この世界の本質とつながる | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

正直なところ、ヨガよりもずっと無理なく夢中になっているチベット仏教のコース。もちろんヨガや色んな経験のおかげ。さまざまな要素と呼応して、今、化学反応が止まらない感じ。笑

 

今日からまた新たに10日間のコースがスタートする。と、その前に一呼吸。めっちゃ大事な事を書いておきたくて。

 

 

 

仏教って、こんな事まで言ってたの!?と、

 

耳を疑うほど先進的で毎日ドキドキわくわく。二千五百年前のお釈迦様とその後多くのお弟子さんたちの実践に基づく経験が、最先端の科学で証明される根拠となり、「この世界の本質」を紐解いて行く。

 

 

私たち現代人の多くは、

 

本質から断絶していた。。

 

 

そうなんだなーって、私自身が感じること。何を頑張って何を得てもなお、「もっと活き活きと生きたい」「もっと幸せになりたい」と、欲求が果てしないのは、「この世界の本質」とつながることを知らなかったからではないかって。。

 

 

雨上がりの自然にパワーをもらいます。

 

 

先週のクラスでは初めて先生に質問することが出来た。前の人たちの質問で、自分たちの用意した質問がどんどん回答されてクリアされるというシンクロが多発。笑

 

あらかたクリアされた中、私の中で最後に残った質問は、正直ちょっと開示しずらかった個人的な事。その人その人、個々の問題によって回答が異なることはなく、明快な一貫性が仏教の良さでもある。

 

クラスが終わった後。

 

私がずーっと

「問題」だと思っていたことが

昇華して

「目的」に変わった。

 

 

ネガティブが

 

ポジティブに

 

入れ替わった。笑

 

 

ほぼ丸25年もの間、さまよい悩んでいたこと。

 

えぇえ?となる。笑

 

そういう時が来てたのか?

 

(それとも最初から仏教を知っていたら良かったのか、25年も悩む必要はなかったのか、その間経験したことに意味はあるのか、は、知らない。笑)

 

 

 

事件事故、愛着関係での虐待や相互依存、大きな挫折などで、その後長く心的トラウマを形成し、さらに上塗りの経験を重ねて行き詰まるパターンというのがあるけれど、

 

 

「この世界の本質を知る」

そのことで、

抜け出せる希望が出てくる。

 

(あくまで私見です)

 

 

ドクターやセラピー、カウンセラー、時にお薬にも助けてもらったし、アーサナ中心のヨガもヨガ哲学の講義も、大学のキリスト教学も西洋史も東洋史も、世界の聖地に旅することも、色んな国や価値観の人と出会うのも、心理学を掘り下げるのも、自己啓発もスピ系も、インドでプージャや巫女さんセッションに参加したのも、何って、

 

 

「この世界の本質を知る」

「この世界の本質とつながる」

「この世界の本質として生きる」

 

一連の流れだったのかと。

 

単にそういうの、好きなだけだったかも!笑

 

 

この世で苦しみを経験するのは

 

それを経験し尽くすためだし、

 

それを通して「本質」と

 

1つ1つ出会うため。

 

 

モンスーンも終わりかけ、全てを内包するような景色に。

 

 

これからも困難はあるかもしれない。

 

でも、

 

「おそれなくていい」。

 

 

それが感じられたことで、40肩も繊維筋痛症も、何なのか分かった気がする。怖がってたんだって。笑

 

 

 

「ネガティブ」と

忌み嫌われる風潮さえある物事を、

 

避けようと無理しなくていい、裏道通って?遠回りしなくていい、辛さを感じてもいい、痛みを感じても大丈夫、誤魔化さなくてもいい、他の物で代用しなくてもいい、最後まで寄り添っているだけでいい、

 

だってそこで終わりではないから。

 

そこ(底)を通り抜けることでしか

 

開かれない本質があった。

 

 

今生だって、旅の途中。前に開かれなかった扉を、1つ1つ開けて楽しんでまた次に行く。笑

 

 

どうしてこんなに苦しいんだろう?これからそう思う時も、きっと私は絶望だけはしないんじゃないかな?光の筋を引き継ぐのだと思う。

 

教えや宗教など関係なく、自然と引き継いている人も多い。

 

そういう区切りのない光。

 

誰もがつながっているけれど、それを使うか、使わないか。

 

(使ったらどうなるのか?はまだ謎。笑)

 

 

私が「チベット仏教」とつながれたのは、現在ダライ・ラマ法王をはじめ、様々な国や文化や宗教の境を越えて多くの先生たちが、純粋に「叡智」を保存し広めようと精力的に活動されているから。チベット語のままだったら分からなかった。それって、

 

覚悟と献身

 

なのだと思う。そこまでして、この世界に愛を残して下さる先人たちがいる。

 

 

日本で仏教徒として一般的に檀家でいても、葬祭の時に説法を聞く機会はあるけど、自分で資料を探す必要はある。分かりやすく話してくれるYouTuberのお坊さんもいる。(漢語や古語からのワンクッションが難しい私。。笑)

 

 

 

 

 

 

さて余談。最近なんとなく。。。

 

(○極化)と言われて意味がしっくり来なくて。笑

 

特に「○○までに△△しないと」っていう言い方には、「恐れ」?のニュアンスを感じてしまい、受け付けなかった。自分の中に恐れを貯めていたからね。どちらかと言うと、

 

△△しなくても○○します。

 

と、何も無理する必要のない時代の変化が来てる。それだけの気がする。そもそも、恐れる必要がないことが確信に変わる時。(ま、同じことなのだろうけど。)

 

(字面から、2つに別れること?と思うけど、それも全然ちがっていて。笑)

 

占星術では水瓶座の時代に入り、ヨガ哲学ではカリユガ期と呼ばれる周期の総仕上げをしていて、マヤ歴とかでも何かあるのかな?だけど、昔から伝わる時代の節目。

 

何かを恐れることのない時代へ向けて、

 

各方面の動きが活発化していて

 

私たちは常にシンクロしていて

 

より意識的に行くということ。

 

 

何も恐れることなんてなかったんだー!

 

と、さまざまなコワイ幻想から目が覚めて、この世界の本質とつながれる時代なんじゃないかな。そう感じています。

 

 

大丈夫!

 

 

夫の背中が、さらに楽しそうに見えてくる。それだけでも瞑想効果?