いとこの結婚式の前日(金曜日)、夜になってからゆかっちは宿題のプリントを学校に忘れてきたのに気づきました。

そして土曜日、学校の門が開いていたので、「誰かいはるやろうから、プリントもらっておいで。」と、学校に行かせました。

その間に、私たちは結婚式に出かける用意をしていました。

すぐ前が小学校なのですが、ゆかっちはなかなか帰ってきません。

「結婚式行くの忘れて、遊んでるんかな?」と心配しましたが、そのうち無事プリントを持って帰ってきました。

 

話を聞いてみると、


うにょきち 「職員室に先生誰がいはった?」

(私は、職員室にいる先生に事情を話し、プリントをもらってきたと思っていました)

ゆかっち 「職員室には行ってへん」

うにょきち 「?? じゃあ、誰にプリントもらったん?」

ゆかっち 「誰にも。校舎の鍵が開いてたから教室まで行って取ってきた。」

うにょきち 「そうか。よかったな。でも、休みの日に勝手に校舎に入ったら、誰もいないと思って、鍵閉められて閉じこめられるで。」

ゆかっち 「閉じこめられた。」

うにょきち 「!!」

ゆかっち 「階段下りてたら、がちゃーんって音がしたんやで。ほんで、行ってみたら鍵しまってた。」

うにょきち 「どうやって出てきたん?」

ゆかっち 「校舎の中に先生がいはって、鍵持ったはったからあけてもらった。」

うにょきち 「なんか言われへんかった?」

ゆかっち 「言われたし、忘れ物を取りに行ったって言うた。」


よかったな、ゆかっち。無事生還し、結婚式にも出席できました。

このあと、「職員室に行って、事情を説明した方がよかったん違う?」と言うと、


「ゆかっちはな、まず最初に自分1人で解決しようと思うタイプやねん。」

と言いました。

はあ、そうですか。解決仕切れてない様な気がする…。

今回はよかったけど、次からはよく考えてからにしようね。


昨日は、いとこの結婚式でした。

何を隠そう、そのいとことは、ゆかっちが病気だとわかる直前の2003年11月3日に結婚式を挙げたいとこ の兄です。

週間天気予報は雨だったので、「あんたらきょうだいは、よっぽど日頃の精進が悪いんやな。」とさんざんの言われようでしたが、とても良いお天気になりました晴れでも、暑すぎたよあせる着物着るのも大変で、エアコンをきかせても汗が流れ落ちました。前日の天気予報通り、くもりがよかった。


妹は仏前でしたが、兄の方は神前です。地元はもとより全国的にも大変有名な神社です。

新郎は紋付き羽織袴、新婦は白無垢に綿帽子でした。綿帽子は、似合わないととんでもない姿になるのですが、よく似合ってかわいらしかったです。


式は境内の真ん中にある舞殿で行われました。舞をするところですね。と言うことは、今回も一般公開!

親族一同、新郎新婦の後に続いて並び、しずしずと舞殿まで歩きます。

舞殿の周りには、たくさんのお詣りに来たお客さんがカメラを構えていました。

お祓い、祝詞、夫婦固めの盃、指輪の交換、誓詞奉読(誓いの言葉)、神楽奉奠(巫女さんによるお祝いの舞)、玉串奉奠(玉串をお供え)と、粛々と式は進みました。

その後、建物内の儀式殿に移り、親族固めの盃を飲み、親族紹介をして、結婚式は終わりました。


披露宴は、すぐ近くのルネサンス様式のホテルでありました。

明治時代に建てられた迎賓館で、現在は建物と家具が市の有形文化財に指定されています。

大変趣きがあって、雰囲気良かったです。


披露宴も和やかで、食事は美味しかったし、よい結婚式でした。


私たちは家から礼服で行ったのですが、ホテルで支度した人は(新郎新婦も)、暑い中ホテルから神社へ、式が終わってからは神社からホテルへと歩き(5分くらいですが)、汗だくになりました。特に新婦は、打ち掛けを着ているので、余計に暑かったと思います。

他府県から来られた新郎の叔父が、

「こっちでやる結婚式は命がけやな。土砂降りか、炎天下やからな。」

とおっしゃっていて、ものすごく笑えました。

確かに。でも、命はかかってませんけどね。


そして、どうしても思い出されるのは、2年半前のこと。

妹の結婚式のすぐ後にゆかっちが病気だとわかって、治療開始。骨髄移植を経て、兄の結婚式には元気に出席できたというのは、ちょっと不思議な気もするけれど、一つの節目を迎えられたかなと思います。

親戚のみんなにも心配をかけたけれど、ゆかっちの元気な姿にみんな本当に喜んでくれました。

ゆかっち、もうあと一踏ん張り、がんばろうね。



それから、ホテルの入口近くのトイレがとてもステキでしたね~。

古いのか新しいのかよくわかりませんが、手を洗うところが今まで見たことのないものだったので、思わず写真を撮りました。

披露宴会場に一番近いトイレは、普通だったので、ここだけなのかな~。

ホテルのトイレ


ホテルのトイレ②

お水は、真ん中の平べったいところから出るのです!一番上の出っ張った棒の先から液体石けんが出ます。向かって右にある斜めになっているのが、水を出したり止めたりするレバーです。

ね、すてきでしょ。

ホテルのレトロな雰囲気によく合っていましたね。

 

 

 新学期が始まって、そろそろ2ヶ月がたとうとしていますが、今のところ、順調に登校できています。

 そして、今月末にはゆかっちが待ちに待った泊まりがけの野外活動があります。親としては、かなり不安なのですが、先日保護者全体に対する説明会の後、担任の先生と養護の先生と一緒に面談をしてもらい、細かな打合せを行ったので、まあなんとかなるやろうと言う感じです。

 薬を飲んだかどうか声掛けして下さること、お風呂上がりに体に薬を塗ってくださると言うことで、かなり安心できました。


 ゆかっちは、これまで2回の長期入院をしましたが、退院後、元々通っていた学校に戻るときには、必ず学校と面談の場を設けてもらいました。

 1度目は、免疫抑制療法の最中で、再生不良性貧血まっただ中のとき。

 2度目は、骨髄移植後の感染に要注意のとき。


 やっと病気が一段落してほっとしているところに、学校との話し合いというのはしんどいものですが、これをやっておかないと安心して学校に行けません。


 私は、担任と養護の先生だけでいいかなと思っていたのですが、二度とも校長先生も出席して下さって、学校として受け入れ態勢を考えていきたいという姿勢が感じられ、とても安心できました。一度目のときは、教頭先生、二度目のときは、訪問教育に来ていただいていた養護学校の先生とゆかっち本人も出席しました。


 その場では、ゆかっちの状態、してはいけないこと、学校生活で気をつけることなどを保護者の立場から学校に申し入れます。

 学校に行けるからと言って、すぐ他の子ども達と同じような生活が送れるわけではないので、貧血がひどく朝が弱いことや体力的なこと、精神的なことなど、理解を求めたいことはきちんと説明しました。


 これとは別に、学校の先生に、病院に主治医の話を聞きに行ってもらいました。学校と病院が、車で15分という距離にあるので、言ってほしいと言いやすかったですね。

 これは、担任と養護の先生とが行って下さいました。

 病気のことについては、素人ではなかなか伝わりにくいものなので、直接主治医から話してもらうのです。

 二度目のときは、移植後の経過が順調だったので、見た目は顔色も良く、元気そうで、他の子ども達と変わらないように見えましたが、とてもそんなことはないので、そのへんを理解してもらうために、病気の経過を初めから話してもらうように主治医に頼んでおきました。


 悩んだのは、今年です。

 今年になってから順調に学校には行けているし、もういいかなとも思ったのですが、担任が変わったことと、6月にある泊まりの野外活動の事を考えると、やっぱりきちんとしておこうと、過去2回と同じようにしてもらいました。


 それ以外にも、何かあったら、連絡帳に書くか学校に行って話すかして、担任との連絡はこまめに取るようにしています。

 特に昨年は欠席が多く、早退するときは迎えに行って、担任とよく話をしました。


 新しい担任に引き継ぎがなかったときもあり、そういうときは一から話さないといけないし、最初は理解してもらえないこともありますが、不満があれば、その都度きちんと伝えるようにしました。同じことを3回言ったこともあります。

 何度も根気よくこちらの気持ちを伝えることで、わかってもらえました。

 病弱児に対して、学校側の理解がなかなか得られないという話をよく聞くので、ゆかっちは恵まれていると思います。ありがたいことですね。


 さてさて、野外活動まであと少し。先生との面談のおかげで、安心して送り出せます。後は、ゆかっちの体調を整えるのみとなりました。 がんばれ、ゆかっち!


 

 


 

 おとついは、外来の日でした。どうも、病院に行くと私の方が疲れてしまいます。


 この日のスケジュールはつまっていて、採血→皮膚科→小児科カウンセリング→小児科診察→耳鼻科とまわり、全て終わったのは午後1時15分でした。6時間目に野外活動の打合せがあるので、どうしても学校に行きたいと言っていたのに、ゆかっちも疲れてしまって、結局学校には行きませんでした。


で、血液検査の結果は、


 白血球  4,600

 ヘモグロビン  13.8

 血小板  209,000

 好中球  1,800

 リンパ球  2,500


 白血球も血小板も前回よりちょっと下がってますが、まあこんなもんでしょう。どれも正常範囲内ですからね。健康な人でも日によって多少の増減はあるそうなので。


 主治医A先生に、

「いつもながら、良好ですね。どうします?(ネオーラル)へらしますか?」

と言われました。


 前回減らしたのは4月18日だったので、1ヶ月半くらい。データ的には安定してるけれど、この前熱が出てから皮膚の状態がちょっと不安定なのと、6月末に野外活動があるのでこのままでいきたいと、減量はパスしました。


 耳鼻科でも、外耳道はとてもきれいなので、問題なしと言われました。よかった、よかった。


 そして、先日特定疾患医療 の更新申請のお知らせが来ていたので、必要書類の診断書を書いてもらうようA先生にお願いしました。

 ゆかっちは、最初から重症認定され、ありがたいことに医療費は無料だったのですが、今回はどうなのか尋ねると(重症なら重症患者認定申請書を出さないといけないので)、

「これだけ安定してると重症とは言えませんから、無理ですね。」と言われました。


 そうですね。これまでしんどい日々が続いていましたが、移植後は数値も安定し、元気に生活できるようになりました。それに、今までの医療費を考えてみると、正確にはわからないけれど、払いきれないほどの金額を国に払ってもらっていたのだし、本当にありがたいと思います。

 「国に」と言うことは、税金を払って下さった方にと言うことですね。やっぱりたくさんの方にお世話になっています。

 ありがとうございます。

 もうしばらく治療は必要なので、特定疾患医療のお世話にはなりますが、10月からの自己負担分はちゃんと払います。

昨日久しぶりにK大病院の時間外診療を受けました。


土曜日の夜、10時頃にお風呂入っていないのに耳がぬれてるとゆかっちが言うのです。

綿棒で取ってみると、薄緑色。耳だれかな?と言うことは中耳炎?

よくよく話を聞いてみると、金曜日から耳が痛かったとのこと。

お~い、それならせめて土曜の朝に言っておくれよ。そしたら午前中に耳鼻科に行けたのに…。

それほどひどくないこともあって、日曜日の朝まで待って、K大病院に電話をしてから、診てもらいに行きました。電話してから行くと、受付もスムーズだし、すぐ診てもらえるのです。

休日診療所も考えたのですが、多分病気の人がいっぱいだからあまり気が進みませんでした。それに、いついつ骨髄移植して、飲んでる薬はこれこれと、説明するのもちょっと大変だし。


小児科のドクターと、耳鼻科のドクターの両方に診てもらえました。

小児科のドクターは、入院中にお世話になった方なので、久しぶりに会えてよかったです。


で、所見は、外耳炎と言うことで、点耳薬をもらって帰りました。

たいしたことなくて、よかった。


これまで何度か時間外に診療を受けたことがあるのですが、吐き気がひどかったり、熱が高かったりと、かなり状態の悪い時ばかりだったので、がらんとしたロビーの雰囲気が重くのしかかり、気が重くなったものです。でも、この日は熱もなく、耳の痛みも治まって、ゆかっちも私も余裕があったので、あまり人気のないロビーが新鮮に思えました。


帰るときに、ロビーの自動販売機の中身を補充しに業者の人が来ておられました。

その作業を最初から最後まで見て、自動販売機の中身も見られて、ごきげんなゆかっちでした。


木曜日、ゆかっちは4時間だったので、早い時間に学校から帰ってきました。

ゆかっち 「なーなー、友達のとこ、遊びに行ってもいい?」


いつものパターンですね。

いつもなら「いいよ。誰と遊ぶの?」と聞くのですが、ここしばらく疲れている様子なのでとめました。


うにょきち 「やめといて。疲れてるみたいやから、おうちでゆっくりしといて。」

しかし、これで納得するゆかっちではありません。

ゆかっち 「なんでー。なんで行ったらあかんの!!」

うにょきち 「だから、疲れてる感じがするからや。おうちでごろごろしとき。」 (もー、さっき言うたやろ。)

ゆかっち 「なんでー!なんでそんなことわかんの!(怒)」

うにょきち 「…( ̄∩ ̄#」


それはな、あんたの親を長いことやってるからやで。

もう9年半もやってます。お腹にいた期間も入れたら+280日。

ホントにもう…。


その後、説得が成功したので、遊びに行くのはやめて、私が友人に借りたDVDを見ていました。


20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
エイリアンVS.プレデター (2枚組 プレミアム)

見たのは、『エイリアンVSプレデター』

私は、残念ながら仕事中で一緒に見られませんでした。

途中で、「こわいし、来て~」と内線電話がかかってきたので、

「もう見るのやめとき。」と言ったのに、

「やっぱり見るわ。」と最後まで見ていました。


感想は、

「こわかったけど、あんまりこわくなかった。

すごかったし、おもしろかった。」そうです。

私も近日中に見ます。







 しばらく前のことになりますが、。病気の子のきょうだいのサポートをするしぶたね(Sibling Support たねまきプロジェクト)主催の清田さんのお話を聞きに行ってきました。 (病気の子のきょうだいは、わが家では、のんすけのことになります。)

 

 清田さんは、現在大阪の病院で、入院している子どもに遊びを届ける活動や、感染予防のために面会に来ても病棟に入れないきょうだい達と遊ぶ活動、年2回のきょうだい達が主役の”きょうだいの日”の開催の他、講演活動もされています。


 清田さんには、天使9年の弟さんがおられます。その経験から、しぶたねを始められたそうです。


 しぶたねのしぶは、英語の兄弟姉妹にあたるsiblingから、たねは、病気の子のきょうだいサポートの種をまくということだそうです。


 「子どもが病気になると、どうしても病気の子どもだけにかかりきりで、そのきょうだいに目を向ける余裕がない。決して親を責めているのではなく、親に思いやりがないわけでもない。

 このことは、きょうだいや家族だけで解決することは難しい問題なので、第3者との関わりが必要。特にきょうだいには、特別なサポートが必要。

 きょうだいの持ちやすい感情は、罪悪感。例えば、「おにいちゃんの病気は、自分のせい。」「自分だけ遊びに行ってもいいのかな。」などと思う。

 また、周囲の目が病児にばかりいくので、孤立感を感じることが多く、自分はどうでもいい存在だと感じる。

 病気のことで大変だから、自分がこれ以上親に迷惑をかけてはいけないと、背伸びしてよい子になってしまう。大人から見てよい子ほど、おさえ込んでいる感情が強いので、注意。」


 その他、具体的な事例もあげながら、病気の子のきょうだいの状況としぶたねの活動について話されました。

 

 お話を聞きながら、いろんなことが思い出されて、泣けてきました。

 私自身、入院当初はゆかっちの事で精一杯で、のんすけのことを思う余裕は全くなかったのです。のんすけのことをちゃんとしないとと気づいたのは、入院からかなりたってからでした。

 一応、がんばったつもりではいるんですが、今思うと、もっといろいろしてあげられたことがあったかもしれないと思います。


 今のところ特に問題はないのですが、それは、その間ののんすけの友達や学校の先生もよかったのでしょう。

 それに加えて、保育所からつきあいのある家庭が多いので、のんすけをよく遊びに誘ってくれました。親御さんも子どももよく知っているし、のんすけとも仲良しなので、こちらも安心できましたね。

 のんすけと仲良くしてくれた人たちに、心からお礼が言いたいです。


 ありがとう


 これから思春期に入っていくので、大変なこともあるかも知れないけれど、そのときは、きちんと受け止められるようになっていたいと思います(なにぶんキャパが少ないので、不安がいっぱいですが)。


 入院後半からは、のんすけと交換日記をしていたのですが、先日、大掃除したときに「これはもういらんわ。」と私との交換日記を捨てようとしたのは、ショックでした。

 が~ん。当然捨てずに、私がもらいました。

 

 ゆかっちの主治医は、研修1年目のI先生、大学院生のM先生(女性)、そして、初診の時に診察していただいた血液専門のK先生(肩書きは助手)。


 I先生は、まだまだ勉強中ですという感じですが、誠実で、とてもよい人でした。でも、ルート入れはへたでした。ゆかっちが出すなぞなぞを真剣に考えてくれて、おちょくりがいのある人でした。

 I先生、いっぱいおちょくって、ごめんなさい。

 

 M先生は、ひょうひょうとした感じのすてきな女性。後で聞いたのですが、武道家だそうです。


 K先生は、キャリアもあり、ドライで、病状説明などは結構淡々とおっしゃいます。独特の雰囲気があり、人によっては好き嫌いがありそうだなと思ったのですが、やはり苦手に思っている患児のおかあさんもおられました。

 でもね、私はK先生、好きなんですよ。

 点滴のルートを入れるときも鉛筆が持てるように考えて入れてくださるし、子どもに対してよく話しかけてくださるし、質問しても的確に答えてくださるし。

 それに、K先生の一言に私が救われたから。


 初診の時、K先生の話を聞きながら、私は、鼻血がいっぱい出たこと、体の青あざ、唇の色が薄いこと、顔色の悪さなどなど、いくつも症状が出ていたのに、こんなに状態が悪くなるまで病院に連れてこないで、なんでもっと早く気づかなかったのか、情けない、情けない…、という気持ちでいっぱいでした。

 たまりかねて、「もっと早く連れてくればよかったですか?」と尋ねました。そう、誰がどう見てももっと早く連れてきたらよかったに決まっています。


でも、K先生はこう言ったのです。

「大人でもこんな風に真っ青な顔でふらふらになって、誰かに連れられて来ることが多いんですよ。いいじゃないですか、今日来たんだから。」


 今でもこの言葉を思い出すと、ありがたくて涙が出てきます。

 もし、このとき、「そうですね。もっと早くに連れてきていたら、こんなにしんどくなかったと思いますよ。」とでも言われていたら、どうだったでしょう。私はこの後も、つらい気持ちを持ったまま過ごすことになり、自分を責め続けたことでしょう。K先生との信頼関係も築けたかどうかもわかりません。

 でも、この一言があったから、「今日来たからいい。これから治療をがんばったらいい。」と思うことができたのです。

 本当に、私はこの言葉で救われたと思います。


 K先生は、現在アメリカに留学中。帰ってきても、ゆかっちを診てくださいね。

 アマゾンから届きましたよ~、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』が。ちょっとバタバタしていて、まだ読めていません。

 読み始めたらきっと他に何も出来なくなるだろうし、やらないといけないことがあるので、がまんしているのです。


J. K. ローリング, J. K. Rowling, 松岡 佑子
ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 上下巻2冊セット (6)

 この6作目のタイトルが発表されたのは、2年前の2004年6月だったと思います。

 原題は、”Harry Potter and the Half-Blood Prince"で、日本語の仮題は『ハリー・ポッターと混血の王子』でした。

 当時、ゆかっちは再生不良性貧血のまっただ中で、常に貧血の状態が続いていました。

 そこで、「ハリー・ポッターと貧血のゆかっち」と言ってみました。

 ん?なかなかいいぞ。いい感じ。

 

 ハリー・ポッターと貧血のゆかっち』


 どうですか?ありそうでしょ。わははは。

 

 のんすけと一気に盛り上がってしまい、映画のオファーが来るかもなんて言っていました。

 あほですね~、私ら親子は。

 ”こんけつ”と”ひんけつ”、一字違いで大違いやん。


 その後、骨髄移植をすることが決まり、本が出る頃には移植も終わり、ゆかっちの貧血は改善されているはずだということに気づきました。

 「まずい!早くしないと!!」って、何を早くしないといけないのでしょう??意味不明。


 結局、英語版のみならず日本語訳も出版された今、ゆかっちはめでたく骨髄移植がうまくいき、元気になったので、ハリーとの共演も幻と消えてしまいました(最初からあり得ませんが)。

 元気になったからな~、まあいいか。


 日本語タイトルが『ハリー・ポッターと謎のプリンス』に変わってしまったことは、ちょっぴり残念に思ううにょきちでありました。

 




 

 2004年度から研修医の制度が変わったので、またちょっと違うと思いますが、K大病院小児科では、ゆかっちが入院したときは、患者の主治医には研修医、大学院生、専門医(正確には専門医という言い方は正しくないかもしれませんが、とにかくその分野の専門の医師)の3人がなります。

 研修医が一番よく病室に来て下さいますが、研修医に任せきりということはなく、一番上の立場にある専門医もほとんど毎日病室に来られます。

 また、1人の患者の責任の全てを主治医であるこの3人が持つのではなく、血液腫瘍グループ全体でカンファレンスを行い、治療方針を決めていくらしいです。

 チーム医療ということですね。

 1人の医師が全てを担うというものより、チームで治療にあたる方が患者も安心できますね。

 K大病院は、小児科の中にいくつかの診療グループがあり、血液腫瘍グループはそのうちのひとつです。


 また、大学院生というと学生だから経験が浅いという雰囲気がありますが、そんなことはありません。実は、医学部の場合は、学部卒業後何年かの経験のある医師が院生になる場合がほとんどだそうです。だから研修医より技術力が高く、知識も経験もあるのです。立場は学生なので、患者を診ていても給料はなし、病棟にいる時間は限られているそうです。


 大学病院なので、医師の肩書きは立場が上の人から、教授、助教授、講師、助手、医員となっています(たぶん)。研修医は、医員かな?そのへんは、よくわかりません。

 教授と助教授は1人ずつ。文学部には教授も助教授も複数人いるのに、医学部はなんで1人ずつなんでしょうね。不思議。

 教授は、血液腫瘍が専門で、中でも再生不良性貧血の研究をずっとやってこられたそうです。お年を召した方ですが、わりと気さくで、廊下で会っても「調子はどうだ?」とよく声をかけて下さいました。

 そして、骨髄移植前に知ったのですが、この教授は、なんと臍帯血に幹細胞があることを発見した方だそうです