終わりのない旅 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

最近ひっかかって来る感覚について。

 

私たちが普段「現実」と呼ぶ物質世界には、一見、制限がある様に見える。

 

形あるもの全て壊れる。諸行無常。終わりのない旅はない。のは、3次元の話。

 

しかし私たち人間の意識は、決して3次元に留まらない。過去のある時点で芽生えた意志によって現在の状況が「叶え」られたり、予知夢やデジャヴを見る人も多く、意識の変容によって過去の「事実」の認識の変化が起こる事もある。

 

絶対的な3次元や肉体に限定されることのない私たちの意識は、多次元的に存在する。

 

時で言えば、始まりも終わりもない継続。

 

場で言えば、全てが繋がり合っている。

 

仏教で言う「空」の世界であり、ノンデュアリティー、ワンネスと表現されるような次元があるということ。

 

 

「何事にも、始まりも終わりもないんだ。。。」って思ったら、

 

その可能性は、私の心が穏やかさを見出すための希望の様な気がした。私たちは3次元的な事象の中で、それらの繋がりの全貌を把握する能力がない。だからこそ、1つ終わって1つ壊れて、また1つ叶わぬ夢に一喜一憂、七転八倒する。

 

でも、私たちの意識に終わりがないのだとしたら。

 

だからこそ何度でも立ち上がり、新たな希望を見つけ、信じる道を行き、他の意識との出会いを果たし、望む世界を共同で創り出して行く。

 

そして終わった様に見える事にも、人知れず続く出会いと物語があると信じることが出来る。

 

この悠久の流れは、3次元的な視野で測ることも留めることも出来ない。時間は流れ行き、人が歩みを止めない様に、必ず巡り巡って繋がり合っている。

 

あの時の失言。失敗。罪。挫折。

 

その出来事の良し悪しを決め付けていた、小さな私の自我などお構いなしで、その未来は留まることのない更なる可能性へと進んで行く。

 

 

留まらなくても、良いのだ。

 

ロマンチックなドラマに浸っていても悪くはないけど。

 

 

失敗した私。失った物。あなた。私。

 

大空に手放して良いのだ。

 

大いなる幸せを願って。

 

 

まるで1つ1つの物事に白黒を付けて、その勝手な足枷にずっと囚われる事が、「責任」を取ることなんだと勘違いしていたんだよね。

世界を全部知っているかの様に。

 

あなたとの出会いを「失敗」に分類して

その檻の中から出してあげないことが。

 

でも唯一閉じ込めることが出来るのは、自分自身の意識だけ。

 

(この広大な世界のことなど分かっちゃいないし、だから1つだって責任など取れやしない。)

 

全ては平等に動き出していて、重なり合って進んで行き、誰もがその先の場所へと旅する自由が与えられている。自分を閉じ込めて来た檻を、1つ1つ開ける事が出来たなら。

 

 

世界がどんなに便利になっても

自分を縛る呪縛を選び続けていたら

命の旅は絶たれてしまうから。

 

 

全ての出来事は起こるべくして起こり、

全ての出会いは出会うべくして出会い、

その結末が、この目にどう見えようと、

 

本当は

永遠に

終わりなんてないことを、

 

 

ただ祝福して、手放して、羽ばたけますように。

 

 

 

この世界を定義するかの様に

自分の行動の結果を

全部今生で片付けられるワケがない。

 

この3次元の身体では無理。

 

因果の法則、自分の行動のカルマからは

エゴの観点からは勝手に卒業も絶縁も

出来ないようになっていて。

 

 

でも、

 

何事にも終わりがないと知って

自分の命を解き放つ事が出来たら、

 

ようやく息が出来そうな気がして

やっと歩き出せそうな気がした。