北インド☆ゆるヨガライフ -7ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

これまで人に説明しにくいがために「黒歴史」?になってた自分の過去が、ふとした時にキラキラと輝き始めたような、不思議な感覚が最近ある。

 

あの事があったから、あの人がいてくれたから、あの頃思い切り傷付け合って、とことん学びあったから、今があるんだと涙が溢れたり。

 

 

先日のカードたち✨

 

 

 

長引く風邪の間、ほぼ毎日映画を1本見てる。フレディー・マーキュリーの生涯を描いた「ボヘミアン・ラプソディー」と、エルトンジョンの半生「ロケット・マン」を見た。80ー90年代という時代の流れを体感。

 

 

私たち個人も含め、人類は色々な可能性を追求し、行き過ぎて極に達して挫折し、新たな視点を得て自分の中の神性と繋がり直し、その学びを共有して来た流れをあの時代の描写から感じられた。

 

 

あの頃、バブルが弾けた事など気づかず物欲嗜好のまま、常にイケイケと外界に何かを求め続け、内面と繋がる方法など知らず、当然の軋轢として目の前の相手を傷付け合った私たち。東京ラブストーリーも真っ青な修羅場は毎日だった。

 

ずーっと、私だけが悪かったんだと結論づけて来た誤ちが、今振り返ると違う意味を得始めている。

 

ガチで心を開いて向き合おうとした尊さ。

こじ開けられる事からは逃げ切った奇跡。

 

 

愛を知らなかったあいつも、限界を見てしまった彼女も、お互いの親友だったあの人も、間で右往左往するズルい私も、死にたくなる程傷付け合って、よくもあの頃一緒にいなって。青春ってドロドロー。

 

お互いが必要だったんだと思う今。

あっという間に、みんな中年を過ぎ。笑

 

 

あの頃の闇の中から、光の道は伸び始めていた。いやもっと前、愛よりもお金や物が大事な時代に生まれ落ちて、愛の塊だった私たちは反乱するしかなかったよね。麻痺した感覚を取り戻すために。

 

 

90年代末のアメリカでも、美しい命があっけなく麻薬依存に奪われたり、この上なく愛し合う2人がエイズでこの世を去ったり、自暴自棄な事故を起こして懲役付きなんてシーンも通り抜けた。どうしようもなかったよね。だってみんな愛されたかっただけ。

 

自分を愛するなんて発想もなく、ようやったわ。

 

 

インスタのストーリーにも上げてしまう。インドでももっと日本映画見てほしいー。笑

 

 

さて、日本財団が海外向けに実施する日本映画祭が4日から13日まで開催(第二グループ:豪、カンボジア、インド、インドネシア、ニュージー、韓国、米)されてる。絶対私のためでしょう??と、こちらもなるべく見るようにしていて。

 

 

昨日は「船を編む」がストリーミングされてた。大型の日本語辞典を十数年かけて編纂する編集者たちの人間模様。日本って良いなーと改めてしみじみする情景を写してくれている。90−2000年代のまだアナログな感じも懐かしい。物質世界にベクトル全開の時代の中でも、献身という日本人の内面、精神性が美しい。

 

 

私も最初の会社は小さな英文出版社で、毎月締め切り前は徹夜の日々。今ならブラックと言われるだけかな。どこまで頑張れるかが、自分の中での大事な勝負だった。燃え尽きたけどね案の定。笑

 

 

徹夜のアナログ作業のこの感じが懐かしいー。「船を編む」の場面を思わず写メ。

 

 

皆その時代その時代の、必要悪を生き抜いた。時代は歩みを止めることはなく、必ずその先の光の道に導いてくれる。だから傷ついても顔を上げて、恥ずかしさに留まることなく、誤ちを真正面から改めて、ケロケロっと生きるだけ。

 

時代には揉まれよう。

そして色んな技を身に付けようって

前向きになれたよ。

 

 

2020年代は、すごい事になるよね。どんなに愛のない場所からでも、望む場所へ移動する自由と手段が増えたと同時に、内側の神性と繋がる方法も沢山共有されている。

 

チベット仏教の瞑想法も今年初めてオンライン配信されたし。求めさえすれば、その人に合った手法が必ず見つかる。これから先は

 

 

一人一人の黒歴史が、光の歩んだ光跡に変わる。

 

白黒の極の間で増殖してきた価値観は、極を超えて無限の多様性のノンデュアリティーへ、生きとし生けるもの全てと森羅万象の繋がが明らかに体感できるワンネスの世界に向かうのだろう。知らんけど。笑

 

 

インドだろうが日本だろうが、好き過ぎる地中海料理を選ぶ自由よ。(ただのファラフェルです)
 

 

一人一人、経験すべき事が違うのは明確だ。次に行くべき場所も違う。必要な人と出会い、必要な外界と内面の経験を経て自分だけの答えを導き出し、共有して行く。

 

内面に開き始めた人にとっては、これまで外界から教えられた正悪も社会常識も、世界基準も、通過点に過ぎない。

 

自分だけの真実へ向かうこと。

 

人間は、解脱という究極の命の目的に向けて輪廻転生を繰り返すという古代インドから教えがあるけど、真実は外の世界ではなく、自分の中にしかない。友だちの中にも親の中にも社会の中にもなくて、それは私にはちょっと寂しいけど、それで良いのだ。

 

外の殻を脱ぎ捨てて、2人といない自分のことをもっと知ろう。試練の時こそ、自分の中に輝きを見つけられる時。どんな命も愛されたくて、見てもらいたくて、光を放ちたくて生まれる。それを自分で見つけても良い時代。もう周りと違うのバレてるし、みんなね。笑。

 

ヴェーディック占星図を読み進めると、みんな違ってみんな良いことは歴然としてる。どんな犯罪者もウザい上司もスラムの乞食も修行僧も企業戦士も主婦も闘病者も、すべての命がこの宇宙に必要不可欠だから存在する。

 

人に説明しずらい面のある自分、親に認められない自分、夫に分かってもらえない自分、急に稼げなくなった自分、ジャッジされるのが怖くて黒歴史を認められない自分、etc。

 

自分の命の目的を知れば、どんな自分も光に変わる。

 

私にしか出せない色の光。

 

そんな光線が幾重にも幾重にも重なり合って、この地球は確実に輝きを増している最中なのだから。

 

逃げずに自分だけの光を持ち寄ることが出来たら、どんな外界が創り出されて見えるんだろうね。生きている間に、きっと見てみたい世界。

 

 

宮崎あおいの横顔に、美しい日本の心が見えました。インドでも頑張れそうです。
 

あなたには、自由で いてほしい。

 

夫にそう強く望んでいたのだ、私。でもね。

 

 

大らかで懐が深くて、深い事は考えない。楽観的すぎて面白いくらいだった。人並みに日本社会に適応しようとして疲れ、パワーアップを目指してインドに来た私には、あなたが異次元の扉みたいに見えて。きっとハネムーン期でね。

 

その同じ大らかさが今、私の中の色んな感情を掻き立てる。あなただけは自由でいてと、目の前で輝いてほしいと、幻覚のロマンであなたを生贄に捧げたのは、私。

 

この未熟な幻想世界に普通に生きてるだけだった。でもそこに居ては自分の真実には追いつけない。

 

最愛の人をスケープゴートに祭り上げて、私が護ってたのは(自由のない)(かわいそうな)(エゴ、私)でね。

 

彼が不自由さに苦しむ姿を見たくなくて、先回りして余計なお世話に日々神経をすり減らすことを止められない自分が、ハタとジャンキーだと思った。最愛の相手に依存して苦しめるゾンビ。笑

 

 

昔の自由恋愛みたいに戻れないのは、相手を縛ってるからだよね。自分自身もがんじがらめにして。これ以上縛れない所まで来て、体調不調にて半月以上、現実でも自由を失った。

 

インド占星術でも山場を迎えてるけど、そんな外の事より自分の中で何が生じているのか集中しないと。

 

外の現実は、今年は試練の連続だよね。今朝も夫と喧嘩して寒々しかった。喧嘩の原因は、私たち個人の未熟さと同時に、もっと大きな人類の進化のスピードアップとの摩擦な気がしてる。

 

私は私の固定概念から、夫は夫の固定概念から、それぞれ脱皮をした方が良いし、異文化同士はそんな流れ。でも今までツンデレでいた分のツケが甚大で。

 

頭で賢く分かってたのに行動しなかったり、訳のわからない直感でビビッと来た方に行かなかったツケ。

 

そして私から進んでいれば分かり合えたのに、意固地に動かずに分かり合えないで来た人たちの分のツケ。

 

大切にしながら終わりにする方法を知らず、気持ちに決着の付けられていない過去の出来事も。

 

 

色々な選択肢が混線して、どれがただの衝動なのか判断が鈍ってばかりの今年。別れる選択肢、私が日本に単身赴任する、アーシュラムに入る、デリーで就活する、貯金を崩して勉強する選択肢。

 

失敗が怖すぎて動けないのは、行き着く場所を信じてないから。

 

それでも選択肢がより多いのは夫より私の方。迷いが多いとも言う。しかし今年も末だけど、グウの音も出ない。

 

夫はインドから出る可能性など断たれ、仕事を辞めることさえ眼中にない。私の様に余計な妄想にかられず、生計を立て家族を支える事に集中してる。

 

そんな 日々を支えてあげるどころか、私は気楽に笑っていることも出来ずに、彼に幻想を押し付けていた。

 

(あなたには自由でいてほしい、私はひたすらこの時が去るのを「我慢して」待つから。)は、

 

病にうかされて噴出した厳重注意案件。

 

自由でいる努力をするべきなのは、誰でもなく私。

 

 

 

自由意志とインスピレーションを全うしなくては、与えられた課題をクリア出来ない人生になる。

 

占星術の理解を進めて分かったのは、一人一人同じ課題などない出生図(同時に同じ場所で生まれたとしても)。この宇宙には、一人一人そして森羅万象の存在が不可欠で、お互いの道を侵害してしまえばそこから恒久の利得は生まない。その場しのぎの愛は、あなたも私も活かしてはくれない。

 

そして本気になるべき物に時間を使わないと、寄り道に気を取られ先延ばした本分を今生で実現出来ない人もいる。出生図でも依存傾向のある方向へ進んでも実りはない。

 

試練の土星が強目な場合は避けられない事もあるのかも。(ただ、そういう場合は次へ持ち越すだけなので、ジャッジはご無用。)

 

私の土星は9室かに座プーシャだった。このナクシャトラは土星が支配星。人間関係での試練が長年の趣味みたいな、常識では理解しがたい傾向の一端かもしれない。でもこの共依存傾向は、乗り越えるため。

 

この年まで来れたのは希望でしかない。

 

このユニオンを壊したくないと言うよりも、目の前の相手をつぶしてまで一緒にはいられない方が先。

 

共依存傾向の人にはチャンスの時かも。だって自立したくても大きくは動けず、日本のカードはセキュリティーかかりっ放し。どうするよ?笑

 

内側から自由になるよ。

 

虹色の色眼鏡を外して行きます。

 

インド時間だとちょうどもうすぐピークかな確か。日本だと午後6時45分頃だけどヴェーダの教えでは目視しない、外に出ないのが凶運を避ける原則。

 
しかし、昨晩は眠れなかった。
 
村からひいて来た風邪、そろそろ2週間近く治らず。クシャミと鼻水が酷く、体温計では36.8度くらいだけど、体感としては熱くてダルい。
 
そして1週間ほど前からは息苦しさ、倦怠感で、料理洗濯もままならない。
 
ウチは台所もトイレも、外の廊下に出なくては行けず(其々の入口が外気に面してる)、冷気に当たるのが本当に辛い。
 
厚着してもトイレ行くだけで芯まで冷えて咳とクシャミのオンパレード。笑
 
熱が全然ないので医療機関は受診出来ないけど、ここ数日の息苦しさで何となく肺炎が怖くて、総合感冒薬に加えて抗生物質も飲み続けている。インドでは薬局で買えるのよねこれが。
 
今晩も4日連続で夕食が作れなそうで夫には申し訳ない。昼食さえも息が切れて無理かも。。
 
夫の休日だった昨日、先週末と同様、家から一歩も出ずに過ごした。夫はPUBGってゲームでオンラインの友だちと楽しそうで良かったけど。
 
私のタイミングと夫のタイミングはいつもラグがあり、夫が動き出すのは私が内心3回くらいキレて具合が悪くなる頃。笑
 
もー、押しても引いても永遠に変わらないラグなので、いっそ完全自立(バイバイ)した方が楽って思う瞬間もある。でも病気になると、そんな夫のタイミングに有り難く頼らざるを得ない。
 
アシーシ君は、私とは全然違う意味での優しさがある。汚し放題で家事も嫌いだから頼んでも最近はカバーしてくれないけど、
 
必ずマッサージしてくれて私の体調に気を使ってくれるし、夜中に布団をかけてくれたり、寒ーいトイレに付き合ってくれたり。
 
私とは役割分担の線引きが違うのね。笑
 
 
やって欲しいことはやってもらえない、
でも、
期待してなかった方は喜んでしてくれる。。。
 
期待を手放す方が平和。笑
 
最悪な体調と顔色で丸まって転がってる私に、ゲームから顔を上げてニコッと笑って大好きだと言って来るのだが、何なんだろうね。脳内お花畑なのか、演技の鬼なのか。
 
私のアセンダントの向いで起きたこの満月・部分日食が強烈だったのだろうか。このデトックスを経て、スッキリ出来る日が待ち切れないけど、今は寝てるしかない感じ。
 
12月14日の皆既日食は南米とアフリカ南西部、南極では見られるらしい。他の地域では観測出来ないけど、注意が必要なタイミング。
 
更に12月21日は木星と土星が山羊座(インド占星術サイデリアル式)で合になり、こちらも要注意なタイミング。
 
思えば蝕のシーズンと占星術的な凶日を控えてるのを知っていて、村には行きたくない、そして本能的にも遠出はしたくない私はあんなに抵抗してたんだよね。。
 
やっぱりこのあり様。笑
 
私自身、もっと占星術を信用しよう、そう強く反省するし、そしてもっと説得力のある表現が出来る様に、日々勉強しなくてはという思いを強くしたところ。
 
さ、もう本当にそろそろ月食ピーク。
 
呼吸をゆったりと持って、瞑想をします。
 
 

今日は夫のオンライン運転免許テストの日。

 

昨晩から停電で朝から水風呂を浴びてた夫。風邪を引かないと良いけど。追試も3回?50ルピー受けられるそうだし、私は優し目に見守ることが目標。笑

 

夫に免許がないと知ったのは、結婚した翌年だったか。

 

ビックリして激怒した。笑。しかし夫だけの問題ではなく、インドの田舎出身者はほぼ無免許でバイクに乗るのが通常だと把握してもモヤモヤ。免許制度はあるものの、取り締まりが無い。お金も時間もない働きづめの労働者層の優先事項ではない模様。

 

さすがに自動車は無免許じゃないだろうけど、保険をかけない人が大半だと思われる。去年車に足を挟まれた時は、大丈夫ですかの一言も聞こえず、口論の末に立ち去られた。

 

でも、弟の結婚式の前に。コロナが酷くなる前に。マヌーの結婚式の前に。

 

免許を取りに行って!と、折りに付けお願いし続けて来た。しかし実際に免許センターに足を運ぶキッカケは、本人が先月Uターン禁止箇所で警察に止められ、罰金約一万六千円を払う憂き目に逢ってから。

 

先回りして心配しても、消耗するだけ。。

 

夫にこれ以上厳しく言うのは、もう無理。

どう頑張っても、相手を動機づけられない。

 

「人は変えられない」という大原則を

忘れて夢中で頑張ってしまった。

 

本人の中にない動機は取り繕えない。

 

 

年上の私は、試練の連続を体験して、偶然など無いと信じていて、先回りの保証を求める。同じタイミングなど二度とない事や、時間が有限である事、好機を無駄にした後悔がある。

 

でも20代の頃は、そうじゃなかった。

 

先の事は何も考えずにいても、日本では法や制度や常識に守られていて、皆がする事をしていれば平均的に安全圏だっただけで。インドの田舎では、ボーッと生きてはいられない。

 

この国の常識はバラバラで格差は甚大。ノホホンと平和に生きてたら、知らない内に騙されてたり、その他大勢、圏外に堕ちるのは容易い。夫が友人たちと電話を欠かさないのも、情報が命綱だからかも。

 

私は夫に守られなければ、一瞬で挫折してこの国に居られないと思う。なのに、自分の基準に合わせて夫を変えたいという衝動が度々発動してしまう。

 

お互いの背景が違うからこそ、お互いを尊重して踏み入らず、私は自分の事に集中すべきなんだよね。

 

失敗の責任を負えるのは本人だけ。失敗しないと腑に落ちない事もある。私だって、色々と病気になって気づけた事は多い。

 

コロナ危機で帰国を諦め、なるべく夫を支える事や義実家への責任を果たす事を頑張ろうとシフトしようとしてた。でも外界への扉が閉じた分、バランスが難しかった。本分じゃない事は、やっても報われる因果じゃない。

 

他人が人生の責任を果たすご褒美を

盗み取ってはイケない。



私は、私の本分を生きなさいと、天から言われている様。



お義母さんに良い顔をしてインドの良妻ぽくなろうとしても、夫の希望を叶えるべく家事と料理を完璧にしても、どんなに相手が喜んでくれても、愛想笑いしか返せなかった。分かり切ってるけど、私の望みを叶えてないから。

 

今、私が望むことは何だろう?以前はやりたい仕事をしてた。それでも足りない物を求めてインドに来て、道半ばで結婚してしまった。愛される方へ進むのは、好き勝手に愛して自分を突き進むよりも馬力が要る。自分じゃない物を色々と引き連れることになる感覚。

 

背景の異なる人々が分かり合える世界は理想であって、現場はドロドロの賭けでしかない。

 

自分の世界に逃げ帰るのか、

 

一緒くたのドロドロを生き抜くのか。笑

 

 

一見、理に叶わない人生を生きる人のいかに多いことか。

 

 

また少し占星術を学び進めている。ようやく自分と夫以外の親戚くらいまでの図を見る段階に。しかしインド占星術は情報量が膨大で、独学5年目ではとても他人様は見れない。


急に、始めました!とお金を取る人は、お遊びだよねー?受ける方も。知れば知る程に終わりがないし、西洋占星術やヴェーダ哲学との境目もなくなって、更に長い道に導かれる。

 

決してずっと本の虫でいたい訳ではなく、人様の役に立ちたい動機が弱い訳でもなく、物事には道理があるかもしれないと身に積まされる。早く形にしたくて焦る。あの人がズルいとか思ったり。笑。でも気まぐれと勢いだけで生きて来た私は、忍耐を知るお年頃。

 

道を進むためには修練が要る。

 

ラフー、ケトゥーという2つの惑星(実際には月の昇交点)は、実に奥深い性質がある。私たちのどうしても止められない性癖や理に叶わない行動を読み解くヒントになる。


しかし「あ。私って過去生で人間関係が得意だったから、今生では真逆の自己実現を目指すべきなんだぁ」と頭で理解したところで、何も変えられないジレンマに陥る。

 

この壁を超えるにはヒーリングの様な、内面の化学変化が必要になるか、実際に経験と年齢を積むことだと感じる。忍耐。笑。

 

他者からのヒーリングは持続しないので、道を行く人はやはり、インドではヨガ・瞑想・呼吸法を続ける事がベストと言われる。


 

インド占星術では、人生の深みと多様さを垣間見る。

 

誰1人して同じ様な人生なんてない。

常識や普通に基準を置きがちな時、私たちはその人を見るこちが出来ない。そんな占星術なんて不要。

 

知識を習得しても、熟練、敬虔、献身を持って扱わなければ、悪影響しかもたらさないと感じる。人の信じる力はとてつもないものだから。

 

さて。午後2時を回っても電気が来ない。水道のポンプが作動出来ないため、水の使用を控える様に大家さんに言われている。電子機器の充電は夜まで持たないかなー。

 

今日も栄養のある菜食を丁寧に作って、瞑想、ヨガ、占星術ざんまい。望んでいた事だけど、こんな異国の制限の中でしか実現出来なかったなんて、想像もしていなかっただけに不思議。

 

アイロニーも理不尽も偽善も悪巧みも、何でもアリなのが現実。

 

世間知らずを痛感する。心の表側だけを見ていても、人間の悩みや苦しみを理解出来ない。上手くやるだけでは見えないのが人生の深み。インドで色んな事情がむき出しの人を知る事で、否応なくも広がる世界がある。

 

怖いけど、これも通過点と思えば楽しめるのかもしれない。

 

 あれ、何の話だっけ?笑


夫の失敗する権利を、私が先回りして心配して盗まない話。


親切でも何でもなく、こちらに面倒が降りかかる事が怖くて、相手の道を信じられないっていう、逃げ腰な理由なのでね、きっと。笑



ディワリの翌日、村へ行くことに。マヌーの結婚式に出る決心が着いたので。

 


ずーっと行くのを拒んで来たのは「村に行くと嫌な事が起こるから」という漠然とした大きな感覚。


でも良い事ばかりの世界なんてあるかい?と、私自身の心の内を穏やかにするため内省していた。


すべては自分次第。恐れてばかりでは前に進めない。


今年のランゴーリ。今の大変な地球に光が灯るよう、願いを込めてみた。

 


ディワリでは蠍座ヴィシャカ(私の出生のラフーと重)で新月を迎えた。火星も巡行し、重苦しくシリアスだった思い込みの肩の荷が降りた感覚。


祭事も無事にやり遂げて、一段落着いたから何とでもなるさという確信と共に、夫と2人ガラガラのローカルバスに乗り込んだ。




前日のディワリ祭での花火使用自粛を促す看板が。今年はインドも大変革の年。


夫の村、バルサーの中心街。寂し位小さな村。

夜、到着した私たちを、お義母さんと義弟のお嫁さんがディワリの郷土料理で迎えてくれた。

 


夫の幼馴染、マヌーは不思議君。英語が分かるくせにロクに話さない。シャイなのか自信がないのか。なので何を考えているのか良く分からない。だから以前彼が問題を起こした時、困ってるなら言ってくれればという後悔が残った。周囲からのプレッシャーが強く、発揮出来てない感じ。

 

たった1人の兄を思春期に亡くし、父親を亡くしたばかりのアシーシ君(夫)と学校をサボっては、湖や森で時間をつぶしたらしい。笑。夫の宿題は全部マヌーが写させてくれたそう。笑笑

 

繊細なんだよね。

 

傷を舐め合う様な友情。尾崎豊か?

 

バイク盗まなくても村では借り放題だし。笑

 

 

元々、私は曲がった事が大嫌いなのに、何故かヤンチャな男子ばかりと縁がある。シャイでピュアで不器用。そういうの、めっちゃ腹立つのに。


そう言えば、これまで付き合った人たちも、本当に色んな問題を起こしてくれた。アメリカではJail見学もさせてもらったし。


今思うと貴重な体験。笑

 


相手が悪くて自分は正しい。。。

 

。。そんな関係は、とても辛い。



何度も何度も、一度は通った心を断ち切る事を繰り返さなければならず、傷だらけでやっと大人になったのに、インドでも非行青年なんてもうウンザリ。このパターンは何なんだろう?

 

人をジャッジしたい心。


他人をコントロールしたい心。

 


そんなエセ正義感が、私の中に潜んでいると思った。もう、やめよう。相手の問題を盗んで、相手の人生を盗んで、自分の心の穴を埋めるのは窃盗罪だ。

 

 

私の問題じゃない。

 

 

潔く手放せないと、今度こそ村の深い深い闇の全てに絡め盗られてしまう。笑


相手の違いを尊重し、共存する。


初めて、そのやり方を学んでいる。


私だって私の来た道しか行けない。

 

 

「正義」だって、場所によりけりで。お箸や靴の向きを揃えるような「正しさ」は、ここの人たちにとって意味を成さない。

 


私が自分を愛する事を本当に学んだのなら

相手の望む愛を示すことも出来るだろう。

 

以前の私なら、泣きながらでも絶交して社会常識へ右ならえする事を選んだ。

 

 


乗り継ぎの町ウナに到着した途端、雷が鳴り響きターミナル全体が停電。隣接する店の看板からバチンと派手に火花が散って、旅の景気付けをしてくれた。

 

結婚式に履く靴がないのを思い出し、この店で見繕った。都会にもあるチェーン店だけど、田舎の店員さんは一生懸命接客してくれて素敵。私が冷静に見ることができれば、村にも良い所が沢山あるのに。

 

村で待っているお義母さんのこと


夏に嫁いで来た義弟のお嫁さんのこと

 

考えすぎないようにしていた。

 


コロナ禍で考える余裕もない今は、幸いなのかもと思う。

 

思いやりの気持ちは世界共通だけど、

自分のやり方を押し付けてはいけない。


その人の生き方はその人だけのもの。

 

どこの国でも、どんな人といても

どの瞬間も忘れたくないこと。



 

今月始めのカルヴァチョート祭の時のメヘンディ。
 

 

自分の弱さを知って、自分の痛みを知って、過ちを認めて、丸ごと受け入れて、

 

人の弱さを許して、人の痛みを解って、過ちを分かって、世界を受け入れて

 

苦しみも愛おしさも

分かち合って一歩ずつ

 

優しく強く笑いながら

一緒に生きるために。

 

そのために試練が来るんだよね。

 

 

どんなに寂しくて寒くても、見上げると花が笑ってる。
 

 

インドでの生活は楽じゃないと感じる。

やってみる前から障害が見え過ぎて

分かり切った悠久の結末に

私など飲み込まれてしまいそうで。

 

抵抗していないと見失いそうで

闘わないと棄権してしまいそうで

相手の心に降りて行くことを諦め

するとお互い、荒削りな鎧のまま

 

私の暮らしたインドは窮屈で苦しかった。

 

オープンマインドな旅人が恨めしい程

逃げ帰る安全な場所なんてないから、と

私が、作って来なかった結果なのに。

 

傷つかないように、奪われないようにと

目を伏せて通り過ぎる街並みを

スマホ越しに撮った写真を

素敵だと言ってくれる人たちに

釈明できない気がしている。

 

闘ってるんだよって

言いたい時もある。

 

美しいのは表面だけ。

興味深いのは

闇が深いから。

 

写真でなんか

何も伝わらないんだよって。

 

やってみないと分からないよって。

 

子供みたいに涙が出る。

 

 

カラフル過ぎて胸に刺さる天日干し。

 

 

結婚という相手との誓いも

移住という土地への誓いも

自分の心との絆を試される

 

一番近い人と心が通わない時

足元が揺らいで居場所がない時

 

私は誠実に生きられていない

心の温もりを傾けられていない

煩悩と邪心の幻想に絡め盗られて

命の神性を生きられていない

 

真綿で締められるように苦しくて

 

進退を選ぶ場所まで行くのかな。

 

 

自分を追い詰めたくなくても

問いが向こうから迫って来る

 

そんな時もあるね

 

 

安心して笑っていたい

心を開いて通っていたい

 

今の私とあなたとこの場所には

叶えることが出来ないんだろうか

 

誰かへの作り笑いも

外界の良い事探しも

取り繕った発信も

お休みさせてもらって

 

内側の神性と繋がりたい

 

温かな場所に還りたいな

 

 

夫のボスのサルダールおじさんとチャーイ。8ヶ月ぶりに知人と会えました。

 

今日は何の日なのか、大家さんもご近所も朝から家の内外を大掃除。子供たちが大声で叫びながら作業を確認するので、うるっさい。笑。お手伝い偉いけど。

 

インドは細かい行事が暦で決まっている。日本も昔はもっと暦の行事が多かったはず。満月や新月、蝕など天体イベントとやそれと重なる神話、史実に基づく行事だらけ。

 

夫の実家は生活に手一杯でメジャーな物しかしなかったとか。本音はきちんと季節の行事を教わりたかったな。

 

ナヴラトリの9日目。9日間お祀りしたドゥルガー女神の像を川に流しに向かう人々。
 

 

嫁いだら手取り足取り、サリーの着方やバジャンの歌い方、そしてインド料理をおもてなしで教えてくれるような義実家に憧れた。

 

それは、人に期待しないで自分からすれば良いっていう学びになった。いつか夫が日本を訪れる時には、日本のおもてなしを体験してもらいたいと思う。

 

 

 

今年は早めに始めた配偶者ビザ更新。でも今年、アムリトサルのFRROの職員が変わったらしく、終盤で難航中。電話をしても面倒くさそうに切られてしまってびっくり!大昔のインドに逆戻り?

 

最近では賄賂もすっかり無くなり、ビザ更新も全オンライン化して、職員の対応も良かったのに残念。今年は何事も順調に行かない感じ。

 

 

先週から夫と、来月のマヌー(夫の幼なじみ)の結婚式の件で揉めている。行きたくないから行かないっていう基本的人権はないらしい。

 

ワガママと言われて相当凹んだ。

 

それでも行きたくないのは、私なりの理由があるのに。

 

涼しくなった公園でゴロ寝。

 

 

数ヶ月前、マヌーは数日間消息不明になった。夫と友人が探しに行ったら、アパートで倒れていて、即入院。次の日には意識を回復したんだけど。

 

薬物の急性中毒だったらしい。でも事実はウヤムヤのまま。インドだし。そういう全てに私は深く絶望したんだと思う。

 

 


心がダメージを受ける出来事が多かった今年、ロックダウン中も義母の手伝いに行き、義弟の結婚式も出来る限り協力した。

 

でも相当辛かったかも。義弟の素行の悪さも納得出来ないまま。

 

一体どんな辛い事があって、みんな命を無駄にするような事をするのか、こっちが泣きたくなるわ。

 

私たちに隠れて勝手に道を外れたマヌー。結婚式なんて行ったら、ご祝儀代わりにビンタしか出ない。多分。

 

こんな悲しい状況を次々と見るためにインドに残ったのかと思うと震える。心が弱ってるからか。

 

感じないフリをして、作り笑顔でお祝いの席に出るのは無理。

 

分かってもらえなくても、

意思表示はするしかない。

 

そういうせめてもの抵抗。一瞬でも村に行くと考えただけで吐き気がするのは、身体が教えてくれているから。

 

「来月の結婚式で着る服を買おう」とまだトボケた事を言う夫。素直に祝えない私が悪者みたいになる。もう何と思われても良い。私だけは私の味方になる。

 

試練かもしれないね。

 

逃げ道を断つなんて格好良いこと、腐った私は自分の力では出来なかったから、良い機会なのか。

 

 

インドでは主に豆類を煮るための圧力鍋、スープや煮物にも大活躍です。
 

 

日本の家族に電話をした。母の楽しそうな声を聞くだけで安心した。妹の双子たちは7才のお誕生日。平和な日常を感じるだけで救われた。

 

平和で安全で整備された環境は、誰かの強い意思、夢と決意と勇気と努力によって築かれたんだよね。

 

 

独りきりだろうが寂しかろうが、ウヤムヤに流されてはいけない価値がある。

 

意地っ張りに見えても、信じてもらえなくても、都合良く扱えない事に失望されても。

 

 

 

毎日平和に楽しく過ごすために、勇気を持とう。疲れるけど。泣

 

 

本当は人と闘いたくない。

 

だから自分の心の中の怒りや失望を見つめて、癒して、平常心で意思を通せる強さが要る。それが本当の勇気なんだろう。

 

母は、強くなりなさいと言って笑ってた。

 

どんだけだよ。涙ちょちょぎれながら、ようやく笑えた。

 

人の弱さを知らない訳じゃない。どうしても許せない訳じゃない。でも、これが私の愛なんだから。仕方がないって分かってくれる日が来ると信じる。

 

不思議な国の不思議な木の向こうに陽が沈むところ。

北インドは束の間の気持ちの良い季節。カラリと晴れて風通し良く、エアコンを止めて3日目。でもほんの一瞬で、10月いっぱいだろうな。。

 

環境の不快感から解放されるのは、10月と4月だけ。環境でこんなにも自由が制限されるなんてね。ようやく正常に目の前の物が見え、音が聞こえ、呼吸が通り、作業が出来る自由。

 

 

インドの下町は今日も平和。明日からナヴラトリ祭かー。

 

 

自分の力で変えられない事は、受け入れて進むということを覚え始めた。

 

どんな制限の中でも、何をしてどんな事を思うのかは自由。。。

 

前は快適な環境が与えられていたから、そんな小さな隙間に目を向ける事もなかった。

 

皆と大体同じでいれば自分で選ぶ必要もなかったっけ。

 

 

でもこのコロナ危機で行動が制限され、はみ出さないように潰れないようにと、ちょうど良いバランスを取るまで心も体も揺れ動いた。

 

揺さぶられて鍛えられるのは自分軸。

 

外界で何が起きようと適応する力と、

揺さぶりにも折れない柔軟な軸と。

 

 

先週パスポート更新で首都デリーに向かうところ。列車が突然キャンセルし、バスで行くしかなくなった。。。
 

 

無茶ぶりなロックダウンや社会情勢に揉まれたこの半年は、同時に自分の中の不協和音を調整する時期でもあった。瞑想と共に過去の出来事が心の中で1つ1つ昇華して行った。

 

でも今朝、この上ない秋晴れの朝日に目覚めた途端、ハートに不快な波が押し寄せた。。昨日熱が出たのもイライラ寝付けなかったのも、こいつの仕業か。

 

(私。絶望しかけてたんだ。。)

 

ベットの端に座ってはっきりとそう感じていた。認めたくなかったし直視したくなかった事。何ならこの恐れから目を逸らすために色々やって来たように思う。

 

ニュースなんてめっちゃ怖かったし。

日本とは何だか温度差があるし。

インド人の言うことは信憑性ないし。笑

 

ここ1ヶ月ほど湧き上がって来ていたモヤモヤの正体。だから日本の家族ともインドの家族とも話したくない気分だったんだ。。家族の声を聞いたら泣いてしまいそうで。

 

 

昨日も夫の些細な言動がどうしても許せなくて、何なんだろうって。きっとこれを認めなさいってことだろう。

 

そのままを認めなさいって。

 

自分を嫌いそうになったこと

現状を呪いそうになったこと

自分のせいにしかけてたこと

 

 

直通バスはなく、何度も乗り継いで辿り着いたホテルのバルコニーから。

 

 

自分に負けそうで怖かった。自分との約束がダメになりそうで。そんな不安の中で気丈にしてるしかなくて、どこにも確かな答えはなくて。

 

 

自分で自分を保つしかないなんて

なんて心細いんだろうってね。

 

 

でも

これが「自由」なんだよね。

 

 

 

誰の答えも鵜呑みにせずに、自分で選んだ道を信じてやりなよって、モヤモヤ絶望感が教えに来てくれた。

 

誰よりももっと

自分を信じてあげなさいって。

 

人を当てにせず上手くやりなさいってさ。笑

 

 

朝。自粛でほぼ貸切りのフマユーン廟を散策。広々として気持ちが良い。
 

 

外界の不安な情報に過剰に自分を縛っても、私は私を幸せにしてあげることが出来ない。

 

衣食住の他に、心身の健康も必要な手続きも満たしてあげなければならない。そして日々の喜びも、将来への希望も。

 

周囲のことにアタフタして消耗していたら、勿体ない!

 

自分で満たしてあげられない気持ちを、夫への不満として矛先を向けても何も解消しないし。笑

 

 

すべては自分に由る

 

だから自由。

 

 

自分がどんな気分でいたいのか、どんな事をしたいのか、もっともっと信じてよく聞いてあげて、

 

それを愛情を持って1つずつ実現したらちゃんと感謝して満足して、お疲れー!ってよく食べて寝ればいい。笑

 

 

ずっと行きたかったアノーキにもタイミング良く寄ることが出来た✨

 

 

 

世の中がどうとか、夫がどうとか言っている間に貴重な一日を無駄にしてしまわないように。

 

ご近所さんが、インドの親戚が私をどう思うかよりも、私が彼らをどう思いたいかの方が大事。

 

せっかくなら

良く思いたいのよ。笑

 

 

だって私の自由は

 

私にしか実現できない。

 

 

 

この時期にデリーなんて、夫がいなかったら絶対無理でした。毎日ゲームに熱中するのも大目に見なくては。笑

 

 

 

 

 

 

 

Googleミニのスピーカーが Youtubeプレミアムと提携したとかで、急にランダムな洋楽やJポップが流れる様になった我が家。メタリカやパミュパミュやトランスや、勝手に流れるけど新鮮。ボリウッド音楽のリストだけだと飽きるのよ!笑。脳に新しい風。どんなジャンルも良い曲は好きだなー。

 

前回は誰かを幸せにしたいと書いたけど、今はちょっと小休止な気分。

 

青空市場が閉鎖になって久しく困っていたら、夫の新同僚が養蜂農家でライチのハチミツを分けてくれた!🐝✨

 

 

今年は11月のディワリ祭に続くお祭りシーズンもそろそろやって来る。抜けるような青い空が広がり湿度が下がったけど気圧が低く?呼吸しにくい。日差しは厳しい季節。コロナもインドは新規患者数、死亡者数世界一じゃない?ピークは過ぎても油断ならず。

 

 

夏に帰国したら更新するつもりだったパスポート。帰国出来なかったので初のインドでの更新となる。3月まで有効だけど、来月インドビザの切り替えだから今やらないと。。けどね、コロナ旋風のデリーに行くのが怖い。

 

9月の時点でインドが死亡数で世界一。。。

 

 

確実にプチうつレベルな心境の現在。瞑想クラスが終わったら何して良いのか分からず、毛嫌いしていたはずのインドの連続テレビドラマで気を紛らわせる日々。

 

しかし酷すぎるストーリーで笑。そして視聴者を中毒にする意図しかない展開。でも何もしないで気が狂うより良いわ。

 

「Kulfi Kumarr Bajewala」。展開は辛いけど主演の女の子が天才すぎ。お父さん役のロックスター演技がハマりすぎ。衣装もかわいい😍
 

 

今、世界中コロナで旅行出来ないのは大変なのは分かるけど、生きる希望を失わない様にアップしてるインスタに謎のDMが来はじめて参ってた。

 

インドはいいな、早く行きたいな、とか。デリーでブランドバッグ買って来てとか。SNSで出会ったインド人彼氏に会いたいとか。

 

正直、失礼にならない程度にお返事するのが精一杯。本当にそれどころじゃないよこっちは。医療の整った日本とは全く違う状況だとは全く想像出来ないんだろうなぁ。。

 

楽しげな写真はアップし続けますけどね。それしか出来ない。でも毎日震える夜を越えて朝が来るよ。

 

 

ヤギ追いのピンクレンジャーの写真も🐐✨
 

 

インドに残った日本人の方たちもやはり大変なのか、週1の外出で撮った写真を載せると心配してくれる。でも全く外出しないのは無理よ。

 

コロナ危機で何が辛いって、人とのコミュニケーションが普通に取れなくなったことかなー。お互いが一杯一杯で。それぞれの状況にギャップが広がるばかり。ご近所さんとも挨拶するのが精一杯な空気。秋晴れが虚しいくらいだけど、それでも思いやりだけは忘れないでいたい。

 

 

先月の誕生日は近場で1泊出来てお猿さんにも会えて最高だった😂
 

 

日本大使館に更新の問い合わせをした時、ついでにもしもコロナに疾患した時にどうしたら良いか聞いてみた。

 

「その場合は速やかに大使館にご連絡下さい。出来る限りの事はします。」とのことでした。何がどう出来るのかはそうなってみないと分からないとのこと。

 

私は少なくとも信頼出来る私立病院に転院させてほしいとお願いしようと思うけど、保証はないね。チャンディガール市内の国立病院はセクター16、22、32、PGIと通ったけど、どこも衛生的じゃない。でも「その時は連絡して下さい」と言ってもらっただけでホッとしたのでした。

 

 

久々のフレッシュジュース(モサンミ・ザクロ・パイナップルMix)で免疫強化したい。

 

 

先月農業に関する新法案が可決してから、特にここパンジャーブ州で農家の人たちによるのデモが起き、隣町でハイウェイが封鎖されたため市内で渋滞が起き、今月始め夫が職場から森林保護区を迂回して帰宅した事があった。ただでさえインドはデモや暴動、政府の有無を言わさぬ封じ込めで平和が保留になる国。

 

以前にも増して、パンデミック後半戦は厳しい気がしてる。

 

だからSNSでは理想的な事を書いたり、良い写真しか載せなかったり、夢や希望にフォーカスしたり、それはとっても大切で続けたいけど、

 

今世界中で故郷に帰ることが出来ない人たちがいて、異国の地で安らげずにいる事も忘れないでいたい。

 

 
山の避暑地は閑散と言うか、のんびりしていて安らげた。

 

 

青春期にすごく共感した思い入れのある、母国の有名人の訃報には打ちひしがれるばかりだった。。何とも言えないけど、寂しすぎて泣。でも私に出来るのは、魂は永遠に輪廻転生するということ、すべての事には意味があり、どんな物事も菩提心を持って光に変えることが出来ることの練習をするしかない。

 

目に見えるのはほんの一部分。コロナ禍でオンラインでのやり取りが増えた分、見せない・見えない部分も増えたんじゃないかな。こんな時だからこそ心ない言動は気をつけたいと思うのに。

 

ギャップを感じるコメントにはツンケン返事してしまったり、用事の電話なのに涙で言葉に詰まったり、今の私はこんな有りさまだけど、きっと生きるための知恵なんだと思って、そうする命を許して日々最善を生きます。

 

 

 

もっと良い事書きたかったのに無理っぽい。笑

 

無事にパスポートを更新を終えて、この先の長期戦に備えようと思う。

 

 

力強い月と火星に心乱されることなく、そのパワーを享受したいと願う。

 

 

 

簡単そうで、難しい。
難しくしているのは、私なんだけど。
 
 
誰かを幸せに出来るだなんて、
忙しい日々の中では
思ってもみなかったこと。
 
他にすることもなくなって。笑
 

バースデープレゼントはずっと欲しかったハンドメイドのマグカップ。
 
 
先日、4☆才の誕生日を迎えることが出来ました。想像を越える年齢域へ。笑
 
夢なんじゃないかな?(色んな意味で)
 
この10年は、早かったー。
 
大震災が来て、旅に出て、父が亡くなり、インドに来て。
 
一瞬のような
大移動のような。
 
カソーリにある英国統治時代のキリスト教会にて。ジーザス大好き。
 
 
目に見えるものは永遠じゃないと、
目に見えないものに導かれ始めて。
 
諦めずに問い続ければ、どこかで答えは待っていてくれるのだと思う。
 
要らないものは全部捨てて
欲しいものだけでいいと思ったけど、
 
胸が痛くなるほどに欲しいものは
結局は手に入らなかったっけ。
 
一筋縄では行かないのは
学びを残しているから。
 
 
必要なものは全てここにある。
今ある幸せが見えているかい?
今のあなたのままで大丈夫。
一人で抱えなくて大丈夫。
 
もう自分のことばかり
考えなくてもいいんだよ。
 
 
インドの訳の分からないカオスが
悲しみを紛らわせてくれていた。
 
悲しみや苦しみを噛み砕いて得たものが
ずっと探していた答えだと気づいた。
 
 
誕生日は自家用車にて、山の英国統治時代の別荘地へ。
 
 
4☆才は、もっともっと自由でいたい。
 
心の檻に閉じ込めていた猛獣たちは
分かってあげたら素直になった。
 
悲しみも後悔も怒りも憎しみも
分かってほしくて、
全地球人の心に宿る。
 
空で海で大地で
つながっている私たちが
孤独なわけがないじゃないかと、
 
苦しみが教えてくれるんだよね。
 
 
私が自由になることは
この世界を1ミリずつ
自由にすることと同じなんだと。
 
 
涼しい別荘地では猿が気持ち良さそうに歩いてる。
 
 
「人のために生きなさい。」
 
初めてインドの仏教圏を旅した時、
リンポシェと呼ばれるお寺で
本堂の天井から降ってきた声。
 
仕事をやめて
日本を離れて
 
自分のために生きるなんて
もう出来ないよと思ってたから、
その声に安堵してボロボロ泣いた。
 
あの時後ろで心配してくれた旅人が
私の人生のパートナーになった。
 
 
インドの植物の自由さは見ていて飽きないのです
 
 
私、私、私、、、。
 
自分病がやめられない私を、
インドの荒療治が癒やしてくれた。笑
 
日常生活さえ困難なのに
相次ぐ入院手術
分かり合えないインドのやり方。
 
 
君の幸せが僕の幸せ。
 
夫がそう言ってくれるのは嬉しいけど
プライバシーも所有物も時間も
分かち合いの中で消えて行く。
 
どんなに尽くしてくれたって、
 
消費し合って消えて行くだけで
確かなものは何も残らないじゃない。
 
自分のことは全部諦めて
カレー作って掃除して、
ガンジス川に消えればいいの?
 
私の自分病が
最期のひと暴れをしていた。
 
 
いつもありがとう。
 
自分のために
勝ち取ったり、知らずと奪ったり
それなのに持て余すような
麻痺したエゴの幸せは
もうたくさんで。
 
そんな負の循環からは
逃げ出したかったのかもしれない。
 
 
でも他にやり方を知らないから、
瞑想すると
たまに怒っている自分が見える。笑
 
 
何も築けず残せなかったとしても
いいんじゃないだろうか。
 
目の前の一人を笑顔にできたら
幸せじゃないだろうか。