――

お店の評判も、

お客さんが喜んでくれる場所も、

誰かに引き継いでもらって残していけたら。

 

それができたら、やっぱり嬉しい。

そんな思いを、何度も口にされていました。

 

 

 

実は、今、

とても条件の良い買い手候補の方がいます。

 

都会で飲食店を経営されていて、

麺類の業態で、すでに2店舗を運営してきた方。

飲食の経験も、経営の経験も十分にある。

 

その方は、

今の店舗を畳んで、

このお蕎麦屋さんを引き継ぐために

移住することまで考えてくれていました。

 

条件だけを見れば、

本当に申し分のない候補です。

 

ただ――

その方が、少し病気をされてしまった。

 

前向きな気持ちは変わらないけれど、

すぐに決断できる状態ではなくなってしまった。

 

もしこのまま進めるとしても、

成約までには半年ほどかかるかもしれない。

そんな状況です。

 

 

 

一方で、オーナーさんには

毎月、確実にかかる負担があります。

 

家賃。

数名の従業員の人件費。

 

金額はここでは言えませんが、

これは決して軽いものではありません。

 

だから、僕の立場としては、

簡単に

「もう少し待ってみましょう」

とは言えない。

 

これまでに、

150件ほどのM&Aを支援してきました。

 

その中には、

半年、1年と待った末に、

途中でブレイクしてしまった案件もあります。

 

そうなったときに残るのは、

金銭的な負担だけじゃない。

時間も、気力も、精神的な重さも、

全部オーナーさんが背負うことになる。

 

それを見てきたからこそ、

僕は無責任に

「待ちましょう」とは言えないんです。

 

 

 

最終的に決めるのは、

やっぱりオーナーさん自身。

 

負担をするのも、

責任を引き受けるのも、

オーナーさんだから。

 

僕にできるのは、

代わりに決めることじゃなくて、

一緒に悩むことくらいなんだと思います。

 

半年待って、その先にうまくいけばいい。

でも、M&Aでは

病気や環境の変化みたいな

「まさか」が起こることも少なくありません。

 

 

 

オーナーさんは、

本当にお蕎麦が好きな方です。

 

体が痛くて、もう現場には立てないけれど、

引退したあとも、

趣味のような形で、

新しいことを始めたいと話していました。

 

もしお店を売って、

それが次の楽しみの元手になれば、

それはそれで、すごくいいなと思います。

 

廃業してしまえば、

原状回復やスケルトンの負担もかかる。

でも、引き継いでもらえれば、

次に進むためのお金が残る。

 

同じ「やめる」でも、

意味はまったく違います。

 

いい買い手の方に、

うまく引き継げたらいいな。

心から、そう思っています。

 

今日の30分の電話は、

オーナーさんにとっても、

そして僕にとっても、

とても悩ましい時間でした。

 

答えはまだ出ていないけれど、

こうやって一緒に悩みながら、

最善の形を探していくしかないんだろうなと、

改めて感じた一日でした。

 

 

今朝、僕は久しぶりに散歩をした。ここ最近、立ち止まる余裕というものをすっかり失っていて、気がつけば毎朝、反射的にデスクに向かう生活が続いていた。

 

シャワーを浴び、着替え、マンションを出る。行き先は決めない。歩きながら、頭と心に浮かんでくるものを、そのまま通り過ぎさせる。信号の音や、遠くの車の走る気配を聞きながら、ただ歩く。

 

家族のこと。仕事のこと。社員の生活や、その奥にある気持ち。そうした断片が、順番も脈絡もなく頭をよぎる。でも不思議なことに、歩いているうちに、それらは絡まることなく、少しずつ落ち着いた場所に収まっていく。歩きながら考える時間を、僕は昔から好んでいる。理由はうまく説明できないが、体の中の歯車が静かに噛み合っていく感じがある。

 

デスクに座ると、「何かをしなければならない」という圧力が、空気のように立ち上がってくる。でも散歩中は、何もできない。パソコンも触れないし、スマートフォンもただの重さに戻る。その無力さが、かえって心を自由にしてくれる。

こういう時間は、たぶん「自分の心にアクセスするための時間」なのだと思う。特別なことは何も起きない。ただ、内側の音が、少し聞き取りやすくなるだけだ。

 

こうして歩いていると、昔の記憶が、理由もなく浮かび上がってくることがある。

 

20年近く前、ユダヤ教の教えを紹介した本を読んだ。ユダヤ人は世界的には少数派でありながら、ノーベル賞受賞者や成功した実業家が多い。その背景にある価値観や行動原理を説明している本だった。

 

その中で、今も僕の記憶に残っているのが「シャバット」という考え方だ。シャバットとは安息日のことなのだが、週に一度、仕事から完全に離れ、新しいことを始めず、遠くへも行かず、ただ静かに過ごす日。酒を控え、読書をし、一週間を振り返る。そのための、あらかじめ用意された時間。

 

当時の僕は、シャバットを「内省と学びを、生活の中に強制的に組み込むための仕組み」だと受け取った。人は意識しないと、流れ続ける刺激に簡単に飲み込まれてしまう。だからこそ、立ち止まるための装置が必要なのだと感じた。

 

その本を読み終えた頃、僕は「自分にも、きちんと休息日が必要だ」と思った。忙しさの中にいても、考える時間だけは手放してはいけない、と。

 

しかしスタートアップを始めてから、そうした余裕を保つことは難しくなった。結果を出さなければならないという焦り。立ち止まった瞬間に、何かを失ってしまうのではないかという怖さ。そうした感情が、知らず知らずのうちに、僕を動かし続けさせていたのだと思う。

 

振り返れば、その忙しさの正体は、不安だった。忙しくしていないと落ち着かない。頑張り続けていれば、どこかに辿り着けるはずだ、という漠然とした期待。でも現実は、そんなに単純ではない。

 

経営者にとって本当に必要なのは、手を動かし続けることではなく、大きなパズルをどう組み立てるかを考える時間なのだと、今は思っている。

 

シャバットを持てなくなる一番の理由は、余裕のなさと焦りだ。「もっと何かをしなければならない」という気持ちが、休むことを許さなくなる。

 

最近、ブログを書き、EOで内省の時間を意識的につくるようになって、少しずつその感覚が戻ってきた。そしてこの週末、久しぶりに、何にも追われずに過ごす時間ができた。

 

今朝の散歩で、僕はふとこのシャバットのことを思い出した。

 

休むことは、サボることではない。立ち止まらなければ見えないものがある。思考を整え、感情を静め、次の一週間を迎えるための、ささやかな準備なのだと思う。

 

もし今週末、30分だけ立ち止まるとしたら。

 

一番やらない方がいいのは、たぶん仕事だ。


 

最近、ブログを書いたり、

他の経営者の方と会食する機会が続いています。

 

そんな中で、強く感じていることがあります。

それは、自分のインプット量が圧倒的に足りていないという感覚です。

 

これまでの自分は、

「自分で解釈する」「自分で考える」ことを大事にしてきました。

 

あえて情報を絞り、

自分が本当に興味を持てるものだけをインプットする。

そんなスタイルを取ってきたと思います。

 

そのやり方自体は、間違っていなかった。

考える力は、ある程度鍛えられてきた実感もあります。

 

ただ最近、他の経営者の方と話していて、

はっきりと気づいたことがありました。

 

考えが浅いのではなく、材料が少ない。

知識の「量」と「幅」が、明らかに足りていない。

 

会食でご一緒した方は、

あらゆる業界、あらゆる分野に興味と知識を持っていて、

どんな話題でも、自然に、しかも面白く会話を組み立てていく。

 

その姿を見て、

単純に「かっこいいな」と思いました。

 

知識をひけらかす感じではなく、

思考に奥行きがあり、視点が立体的。

ああいう会話ができる人になりたいな、と。

 

一方で、自分のアウトプットを振り返ると、

どうしても結論が早い。

早く判断し、早く答えを出そうとする癖がある。

 

経営では武器になるこの癖も、

文章では、思考のプロセスや感情が省略されてしまう。

結果として、正しいけど、どこか薄い文章になる。

 

だから今は、

結論を磨く前に、材料を増やす時期なんだと思っています。

 

この週末は、

雑誌、小説、新刊、積読になっていた本を、

あえて「流し読み」で一気にインプットしようと思います。

 

一冊一冊を丁寧に読むよりも、

まずは、頭の中の空いているスペースを

荒くてもいいから埋めていく。

 

その中で引っかかったものを、

あとから深く掘り下げればいい。

 

読み終えたときに、

何かが決まっていなくてもいい。

視野が少し広がって、気持ちが軽くなっていれば成功。

自分の中の火が、少し戻っていれば、それでいい。

 

考える力を鍛える前に、

考えるための材料を、ちゃんと集め直そうと思います。