5月17日(水曜)、共同通信の報道で新たな衝撃の事実が判明した。

以下、記事のコピペ、
給食を強要、10年以上前からか 三重県、こども園の特別監査検討
三重県桑名市の「長寿認定こども園」で

保育士が給食を食べるよう園児に強要していた問題で、

同様の問題行為が遅くとも2009年ごろから続いていたとみられることが17日、

関係者への取材で分かった。

市は保育士への聞き取りで、園児の足を引っ張るなどの不適切保育も把握。

近く県に報告書を提出する予定で、問題行為が常態化していたと判断されれば、

県は認定こども園法に基づく特別監査を検討する。

関係者によると、

保護者が繰り返し不適切保育を市に相談していたにもかかわらず、

市が「私立園だから」という理由で十分に対応してこなかったとみられることも

判明した。

衝撃の事実は以下の二点。
①「問題行為が遅くとも2009年ごろから続いていたとみられる」
②「保護者が繰り返し不適切保育を市に相談していたにもかかわらず、

 市が「私立園だから」という理由で十分に対応してこなかった」
不適切保育を放任するこども園と行政の許されざる悪しき伝統。

2009年というと今年で14年になる…。
当時の被害園児が3歳とすれば、もう17歳の高校生…。

約14年という長い間に多くの園児が心に傷を負い、

トラウマになっていた子がいる可能性は高い。
この虐待が原因で被害園児は適応障害やうつ病、

PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっている子だっているはずだ。

約14年にも及ぶ虐待こども園を放任した市の怠慢、

心に傷を負った多くの子たちにどう向き合い、どう責任を取るのだろうか?
市は責任を重く受けとめないといけないはずだが、おそらく、
「今後はこのようなことがないように…」
というお決まりの謝罪を市長が述べるだけだと思う…。


公務員の法律上の懲戒処分は軽い順に「戒告」「減給」「停職」「免職」の

4つの種類があり、さらに「訓告」「厳重注意」がある。

今回はおそらく現担当に対してだけ

「戒告(規律違反の責任を確認し将来を戒める処分)」

するくらいはするかも。
全国に報道されて注視されているのでうやむやには出来ないからだ。

「戒告」とは要するに
「将来を戒めるために、文書又は口頭で行われる厳重注意」
のことで、
「こんなことしちゃダメでしょ。今後はバレないようにやりなさい」
と言うようなもの。

「訓告」は監督の地位にある上司が、
「職員の義務違反に対してその責任を確認し、将来を戒めるために行う行為」
で、法律上の処分である「戒告」よりも軽い処分とされ、
「厳重注意」は「戒告」よりもさらに軽い処分になるから、

これだけ全国的に報道されたのだからいくら何でも

「厳重注意」や「訓告」は無いと思いたいが、

子育て担当の管理職はせいぜい「訓告」かもね。

民間企業だったら解雇か左遷だと思うよ。


過去14年の市の無責任な保育担当は、
「私立園だから」とか「「園側が認めないので、指導できない」とかで

保護者の切実な相談を散々黙認し、その後次々と他の部署に人事異動し、

素知らぬ顔で何ごともなかったのように「対岸の火事」を装ってる。


この無責任な公務員たちは40歳前後だろうから、

本来なら行政の中間層として各部署のエキスパートになっているべきだが、
若い頃から悪しき伝統「たらい回し」を身に付けてしまっているため、

風林火山の「動かざること山のごとし」を信条に、
どこの部署でも後輩にそういう悪知恵を指導しているに違いないのだ。

だいたい、風林火山の「疾きこと風の如し」を旨とする行政なんて

残念ながら聞いたことがない。

南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラは
「何事も成功するまでは不可能に思えるものである」
「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、

 また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、

 不可能なのだ」
という名言を残しているが、
「出来るか出来ないか?」「どうしてダメなのか」ではなく
問題解決のために「どうしたら出来るのか?」を考え抜く

意識改革が必要のはずだが、
一部のダメ公務員はこういった問題解決能力が決定的に不足していて
相撲の「肩すかし」みたいに住民の相談をはぐらかす能力には長けている。


桑名市長は5月9日の記者会見で
「迅速に対応し、市内の園で二度とこういう事態が生じないよう対策を講じ、

安全で安心できる保育体制を確保していく」
と話したが、

14年も不適切保育に気づかず放任しといて今から「迅速」とはがっかりだよね。

現在の桑名市長は2012年12月に就任し、以降3期目。
ということは、
「問題行為が遅くとも2009年ごろから続いていた」
というのだから、

この怠慢は市長の就任中にみごとに重なっているのだ。

市長が市の幹部に、
「庁舎内で何か問題はないか?」
と常々聞いてはいるだろうけど、米つきバッタ系幹部は
「特に問題はございません」
などとウソの報告をして、市長は

「そうかそうか、世は太平じゃ」

と、市長に就任してから12年間も「天下泰平」だと思い込んでいたなら

裸の王様でしかない、情けないよ。

今回のこども園の不適切保育問題は、当初は
「今年の2月から3月ごろから」
といわれていたのが、
「問題行為が遅くとも2009年ごろから続いていた」
と約14年も前からこども園での不適切保育があったことが発覚したのは、
5月12日に、桑名市子ども未来部保育支援課で

「市内の保育所(園)・認定こども園等の職員又は園児の保護者などから、 施設での不適切保育に関する相談を受け付ける 「不適切保育に関する相談窓口」を設置します。 より一層安全・安心な保育の提供につなげていきます」

と、専用ダイヤルとWEBで園児に対する不適切保育に関する相談

(原則として、「実名」)を受け付け、
ここで約14年も前から問題行為があったことが判明したはずだ。

本来は、この種の行政の相談受付では
「現在の不適切保育に関する相談です」
とか言って、過去の問題は黙殺したかったのだろうけど、
全国のマスコミから注視されているので逃げられず、

観念して公示したものと思われる。


それに
「二度とこのようなことがないよう…」
という謝罪の定番、決まり文句は聞き飽きて「またか」とうんざりいる。

こういう本心ではない口先だけの、

その場しのぎの謝罪をして逃げ切ろうとするから

何度も同様な問題が起きるんだよね。

市長の奥底は
「私の在任期間中にこんな問題が明るみに出てツイてないな」
というのが本音だろうけど、ある意味「ピンチはチャンス」でもある。

この際、徹底的に膿を出し切り、

市と保育園、保護者の連携システムを全国に先駆けて構築し
「子育てなら桑名市が安心」
と言わしめるような政策を創り出せば、
「災い転じて福となす」
ぼんくら市長から名市長に格上げされ、

さらに県知事や国政にだって出られる道が開けるはずだ。


口先だけの謝罪や処分だけなのか、改善の覚悟が本物なのか、

今後の市長の言動や行動を注視するべきだ。


約14年、市が不適切保育を問題視しなかったのは怠慢だけど、
市に相談してもダメなら「虐待」だと警察や

市議会議員(保守系はダメ、革新系のうるさい議員)、新聞社、

ローカルテレビ局に誰も相談しなかったのかな?

 

今まで市議が不適切保育に気づきもせず議会に問題提起すらしないことも不思議。

ウワサとかもあっただろうに…。

私は今は新聞を購読していない。

年間5、6万円払う価値が無いと思っているからだ。

日本新聞協会がこのほど公表した昨年度のデータでは、
一般紙の総発行部数が3000万部を大きく割り込み、

2800万部台まで落ち込んだことが明らかになった。


この5年間で失われた部数は1000万部。
平均すると、毎年200万部ずつ減っている計算になり、
今後もこのペースが続けば、

15年後に紙の新聞は日本から消えてしまう勢いなのだ。

ネットニュースを見る若者が増え、それを裏付けるように

新聞を支えているのは高齢世代だ。


私も高齢者だけど、私が新聞購読をしない具体的な理由は、
新聞は事実を報道するだけでなく、深い取材に基づき、

その背景や今後の影響についてまでも言及するとか
隠された表に出たがらない事実を掘り起こすとかキャンペーン報道とか、
かつてはそういった良い意味での「ブンヤ(聞屋)」が各新聞社にはいて

スクープとかがあったが、近年の新聞は、

特に安倍政権がマスメディアに圧力をかけてから権力に委縮するようになり、
興味深い記事がなくなったからだ。

地域の明るいネタ、頑張ってる人が主流の記事ばかりでは

年間5、6万円も払う価値はない。

新聞購読を止めて、せいぜい困るのはテレビ欄が見れないことや

チラシ、折り込み広告がもらえないこと、
愛犬のトイレや掃除とかで古新聞が使えない…、そんな程度。

テレビ欄や広告はネットで調べられるし、

姉は毎日新聞と伊勢新聞の2紙も購読しているので
古新聞は姉からもらえるから新聞を読めなくてもちっとも困らない。

NHKBSプレミアム「CYCLE AROUND JAPAN」で

八丈島をデンマーク女性が自転車旅する回を観た。


1971年発刊の「南海タイムス」という新聞社を訪問。
4ページのタブロイド紙で月2回2000部発行していたが、

購読者が減り2020年6月で休刊中らしい。


この創刊の辞が、
「本社の使命は真に島々を愛し、

…不正・邪悪なるものに、戦いを挑む者に対し、黙秘はせぬ」
と、素晴らしいものだった。


こういう新聞なら購読したいと思うが、
権力に委縮して傷をなめ合うような新聞なんか読む価値はないよ。


長くなったので、次回④へ続く。


三重県桑名市「こども園」の虐待…。

三重県桑名市「こども園」の虐待②

 

三重県桑名市「こども園」の虐待④

三重県桑名市「こども園」の虐待⑤

三重県桑名市「こども園」の虐待⑥

三重県桑名市「こども園」の虐待⑦

 

三重県桑名市の認定こども園で

保育士が園児に給食の強要などの不適切な保育があり、

桑名市の聞き取り調査結果をマスコミが報じたが、
5月15日(月曜)23時放送の「news zero」

(日テレ系、東海三県は中京テレビ、有働由美子キャスター)が

番組独自の取材をして、新たな視点が見い出された。



おさらいとして、GW連休明けの5月9日(火曜)に

桑名市が報じた内容を要約しておくと、
①ことし2月から3月にかけて、2歳から3歳児のクラスで、

 給食を食べ終えることができずぐずっていた園児1人に対し、

 保育士が午前11時半から4時間にわたって食べることを強要した上、

 園児はトイレにも行けず失禁した。

②3月に園児への虐待行為があったと保護者から市に相談があり発覚した。
③ほかの園児に対しても決まった時間以外にトイレに行かせなかったり、

 給食を食べるよう強要したり、園児の足を引っ張ったりする不適切保育が

 あったと確認した。
④日本語がわからない外国人の園児に

 執拗に強い口調でしつこく指示したりすることもあり、

 虐待が疑われる不適切な行為が複数確認された。
⑤こども園は4月の保護者会で「不適切な保育があった」と認めて謝罪し

 園長が辞任した。
⑥虐待が疑われる事案に関わったとして保育士ら6人は自宅待機中。
⑦桑名市は臨床心理士を毎週金曜日に派遣して園児の心理的ケアにあたっている。
⑧桑名市は他にも不適切な保育がなかったか調べ、

 過去の不適切保育の有無も含めて5月中旬にも詳細結果をまとめ、

 県にし、監査など今後の対応を協議する方針を明らかにした。
⑨市長は記者会見で

 「迅速に対応し、市内の園で二度とこういう事態が生じないよう対策を講じ、

 安全で安心できる保育体制を確保していく」

 と話した。
⑩桑名市は第三者による委員会で再発防止策などを検討する方針。
⑪電話0594(24)1228とWebで

 保育園での虐待などについての相談を受け付け、保育支援室が対応する。
 園児の保護者や勤務している職員だけでなく、

 卒園後の子どもの保護者や退職した職員からの通報も想定。

 具体的な対応につなげるため、相談者には

 実名を名乗ってもらうことを原則とする。


以下は「news zero」での報道。
市によると保育士は、3歳の子どもに、

約4時間にわたり給食を食べきるよう強要し、

トイレにも行かせなかったということです。

事態が明るみに出たきっかけは、虐待や不適切な保育が疑われたため、

保護者がカバンに入れたボイスレコーダー。


録音データには、「窓から放り出されて爆泣き」「目の前で最高」との

保育士の会話も記録されていました。

この子どもの母親によると、じんましんが出るほど

思い出したくない経験だといいます。


ただ、“不適切保育”をしていた先生について、母親が子どもに尋ねると、

「好きだよ」と答えたといいます。

子どもの母親
「そんなことされて“先生のこと好き”ってどうして言うの?って聞いたら、

 子どもは『僕が悪かった』って言うんですよ」

以下は「news zero」内の動画から
給食を強要された3歳の園児(男児)は「仮名Kくん」とされ、

腹部にじんましんが出るほど思い出したくない経験だと。


母親
「恐怖とストレスで支配されていたと思うので、

 それ(じんましん)が体にでてしまう」


園内の録音
保育士
「うわ!おしっこ漏らした!そのお尻で座らんといて!

 パンツやなくてオムツや、恥ずかし~」


Kくん
「うわ~ん(泣き声)」


保育士
「お給食、早く食べて!

 お片付けも早くしたらこんなことにならんかったでしょう!」


この後4時間も 強要し おしっこを漏らしてしまう


保育士
「すっぽんぽんや、恥ずかしい!おちんちん丸見えやわ!」


Kくん
「うわ~ん(泣き声)」


保育士
「赤ちゃんみたいやな!先生が泣きたいわ、え~ん え~ん」」

発覚したのは今年の2月、同じクラスの保護者が気づいた子供の異変。

別の園児の保護者
「ある日(娘が)保育園から帰って来た時に

 ぬいぐるみをバーンっと思いっきり足を引っ張って投げたんですね。
 いきなり泣きながら

 『何々先生が何々くんをこうやってやるんだよ、と言って泣いたので、

  もうびっくりしかなくて』
 一部の保育士に相談すると虐待・不適切な保育が疑われたため

 娘のカバンにボイスレーダーを入れたところ事態が明るみに。

録音データには、保育士のこんな会話も
保育士
「(Kくん)窓から放り出されて爆泣き!目の前で、最高!」

Kくんの母親
「私は犯罪だと思います。

 こんな小さい子どもたちを怖がらせて泣かせていじめて、

 それで笑って「最高」とか言ってるのは本当に悪質だなって思いましたし、
 自分も頭に血が上って、もうホントに毎日考えると夜も寝られないし、

 もう怒りと悲しみでグチャグチャな状態」

Kくんが母親に口にしたのは自分を責めるような言葉だった。


Kくんの母親
「『〇〇先生ってどう思う?』って聞いたんです、子どもに。

 そうしたら子どもは『好きだよ』って言うんですよ。
『そんなことされて先生のこと好きってどうして言うの?』って聞いたら、

 子どもは『ぼくが悪かったの』って言うんですよ。
『ぼくが悪いことをしたからごめんなさい』って言うんですよ。

 こんな小さい子にそんなこと言わせるなんて本当にひどいなって思いますし…」

さらに、被害はKくん以外の他の園児にも及んでいて、

複数の保育士たちが度を超えた強い口調で接していたとみられている。


先月(4月)28日(金曜、GW前の最後の平日)、

市も立ち会う中、保護者らが呼びかける形で行われた説明会が実施された。


園長(当時、女性)
「このたびは不適切な保育があり、保護者の皆様・子どもたちの信頼を裏切り、

 心を傷つけてしまったことお詫びしきれることではないですが、

 大変申し訳ありませんでした」
と謝罪。

園長は今月(5月)7日付で辞任した。

市の「こども園」での聞き取り調査に対し、

こども園は「給食の強要」などがあったことを認め、

関わった保育士6人は自宅待機や担任を外れるなどの処分を受けている

一方、保護者から提供された問題の音声を聞くことを拒んだという桑名市は、

相談が寄せられてから約2か月後、
桑名市長が
「第三者による調査委員会は近日中に設置し再発防止につなげたい」
などとコメント
市は虐待に当たるかどうかを調査していて、今週中にも結果をまとめ県に報告するとしている。



驚きの事実は、こども園の保護者が市に相談しても

担当者が園内のボースレコーダーの音声を聞くことを拒んでいたこと。


相談や通報があった時点で市が早期に問題解決に動いていれば、

園児や保護者たちの苦しみは少しでも減らせた可能性があったはずだが、
担当は行政の得意技「たらい回し」作戦で

「まずこども園に相談して善処すべし」

と保護者を門前払いにした可能性がある。
行政の「責任回避」は、お役所の十八番(おはこ)、伝統芸なのだ。

これが一変したのは、保護者が警察に相談した可能性が考えられる。
警察から市の担当に連絡が入ったことで

市の担当が仰天して飛び起きた可能性が高いと思う。

 

警察が介入すると記者クラブから新聞沙汰になる可能性が高い。


私の集落で犬散歩中に犬を放す人が複数人いる。しかも猟犬を。


犬は飼い主には忠実であっても、犬が怪しいと感じる人には威嚇するし、

犬を放していれば襲いかかることだってあり得る。


狭い田舎社会では複雑怪奇な人脈網があり直接注意をしにくい環境下にある。
そのため私は市に「犬を放す人がいて危険」と相談。


市の担当は

「その人(犬を放す人)は消防訓練で会うのでそれとなく話しておく」

と。


その翌日以降も、毎日犬が放されるし、

障害者のリハビリで歩行訓練をする人もいるから危険なので翌週再度市に電話。


担当は

「まだその人に会っていないので話していない」

と。


それで私が警察に相談。
警察官は

「パトロールで犬を放しているのを見かけたら注意をするが、

 警察は何かないと動けないので市に連絡しておく」

と。


その10分後に市の担当から電話があり、

別人のように驚くほどテキパキとやる気が出て真摯に対応してくれた。


行政は

「できれば動きたくない、責任も問われたくない、

 面倒に巻き込まれるのはイヤだ」

という主義だけど、
警察から連絡があり、相談に乗らなかった案件が大きなトラブルになった時、

責任を問われることを憂慮して慌てたわけだ。


今回のこども園の保護者も、市に相談してもラチがあかず

「虐待」という問題なので保護者が警察に相談したんじゃないかと思う。


桑名市への保護者からの相談は、おそらく何度もあったはずだ。
この初動対応ミスは市の責任といえる。

虐待といえる時期が「2~3月」と発表されていたのは、
2月頃からこども園で虐待は常態化していて

子どもの異変で親が不適切保育を疑い、こども園や市に相談したが

具体的な証拠がなく相手にされなかった可能性が高い。


3月には親がボイスレコーダーを子どものカバンに仕込ませ証拠が得られた。


そのため「3月に不適切保育があった」とされているのだと思う。


具体的音声データがあっても市の担当は門前払いをしていたのだから

呆れるばかりだ。

2020年には社会福祉法も改正、

住民一人一人の生きがいと暮らしを地域と共に創っていく
「地域共生社会」を目指そうと
「高齢者と子育て世代、障害のある方などの属性や世代で分けない取り組みが

 自治体主導で推進されていく」
と改正されたはずだが…。

また、昨年(2022年 令和4年)6月には

改正児童福祉法が成立しているのだが…。

2月頃にはすでにあったと思われる不適切保育が3月の音声データ証拠を元に、
市はようやく重い腰を上げ、5月連休前の4月28日(金曜)に

保護者説明会が行われたが、これはこども園でも市の主催でもなく、

保護者らが呼びかける形で行われた説明会であり、

市はオブザーバーとしての参加。

これも驚きだよね。

この席上で当時の園長が「5月7日に辞任」することを保護者に伝えた。

形式は「責任を取って辞める引責辞任」だが、実態は「逃亡」で無責任すぎる。


こども園は子どもの「命」を預かり、

子どもの健やかな育ちを支えるための役割を担っているはずだ。


園長はこども園の運営だけでなく、保育士の監督・指導の責任があり、
2月、3月に不適切保育があったことも見て見ぬふり、
保護者からの相談にも波風が立たないよう

無難に事なかれ主義で乗り越えようとしていたが、
ついにトラブルを抱えられなくなり、

保護者の要請で説明会を実施せざるを得なかったのだ。

「虐待」で警察が動いていないとしても、相談での対応はするので、
警察から市やこども園に「虐待の有無」などについて連絡はあったはずだし、
市も乗り出してきて、おまけにマスコミ報道の可能性もあり、
園長は怖くなり説明会で連休明けの辞任を保護者に告げたのだと思う。

「責任を取って辞める」というのは一見カッコ良く感じるが、
責任ある役職や、重要案件の担当者であればあるほど、

また優秀な人であればある人ほど、退職までの引き継ぎ期間は十分に設けて、
後任への配慮をすべきだと思う。

何も対応せずに後任がいないまま強引に無責任に辞めるのは、
「今起きている問題から私は逃げるので後はどうぞ勝手にやってください」

と言っているのと同じ。

部下だった6人の該当保育士に罪をなすりつけ、こども園に残されたスタッフは

外部からひたすら無能で無責任で迷惑な人間として記憶され続ける。


「引責辞任」は数多くの関係者に迷惑をかける「最低な辞め方」なのだ。

園長が辞めたところで問題が終息することもないし、損失が埋まることもない。

この虐待問題の最高責任者として問題解決に奔走し、

その処置が終わり、次の後任に再建を託してから辞めるべきだったと思う。

 

 

三重県桑名市「こども園」の虐待…。

 

三重県桑名市「こども園」の虐待③

三重県桑名市「こども園」の虐待④

三重県桑名市「こども園」の虐待⑤

三重県桑名市「こども園」の虐待⑥
 

三重県桑名市「こども園」の虐待⑦

 

「不登校」は私ではなく、クラスメイトの子。
「今、どこでどうしているのかな?」
と時々思い出す…。

私が中学校2年生の9月1日、クラスに大阪から転校生が入って来た。

当時はテレビで、綺麗な長い髪の女性の後ろ姿を追って振り向かせて、
「これ知ってますか?新商品なんですけどぜひ使ってみて下さい」
とか言ってエメロンシャンプーを手渡すCMが流行っていた。


東京、大阪、名古屋、札幌、仙台、福岡、函館…、全国各地の都市の
「ふりむかないで〇〇編」
三重県のはなかったと思うけど…。


転校生はラクスルCMのん似でモダンなショートヘア、

都会から来ただけあってエレガントで立ち振る舞いも洗練されていた。


たちまちクラスの、というより学校のマドンナになって

男子生徒の注目を一身に浴びていた。
(といっても田舎だから学年は2クラスしかないけどね)

彼女は数日経った頃から遅刻や早退が目立つようになり、

やがて欠席がちになり、9月中旬以降はパッタリと登校しなくなった。

半世紀も昔のことだから、

当時は「不登校」とか「登校拒否」といった概念はなかった。


「義務教育なんだから学校に来るのは当たり前」
「義務教育なんだから生徒は勉強するのが当たり前」
と「〇〇するのは当たり前」とか「先生の言うことを聞け」と言うのが

陰険な担任教師の口癖で、当時の私はそれに洗脳されて違和感はなかった。

教師は彼女の不登校が「クラス内で孤立した原因がある」とか

「誰かのいじめとかが欠席の理由だ」と決めつけて
ホームルームの時間にクラス内で犯人捜しをしていたが、
彼女は転校してきたばかりで差別もいじめも有り得ないのだから、

当たり前だけど担任は容疑者を見つけられなかった。

次に、担任は彼女の母親に何度も電話をして、

家族から登校するよう説得をお願いしたらしいが、彼女の登校はなかった。

担任はクラス内で学級委員など5人を指名し、放課後彼女の家へ寄って
「登校するように説得しろ」
と。
その選抜メンバーに私も入っていたのだ。


田舎から町に引っ越していく幼なじみは時々いて、

転学の挨拶とかは見慣れていたが、
与作がヘイヘイホーして木を切るようなド田舎に都会から引っ越してくるなんて、

今からすると変なんだけどその頃は何の疑問も思わなかった。

彼女はお寺の近くのお茶農家の老夫婦の家に、母親と同居(居候?)していた。

老夫婦の親戚で母子家庭だとその時知った。

ハイカラな洋服を着た母親は担任からの説得要請があったこと、

それを彼女に伝えたことを教えてくれたが、彼女は
「学校に行きたくない」
の一点張りらしく、
「困った子ねぇ…」
と言うものの、母親は妙にサバサバしていて
彼女の不登校は慣れっこになっているように感じた。


あちこち転々として私の住むド田舎に来たらしいように私は感じた。

彼女の父親の話題は禁句の雰囲気で、

離婚したのか事故や病気で死んだのかも不明だったが、
「彼女の不登校はどうやら家庭環境にあるのかもしれない」
と私は想像した。

母親に彼女の10畳くらいの部屋に案内されると、

彼女は学習机の前で本を読んでいたが、
私たちが部屋に入るとベッドの上に移動して座った。

田舎の家屋は例外なく木造平屋かせいぜい2階建てで
極端にいえば、NHK連続テレビ小説「おしん」の山形の山奥の実家、

貧困農家の延長みたいな造りだから、
彼女の部屋はトンネルから抜け出した絶景のような別世界のようで目を見張った。

田舎では洋室はないからベッドで寝る人はいない。
年寄りでも病人でも畳部屋で布団で寝るのが当たり前だから。


私は初めてベッドを見た。
しかも和室の畳の上に高級な絨毯(じゅうたん)が敷き詰められ、

しかも部屋の真ん中にベッドがあるので違和感を感じた。
絨毯を見るのも座るのも触るのも初めての典型的な田舎の子だった。

学習机も田舎では見たこともないゴージャスなもので
書棚には英語や数学、理科などの参考書が何冊もあり、
星の王子さま、アンネの日記、レ・ミゼラブル、北原白秋全集、
走れメロス(太宰治)、蜘蛛の糸(芥川龍之介)、羅生門(芥川龍之介、)
こころ(夏目漱石)、坊ちゃん(夏目漱石)、三国志(吉川英治)、

最後の将軍(司馬遼太郎)…、
などが整然と並び、彼女の知的水準の高さに私は驚いた。
それらの本は当時の無学の私は読んだことがなかった。

今なら「引きこもり」とかふつうにあるが、当時はそういう概念はないし、
今みたいにテレビやスマホでゲームをやることもない。
彼女は自室で独学で勉強し、読書の虫だったのだ。

私がその後歴史や文学に興味を持ち、読書をするようになったことや
都会に憧れるようになったのは彼女の影響なのだ。

説得部隊は、彼女に
「学校においでよ」
「どうして学校に来ないの?」
「誰かにいじめられたの?」
「学校で一緒に勉強したり遊んだりしようよ」
「明日、学校で待ってるよ」
…、
などを善人を装って彼女に話していたが、私は
「そういうことは彼女の気持ちに寄り添ってないんじゃないかな」
と思い、彼女に声をかけられなかった。

というより、当時の私は無知、無教養すぎて彼女に語りかける言葉が、

何が最適なのかその時は思い浮かばなかったから。
時たまボンヤリと頭に浮かぶ頃には話題が次に移っていたのだ。

また、私が彼女に何か言ったところで、彼女の心には響かなかったはずだ。

彼女は何度か
「学校には行きたくない」

「あんたたちに関係ないでしょ」

「もう放っといてよ」
と私たちに言い、

ついには説得隊員の話の途中で布団に潜り込んでしまい無言を貫いた。
説得はみごとに失敗した。


彼女からすれば
「私の気持ちなんて誰にもわからない」
「放っておいてほしい」
という「ありがた迷惑」、「思いやりという名のお節介」でしかなかったのだ。
私はそれは理解出来て説得隊員であることを恥じた。

当時、登校できない子どもは容赦なく

「落ちこぼれ」とか「なまけ者」というレッテルが貼られた。
椅子取りゲームで脱落した子に敗者復活戦や救済策はなく

置いてけぼりになっていた。

彼女は母親に不登校の理由とか相談したのかどうかわからないけど、
再三「つらい」「苦しい」「寂しい」「助けて」の

「SOS」サインを早い段階から発信していたはずだが、
母親にはそれが届かなかったのだと思う。

そうして彼女は自信や元気を失い、心を閉ざし、殻に閉じこもり
不登校で身を守るようになったのだと思う。

思春期でもあるし、説得されていると感じれば反射的に反抗してしまい、
納得できないことにはなかなか素直に応じないのは今でこそ理解できるが、
当時の私は無知すぎた。

今だったら「テレフォン人生相談」の大原敬子さん(幼児教育研究)や、

三石由起子さん(作家・翻訳家)、

マドモアゼル・愛さん(エッセイスト)あたりに相談すれば

良い回答が得られたかもしれないけどね。

子どもが不登校になると、一般論だが
周りの大人たちは不登校の原因探し、悪者探しを始め、
父親は
「おまえの育て方が悪い」
と母親を責め立て、母親は
「あなた(父親)だって、仕事仕事で家のことをほったらかしにしてきたじゃない」
とか切り返し責任を転嫁し合い、
学校側はクラス内のいじめの有無や担任への相談に真摯に向き合ったかどうか…、
学校側の落ち度を危惧し都合の悪いことは隠ぺいし保身に走る。

要するに、周りの大人たちは

不登校生徒の心に寄り添うことは基本的に無いのだ。

そもそも
「原因を取り除けば問題は解決する」
という考え方自体が間違ってると思う。

仮に「いじめ」が原因だとしても、「いじめ」は学校で起きているのだから、

子どもが教師に相談して教師が効果的に動いてくれれば

解決の糸口も見えるだろうが、そもそも

「〇〇がいじめるから学校に行くのがつらい」

と言えないから不登校になるわけで、教師に言ってもダメだと思えば、
教師に相談することは避けるはず。


また、教師の対応によっては逆効果になり、

さらに火に油を注ぐことだってあり得るのだから。
そのへんはネガティブな弱者は敏感だよね。

「だったら親に相談すればいいだろう」
と思うかもしれないが、

親に出来るのは教師に連絡し、教師に解決させようとする責任転嫁くらい。


なので、体裁を整えるだけの保身教師に解決能力が無いと判断していれば、

子どもは親にも相談できないのは当然なのだ。


偉そうなことを言ってるけど、

実は私も子どもから相談を受けない黒歴史がある。


私の長女は小学校3年生からクラス内で猛烈ないじめに遭い、
私にそれを言ったのは6年生の12月だった。

長女は学校で約4年もいじめに遭い苦しんでいたのに

私はそれにまったく気づきもしなかったのだ。

長女は小学校から大学までエスカレーター式で進学できる

都内のミッション系私立学校に通学していたが、
「中学校に進学したくない」
とクリスマスの日に唐突に言い出し、

理由を聞いたら「4年間もいじめを受けている」と言い、私は仰天した。

私は当時仕事で忙しくしていて、

長女もそれを理解・配慮して私に相談しなかったのだと思う。


もちろん「SOS」サインを何度も出していたはずだけど、

長女は小学校入学以来、ずっと皆勤を続けていたこともあり

私はまったく気づいてあげることは出来なかった。

後でわかったことだけど、子どもは教室で担任が出席を取ると、
その後腹痛とかで保健室に逃げ込んでいたらしい。

(結果、長女は6年間皆勤した)

6年生の12月といったら、時期的にもう他校の私立中学の受験はムリ。
私立小学校から公立中学校に進学したら、またいじめに遭う可能性もある。
それで、長女は面接だけ(本人のやる気だけを確認する面接、試験はない)の

インターナショナルスクールに進学した。

小学校では徹底した没個性の方針だったが、中学校はその真逆で
生徒の個々の個性を尊重、褒めて伸ばす、個性を伸ばす教育で
それまで周りに配慮して意見を言わないタイプだった長女が、
良くも悪くも自己主張をするタイプに変身できた。

子どもが健全に生育するうえで、学校や教師が子どもに与える影響は大きい。
もちろん家族間のコミュニケーションを十分取ることの重要性は言うまでもない。


説得失敗後、1週間くらいして、担任が朝出席を取り終わると
不登校の彼女が転学したことを無感情でサラッとひと言通達し、

クラス内が少しざわついた。

彼女の転校の挨拶はもちろん無く、

私が最後に彼女に会ったのは登校の説得に行った1週間前が最後だった。

彼女に寄り添ってあげられなかった苦い思い出、

私の長女が私に相談しなかった苦い思い出…。

子供の心のケア、サインを見逃さないことはとても大事。

紀元前1世紀頃、

前漢の武帝が匈奴(きょうど、モンゴルの遊牧民族)との戦いで財政が悪化、
塩、鉄、酒の専売制度に関する会議録「塩鉄論(巻五・利議)」に、
「言う者は必ずしも徳有らず。

 何となれば、これを言うは易くして、これを行うは難(かた)ければなり」
とある。

要するに
「言うは易く行うは難し」
「口で言うのは簡単だけど、実際に実行することは大変難しい」
これは私のこと…。


孔子の「論語(憲問篇)」には
「子曰く、徳有る者は必ず言(げん)あり。言有る者は必ずしも徳有らず。
 仁者(じんしゃ)は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁(じん)有らず。」
とある。

「徳のある者は必ずよい言葉を言う。

 しかしよい言葉を言うものは必ずしも徳のある者とは限らない。
 仁のある者は必ず勇気がある者だが、

 勇気がある者が必ずしも仁のある者とは限らない。」
という意味で、これも徳も仁もない私のこと…。

長く生きていれば、誰にでも墓場まで持って行きたい黒歴史ってあると思うよ。


彼女は転校後どうしたのかな?
救済策とかあったのかな?
理解し合える友と出会えたかな?
良い人生を過ごせたかな?

時々彼女を思い出す。

 

三重県桑名市の「長寿認定こども園」で給食中に

園児に虐待があったと報道されている。

「社会福祉法人花園福祉会 長寿認定こども園」  
「こども園」のHPには
「園の想い」
「保育理念」
とかあって、それを見ようとしたら、すでに苦情が殺到してるのか、
「ただいまアクセス集中により、ページが表示しづらい状況となっております」
と閲覧できない状態だった。

この「こども園」で、今年2月~3月にかけ

給食を食べきれなかった園児(1人)に対し、
保育士が約4時間にわたり給食を食べるよう指導を続け、
園児はその間、トイレに行けず失禁してしまったということで、
今年3月に保護者から桑名市に相談があり、市が事実確認を進めている、と。

この「こども園」では他にも、保育士が園児に対し執拗に強い口調で話したり、
人格を尊重しない言葉遣いをするなど不適切な問題行為が疑われるということで、
現在、保育士6人が自宅待機、園長は5月7日付で辞職したらしい。

「市内の園で二度と、このようなことが起きないよう対策を講じる」
市は今月中旬までに調査結果をとりまとめ県に報告する予定、

また近く第三者委員会を設置し再発防止策を検討すると発表した。

このほか、桑名市内の保育園で同様の不適切行為が行われていないかとか、
個々の保育園の職員らを対象に研修会を開くなどして、

再発防止に努めるとしている。



「保育園での虐待の有無」
を聞き取り調査して、それなりの原因を見つけ、
不適切な保育士や保育園の責任者に処罰や指導をして、
保育園には再発防止の改善計画書の作成や保護者説明会とか

マスメディアでの謝罪とか…、
そんなことで早期に幕引きを図りたい、というのが市の本音なのだろう。

4時間も厳しい指導を受けた園児の精神的なショックは計り知れない。
ニュースではその園児のケアについては報道されてないけど、

まずそこが一番だと思うよ。


当事者は責任を追及されたくないから

責任回避で保身になり逃げるので精いっぱい。

肝心の被害園児の心配なんか口先だけで後回し。

理屈っぽい専門家によると、虐待の主な種類は
 「身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、経済的虐待」
とかがあり、その状況の深刻さから
 「緊急事態、要介入、見守り・支援」
 の3つのレベルに分けられるらしいけど、
虐待の種類や分類なんかよりも、

それらの虐待現象が起こる根本原因はおそらく同じなんじゃない?

 

市や保育園、保護者たちはそれを見つけないといけないよ。

目に見える現象だけで薄っぺらい原因を見つけ出し、そこだけ改善しても、

根本が解決されなければまた同じことを繰り返してしまうと思うよ。

「1件の重大な事故・災害の背後には、29件の軽微な事故・災害があり、

その背景には300件の異常がある」
というのがハインリッヒの法則(=ヒヤリハットの法則)だけど、
いつも重大な事故が起こってから
「さあ、どうするか」
とてんてこ舞いになるのが常。

 

要するに、政権政党と同じでやってる感は満載なんだけど、

実際には何もやってないのと同じこと。

 

無能な首相が「異次元の少子化対策」といっても、

戦後自民党が長く政権を担ってきてるのに、
少子化問題は数十年前から問題視されていたはずだが、
何ら対策を打てなかったのは政権政党の無策が原因のはず。

 

重大な事故が起こってから
「さあ、どうするか」
とてんてこ舞いになるのはまったく同じ無能の構図なのだ。

小さな問題の時に保育士や園、保護者、市の担当部署が異変に気が付いて、

その時点で問題解決に奔走すれば
重大事故は起こりにくいはずだと思うんだけどね…。

 

だいたい、小さな異変にも気づかないことが大問題なんだよ!



以前のニュースでも、保育園や小学校とかで、
「給食を食べない子どもに、無理やり口に押し込んだ」
「時間内に食べない子どもに、昼休みも午後の授業中も

 ずっと給食を下げずに食べるまで何もさせなかった」
「給食中はおしゃべりは禁止」
というような話は何度も耳にしてるよね。

こういった強制や無理やりは、

子どもは食事をすることが嫌いになってしまうはず。


本来、食事って楽しく食べるものじゃないの?
「食育」も教育の一環だから、没個性の金太郎飴養成教育式に
全員が完食をしないといけないわけ?

偏食児童や食が進まないことに目くじら立てて指摘するのではなく、
「皆で食べるとおいしいね!」
「皆が、楽しく食べていると先生も美味しく食べられるよ!」
など声掛けするとか、食べる場所や座るメンバーを定期的に入れ替えるとか、
ゲームを取り入れるとか、遠足の食事みたいに楽しく気分よく食べられるように

工夫すればいいんだよ。

「食」は人間が生きていくうえで生涯関わること。
園児は発育や体格、体形、性別、家庭の生活環境などで

食が細いとか偏食の子は必ずいる。


園児や生徒が楽しく食べることを基本に置き、
保育園や学校の栄養士・調理師、保育士、教師も含めて、

全員が「食」についての共通認識を持ち、そのうえで、

「食に関して不安のある園児に対し、家庭との連携を図る」

という構図が必要だと思う。



今回の桑名市の「こども園」での園児虐待報道で、私自身の悪夢を思い出した。

私が小学校2年と3年の頃、

担任教師の「給食は残さず完食」という厳しい方針で昼休みは地獄だった。

私は「肉」が嫌いだった。
脱脂粉乳ミルクやパンなどが嫌いな、

私を含めて5人(いつも同じメンバー)が、
ヒステリックに怒鳴る女教師に委縮し悲しくて逃げ出したかった。

脱脂粉乳が嫌いな子は「臭くて飲めない」「糞乳」と言って嫌い、
クラス全員の脱脂粉乳の大きなミルク缶を、

意図的だと思うけどその子が当番の時に廊下で転んで

ザバーンと全部流したこともあった。


その事件以降、私たち5人は給食前の脱脂粉乳やパン、おかずを

調理室から教室まで運ぶ当番から外された。

私は鬼担任の前で嫌いな「肉」を口に入れて飲み込み、

トイレに駆け込んで吐いていたんだ。
苦しかった思い出しかない。


半世紀が過ぎてもいまだに忘れられない悪夢。


それで「肉」がトラウマで嫌いなまま、

「肉」を食べられるようになったのはつい10年くらい前のことなんだよ。

私が高校を卒業するまで、自宅では大晦日に年越しすき焼きをしていた。
父が津市の老舗松阪肉専門店「朝日屋」で年末に松阪牛を買ってくるのだけど、
私は地元の名産松阪牛を食べたことがない。


家族からは
「バカじゃないの?こんなに美味しいのに」
と言われ続け、私はすき焼きでは焼き豆腐とか長ネギ、しいたけ、

しらたき、白菜とかを食べていたんだ。



私の小学校時代はパン給食でアルマイト製食器が使われ、
パン皿と、おかず皿、少し大きめの汁食器にミルク食器の

全部で4種類があった。

「アルマイト」は、耐久性を増すためアルミニウムに

酸化アルミニウムの膜で覆ったもので、
大正時代に日本で発明され、弁当箱などとして広く使われてきた。

飲み物は脱脂粉乳。
今のスキムミルク。

牛乳から油脂を抜いて乾燥させて粉状にしたものが脱脂粉乳。
それをお湯で溶かすと白い牛乳っぽくなるんだけど、

嫌悪感ある独特の臭いがあり美味しくない。


しかも少し時間が経つと「ゆば」のように表面に膜が張り、さらにマズくなる。
一気飲みじゃないとなかなか飲めないよ。

今もあればいいのに、罰ゲーム用として。


第二次世界大戦後、アメリカによる疲弊したヨーロッパに対する支援が一段落し、
アメリカの農畜産業の余剰小麦のはけ口として
「日本の子どもの栄養失調の改善」
を口実に日本がターゲットとなり、日本国内の
「小麦消費拡大運動の展開の一環としてパンが学校給食になった」
という背景がある。

小麦大量輸入は極端な米飯食主義だった日本人の食生活を大きく変容させ、
今日のパンや乳製品の消費が定着する一因ともなった。

1949年(昭和24年)

 ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、

 ユニセフ給食が開始。
1950年(昭和25年)

 アメリカから小麦粉が贈られ都市でパンによる完全給食が開始。
1951年(昭和26年)

 完全給食は全国市制地に拡大、1952年4月に全国で開始。
1952年(昭和27年)

 日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、

 また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される。
1954年(昭和29年)

 「学校給食法」が成立、公布。

 給食は保護者に好評で存続が望まれ、学校給食は教育の一環として

 第二のスタートを切る。
1956年(昭和31年)

 学校給食法が一部改正、中学校にも適用されるようになったほか、

 「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」が公布。

学校給食法施行規則第1条
「完全給食」とは、
給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク(牛乳)及びおかずである給食。

学校給食法第2条
「学校給食の目標」とは、

学校給食を通した食育(食事を通した食に関する教育)。
様々な食材をバランスよく摂取する指導、地元の素材や食器を使い、

正しい食事作法を身につける指導などが実践されること。

かつての管理教育全盛時代には、
「栄養欠乏の改善」
「偏食や野菜嫌いなどを矯正する」
「食べ残しをしない生活習慣を身につける」
「集団におけるマナー」
などの観点から、
給食を残すことを禁止する教師が全国的に多かったのだ。

私が「肉嫌い」でも、友人がパンや脱脂粉乳ミルクが嫌いでも
給食を全部食べきるまで昼休みの時間、

ずっと残されて強制的に食べさせられた「完食指導」は、
鬼教師の個人的弱い者いじめではなく、ある意味国策だったわけだ、ひどいね。

この食育も全員横並びの没個性金太郎飴養成教育の一環だったなんて…。

 

 

三重県桑名市「こども園」の虐待②

三重県桑名市「こども園」の虐待③

三重県桑名市「こども園」の虐待④

三重県桑名市「こども園」の虐待⑤

三重県桑名市「こども園」の虐待⑥
 

三重県桑名市「こども園」の虐待⑦

 

病気って、中からなるんだよ。
自分が好んで食ってるもんだよ。
自分が考えて、自分で考えてんでしょって。

「命」っていう字は上、傘じゃないんだよ、人って字なんだよ。
人は一度は叩かれる。っていうの。
この叩かれている状態が病気なの。

神様が、おまえいい加減に、食い物考えな。
考え方変えなって。
いい加減、変えなさいって、頭、叩かれてるの。

それをいくら叩いても気がつかない。
もう、ばかばか叩かれてんのに、気がつかないの。


これは斉藤一人の言葉。
私はババアになった今でも編集の在宅ワークを続けている関係で本は読む方。
いつも図書館で借りられるだけ借りている。


何度も読み返す本もあれば、速読して興味があるところだけを熟読したり、
最初の1,2ページで価値観が合わなかったりするとそれ以上は読まないとかの

気楽な気まぐれ読書。

買った本ならともかく借りた本なら読破する義務はない。

斉藤一人の本は飛ばし読みして一部をメモ、そのノートが今日見つかった。

私はジャンルを問わず借りまくるが、哲学とか心理学、行動経済学など、

著者が自身の頭の良さをアピールしたいのだろうけど、
読者にわかりやすく書かず、あえて論文的に専門用語を多用し

難解に書いた本を読むのは疲れるだけで
「こんなもん読むか」
と、せっかく借りたのに読まないこともある。

斉藤一人は著書も多く、内容的にもわかりやすく読みやすい。
だけど、なんか心に響かないんだよね。

私の知人に

「斉藤一人の本を読んで救われた」

と盲信してる人がいて、
それで名護図書館で本を1回だけ借りた記憶があるから、
「命という字」はその時のメモだと思う。

私の知人は事業に失敗し、
「熊本城の天守閣から飛び降りる」
覚悟で、熊本駅のキヨスク売店でたまたま斉藤一人氏の本を読み

一念発起したんだと。

それで、私も斉藤一人氏の本はいつか読んでみたいと思っていた。
ちなみに、その知人は再起業後にまた頓挫している…。


斉藤一人氏の天国言葉は、
「愛してます・ツイてる・うれしい・楽しい・感謝してます・

 幸せ・ありがとう・許します」
で、
「ありがとうを一日100回は言おう」
とか有名だよね。

「良い言葉を使っていると、仕事運、金運など、全ての運気が上がっていく」
と。

でも、それってふつう過ぎてちっとも感動的な言葉には思えない。

「引き寄せの法則」というのがある。
「ザ・シークレット(ロンダ・バーン著)」という本に書かれていた。

(D・カーネギーを盲信する自己啓発にかぶれてる人に紹介された本)


要するに
「思考は現実化する。

 良い事も悪い事も全て吸収するから悪い事は考えるのはダメ」
というのがスピリチュアル的にグダグダ書かれて、

これも最後まで読破できなかったんだけど、
元々は19世紀アメリカのキリスト教をベースにした宗教の概念。

「天国言葉」に対し、逆に使ってはいけない「地獄言葉」という考え方もある。
「恐れている、ツイていない、不平・不満、愚痴・泣き言、

 悪口・文句、心配ごと、許せない…」


「負の感情言葉は自身から運気を奪っていく」
と。

斉藤一人は多くの講演や多くの著作があり、それなりに理解者が多いだろうし、
私の知人のように落ち込んでいる時に救われた経験がある人もいると思うけど、
私はヒネてるからちょっと色眼鏡的、懐疑的に見てしまうんだよね。



加山雄三は作詞作曲家、歌手というだけでなく、
東宝の「若大将シリーズ」でやったように

多くのスポーツが万能だったり、多才。

最近はどうかわからないけど、油絵も描き即売会も行っていた。
その油絵もテレビ番組で観たけど、

上手なんだけどちっとも心に響かなかった。

片岡鶴太郎も版画や墨彩画、陶磁器、絵画、禅語など多才。
鶴太郎の美術館、工芸館まであるらしい。


デザインや色彩は確かに上手なんだけど心に響かない。
こっちも即売会とかオンラインショップまであるけど

買って飾りたいとは思えない。

 

斎藤一人もなんか心に響かない。



斉藤一人がうさん臭いとは言わないけど、
私は昔の「一杯のかけそば」を思い出してしまうんだよね。

若い人は知らないだろうけど、

バブル期の初め頃に作者の栗良平が語り部となって、
週刊文春に掲載されたり、テレビのワイドショーとかで大々的に紹介されて
本が出ただけでなく映画化もされ、

講演会とか爆発的に大ブームになったんだけど、

実話といわれていたのに創作疑惑が出たり
週刊誌で作者の経歴詐称や寸借詐欺疑惑報道とかで

一気にブームは終焉を迎えてしまった。

 

覚えている人もいるはずだ。

「一杯のかけそば」ってなに?という人のために以下あらすじ。
1972年の大晦日、

北海道札幌市の時計台横丁(架空)にある蕎麦屋「北海亭」が舞台。

 

閉店間際になって貧相な三人の母子が店に現れ、

当時150円のかけそばを一杯だけ注文する所から話は始まる。


三人で一杯のかけそばを美味しそうに分け合って食べる母子。
最初は訝(いぶか)しんだ店主夫婦であったが、

主人は何だか不憫(ふびん)に思いこっそり半玉を母子に提供していたのだ。


次の年の大晦日にまた母子三人が店に来てかけそばを一杯、

その次の年は子供が成長したからか二杯を美味しそうに食べて帰る姿に、

次第に夫婦は母子を愛おしく思うようになっていった。


毎年大晦日にはその母子のため

彼らが初めて座った席を「予約席」として待ち続ける夫婦。
ある年に母子が訪れた際、店主は三人の会話を耳に挟んだ。


夫を事故で失ってから、母子三人は苦しい生活を送っていたらしく、

子供たちは新聞配達や家事の手伝いで母を助け、必死に生きていた。


そして大晦日に、亡き父親が好きだった「北海亭」のかけそばを

食べに来ることが母子の年に一回の贅沢だったのだ。


その話を聞いた次の年から、

大晦日に母子はパッタリと店に現れなくなってしまう。


しかし毎年大晦日に夫婦は母子を「予約席」として待ち続けた。


そして十数年後の大晦日の夜、

母とすっかり大きくなった息子二人が店に現れる。


立派に成長した子供たちは、

あのあと札幌を離れ母の地元である滋賀に引っ越したこと、
あの頃の男の子二人は長男が医師に、弟は銀行員として働いていること、
長男が北海道で医師として働くことになり、

父の墓参りも兼ねて母子三人で最高の贅沢、
「北海亭の年越しそば」を食べようと店に来たのだった。


店主に感謝を述べた親子は、ようやく三杯のかけそばを注文。
店主は不愛想を装って「あいよ」と丹精込めたそばを出したのだった。


せっかく胸を打たれる良い話なんだから最初から創作と言えば良かったのにね。