北インド☆ゆるヨガライフ -8ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

前回は「執着」について書いて、

 

私の住むインドの町に「食べ慣れた日本食がない!」だから「すっごく不安!」っていう私の心の叫びを、「食への執着」と捉え、(いっそ手放してしまえ)と書いたのだけど。

 

そんな風に表面上で封印したのは

間違いだったと後で気付いた。

 

執着してる「対象」は何も悪くない。

 

私の心が「何故それを求めるのか」

理解しようとせずに封印するのは

抑圧でしかなかった。

 

執着するのは「恐れ」があるから。

 

あらゆる依存症の原因でもある。

 

実際に手に入らない物や身の丈に合わない物を、出来るものから手放して行くのは悪くはないけど、同時に心を開いて、私が何を恐れているのか分かってあげるべきだった。

 

 

不足感・欠乏感

孤独感。。。

 

どうしてそんな耐え難い感情を、いつまでも手放せないんだろう。

 

 

インスタで「日本のパン粉やソースがこちらでどんなに貴重か!」伝えたかったけど、ほぼ伝わらなかった。笑

 

 

仏教では全ての事象に「因果応報」を見い出すとこの前のクラスでも言っていた。

 

過去生と現生そしてこの瞬間も、感情・思考・現実のあらゆる原因を作っているのは「私」に他ならない。(外界に影響されているとしても、そうすることを選ぶのも私。外界という環境の一因になるのも私。)

 

不足感 → 恐れ → (物事への)執着 

→( × 無限ループ)という苦しみ。

 

変えられるのは私しかいない。食べ物に限らず、お金や夫やお気に入りの服など笑、全ての物は「空」であり、永遠に存在するものはない。なくなる事を恐れるなんて、ナンセンスなのだ。

 

ちゃんと受け取れていないのかな?

 

そんな風に思った。ある物をちゃんと受け取って自分の栄養「生きる力」にして、感謝して明るく行動出来れば、

 

次にまた何らかの力が与えられることを信じられるし、その事実の前に恐れの出る幕はない。

 

 

よく自己啓発心理で、コップに水が半分入っている時「まだ半分ある」と思うか「もう半分しかない」と思うか、という話がある。ここ数ヶ月、後者の逃げ腰でいたなと思う。

 

 

ある物をちゃんと受け取って

やったー!と感謝して

自分の「生きる力」にする。

 

 

受け取りベタな日本人が

インド人に学ぶべき事にも共通する。笑

 

 

最近は特に「ない物」へフォーカスすることが多かった。帰国手段(ない)そのためのリソース(足りない)実家での安心感(夢のまた夢)。健康を害した時安心して身を任せられる医療施設も(なかった)。

 

でも。

 

子供の頃から何故か夢にまで見た国にいるし、目に見えない力を素直に信じる人たちの間にいて、日本にいた時は毎日食べたいと願ったインドカレーを3食べれるなんて、良い方の因果応報だって叶いまくりなはず(3食作りたいとは思ってなかったぞ?)。

 

 

私たちの手元にあるどんな事物も

私たちの手元に来るべくして来る。

 

だからちゃんと素直に受け取らないと

おかしなことになって来る。

 

遠慮して自らブロックしたり、目移りしてないものねだりしたり、あるものに感謝して活用することを忘れてしまう。

 

物やお金に「善悪」なく、全てはニュートラルに存在しているので、拒むのも享受するのも譲り渡すのも、私たちの心ひとつ。恐ることは何もないと知るために、こういう経験をするのだろう。

 

 

「生きる力」とつながりたくて

インドでこんな事を書いている。

 

バスマティライスを足して、塩麹を増殖中。「ないものは作る」のも、私の生きる力だった。

 

 

ヨガも仏教も教わらない頃、本能的に手放したくて手放したくて、日本での便利な生活も、話の分かる親しい人たちも、安心安全も、手放し続けてこの下町にたどり着いた。昔数年間ベジタリアンになったのも、今思うと手放すことの実験過程だった。

 

無意識に、何もかも捨てて、本質に還ろうとしてたんだね。笑

 

けど、結局「恐れ」を手放すことを知らないと、丸裸になっても執着の苦しみは消えない。

 

「信じる」ことをやらないと、どんなに頑張っても何を得ても砂の様に無駄にしてしまう。

 

 

 

 

 

「生きる力」って、

 

チベット仏教では経典(スートラ)を学んで実践(日常生活で行動)することに重きが置かれるのに対して、ヴェーディックでは(タントラ)、いわば「直接法」で繋がることが主となっているのだと理解した。

 

ヨガ、プラナヤーマ、瞑想、祈祷、お祓い、霊気。

 

タントラって、エネルギーワークのこと。

 

かつてインド人のヨガの恩師にいくら質問しても、仏教の先生の様に言葉で説明してくれないのは、隠してた訳でも、ものすごい「秘密」だった訳でもなく、言葉で説明するのが不可能な「実技」だったからか、と。

 

でもインド人の様に何の疑問もなく直接法(プージャ、巫女さんセッション)をして育ってない私は、ヴェーダ的な直接法をJust Do It. で教わっても、手がビリビリし始めたり、床がブルブル振動したり、夜、暗闇で目を閉じてるのにやたら眉間あたりが眩しくなったり、そういうのでもの凄くビビった。

 

超常現象/頭おかしくなった!!って。笑

 

それで逆に数年ほど、何も信じれなくなって今に至るのだけど、この同じ生命エネルギーについて、仏教クラスでは分かりやすく言葉で論理的に説明してくれたから、不信感から救われつつあるのだと思う。

 

 

インドに住んでても、インドの良さを全く理解出来ずに「何でプージャばっかりやるの」と思っていた。でも世の中には効果・副効果を生じない事象は存在しないという因果の法則で説明してもらって、これから瞑想を続けてみたら、少しは分って来そうな気がしている。

 

 

 

昨日引いた「過去・現在・未来」。生きる力を信じて、地道に行くのです。笑

 

仏教クラスで執着(attachment)について習ったのだけど、

 

物事に頑な執着することは悩みを生み、自分で自分の首をしめることにもなるというもの。

 

物や生活スタイルへの執着は大分手放して来たから(死闘だったw)インドの下町で暮らせるけど、慣れ親しんだ「食」への執着がたまーに苦しい。

 

年に一度の一時帰国でお醤油やお味噌、乾物やレトルト食品を調達するのにも何日間もかけてたし、

 

苦労してインドまで運んだ食材は賞味期限を気にしながら1年かけて消費。

 

調味料が切れると輸入食材のあるスーパーですごい値段(お醤油1本千円近く)で買い足さなければならない。

 

「なくなるかも。。」っていう、

 

「不足感」の中で暮らすのが辛くなってきた。。笑

 

コロナで物流も滞ったから、余計に見直す時期に感じて。

 

 

買い物ついでにローカル食堂に行くのが楽しみ。

 

 

新婚当初は夫に日本の味を知ってほしかった。最初は本当におっかなびっくり「何これ?食べ物?」と海藻や魚をつついていた夫、

 

最近は慣れたのか何も言わずパクパク。味の薄い物以外は何でも食べる(が、出汁をきかせた煮物がNG。高くて凝ったものを作っても無駄になる)。

 

私自身はパスタが好きで、これまた輸入品でお高いのだけど毎週遠くのスーパーに買い出しに行ってる。このご時世で外出は週1に控えているから、他の事をする余裕がないのが悩み。

 

 

手に入りにくい高価な物を「常食しなければならない」と思い込んでいることで、

 

時間とお金と心の

「不足感・欠乏感」だらけ。

 

これっていらなくない?と

今朝は思ってしまった。

ほぼ、インドカレーで良い。

 

3食手抜きナシの料理と手作業多いの家事で、ただでさえ時間と体力を奪われる。

 

わざわざお昼にソースからパスタ作らなきゃダメなの?、まだ日本食作って反応見なきゃいけないの?私。。と。きっとそんな時代は過ぎたのよ。

 

誰もさほど喜ばない自己満足の執着。

 

 

それで今日、お昼はあるもので済ませた。過去に妊娠中などは、何も考えずあるもの食べてゴロゴロ出来たのだ。それが今は長時間の手料理が「健康」と思いこむあまり、体脂肪だけが喜ぶ結果に。。

 

インドの主婦にだって

他にやりたい事くらいある。

(ディスってません。笑)

 

お昼をお皿に盛るのと同時に、晩のカレーの野菜を下ごしらえ。食べてる間にカレーを煮ておいて、その後は昼晩の片付けが一度に済んだ。時短!画期的。

 

 

本当は、もっと公園や町を目的なくプラプラしてリフレッシュしたい。

 

 

お昼何作ろうかな〜って悩むのと作業時間が大幅に浮いたため、午前中はヨガと瞑想45分、午後はパソコン作業1時間、今は夕飯前のブログ1時間。

 

そして入浴、洗濯、掃除が同じ日に出来るのは、ここでは奇跡級(バケツに水を貯めるだけのお風呂、手洗い洗濯、土埃が果てしないという劣悪な住宅事情のため)。自分を褒めてあげたい。

 

普段は

そんなに出来ない、時間ない、身体痛い、疲れた、晩御飯の用意間に合わない、夫に申し訳ない。。

という悪のダメダメループにハマりがちなのに。

 

何てスッキリ!

 

食への執着に限らず、長年見直してない「習慣」や「こだわり」、瞑想を続けながら整理してみようと思ったのでした。

 

異国に嫁いで暮らすのも常に手探り。5年目もやってみないと分からない事ばかりだけど、健康に暮らしていられれば、どちらの文化とか、やり方にこだわる必要もなく。

 

好きなようにおしっ。

 

と、自分で自分に許可を出したかったのだね。(最初はホント、周りのインド人の言う事をマジメに聞いて疲れたよ)笑

 

いまだに私「インドは慣れない」「インド式はムリ」という抵抗感でいっぱい、心に余裕がないから、

 

夫もいっぱいいっぱいに見える時もある。まだ不安もあると思う。夜はゲームしてばかりだし。。

 

お互いに地に足をつけて、

心に余裕と思いやりを持って

軽やかにいたいものです。

 

 

コロナ自粛期間に瞑想を学べたおかげで、自分なりに整理して行けそうかな。これからもずっと、楽しく人体実験して行きます。笑

 

 

インドは今月いっぱい、まだ学校も開かないらしいけど。

 

それぞれのダバ(大衆食堂)の味に、お店が大切にしていることが感じられて嬉しくなる。
 
 
4年前の9月に旅で出会った頃の写真が出てきた。バリバリ警戒中。笑

瞑想の初級3つのコースが終わり、気づきに気づきを重ねる日々。

 

おかげで感染数世界2位まで迫ったインドでも、不安に流されずに過ごせている。もう先生や受講生と会えないのが寂しけど、世界のどこかでみんなが前向きに頑張っていると思うと心強い。

 

 

週に1度の外出が楽しみなこの頃。
 

 

三日坊主の私が続けて行くためには、

より強いエンゲージメントが必要で。

 

仏教の倫理「菩提心の実践」は

今までで一番響いた気がする。

 

プラナヤーマやレイキのエネルギーワークも、経典を実践するのと同じ生命エネルギーだそう。

 

倫理って何かというと、人類の恒久の仕組みであり仏教では叡智(wisdom)と言われる教え。世界の宗教の教義や戒律の中に、共通するものがある。

 

どうしてそれを実践するのか、動機としては、そっちの方が長期的に楽しいから。出来ない方のループの仕組みだけでなく、楽しく続けて相乗効果もある循環の仕方を示してくれる。

 

と、西洋のマインドフルネス瞑想やヨガではイマイチ教わり切れなかった大事なことを、チベット仏教は明快に教えてくれる。

 

人として生まれた尊さは、

お釈迦様と同じ心を得たこと。

 

先生はそんな解釈を教えてくれた。

 

無知を認めて叡智を敬う謙虚さ。

大きな流れを信じる安心感。

良い行いを積む素直なあり方。

 

軽やかで健やかでシンプルにありたい。

 

 
 

アミール・カーンとセルフィー。元気です💕
 

 

もっともっと生きていたい!と

願ったのはいつぶりだろう?

 

肉体寿命は半分消耗したところ。今更ながら、悪習をやめて良い習慣を身に付けたいと思った。以前は体調を壊してから自戒しつつの軌道修正だったけど、今回は壊さない。責めない。

 

愛する命を育てるように、これからの自分も育ててみたい。効果を見てみたい。

 

何か分からないけど受け入れられないモヤモヤ、インドの受け入れがたいこと、夫のどうしても許せないクセ(未だに脱いだ靴下が全部裏返し)、そういう小っさい事で真剣に苦しくなるのは、瞑想を続けることで楽になるのか、見てみたい。笑

 

 

 

私が生まれる時に決めた前半の課題は、心の闇を探検することだったのかもしれない。ミイラ取りがミイラになって帰って来れない瞬間があり、まるでお化け屋敷で怖がるお客さん状態だった。

 

でも、自分で入ったんだよね。。

 

そりゃ、自分で出られるわ。

 

これから、もし欲望や依存心が尽きずに不安な時は、どんな「不足感」に捉われているのかを分かってあげることにする。

 

不安な時も楽しい時も、無意識の闇ににのまれずにずっと一緒にそばにいたい。必要なものは全部与えてあげたい。

 

子育てで学ぶようなこと、子供がいなくてもやるんだよね。

 

 

この方を理解する道のりもまだ遠い。。
 

 

前は誰かのために忙しくしてることが一番大事で、自分のために瞑想して心に栄養やエネルギーを与えたり、心の整理をするなんて、聞きかじっただけで実践には遠かった。

 

 

それでインドに来てインド人と一緒になっても、さらにイライラするばかり。

 

どうして怠けるの?

どうして頑張らないの?

どうして笑ってるの?

不安じゃないの?

どうして幸せだなんて言えるの?

どうして怒らないの?

どうして変わろうとしないの?

どうして何も欲しくないの?

どうしてそんなに値切るの?

どうしてただご飯作るのに

そんなに時間をかけるのよ???

 

うちのインド人は

自分を犠牲にするなんて、

やり方さえ知らないから。笑

 

出来ればそんなの永遠に

知らないでいて欲しいと願う今。笑

 

 

インドにいても誰の役にも立たない気がして、迷ってきた年月がある。しかし夫は何も不満を言わない。自由になって楽になって、好きなことだけしればいいなんて、にわかに信じがたかった(グリム童話なら魔女に騙される前兆)。

 

幸せで健康でいれば

あとは何とでもなるからと。

 

逆にこれまでが、

何かに騙され(捉われ)ていたなって。

 

日本の価値観と更に遠くなるような錯覚は、少し怖かった。私が変わってしまったら、家族ともギャプが広がるばかりでは?と。

 

でもそれこそ妄想で、幸せで笑っていられれば、何も無理する必要ないんじゃない?と母。夫に感謝だねと。こんな気楽な人だったっけ。笑

 

亡き父なら何て言うかな?

 

「パパの分まで自由で楽になりなさい」

 

結局そう言って笑ってる気がする。

 

 

瞑想という柔らかな光にかざすと、どんな事も、なんだそうだったのか、心配ないじゃんと、笑顔でゆるされて行く。小学校の時友だちと仲直りしたような照れくささと共に。笑

 

その度にじんわり涙が流れるから

夫には心配しないでと言ってある。

 

瞑想の中で喜びに変化するブロックは

現実でも変えることが可能になるのは

不思議なようで至って自然なこと。

 

 

好きなものは諦めず買い揃えることに。ブロックプリントのキルトかわいい😍
 
 

 

前は(怠惰でガサツなのがインド人?)

と、完全に間違えていた私だけど、

 

今、私の隣のインド人は言葉で言わなくても色んな気持ちを察してくれて、瞑想しててご飯作り忘れた私を「良かったね」と祝福し、私が良いと思うことは好きにさせてくれる。

 

テキトーなんかじゃなく、私の良さを分かってくれる懐の深い人。私が見えてなかったの。

 

たまに私の言うことをやってくれない日は、さらに夫に小言を言い続けていて、最近ハタと気が付いた。

 

私がハッピーじゃないからだ!

 

温度計や鏡みたいに、私を映しているだけの夫。ただただ、水を与えられない植物のよう。まさにリアルたまごっち。笑

 

 

まずは、今の私を受け入れて、責めたり叱ったり不安を煽ったりの昔とは違うやり方で、私に寄り添いながら本当の願いを聞いてあげること。

 

そういうやり方を覚えたら、

次は良い方の魔女になれるだろうか。

正直なところ、ヨガよりもずっと無理なく夢中になっているチベット仏教のコース。もちろんヨガや色んな経験のおかげ。さまざまな要素と呼応して、今、化学反応が止まらない感じ。笑

 

今日からまた新たに10日間のコースがスタートする。と、その前に一呼吸。めっちゃ大事な事を書いておきたくて。

 

 

 

仏教って、こんな事まで言ってたの!?と、

 

耳を疑うほど先進的で毎日ドキドキわくわく。二千五百年前のお釈迦様とその後多くのお弟子さんたちの実践に基づく経験が、最先端の科学で証明される根拠となり、「この世界の本質」を紐解いて行く。

 

 

私たち現代人の多くは、

 

本質から断絶していた。。

 

 

そうなんだなーって、私自身が感じること。何を頑張って何を得てもなお、「もっと活き活きと生きたい」「もっと幸せになりたい」と、欲求が果てしないのは、「この世界の本質」とつながることを知らなかったからではないかって。。

 

 

雨上がりの自然にパワーをもらいます。

 

 

先週のクラスでは初めて先生に質問することが出来た。前の人たちの質問で、自分たちの用意した質問がどんどん回答されてクリアされるというシンクロが多発。笑

 

あらかたクリアされた中、私の中で最後に残った質問は、正直ちょっと開示しずらかった個人的な事。その人その人、個々の問題によって回答が異なることはなく、明快な一貫性が仏教の良さでもある。

 

クラスが終わった後。

 

私がずーっと

「問題」だと思っていたことが

昇華して

「目的」に変わった。

 

 

ネガティブが

 

ポジティブに

 

入れ替わった。笑

 

 

ほぼ丸25年もの間、さまよい悩んでいたこと。

 

えぇえ?となる。笑

 

そういう時が来てたのか?

 

(それとも最初から仏教を知っていたら良かったのか、25年も悩む必要はなかったのか、その間経験したことに意味はあるのか、は、知らない。笑)

 

 

 

事件事故、愛着関係での虐待や相互依存、大きな挫折などで、その後長く心的トラウマを形成し、さらに上塗りの経験を重ねて行き詰まるパターンというのがあるけれど、

 

 

「この世界の本質を知る」

そのことで、

抜け出せる希望が出てくる。

 

(あくまで私見です)

 

 

ドクターやセラピー、カウンセラー、時にお薬にも助けてもらったし、アーサナ中心のヨガもヨガ哲学の講義も、大学のキリスト教学も西洋史も東洋史も、世界の聖地に旅することも、色んな国や価値観の人と出会うのも、心理学を掘り下げるのも、自己啓発もスピ系も、インドでプージャや巫女さんセッションに参加したのも、何って、

 

 

「この世界の本質を知る」

「この世界の本質とつながる」

「この世界の本質として生きる」

 

一連の流れだったのかと。

 

単にそういうの、好きなだけだったかも!笑

 

 

この世で苦しみを経験するのは

 

それを経験し尽くすためだし、

 

それを通して「本質」と

 

1つ1つ出会うため。

 

 

モンスーンも終わりかけ、全てを内包するような景色に。

 

 

これからも困難はあるかもしれない。

 

でも、

 

「おそれなくていい」。

 

 

それが感じられたことで、40肩も繊維筋痛症も、何なのか分かった気がする。怖がってたんだって。笑

 

 

 

「ネガティブ」と

忌み嫌われる風潮さえある物事を、

 

避けようと無理しなくていい、裏道通って?遠回りしなくていい、辛さを感じてもいい、痛みを感じても大丈夫、誤魔化さなくてもいい、他の物で代用しなくてもいい、最後まで寄り添っているだけでいい、

 

だってそこで終わりではないから。

 

そこ(底)を通り抜けることでしか

 

開かれない本質があった。

 

 

今生だって、旅の途中。前に開かれなかった扉を、1つ1つ開けて楽しんでまた次に行く。笑

 

 

どうしてこんなに苦しいんだろう?これからそう思う時も、きっと私は絶望だけはしないんじゃないかな?光の筋を引き継ぐのだと思う。

 

教えや宗教など関係なく、自然と引き継いている人も多い。

 

そういう区切りのない光。

 

誰もがつながっているけれど、それを使うか、使わないか。

 

(使ったらどうなるのか?はまだ謎。笑)

 

 

私が「チベット仏教」とつながれたのは、現在ダライ・ラマ法王をはじめ、様々な国や文化や宗教の境を越えて多くの先生たちが、純粋に「叡智」を保存し広めようと精力的に活動されているから。チベット語のままだったら分からなかった。それって、

 

覚悟と献身

 

なのだと思う。そこまでして、この世界に愛を残して下さる先人たちがいる。

 

 

日本で仏教徒として一般的に檀家でいても、葬祭の時に説法を聞く機会はあるけど、自分で資料を探す必要はある。分かりやすく話してくれるYouTuberのお坊さんもいる。(漢語や古語からのワンクッションが難しい私。。笑)

 

 

 

 

 

 

さて余談。最近なんとなく。。。

 

(○極化)と言われて意味がしっくり来なくて。笑

 

特に「○○までに△△しないと」っていう言い方には、「恐れ」?のニュアンスを感じてしまい、受け付けなかった。自分の中に恐れを貯めていたからね。どちらかと言うと、

 

△△しなくても○○します。

 

と、何も無理する必要のない時代の変化が来てる。それだけの気がする。そもそも、恐れる必要がないことが確信に変わる時。(ま、同じことなのだろうけど。)

 

(字面から、2つに別れること?と思うけど、それも全然ちがっていて。笑)

 

占星術では水瓶座の時代に入り、ヨガ哲学ではカリユガ期と呼ばれる周期の総仕上げをしていて、マヤ歴とかでも何かあるのかな?だけど、昔から伝わる時代の節目。

 

何かを恐れることのない時代へ向けて、

 

各方面の動きが活発化していて

 

私たちは常にシンクロしていて

 

より意識的に行くということ。

 

 

何も恐れることなんてなかったんだー!

 

と、さまざまなコワイ幻想から目が覚めて、この世界の本質とつながれる時代なんじゃないかな。そう感じています。

 

 

大丈夫!

 

 

夫の背中が、さらに楽しそうに見えてくる。それだけでも瞑想効果?
 

昨日は意を決して、瞑想クラスに参加。笑

 

先生もネット回線も絶好調で、ようやくスッと話しに入り込め、腑に落ちる場面も多くなった。

 

やっぱり何らかのシンクロって

実際に作動してると思う。

 

先週は回線切れまくり、

先生あせりまくり、

生徒呆れまくりだったけど

コースの仕上げに向け

一気に挽回してます。

 

良い時もあれば悪い時もある。

 

大きな視点で受け入れたい。

 

受け入れれば、良いも悪いもないの。

 

 

夫くんの背中✨

 

 

昨晩の夢は面白かった。かつてみたいに、一人バックパッカーの様に身軽に旅をしていた。初めて見る景色、初めて出会う人たち、おいしいもの、楽しい宴。

 

島に渡るフェリーでは、何故かスリランカで出会ったNちゃんと一緒だった。そう言えばうちの妹もいたような。

 

2人と別行動になり、ふと気になった丘の上のレストランに向かったら、広い庭では賑やかなパーティーの最中。片隅の椅子に腰掛けてメニューを選んでいると、声をかけてくれたのは何とかつての同僚Kさん。

 

その昔、結婚式場&レストラン&カフェで働いていた時のマネージャーさん。雰囲気全然変わってて、活気があってニコニコしながら「おーー、元気?」って。それからS君も現れ、忙しい最中なのに再会を喜んでくれた。

 

和やかでキラキラしたパーティーの雰囲気を楽しみながら食事して、お代を払って帰ろうとしたら、S君が何かを持って追いかけて来た。2つも袋に入った料理と何故か会社の特製ドレッシング。元気で頑張ってって。笑

 

休憩で喫煙コーナーに佇むKさんも笑顔で見送ってくれた。

 

その後は何故かめっちゃ急勾配の坂を自転車で?下るため、もらって元気で気合いを入れて、よっしゃ行くかとブレーキを握った。怖くてなかなか離せないブレーキ。。そこで目が覚めた。

 

 

旅をするなら、また訪れたいのはスリランカ✨
 

 

面白かったー。嬉しかった。

自由で、楽しくて、冒険がいっぱい。

私は応援されてるんだなって

心強くて胸が温かくなった。

 

内容は、全くの夢物語なのだけど。

でも、

今の気持ちは実際に温かい。

 

 

 

働いていた頃はKさんもS君も余裕ない感じで、お客さまの前での愛想笑い以外、笑った所は見た事がなかった。

 

Kさんは離婚係争中の仕事中毒な感じ、S君は仕事が続かない上、問題児っぽかった。丘の上で行われる豪華でキラキラした和やかな宴は、色んな人生の上に築かれる究極の幻想のようだったなー。

 

私と言えば、父の病状が思わしくなく、煮詰まっていた仕事を辞めて実家に帰ったところ。つなぎのバイトと思ってたから、周りを冷めた目で見てたかも。。斜めに見てたヤな奴だったかも。笑

 

けど。

 

今日の気持ちは、温かい。

やっと、

KさんとS君の幸せそうな笑顔が見れた。

 

 

バーでグラスを磨いてた頃の写真🍸✨

 

 

昨日の瞑想クラスのテーマは

「怒り」について、そして

「思いやり」について。

 

チベット仏教の瞑想法もいくつか手法があり、そのうち特徴的なのは、マインドフルネスに基づくガイド瞑想。

 

ガイドの示す方向性が慈愛に満ちている。

 

単なる観察や分析ではない。生きとし生けるものに奉仕するという、先生の深い哲学と強い覚悟が伝わって来るのだと思う。

 

心の奥底の塊に光を示し、

優しく溶かし出すような

決定的なパワーに満ちている。

 

瞑想の中で変容が起きるのが分かる。

 

過去の嫌だった出来事、過去から和解できないままでいる関係、途中で諦め、蓋をしながら過ごさざるを得ないと思っていた日常が、深い場所へのアクセスを取り戻すことで生気が流れ始める感じ。

 

生身の人間から伝わるエネルギー。

 

知識を得たり、経験を経たり、それと平行して

人から直接伝わる物の得がたい何か。

 

インドに来てヨガを学んで

「ヨガは必ず師から学ぶもの」と聞いて、

 

ふぅーんそうなんだ。何で?

 

とずっと謎だったんだけど。

 

直接伝わるエネルギーって、やっぱりある。

 

ネットの回線を通してでさえ、

ライブでアップロードされる

シンクロする波のようなもの。

 

 

怒りについての瞑想をしていて昨日は

義理の弟のことが思い浮かんだし、

義理の兄のこともより理解したような。

 

その後は、実の妹のことを思っていた。

 

昨日のブログでは、

「変わらなくていい」

という思いが出てきた。

 

ただ寄り添ってほしいと。

 

 

認められたい、信じてほしい。

怒りや悲しみの底には強い欲求があった。

 

心配してくれる人を拒絶してしまうのは、

私が私を丸ごと認めてあげられていないから。

 

必死なんだなぁと、気づいたような。

 

インドでコロナで帰れないとか、

心配されて当然かなぁ、、でも。

 

 

それでも私は、大丈夫だと思ってる。

 

説明できないけど、私は大丈夫。

 

この先何があろうと

ここに居ると選んだこと、

後悔することのないよう生きている。

 

心配や不安は尽きないけれど。

あえて、

 

信じてほしい。

信じていたい。

 

何があっても

何とかなる。笑

 

私がここにいることには、意味がある。

何があっても、必ず意味がある。

(自分でもその意味がまだ分からなくても笑)

 

それを認めてあげるのは

まずは、私だった。

 

夫も

揺れているようで、

 

まぁね。

 

私さえ分かっていれば、

それで良いことにする。

 

 

ヨガも出来たし、良い日だったな。

 

9年前のバイトの思い出のペン。何と今日、インク切れ。思い出と和解して手放す時。

6月の生理は5日間、7月の生理は8日間、今月の生理は不順。

 

今日は周期4日でちょろちょろ出血。

 

そんな個人的な記録を書いてたブログ。

読む人が増えると書きにくいネー。笑

 

コロナ疲れが身体に出たかー。

 

それでもインドに花は咲く。

 

 

こんな北インドの地方都市も

感染者数の記録を連日更新中です。

そろそろ動き出したかった、

そんな気持ちも砕けてしまった。

 

そんな中

売上げを上げるため

毎日仕事に行く夫は、

 

どうしたら私を幸せに出来るのか

ネタも尽きて呆れてるんじゃないか?

 

なんて変な妄想ばかり。

 

本当は知ってる。

売上げと比例するインセンティブで

私に何か買ってくれようとしている。笑

 

知らないフリをしてるのは、

何も買って欲しくなんてないから。

 

私は私にしか幸せにできない。

私は私にしか不幸にもできない。。

 

欲しいものを掴める気力と繋がりたい。

 

2週間の瞑想クラスも、

2週目にしてサボり気味。笑

 

心も身体も騒がしくて仕方がなくて。

 

半年ぶりに繊維筋痛症がぶり返す。

毎晩ガチガチに緊張して寝ている。

 

逃れたいのに逃れられない。

Hotel California by Eagles かい。

 

私が下ごしらえをした時だけ夫がパランタを焼いてくらさる😗
 

 

私は、突然の音や気配に

異様に驚く傾向がある。

 

夫と暮らし始めて気づき始めた。

 

夫がノックせずに台所に現れたら、

毎回お皿を落とす勢いで飛び上がる。

 

何度言ってもノックを忘れる夫。

何年経ってもギャーっとなる私。

 

PTSD症状がまだ治らないってかい。

20年以上もワークを重ねて

もういいだろうと(勝手に)

トラウマ卒業宣言したのに。笑

 

これは、右脳に残るものらしい。

 

理屈の左脳では解決しないとか。

 

何その新情報。泣

 

20年もアダルトチルドレンや

インナーチャイルド、PTSD

境界性人格障害、愛着障害、鬱などなど

ずーっと学んでいても治まらない。

 

もっと向き合わなくてはならないなんて

しばし失望するしかない。

 

 

私は深いところで失望している。

しつこいな。

手の届かないところで諦め切っている。

しぶといか。

夫には、期待も負担もかけたくない。

 

私は私の希望を見つけなくてはと

最近は一人きりで資料を漁っていた。

 

自分で自分でって、

エゴりん張り切り過ぎ。

 

何かね。

真実を覆い隠そうとするよーに

父や母の素晴らしさ書き連ねたり。

一生懸命だった。

彼らなりに愛してくれた。

それは事実。

 

でももう一方で、

小さい私のニーズが

満たされることも

守られることも

優先されたことはなく。

(頭打って血を出した時くらいか)

 

 

ジャッジしなくても良い。

 

ないものはないのだから。

 

 

あるものはあり、ないものはないのだモー🐂

 

 

そんなこんなで

無条件に人を愛するなんて

とうてい出来ない私。

 

無条件に受け入れられる感覚を

右脳リンは知らないのかもね。

 

常に臨戦態勢で

神経を張り詰めるクセ。

 

 身体がバキバキで朝食が作れなかった。

 ヨガもプラナヤーマも知ってるのに、

ただ失望しているだけ。

 

 緊張のループに囚われていた。

 

誰かに知ってほしくて書いてたブログも

励ましやアドバイスが嫌になって、笑

書いても更新できない日々。

 

変わりたいんじゃない、

 

そう思った。

 

変わらなくてもいいんだって、

私は私に寄り添っていたい。

 

私の歩みを全部知っているのも

私を守ってあげられるのも

私しかいない。

 

 夫はつくづく不思議な人で

朝食を作れずグルグルする私に

ゆっくり休んで、と

満面の笑顔を投げかけて

元気に出かけて行った。

 

私に

もっとああすればとか、

変わって欲しいなんて

ほぼ言わない人だ。

 

 

諦めてるの?笑

怖いのかな。

それとも本当に、

相手に変わってほしいなんて

思わない人なのか。

 

 私はウルサイくらい言って後悔する。笑

 

コロナの影響で出来ない事が満載なのに

焦ってもがいて無駄に苦しんで、

一体何がそんなに怖いのか。

 

誰も守ってくれないとしても

今に始まったことじゃない。

 

むしろ今なら

 ニコニコインド人がついている。

 

変わろうなんて

無理しなくていい。

 

今は右脳さんと一緒に

このままで安心できる練習をしたい。

 

左脳が?批判する声が

ようやくだけど

聞き取れる様になってきて

ちょっと怖いけどね。

 

あることない事

ようも浴びせ続けて来てくれたわねっ

 

辛かったのね。

怯えてたんだね。

それだけのこと。

もういいんだよ。

もう大丈夫だから。

 

 

今・ここにはない何かと戦い続けて

窮屈で消耗し辛い思いをして

もっとこうすれば、ああなればって

憤ってた怒り

本当は分かって欲しかっただけ

側にいて欲しかっただけ

 

変わらなくてもいい。

 

 私は私でいるだけでいい。

 

ここに一緒にいるだけでい。

 

この際、無条件で。

 

あるがままを受け入れる練習だ。笑

お盆ですね。

 

私の実家でも、昨日お盆参りが済んだとか。今年は早目です。

 

例年はご先祖さまに日本でご挨拶出来たけど、今年はコロナで帰れない。泣

 

日本でも帰省を控える動きあるとかで、家族に会えず心細い夏を過ごす人も多いのかしら。

 

心の中にDNAに、繋がりは宿っているけど、寂しさもある。

 

先月末の夫の弟の結婚式では、沢山の儀式があり、もうお参りはお腹いっぱい!と思ったけど

 

逆に自分の家系の温もりを求めてホームシック気味。

 

亡くなった家族はみーんな、私の事を応援してると勝手に思っている。笑

 

私も、ご先祖さまのことが大好き。

 

 

去年の今頃、妹の子どもたちが公園で作ってくれたブーケ💕

 

 

私の先祖は本州を離れ、北海道に入植した人たち。父方の両親、母方の祖父母の時代のこと。

 

それまでの常識を越えて海を渡り、

生きるため、大きな夢を叶えるために

慣れ親しんだ環境を後にした人たち。

 

辛く苦しい出来事の数々も

まるで一大冒険や恋話の様に

キラキラ笑って話した祖母。

 

多くは語らず、凛とした存在感で

あり方を示してくれた祖父。

 

生涯1人の絵描きであり

熱血教師だった父。

 

向こう側で見守ってくれているけれど、今も会いたくてたまらない。

 

 

サッポロビールでも知られる星のマーク。開拓時代のシンボルだったそう。

 

辛い時も北極星を見上げるように

理想を胸に秘めながら、

大地を耕し命を繋いでくれた

先祖を忘れることはないだろう。

 

(あ、ビール飲みたくなってきた。笑)

 

 

ここ数日眠くて仕方がなく、昨日今日はガッツリお昼寝。村での一大イベントでエネルギーを使ったせい?

 

この8月の時期、実は北インドの村でも、先祖の御霊や精霊が降りてくる時期とされている。

 

新婚のお嫁さんは今月「不吉な物から身を守る」という理由で実家に帰る習慣があるそう。義弟のお嫁さんもお暇をいただくらしい。日本の習慣に似てるよね。

 

そんな中、村に住む義弟サンニは、今日から新しい仕事へ初出勤とか。

 

隣の隣の村のお店で会計士。

続いてくれよと願うばかり。

 

 

7月末に村で話をしたら急に怒り出した義兄①のその後は、先週ラーキーと言うお祭りで会いに行った夫によると、

 

「反省」したのか?夫にうるさい事を一切言わなくなったそう。

 

その上、奥さんである夫の姉①は、手作りのスペシャル料理を夫に持たせてくれた(私は行かないと決めてたもので)。

 

パトールー。里芋の葉の間にスパイスとひよこ豆粉を詰めてロールキャベツの様に巻き、スライスして焼いた郷土料理。
 

 

「ゴメンね」の印かな?愛情のしるしは素直に嬉しい。

 

 

インドと日本、お互い先祖から受け継がれるやり方は違っても、

 

心は自由に理想を求めて、

愛を忘れず繋がりながら

助け合って生きて行きたい

 

そんな思いを持つのは、みんな同じだと思う。

 

 

人間であれば誰でも

この広い広ーい天の下、

誰かが耕す大地の元に

産み落とされて生きて行く。

 

インドも日本もアフリカも

恒久の流れは変わらない。

 

 

足元ばかりを見ていると、足がすくんで足を取られて、いさみ足で上げ足を取り、戦ってしまいそうになる。

 

だから頭を上げて、広くて冷静な視点を忘れずに、無駄に争うことなくこの地で過ごして行こうと思う。

 

争うつもりは全然なくても、この地の人間じゃない私の周辺では、意図せず騒動が巻き起こることもある。

 

そのことも、これから自覚しておこうと思う。

 

 

3日間の婚姻の儀式の最後、新郎新婦の旅立ちを見送る行列。
 

 

今日、昼寝から目が覚めたら、天から温かい眼差しが注がれているような安心感を感じて、身体も大分楽になっていた。

 

ご先祖さまに見守られている。笑

 

たとえそうじゃなかったとしても、

 

そう思っておいて損はないのだと思う。

 

 

インドにも空があってよかったと、変な事を思った。笑

 

空想や妄想をする自由や、

理想を言っても大丈夫な空気が

私たちには与えられている。

 

 

インドの田舎では、教育不足や貧困が起因してか、

 

「幸福」と言えるような人間性を保てないどころか、違法ドラッグに手を染める若者が増えており、

 

身近にその様な事があれば驚くし、心配極まりないけれど。

 

私としては、

「現実」が見え始めたことは

嘆くべきことでも

恐れるべきことでもなく、

 

私自身が少しずつ、足を踏み出すことが出来た証だと感じる。

 

だから頭を上げ気を引き締めて

その上で、

罪を憎んで人を憎まず。

 

人の良い面を見る心を大事にしたい。

 

ショックで恥ずかしくて苦しむとか、

大事なのは、そこじゃないから。

 

 

私の父は、時に非行少年を少年院に送らなければならない人生だった。

 

でも決して若い人が生き直すことを諦めたり、見限ったりしなかった。怒り悲しみ悩む姿を、私もそっと見た記憶がある。

 

 

パパ、見守っててね。笑

 

ここで

みんなで幸せになるって

私は決めたからね。

 

父との会話が止まらない日。

 

インドにもお盆が来ました。

 

今晩は祖母がよく作ってくれた日本風カレー。夫も大喜びで食べてくれました。

ここ北インドの雨期は5月半ば〜8月半ば(たまに末?)までかなぁ?という感じ。

 

突然かき曇ってゲリラ豪雨になるので、今晴れてても油断がならない。今降ってるから予定を諦めても、その後ずーとジメッてるだけで「洗濯干せたじゃん!」と後になって気づく。

 

予測して行動出来るようになるのか?

 

いや。

 

インド人はずっと後手後手のままか?笑

 

それで良い事もある。

 

 

さて、昨日のブログを読んだ読者さんから「乱読しちゃってごめんなさい」ってご丁寧にご連絡をいただきました〜♡

 

いえいえ、こちらこそ妄想で読み逃げ疑惑かけてすみません。

 

お顔が見えないだけにね、気になっちう。

 

DMでお話し出来て、アメブロのアカウントがない方は痕跡を残せないって初めて理解した。その場合、残念ながら書く側は一方通行に感じてしまう。一般個人として普通ーに相互対話の概念しかないのが違和感なのかなぁ。

 

インドのブログは4年目で、最初から流産、ご近所トラブル、親戚トラブル多発で、初めの頃から読んでもらった方々にはずいぶん心配かけてしまいました。

 

でも読んでいただく方の大半はその頃から見守ってくれたり、コメントやメッセージを下さり、孤独なインド生活が本当に救われてきました。

 

 

一度つながったらきっと、ハートは忘れないんだと思う。

 

心を開いてつながった人たちがいてくれるからかな。

 

地球上どこに住んでも、そうそう寂しくならない。

 

そんな風に感じます。

 

 

おかげさまで元気にやってます♪

 

 

 

前回の2つの記事でもこれまでも、村での滞在中は必ずちょっとした騒動が起きる事を書いたのだけど。思い返すとそれはもう、百発百中そうで。笑

 

 

それは故意にお騒がせしてやろう!ふへへ。と思ってる訳ではなく。。

 

でもどれだけ異なる環境に身を置いても、ただ受動するだけじゃなくハートでリアルにつながろうって、私の心が真っ直ぐに求めていることに、昨日書いた後気づいたり。

 

 

言った言われたのバチバチは、正直傷つく。。

 

知らないものは、怖いしね。

 

でもお互いの真意が明らかになるまで、

 

目の前の物事人の見えない本質を信じて

自分から開示して行動しなくては、

現実は思うようには進まない。

 

私の魂は、そう言いたいのでしょう。

 

 

 

仏教でも、あらゆる目に見える事象は、その「本質」を現してはいないと教えてる。

 

量子力学という科学の分野もこれを裏付けているそう。

 

インドや(後進国)とくくられる様な環境では、目に見える物はあたかも(遅れて)まどろっこしく、(薄汚れて)て非衛生や非効率に見える。でもそれはただ「表面」であって「本質」ではない。

 

 

本質を見る視点を得ることでしか、インドの本質、

 

本当の素晴らしさは見えないのかもしれない。

 

私も相当見えてないまま。笑

 

 

きっと、

インドに来てまず目に見える汚いもの、怖いもの、面倒なもの、悲しい事なんかは、

 

その視点を越えた先に展開されるものの序章でしかないって、私のハートは知ってるんだと思う。

 

 

このロックダウン中に瞑想して、ぐちゃぐちゃに絡まった私の意識は、少し、ほぐれた気がした。

 

「思考」で考え過ぎていること

「感情」で期待し過ぎていること

 

どちらも勝手にこじらせた幻想で、

 

現実は、見えてなかった尊いもの。

 

少しずつだけど、自分の絡まった内面と外的状況の間に、そぐわない不要な葛藤があることに気づいたり、

 

過去にこじれた関係が心の中で癒されて次々と良い思い出に変化したり。

 

そして目の前にある課題は「恐ろしいもの」「叶わないもの」から、「未知のビックリ箱」みたいな宝物に変化して来ている。

 

開けてみてからの、お楽しみ。笑

 

インドのご近所さんや親戚とのやり取りを、一字一句書くと前の記事みたいな攻防に見えてしまうけど、

 

その根底には、揺るぎない愛の大河のようなものが脈々と流れている。

 

 

ハートを広げてその水脈に触れなければ

私は表面上の葛藤にはじき飛ばされて、

とっくにここにはいないだろうな。

 

 

たまに煩すぎるお義母さんが、こんなに可憐な花を育ててた。

 

 

村から戻って来ても、この下町の生活でも色々な葛藤がある。昨日は私がせっついてようやく夫が大家さんと話をしてくれた。

 

と言うのは数日前、ウチで使わなくなったクーラーを部屋の前に置いておいたら、大家さんの小学生の息子がパパっと来て「これ持ってくから!」って、そのまま大人1人とウチのクーラーを階下に運んで行ってしまった。

 

「何事?」と思うじゃない?笑

 

夫に聞くと「大家さんが欲しいって言うから売った」って。。あれ?でもあのクーラー、近所の友人家族にあげるんじゃなかったっけ。。?

 

思い返して見ると2週間ほど前、その友人家族がクーラーを引き取りに来た時には、大家さんが「もう暗いから」とか「危ないから」とかで、彼らを2回も入室拒否してたんだよね。3階の私たちは、後になって知ったんだけど。

 

それなのに今になってクーラーを大家さんに渡すなんて、明らかに大家さん、友人家族への阻害行為だし、横入りでどさくさに紛れて自分の物にしようとか、あり得ない!って私は思ったけど、夫はその経緯すら理解していなかった。。。

 

どこに目がついてるんだか。。。

優しいんだか何なんだか。。。

 

結局、友人家族は要らなくなったらしく、そのままクーラーは大家さんの物に。でも、お金払ってもらってない!!

 

後払いがインドで信用出来る訳がないので、5日ぐらい夫に言い続けたら、ようやく昨日どや顔でルピー握りしめて「払ってもらった!」って。

 

もー、どう思います?

 

ズルい人はどこまでもズルいし、

お人好しは何も見えていない。。。

 

 

でも、インド人には迷いがない。。笑

 

 

中間にいる私みたいなのが、

もしかして一番不幸なのか?って

思った次第。

 

 

これからも、私の葛藤は続くのでしょう。

 

 

迷いがない事は幸いなのか

その先の事実を見るべきなのか。

 

でもきっと、そのもうちょい先にある

お互いの平安を

ハートは願っているだけかなー。

 

 

 夫よ、オシイ!

 

何事もなければただそれだけで幸せ、だそうです。笑
 

昨日のお話しの続きですが、その前に。。

 

しばらくぶりにアクセス数がちょっと増えていて。

 

でも見たら1人の方が過去記事を読み漁って(言い方w)、なぁ〜んにも痕跡を残さず読みっ放しじゃん!笑

 

ちょっとホラーじゃない?

特にね、個人的なブログなもので。

私は、他人様の物を読んだらいいね位しますよー。

日本人のマナー、どこか行っちゃった?

 

逆に、何かお探しですか?

質問があればいつでもDM下さい。

 

業務連絡、以上。笑

 

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さて。村の義実家の長兄連中があまりにダサいので、しっかりしろよ!と思った話しの続き。

 

つかつかと、オジさんたちの円陣に歩いてお話ししようと思ったら、大きなアタ粉の袋を抱えた義姉①が「かおり〜!チャパティー作るからおいで!」と、間髪入れずにグイっと腕を掴み、台所に連れて行かれた。

 

私は(冷静にならなきゃ)と深呼吸。

 

私「お義姉さん。この家では皆、アスニ!アスニ!(夫の幼名)って、夫にばかり用事をさせて、自分はただ座ってて、アシーシさんが悪いみたいに言うけど、私の夫ってそんなに悪い人ですか?」

 

義姉、キョトン。

 

私「あなたの弟は、もう小さな子供じゃないです。毎日頑張って働いてくれてる大人の男性です。今日もたくさん仕事しました。」

 

「でも、義兄さんたちも、お義母さんも、アスニ!アスニ!って怒鳴ります。お義姉さん、私の夫はそんな風に言われるような悪い人間ですか?」

 

義姉①「うん。分かった。。そんな事ないわよ。アスニは良い子よ。」

 

私は少しウルウル来てたらしい。見かねて義姉は、

 

「かおり、アイラブユー。アイ・ラブ・ユー。OK?」

 

って、私の肩を抱きしめた。

 

いつも強気でクールな義姉①が、まさかそんな事言ってくれるとは思わず、さらに動揺した気がする。義姉は「落ち着くまで皆と座ってなさい」と言って、私を前庭の円陣の椅子に座らせ台所へ戻った。

 

さぁ、目の前にはオジさんたち。

 

 

オジさんたちと話す時はいつも「①インド人が日本のビザを取って稼ぐ方法」について尋問されるのが嫌で仕方がない。行くなら勝手に行ってくれーと思う。他に話題ないんか?と思ってると「②アスニが若い頃、無責任だった話」を延々とグチグチ始まる。

 

だから①②に持ち込まれる前に、口を切った。

 

「お義兄さんお話があります。聞いていただけますか?」

 

義兄①②③、義母、従兄弟、子供たち、キョトン。

 

私「インドでは、長男が実家の仕事の全ての責任を追うということですか?それでアスニ、アスニ!って、夫ばかりを呼びつけるのでしょうか?この家には3人の姉ともう1人、弟もいます。その弟も今日、結婚してもう立派な責任者ですよね?今日からは、夫1人を呼びつけにするのを、もう、止めていただけないでしょうか。」

 

義兄たち(夫の姉の旦那さんたち)も従兄弟も、基本いい人たちだから話しやすいわー(•ө•)♡って。汗

 

 

義兄①「君は知らないと思うけど、インドでは長男が全責任を追うんだよ。それなのにアイツはいつも実家の責任を果たさない。お義母さんの手伝いをしようともしない奴なんだ。」

 

私「それはどういう事実でしょうか?お義兄さん、もしかして一方の話しか聞かれてないのではないですか?誰がそんな事を言ったのですか?(多分義母がある事ない事愚痴ってる。w)お義兄さんは、夫と私が前回いつ義実家に来たか知ってます?」

 

義兄①「。。。(答えられない)」

 

(甥っ子がコッソリ「5月だよ父さん」と耳打ち。笑)

 

私「先々月ロックダウン中でも通行証を申請して2週間半滞在しました。その時、義弟(サンニ)に大変な事が起こっていました。お義兄さんは知っていましたか?」

 

義兄①「帰って来たのは知ってたよ。うん。。」

 

私「麻薬中毒ですよ!違法のドラッグの依存症になって仕事もお金もなくなって、実家に逃げ帰って来たんです。

 

それがどれだけ深刻な事態か分かりますか?それから私たちがお義母さんと、義弟にドクターを付けて更生を促して来ました。サンニは結婚なんて、とうてい出来ない状態だったんですよ。」

 

(正直今も完全に更生したとは思ってないし)

 

義兄①「それは5月には来たかもしれんが、先月お義母さんが倒れた時は来なかったろう?俺が駆けつけた。やっぱりアシーシはいつも無責任だろう。」

 

私「先月は大変お世話になりました。私たちは、行きたくても行けませんでした。お義兄さんはちょうど村に滞在中でしたよね?

 

ロックダウンで長距離バスも無く、正直これ以上タクシー代は払えませんでした。ちょうど私たちの方でも友人(サンニの悪友。こやつも薬中が判明)がオーバードーズで意識不明になり入院したと聞いて、夫はお見舞いに行っていました。」

 

「でも、その前お義母さんが倒れた時は、必ず毎回夫が駆けつけました。」

 

「いまだにコロナで規制が厳しく、皆が大変な思いをしている時期です。1度のミスで夫を判断しないであげて下さい。9歳で義父を亡くして、出来ない事が沢山あったかもしれません。

 

でも子供の頃の過ちで夫を無責任だと決めつけて、28歳の大人の男性をアスニ!アスニ!と呼びつけにするのも、今後は止めていただきたいです。」

 

義兄①「年少者を呼びつけにするのを止めろって言うのか?ここでは皆、こうやって呼ぶんだよ。愛情表現だ。じゃあ俺はアスニの事をアシーシ・ジ(敬称)で呼べばいいのか?ワッハッハ。」

 

(周りも一斉にワッハッハ。笑)

 

私「そういう意味ではありません。私が言いたいのは、責任ある大人になって欲しいと願うのであれば、それなりに敬意を持って接する必要があると言うことです。

 

年長の大人の皆さんに言いつけにされてばかりでは、本人はまた自信を失いかねません。(ていうか私が聞きたくないんだけど。夫よごめんね。)」

 

「お義兄さんは、今以上に、夫に良くなって欲しいのですか?それとも、良くなって欲しくナイのですか?」

 

義兄①「(質問には答えない)君は知らないと思うけど、小さい頃からアイツは無責任で、家の用事から逃げて来たんだよ。だから俺たちが手伝うしかなかったんだ。」

 

私「それは年の離れたお義兄さん方のおかげです。でも、私も夫と暮らしてもう4年になります。最初はわからない事だらけでした。

 

でも夫はこれまで1度も実家や家庭の様々な責任から逃れようとする事なく、一生懸命やってくれています。私自身も、責任を果たすよう心がけて来たつもりです。」

 

義兄①「アイツは君のため以外は何もしない奴なんだよ。」

 

私「それは全くの誤解です。私自身も夫と協力して実家に何度も足を運んでいます(この1年で6回すよ)。それでも足りないと言われるのであれば、これ以上何も出来る事はありません。

 

私は1人きりでインドに来た外国人です。私と結婚したことで、アシーシ・ジには沢山負担をかけています。私にとっても日々、楽な生活ではありません。その様な状況も考えてみてはもらえませんか。」

 

義兄①「それはアイツの"間違い"だったから、仕方がないだろう。」

 

("間違い"って何?この人私たちの結婚をまだ認められないのかー。。)

 

 

1言多い夫婦漫才でも始めようかな。村ではウケないか。

 

 

義兄①「いや、俺は君のことを無責任だって言ってるんじゃないよ。君は誠実で一生懸命で、君が来てくれた事は全員が喜んでいるよ。ヒンディー語もバハリ語も勉強して、チャパティーもサブジも作れるようになったしね。

 

君たちが幸せであればそれでいい。俺はただ、今後年老いたお義母さんの面倒をちゃんと見るように言いたいだけだ。俺たち(義姉の夫たち)は、この家ではゲストでしかないからね。」

 

「まさかお義母さんが死ぬ時まで放って置くことがないようにな。」

 

(もーさ。お互いだけど、一言多くね?笑)

 

私「そんな風に思う訳がないじゃないですか。。では、取り敢えずは、私の話をご理解いただけたでしょうか?」

 

義兄①「え?何だっけ?アスニ!アスニ!って呼び捨てにしないことだろう?」

 

私「いや、そういう事ではなくて。。。サンニ(弟)も結婚した今、兄弟で責任を持ってこの家を守ると言うことは、ゲストであるお義兄さんたちに言われるまでもなく、自分たちで自信を持って物事を決定して進めて行かなければならないと言うこことです。ですから。。、」

 

と、ここで隅っこで事態を注視していた夫が立ち上がり、義兄たちに何やら説明し始めた。多分私が言葉に詰まったと勘違いして助け舟を出そうと慌てて通訳し始めたんだけど。笑

 

夫が、「かおりはこうこうこう言うつもりで、こう言っていて、つまりは、、」と口を挟んだ途端、義兄3人が同時にワーワーと夫に向かってバハリ語で怒鳴り始め、夫に物を言わせまいという条件反射が止まらない。

 

10秒くらい続いたところで、私、

 

「この状況が、私が話していた元凶です。」

 

そう言うと、一瞬、その場が凍りついた。笑

 

 

代表として話していた義兄①(この人しか英語喋れないもんで)は、急に気分を害したのか、プラ椅子から立ち上がり、

 

「俺が言いたい事を言って何が悪い!」と言い放ち、

 

その辺に置いてあったステンレスカップをカッコーーーンと派手に蹴飛ばして、

 

離れの家の方へと歩き去って行った。

 

 

みんな、目が点てん。

 

そして少しザワザワしたと思ったら、義兄②③、義姉①②③とその子供たちがワラワラと、義兄①が歩き去った方向についてみーんな立ち去って行ったとさ。

 

 

ちゃんちゃん♪

 

屋根に登るオジさまたち。でも話して良かったよ。お互い大変だったこと、対話が足りてないこと、感謝が伝わっていないことが、よーく分かりました。

 

夫の弟の結婚式に行ってました!

 

約1週間のドタバタ劇。笑

 

 

村では毎度ながら色々ありすぎて、先週帰って来てから「頭がまとまったらブログ書こう」って思っていたら、いつまでたってもまとまらないじゃないか。!

 

この1週間半は、仏教ではお釈迦様が悟りを開いた日、イスラム教ではイード、ヒンドゥー教でもラクシャバンダン(ラーキー)などのお祭りが続いた。そんなおめでたい時期に無事、親戚総出で結婚式を挙げることができた義弟とお嫁さん。きっと幸せになってくれると信じるよ。

 

 

笑顔がかわいい義弟です。
 
まずは自分の幸せをつかむのだよーー。
 
夫の一番上の姉は、ほぼお母さん役です。存在が大きい。
 

 

さて。前にも書いた通り、私?なのか何なのか、義実家へ行くと必ず何か騒動が起きる。(そしてめっちゃ身体が重ーく感じる。)

 

インドの田舎の貧しい村で、騒動は日常なのかも?だけど、私にとっては毎回、自分の常識を根底からひっくり返すような事ばかり。

 

日本では、ありえない。

 

異質なエネルギーとの衝突が生じてる。。と、一言でくくるとそんな感じ。

 

 

5月のロックダウン中に義実家の手伝いに行った時は、夫の弟(サンニ)の素行が悪すぎて派手にキレてしまった。言わないと分からないらしいので、言って良かったと思うけど。

 

 

今回は、夫の一番上のお姉さんの旦那(ジッジャイジ)と、その仲間たち。

 

彼らにどうしても言うべきことが、私にはあった。

 

 

きっかけは些細な事たち。例えば、私が朝一でトイレ(離れの家から20m位歩いて行く)に急いでいると、母屋(トイレの目の前にある)の軒先でチャーイを飲んでる親戚連中が、全員ガン見で何か言いながら内輪で盛り上がって笑うの。

 

毎回!!!

 

私を見ながら何を笑われてるのか気になるでしょーが!?

 

こっちは寝起きでしかも急いでるつーのに。

 

一応朝の挨拶はすると決めてて、でも「おはようございます」なんて声を掛けようものなら、「おヒンディー語できるのか」「チャパティは焼けるかな?」「チャーイ淹れてくれよ」「そんな格好寒いわよ」と、みんな口々にうるっさい!笑

 

何度トイレ間に合わない!と青ざめたことか。。笑

 

1度や2度じゃない。

完全に( 集団 vs ぼっち外国人 )の構図。

 

注目し過ぎるのもいい加減にしてくれ、と。心が叫び始めるのは時間の問題だった。出るとこ出たらイジメでしかないからね。

 

しかも村ではポジティブトークなんて皆無で、目下の身内をネガティブにけなす事が愛情表現?らしく、私だって頑張って村風に真似してる身なりの1つでも完璧じゃなかったら、ああしろこうしろ、うるさいったらない。

 

雨季真っ只中で、ショールを被ってトイレに走ってたら、わざわざ皆で呼び止めてショールを剥がして壊れた傘を押し付けられたり。いらんわ。まじで。

 

トイレを邪魔される恨みって、すごいエネルギーよ。私も知らなかったけど。笑

 

 

それから食事の支度!村に来る前から右腕が腱鞘炎で、とても親戚十数人分のインド料理とチャパティーなんて作れませんってお義母さんに何度も言ったのに、叔父さんや叔母さん子供たちの前で、

 

「かおり、ご飯作ってくれるのよねーえ??」って

 

大声で。

で、全員の笑のタネにされる。

止めてくれないもんなのかな。

イジメでしょ!!

 

 

「義弟の大事な席だから」と、その場で反論はグッと堪えたけどね。日に日に、私を怒らせたいんだなぁとしか思えなくなって来る。そんなに騒動がお好きですか?って。

 

 

前後合わせて丸5日間の結婚式がようやく無事に終わった日、新婚の2人と家族親戚の満足そうな表情を見届けた日の夕方。

 

相変わらず、お義母さんを始めお姉さんやお義兄さん、従兄弟たちは前庭に車座に出したプラ椅子にダラダラ座ってる。誰1人立ち上がって大勢の来客で空になった水道水タンクの補充や、汚れたトイレの掃除をしようとしない。私の中では水もトイレも最優先事項だ。

 

掃除しにトイレに向かおうとすると、自分は立ち上がろうともせず、義兄①が横柄に夫に呼びかけた。

 

「オイ、アスニ!タンクに水入れとけ!」

 

夫は円陣には加わらず、母屋の階段で座って休んでいたところ。

 

と言うのも、長男として炊き出しの準備から式の全般を支え、徹夜で儀式に立会い来客をもてなし、必要な買い出しや荷運びを次々と担って来たので、本当に疲れていたから。

 

疲れで冷や汗をかきながら「ちょっと休んでからやるから」と応える夫に、長兄連中は踏ん反り返って座りながらブーブー言い出す。

 

(あいつはダメな奴だから)とでも言うように皆で笑い合っているのを見た時、

 

私はスイッチが入ったようにツカツカと円陣に近づいて行った。

 

 

 

お義姉さん①がメヘンディしてくれた。優しい所もあるけど、私も腱鞘炎で辛かったのよ、、。