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このブログは林山キネマと家族や友達が
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以前にもこちらの雑談で予告していた

3月末に行ってきた夫婦の伊豆旅行を

漫画と写真で何回か書いていきます。

 

このブログ、お出かけの記事が多くて

気が付くと130本以上になっていました。

 

初期の作品の掛川花鳥園レポート

家族で初伊豆2014」

絵も恥ずかしいほど古いしガーン

 

 

珍しいものを見る旅に!
 

現在より外出自粛ムードがやや弱かった

先月の21-22日の頃です。

ムラムラ~っと休暇が取りたくなって

旦那の休日に一緒に旅行に行きました。

 

とはいえ、

「人が密集する所は良くない」と考え

人が集まりにくい場所

人とあまり交流を取らなくても遊べる場所

を考慮しつつ楽しめるように考えました。

 

このシリーズたぶん
9回か10回くらいになると思います。
(6回くらいにしたかったけど無理だったあせる)
最後まで楽しんでいただけるように
書きますのでよろしくお願いします。
 

 

覚えている方はいらっしゃるでしょうか?

私が昔の電信柱や電柱

ずっと見たがっていたことを!

 

当時記事はこちら

 

電柱はもちろん、たくさん並ぶ碍子を

どうして見たかったのです

「男性の中でも 碍子ファンは一握り」

と、タモリさんも言ってました…が

しかし…初回からディープですね。

どうか逃げないでねあせる

 

では写真!

 

海沿いの道から外れて

廃屋と畑の間の細い道を入っていきます。

急な道をどんどん登っていくと…

振り向いたらあっという間になかなかの高さ

海が見えます。

 

踏切を超えた少し先に

古い電柱が見えてきました。

 

ミカンやレモンの畑に囲まれています。

 

遠くまで海が見えて気持ちのいい景色。

冬から今の季節くらいまでなら

いい写真が撮れますが

夏場になると草が茂りそうです。

 

電柱の大きさは思っていたほど大きくもなく

でも小さいわけでもないといった感じでした。

 

旦那の写真より(色が違うね~)

というわけで、

自宅周辺では見られないので

旅行のついでに探すことにしました。

やや骨を折りましたが

なんとか見ることが出来ました。

 

山のなかにあるせいか…

私たち夫婦以外に

この電柱を喜んでみている人は

一人もいませんでした口笛

 

 

架空裸線路柱、通称「ハエたたき」

 

一本の支柱の先に、たくさんの陶器製の

低圧碍子が並んでついている見た目から

「ハエたたき」という名称で呼ばれました。

 

私たちはこの旅行中に

二か所のハエたたき電柱を見ました。

 

もう一本を見つけに行くのですが…

目的地までこの坂をくるまで登ることになり

もう二度と通りたくない

勘弁してほしいカーブと急こう配えーん

ガードレールもないし

もし対向車が来たなら

すれ違いも恐ろしいほどでした。

 

到着です。見晴らし台がありました。

どこにあるかわかりますか?

それは…写真中央の柵の間です。

 

大きめの写真です。

これは…下からは見つけられないね!

 

というか

こんな所にあったら、そりゃ

撤去されないでしょうね。

 

こんな風に撤去しにくい場所だったり

撤去する理由がない場所なので

古い電柱が残っているのですね。

 

 

二本目の撮影場所から

一本目が見えます。

①…一本目、②…二本目

③あたりでお店の方にお願いして
お店を利用した後で、少しの時間
車を置かせてくれるよう頼み…
④あたりから登って①に行きました。
②の撮影については、
鉄道好きの人には有名なスポットらしく
正午は混むようです。
私たちは近くのレストランで事情を話して
車を止めさせていただき
その後食事をとりました。
 
設置された時代について考察

 

ここから段々と難しいお話も混ざります。

(苦手な方はごめんなさい)

私も知らないことが多く、調べたのですが

日本の鉄道の歴史自体は古く

電車も明治時代からあります。

ですが、電気を使った機関車については

都市や一部の観光地や

路面電車がほとんどだったようです。

 

線路を走る多くの機関車は

石炭や練炭をくべる蒸気機関車が

中心の時代が長く続きました。

だって、動力(電気)をとるための

電線を引く手間がかからないですしね。

 

 

今回見に行った架空裸線路柱

東海道本線の

真鶴と根府川との間にあります。

 

ネットによっては明治時代のものだと

書かれているところも見かけますが、

「電車が走り出した時代以降の物」

とい、うことを考慮しましょう。

 

ウィキペディアによると

「列車線の電化工事が東京側から始まり、

昭和3年までに東京駅 - 熱海駅間の

電化が完成 」とあります。

真鶴駅は熱海の二駅手前なこともあり、

おそらく昭和に入ってから…

 

そして撮った写真を拡大してみると

旧式の「」JISマークらしきものが

確認できました。

 

「JIS(日本工業規格)」マークが施行された

のは昭和24年(1949)7月から 。

 

今回見たすべての電柱が確実にそうだ、

とは言えませんが…少なくともこの碍子については

昭和の半ばのものですね。

 

戦争も終わって、国鉄も汽車から

電車の数がいよいよ増えだしたころに

作り直したものではないかと思います。

 

よく見ると一つ目の電柱は

形の微妙に違う碍子が

何種類も使われています。

マークも違う種類が複数みられました。

下の方はに二つ同時に取り付ける

金具を使っているところもあります。

 

しかし2カ所目では

それもないしきれいに

割とそろっているのですよね。

一番下が金属の棒にも見えます。

 

 

碍子は作った地方や焼いた窯

時代・用途によって

形も違うし、ついているマークにも

差があって面白いです。

碍子お友達出来ないかなぁ…キョロキョロあせる

 

 

注・こちらの記事の情報は「考察」であり
語尾に「のようです」「と思われます」

といった表現による
推測の部分が含まれており

一個人の知っていること・覚えていることの

範囲内でかかれています。
その事をふまえてご一読ください。

 

次回は泊まったホテルについて。

知名度の高いホテルにしました。

それでも安心だった理由は…?

 

続きをよむ

 

ではでは。

 
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