病気って、中からなるんだよ。
自分が好んで食ってるもんだよ。
自分が考えて、自分で考えてんでしょって。

「命」っていう字は上、傘じゃないんだよ、人って字なんだよ。
人は一度は叩かれる。っていうの。
この叩かれている状態が病気なの。

神様が、おまえいい加減に、食い物考えな。
考え方変えなって。
いい加減、変えなさいって、頭、叩かれてるの。

それをいくら叩いても気がつかない。
もう、ばかばか叩かれてんのに、気がつかないの。


これは斉藤一人の言葉。
私はババアになった今でも編集の在宅ワークを続けている関係で本は読む方。
いつも図書館で借りられるだけ借りている。


何度も読み返す本もあれば、速読して興味があるところだけを熟読したり、
最初の1,2ページで価値観が合わなかったりするとそれ以上は読まないとかの

気楽な気まぐれ読書。

買った本ならともかく借りた本なら読破する義務はない。

斉藤一人の本は飛ばし読みして一部をメモ、そのノートが今日見つかった。

私はジャンルを問わず借りまくるが、哲学とか心理学、行動経済学など、

著者が自身の頭の良さをアピールしたいのだろうけど、
読者にわかりやすく書かず、あえて論文的に専門用語を多用し

難解に書いた本を読むのは疲れるだけで
「こんなもん読むか」
と、せっかく借りたのに読まないこともある。

斉藤一人は著書も多く、内容的にもわかりやすく読みやすい。
だけど、なんか心に響かないんだよね。

私の知人に

「斉藤一人の本を読んで救われた」

と盲信してる人がいて、
それで名護図書館で本を1回だけ借りた記憶があるから、
「命という字」はその時のメモだと思う。

私の知人は事業に失敗し、
「熊本城の天守閣から飛び降りる」
覚悟で、熊本駅のキヨスク売店でたまたま斉藤一人氏の本を読み

一念発起したんだと。

それで、私も斉藤一人氏の本はいつか読んでみたいと思っていた。
ちなみに、その知人は再起業後にまた頓挫している…。


斉藤一人氏の天国言葉は、
「愛してます・ツイてる・うれしい・楽しい・感謝してます・

 幸せ・ありがとう・許します」
で、
「ありがとうを一日100回は言おう」
とか有名だよね。

「良い言葉を使っていると、仕事運、金運など、全ての運気が上がっていく」
と。

でも、それってふつう過ぎてちっとも感動的な言葉には思えない。

「引き寄せの法則」というのがある。
「ザ・シークレット(ロンダ・バーン著)」という本に書かれていた。

(D・カーネギーを盲信する自己啓発にかぶれてる人に紹介された本)


要するに
「思考は現実化する。

 良い事も悪い事も全て吸収するから悪い事は考えるのはダメ」
というのがスピリチュアル的にグダグダ書かれて、

これも最後まで読破できなかったんだけど、
元々は19世紀アメリカのキリスト教をベースにした宗教の概念。

「天国言葉」に対し、逆に使ってはいけない「地獄言葉」という考え方もある。
「恐れている、ツイていない、不平・不満、愚痴・泣き言、

 悪口・文句、心配ごと、許せない…」


「負の感情言葉は自身から運気を奪っていく」
と。

斉藤一人は多くの講演や多くの著作があり、それなりに理解者が多いだろうし、
私の知人のように落ち込んでいる時に救われた経験がある人もいると思うけど、
私はヒネてるからちょっと色眼鏡的、懐疑的に見てしまうんだよね。



加山雄三は作詞作曲家、歌手というだけでなく、
東宝の「若大将シリーズ」でやったように

多くのスポーツが万能だったり、多才。

最近はどうかわからないけど、油絵も描き即売会も行っていた。
その油絵もテレビ番組で観たけど、

上手なんだけどちっとも心に響かなかった。

片岡鶴太郎も版画や墨彩画、陶磁器、絵画、禅語など多才。
鶴太郎の美術館、工芸館まであるらしい。


デザインや色彩は確かに上手なんだけど心に響かない。
こっちも即売会とかオンラインショップまであるけど

買って飾りたいとは思えない。

 

斎藤一人もなんか心に響かない。



斉藤一人がうさん臭いとは言わないけど、
私は昔の「一杯のかけそば」を思い出してしまうんだよね。

若い人は知らないだろうけど、

バブル期の初め頃に作者の栗良平が語り部となって、
週刊文春に掲載されたり、テレビのワイドショーとかで大々的に紹介されて
本が出ただけでなく映画化もされ、

講演会とか爆発的に大ブームになったんだけど、

実話といわれていたのに創作疑惑が出たり
週刊誌で作者の経歴詐称や寸借詐欺疑惑報道とかで

一気にブームは終焉を迎えてしまった。

 

覚えている人もいるはずだ。

「一杯のかけそば」ってなに?という人のために以下あらすじ。
1972年の大晦日、

北海道札幌市の時計台横丁(架空)にある蕎麦屋「北海亭」が舞台。

 

閉店間際になって貧相な三人の母子が店に現れ、

当時150円のかけそばを一杯だけ注文する所から話は始まる。


三人で一杯のかけそばを美味しそうに分け合って食べる母子。
最初は訝(いぶか)しんだ店主夫婦であったが、

主人は何だか不憫(ふびん)に思いこっそり半玉を母子に提供していたのだ。


次の年の大晦日にまた母子三人が店に来てかけそばを一杯、

その次の年は子供が成長したからか二杯を美味しそうに食べて帰る姿に、

次第に夫婦は母子を愛おしく思うようになっていった。


毎年大晦日にはその母子のため

彼らが初めて座った席を「予約席」として待ち続ける夫婦。
ある年に母子が訪れた際、店主は三人の会話を耳に挟んだ。


夫を事故で失ってから、母子三人は苦しい生活を送っていたらしく、

子供たちは新聞配達や家事の手伝いで母を助け、必死に生きていた。


そして大晦日に、亡き父親が好きだった「北海亭」のかけそばを

食べに来ることが母子の年に一回の贅沢だったのだ。


その話を聞いた次の年から、

大晦日に母子はパッタリと店に現れなくなってしまう。


しかし毎年大晦日に夫婦は母子を「予約席」として待ち続けた。


そして十数年後の大晦日の夜、

母とすっかり大きくなった息子二人が店に現れる。


立派に成長した子供たちは、

あのあと札幌を離れ母の地元である滋賀に引っ越したこと、
あの頃の男の子二人は長男が医師に、弟は銀行員として働いていること、
長男が北海道で医師として働くことになり、

父の墓参りも兼ねて母子三人で最高の贅沢、
「北海亭の年越しそば」を食べようと店に来たのだった。


店主に感謝を述べた親子は、ようやく三杯のかけそばを注文。
店主は不愛想を装って「あいよ」と丹精込めたそばを出したのだった。


せっかく胸を打たれる良い話なんだから最初から創作と言えば良かったのにね。