今日は夫のオンライン運転免許テストの日。
昨晩から停電で朝から水風呂を浴びてた夫。風邪を引かないと良いけど。追試も3回?50ルピー受けられるそうだし、私は優し目に見守ることが目標。笑
夫に免許がないと知ったのは、結婚した翌年だったか。
ビックリして激怒した。笑。しかし夫だけの問題ではなく、インドの田舎出身者はほぼ無免許でバイクに乗るのが通常だと把握してもモヤモヤ。免許制度はあるものの、取り締まりが無い。お金も時間もない働きづめの労働者層の優先事項ではない模様。
さすがに自動車は無免許じゃないだろうけど、保険をかけない人が大半だと思われる。去年車に足を挟まれた時は、大丈夫ですかの一言も聞こえず、口論の末に立ち去られた。
でも、弟の結婚式の前に。コロナが酷くなる前に。マヌーの結婚式の前に。
免許を取りに行って!と、折りに付けお願いし続けて来た。しかし実際に免許センターに足を運ぶキッカケは、本人が先月Uターン禁止箇所で警察に止められ、罰金約一万六千円を払う憂き目に逢ってから。
先回りして心配しても、消耗するだけ。。
夫にこれ以上厳しく言うのは、もう無理。
どう頑張っても、相手を動機づけられない。
「人は変えられない」という大原則を
忘れて夢中で頑張ってしまった。
本人の中にない動機は取り繕えない。
年上の私は、試練の連続を体験して、偶然など無いと信じていて、先回りの保証を求める。同じタイミングなど二度とない事や、時間が有限である事、好機を無駄にした後悔がある。
でも20代の頃は、そうじゃなかった。
先の事は何も考えずにいても、日本では法や制度や常識に守られていて、皆がする事をしていれば平均的に安全圏だっただけで。インドの田舎では、ボーッと生きてはいられない。
この国の常識はバラバラで格差は甚大。ノホホンと平和に生きてたら、知らない内に騙されてたり、その他大勢、圏外に堕ちるのは容易い。夫が友人たちと電話を欠かさないのも、情報が命綱だからかも。
私は夫に守られなければ、一瞬で挫折してこの国に居られないと思う。なのに、自分の基準に合わせて夫を変えたいという衝動が度々発動してしまう。
お互いの背景が違うからこそ、お互いを尊重して踏み入らず、私は自分の事に集中すべきなんだよね。
失敗の責任を負えるのは本人だけ。失敗しないと腑に落ちない事もある。私だって、色々と病気になって気づけた事は多い。
コロナ危機で帰国を諦め、なるべく夫を支える事や義実家への責任を果たす事を頑張ろうとシフトしようとしてた。でも外界への扉が閉じた分、バランスが難しかった。本分じゃない事は、やっても報われる因果じゃない。
他人が人生の責任を果たすご褒美を
盗み取ってはイケない。
私は、私の本分を生きなさいと、天から言われている様。
お義母さんに良い顔をしてインドの良妻ぽくなろうとしても、夫の希望を叶えるべく家事と料理を完璧にしても、どんなに相手が喜んでくれても、愛想笑いしか返せなかった。分かり切ってるけど、私の望みを叶えてないから。
今、私が望むことは何だろう?以前はやりたい仕事をしてた。それでも足りない物を求めてインドに来て、道半ばで結婚してしまった。愛される方へ進むのは、好き勝手に愛して自分を突き進むよりも馬力が要る。自分じゃない物を色々と引き連れることになる感覚。
背景の異なる人々が分かり合える世界は理想であって、現場はドロドロの賭けでしかない。
自分の世界に逃げ帰るのか、
一緒くたのドロドロを生き抜くのか。笑
一見、理に叶わない人生を生きる人のいかに多いことか。
また少し占星術を学び進めている。ようやく自分と夫以外の親戚くらいまでの図を見る段階に。しかしインド占星術は情報量が膨大で、独学5年目ではとても他人様は見れない。
急に、始めました!とお金を取る人は、お遊びだよねー?受ける方も。知れば知る程に終わりがないし、西洋占星術やヴェーダ哲学との境目もなくなって、更に長い道に導かれる。
決してずっと本の虫でいたい訳ではなく、人様の役に立ちたい動機が弱い訳でもなく、物事には道理があるかもしれないと身に積まされる。早く形にしたくて焦る。あの人がズルいとか思ったり。笑。でも気まぐれと勢いだけで生きて来た私は、忍耐を知るお年頃。
道を進むためには修練が要る。
ラフー、ケトゥーという2つの惑星(実際には月の昇交点)は、実に奥深い性質がある。私たちのどうしても止められない性癖や理に叶わない行動を読み解くヒントになる。
しかし「あ。私って過去生で人間関係が得意だったから、今生では真逆の自己実現を目指すべきなんだぁ」と頭で理解したところで、何も変えられないジレンマに陥る。
この壁を超えるにはヒーリングの様な、内面の化学変化が必要になるか、実際に経験と年齢を積むことだと感じる。忍耐。笑。
他者からのヒーリングは持続しないので、道を行く人はやはり、インドではヨガ・瞑想・呼吸法を続ける事がベストと言われる。
インド占星術では、人生の深みと多様さを垣間見る。
誰1人して同じ様な人生なんてない。
常識や普通に基準を置きがちな時、私たちはその人を見るこちが出来ない。そんな占星術なんて不要。
知識を習得しても、熟練、敬虔、献身を持って扱わなければ、悪影響しかもたらさないと感じる。人の信じる力はとてつもないものだから。
さて。午後2時を回っても電気が来ない。水道のポンプが作動出来ないため、水の使用を控える様に大家さんに言われている。電子機器の充電は夜まで持たないかなー。
今日も栄養のある菜食を丁寧に作って、瞑想、ヨガ、占星術ざんまい。望んでいた事だけど、こんな異国の制限の中でしか実現出来なかったなんて、想像もしていなかっただけに不思議。
アイロニーも理不尽も偽善も悪巧みも、何でもアリなのが現実。
世間知らずを痛感する。心の表側だけを見ていても、人間の悩みや苦しみを理解出来ない。上手くやるだけでは見えないのが人生の深み。インドで色んな事情がむき出しの人を知る事で、否応なくも広がる世界がある。
怖いけど、これも通過点と思えば楽しめるのかもしれない。
あれ、何の話だっけ?笑
夫の失敗する権利を、私が先回りして心配して盗まない話。
親切でも何でもなく、こちらに面倒が降りかかる事が怖くて、相手の道を信じられないっていう、逃げ腰な理由なのでね、きっと。笑