ハートとつながること | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

ここ北インドの雨期は5月半ば〜8月半ば(たまに末?)までかなぁ?という感じ。

 

突然かき曇ってゲリラ豪雨になるので、今晴れてても油断がならない。今降ってるから予定を諦めても、その後ずーとジメッてるだけで「洗濯干せたじゃん!」と後になって気づく。

 

予測して行動出来るようになるのか?

 

いや。

 

インド人はずっと後手後手のままか?笑

 

それで良い事もある。

 

 

さて、昨日のブログを読んだ読者さんから「乱読しちゃってごめんなさい」ってご丁寧にご連絡をいただきました〜♡

 

いえいえ、こちらこそ妄想で読み逃げ疑惑かけてすみません。

 

お顔が見えないだけにね、気になっちう。

 

DMでお話し出来て、アメブロのアカウントがない方は痕跡を残せないって初めて理解した。その場合、残念ながら書く側は一方通行に感じてしまう。一般個人として普通ーに相互対話の概念しかないのが違和感なのかなぁ。

 

インドのブログは4年目で、最初から流産、ご近所トラブル、親戚トラブル多発で、初めの頃から読んでもらった方々にはずいぶん心配かけてしまいました。

 

でも読んでいただく方の大半はその頃から見守ってくれたり、コメントやメッセージを下さり、孤独なインド生活が本当に救われてきました。

 

 

一度つながったらきっと、ハートは忘れないんだと思う。

 

心を開いてつながった人たちがいてくれるからかな。

 

地球上どこに住んでも、そうそう寂しくならない。

 

そんな風に感じます。

 

 

おかげさまで元気にやってます♪

 

 

 

前回の2つの記事でもこれまでも、村での滞在中は必ずちょっとした騒動が起きる事を書いたのだけど。思い返すとそれはもう、百発百中そうで。笑

 

 

それは故意にお騒がせしてやろう!ふへへ。と思ってる訳ではなく。。

 

でもどれだけ異なる環境に身を置いても、ただ受動するだけじゃなくハートでリアルにつながろうって、私の心が真っ直ぐに求めていることに、昨日書いた後気づいたり。

 

 

言った言われたのバチバチは、正直傷つく。。

 

知らないものは、怖いしね。

 

でもお互いの真意が明らかになるまで、

 

目の前の物事人の見えない本質を信じて

自分から開示して行動しなくては、

現実は思うようには進まない。

 

私の魂は、そう言いたいのでしょう。

 

 

 

仏教でも、あらゆる目に見える事象は、その「本質」を現してはいないと教えてる。

 

量子力学という科学の分野もこれを裏付けているそう。

 

インドや(後進国)とくくられる様な環境では、目に見える物はあたかも(遅れて)まどろっこしく、(薄汚れて)て非衛生や非効率に見える。でもそれはただ「表面」であって「本質」ではない。

 

 

本質を見る視点を得ることでしか、インドの本質、

 

本当の素晴らしさは見えないのかもしれない。

 

私も相当見えてないまま。笑

 

 

きっと、

インドに来てまず目に見える汚いもの、怖いもの、面倒なもの、悲しい事なんかは、

 

その視点を越えた先に展開されるものの序章でしかないって、私のハートは知ってるんだと思う。

 

 

このロックダウン中に瞑想して、ぐちゃぐちゃに絡まった私の意識は、少し、ほぐれた気がした。

 

「思考」で考え過ぎていること

「感情」で期待し過ぎていること

 

どちらも勝手にこじらせた幻想で、

 

現実は、見えてなかった尊いもの。

 

少しずつだけど、自分の絡まった内面と外的状況の間に、そぐわない不要な葛藤があることに気づいたり、

 

過去にこじれた関係が心の中で癒されて次々と良い思い出に変化したり。

 

そして目の前にある課題は「恐ろしいもの」「叶わないもの」から、「未知のビックリ箱」みたいな宝物に変化して来ている。

 

開けてみてからの、お楽しみ。笑

 

インドのご近所さんや親戚とのやり取りを、一字一句書くと前の記事みたいな攻防に見えてしまうけど、

 

その根底には、揺るぎない愛の大河のようなものが脈々と流れている。

 

 

ハートを広げてその水脈に触れなければ

私は表面上の葛藤にはじき飛ばされて、

とっくにここにはいないだろうな。

 

 

たまに煩すぎるお義母さんが、こんなに可憐な花を育ててた。

 

 

村から戻って来ても、この下町の生活でも色々な葛藤がある。昨日は私がせっついてようやく夫が大家さんと話をしてくれた。

 

と言うのは数日前、ウチで使わなくなったクーラーを部屋の前に置いておいたら、大家さんの小学生の息子がパパっと来て「これ持ってくから!」って、そのまま大人1人とウチのクーラーを階下に運んで行ってしまった。

 

「何事?」と思うじゃない?笑

 

夫に聞くと「大家さんが欲しいって言うから売った」って。。あれ?でもあのクーラー、近所の友人家族にあげるんじゃなかったっけ。。?

 

思い返して見ると2週間ほど前、その友人家族がクーラーを引き取りに来た時には、大家さんが「もう暗いから」とか「危ないから」とかで、彼らを2回も入室拒否してたんだよね。3階の私たちは、後になって知ったんだけど。

 

それなのに今になってクーラーを大家さんに渡すなんて、明らかに大家さん、友人家族への阻害行為だし、横入りでどさくさに紛れて自分の物にしようとか、あり得ない!って私は思ったけど、夫はその経緯すら理解していなかった。。。

 

どこに目がついてるんだか。。。

優しいんだか何なんだか。。。

 

結局、友人家族は要らなくなったらしく、そのままクーラーは大家さんの物に。でも、お金払ってもらってない!!

 

後払いがインドで信用出来る訳がないので、5日ぐらい夫に言い続けたら、ようやく昨日どや顔でルピー握りしめて「払ってもらった!」って。

 

もー、どう思います?

 

ズルい人はどこまでもズルいし、

お人好しは何も見えていない。。。

 

 

でも、インド人には迷いがない。。笑

 

 

中間にいる私みたいなのが、

もしかして一番不幸なのか?って

思った次第。

 

 

これからも、私の葛藤は続くのでしょう。

 

 

迷いがない事は幸いなのか

その先の事実を見るべきなのか。

 

でもきっと、そのもうちょい先にある

お互いの平安を

ハートは願っているだけかなー。

 

 

 夫よ、オシイ!

 

何事もなければただそれだけで幸せ、だそうです。笑