以前にも少し書きましたが
2024年の6月に、取材もかねて一泊、遊んできました。
一話目はこちら
前回はこちら!
下調べによると2時間あれば大丈夫とのことで…
でも私、「あそこはそんなに見るところない」というような施設にすごく時間かかったりするんですよね。
「ちょっと行ってみたい」そんな軽い感覚で行って、チラッと見てこれる場所なのでしょうか?
そしてもう一つ気になるのは…
製糸場のまわりにたくさん民間の駐車場がありました。
知らずに案内されるまま市の推してるところに入れてる人も多かったです。
関係ないけど製糸場の横の川もいい雰囲気で寄ってみたくなっちゃう感じでした。
入口です。
左側の受付で待つと、地元ボランティアの無料ガイドがつくようです。
時間が限られていたのでガイドさんを待たずに進みます。
正面に並列する大きな二つの建物が置繭所です。
手前の東置繭所
なかを改装して展示室になっていました。
健康維持のために行われていた体操。
今の時代のラジオ体操とは違うね。
パネルの説明文が無かったら「幽霊盆踊り」みたいな風景にちょっと吹いてしまったかも!
奥まったがわの西置繭所
古いのに大きくて、綺麗な建物でした。
鉄骨でつくれる時代では無いのか、木造三角トラス構造の立派な天井。
木製トラスというと過去にここでも出てきてる、造船工場の屋根。
壁の内側に使われてた時のメモ書きや落書きも…
どんだけ「13×10」なのよ (こういうの好きー!!)
古い部分ばかり丁寧に紹介されがちですが、古くから使われ続けたこの大きな工場。
実は 昭和62年(1987年)まで操業を続けていたというのだから、そこに感動しちゃいます。
昭和62年っていったらエンタメ黄金期ですよ!
歌謡曲は演歌も力があって「雪国」「命くれない」
ポップスはキョンキョンが「木枯らしに抱かれて」徳永さんの「輝きながら」…
ソニーウォークマンがサルの宣伝をやって、映画は「トップガン」と「マルサの女」がヒットしていた時代です。
日本が豊かになるまで輸出の経済を支えていたんでしょうね。
奥のほうにはギリギリまで使われていたのかな?という施設の一部も残っていて、「あ、知ってる感じの工場だ」と思いました。
メインの見どころの繰糸場の天井。こちらもキレイでした。
機械はビニールがしてあって、あまり上手に写真が取れないのです。
実物を見たほうがいいでしょう。
それでも この機械の大きさ、多さ。
私も木綿産業ですが織物で栄えた地域で育ったので解るのですが、この機械の規模は本当に尋常じゃないです。
家庭用に量産されたミシンでさえ、ちょっとまともなのを買うと何万円もしますからね…。
どれだけの費用が掛かって、それでも人を雇って元が取れて儲かってたんでしょうね。
観れば見るほどガイドさんの話を聞いたらよかったのかなーと思いました。
話をしている横を通り過ぎつつ、ちょこちょこ内容に耳を傾けていたのですが…
「~~なので、出口で寄付をお願いします!」って
言ってるのを聞いたら、ああ無料ってそういうこともあるのか…とか。
そういうのも大事だよなぁって気分になりました。
好きな人がゆっくり見たら2時間30分くらいはあっても良いでしょう。
次回は この度で唯一の残念な体験…
ちょっと気持ちが下がった内容になります
次回に続きます。
ではでは。
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