瞑想と夢とリアルの変容 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨日は意を決して、瞑想クラスに参加。笑

 

先生もネット回線も絶好調で、ようやくスッと話しに入り込め、腑に落ちる場面も多くなった。

 

やっぱり何らかのシンクロって

実際に作動してると思う。

 

先週は回線切れまくり、

先生あせりまくり、

生徒呆れまくりだったけど

コースの仕上げに向け

一気に挽回してます。

 

良い時もあれば悪い時もある。

 

大きな視点で受け入れたい。

 

受け入れれば、良いも悪いもないの。

 

 

夫くんの背中✨

 

 

昨晩の夢は面白かった。かつてみたいに、一人バックパッカーの様に身軽に旅をしていた。初めて見る景色、初めて出会う人たち、おいしいもの、楽しい宴。

 

島に渡るフェリーでは、何故かスリランカで出会ったNちゃんと一緒だった。そう言えばうちの妹もいたような。

 

2人と別行動になり、ふと気になった丘の上のレストランに向かったら、広い庭では賑やかなパーティーの最中。片隅の椅子に腰掛けてメニューを選んでいると、声をかけてくれたのは何とかつての同僚Kさん。

 

その昔、結婚式場&レストラン&カフェで働いていた時のマネージャーさん。雰囲気全然変わってて、活気があってニコニコしながら「おーー、元気?」って。それからS君も現れ、忙しい最中なのに再会を喜んでくれた。

 

和やかでキラキラしたパーティーの雰囲気を楽しみながら食事して、お代を払って帰ろうとしたら、S君が何かを持って追いかけて来た。2つも袋に入った料理と何故か会社の特製ドレッシング。元気で頑張ってって。笑

 

休憩で喫煙コーナーに佇むKさんも笑顔で見送ってくれた。

 

その後は何故かめっちゃ急勾配の坂を自転車で?下るため、もらって元気で気合いを入れて、よっしゃ行くかとブレーキを握った。怖くてなかなか離せないブレーキ。。そこで目が覚めた。

 

 

旅をするなら、また訪れたいのはスリランカ✨
 

 

面白かったー。嬉しかった。

自由で、楽しくて、冒険がいっぱい。

私は応援されてるんだなって

心強くて胸が温かくなった。

 

内容は、全くの夢物語なのだけど。

でも、

今の気持ちは実際に温かい。

 

 

 

働いていた頃はKさんもS君も余裕ない感じで、お客さまの前での愛想笑い以外、笑った所は見た事がなかった。

 

Kさんは離婚係争中の仕事中毒な感じ、S君は仕事が続かない上、問題児っぽかった。丘の上で行われる豪華でキラキラした和やかな宴は、色んな人生の上に築かれる究極の幻想のようだったなー。

 

私と言えば、父の病状が思わしくなく、煮詰まっていた仕事を辞めて実家に帰ったところ。つなぎのバイトと思ってたから、周りを冷めた目で見てたかも。。斜めに見てたヤな奴だったかも。笑

 

けど。

 

今日の気持ちは、温かい。

やっと、

KさんとS君の幸せそうな笑顔が見れた。

 

 

バーでグラスを磨いてた頃の写真🍸✨

 

 

昨日の瞑想クラスのテーマは

「怒り」について、そして

「思いやり」について。

 

チベット仏教の瞑想法もいくつか手法があり、そのうち特徴的なのは、マインドフルネスに基づくガイド瞑想。

 

ガイドの示す方向性が慈愛に満ちている。

 

単なる観察や分析ではない。生きとし生けるものに奉仕するという、先生の深い哲学と強い覚悟が伝わって来るのだと思う。

 

心の奥底の塊に光を示し、

優しく溶かし出すような

決定的なパワーに満ちている。

 

瞑想の中で変容が起きるのが分かる。

 

過去の嫌だった出来事、過去から和解できないままでいる関係、途中で諦め、蓋をしながら過ごさざるを得ないと思っていた日常が、深い場所へのアクセスを取り戻すことで生気が流れ始める感じ。

 

生身の人間から伝わるエネルギー。

 

知識を得たり、経験を経たり、それと平行して

人から直接伝わる物の得がたい何か。

 

インドに来てヨガを学んで

「ヨガは必ず師から学ぶもの」と聞いて、

 

ふぅーんそうなんだ。何で?

 

とずっと謎だったんだけど。

 

直接伝わるエネルギーって、やっぱりある。

 

ネットの回線を通してでさえ、

ライブでアップロードされる

シンクロする波のようなもの。

 

 

怒りについての瞑想をしていて昨日は

義理の弟のことが思い浮かんだし、

義理の兄のこともより理解したような。

 

その後は、実の妹のことを思っていた。

 

昨日のブログでは、

「変わらなくていい」

という思いが出てきた。

 

ただ寄り添ってほしいと。

 

 

認められたい、信じてほしい。

怒りや悲しみの底には強い欲求があった。

 

心配してくれる人を拒絶してしまうのは、

私が私を丸ごと認めてあげられていないから。

 

必死なんだなぁと、気づいたような。

 

インドでコロナで帰れないとか、

心配されて当然かなぁ、、でも。

 

 

それでも私は、大丈夫だと思ってる。

 

説明できないけど、私は大丈夫。

 

この先何があろうと

ここに居ると選んだこと、

後悔することのないよう生きている。

 

心配や不安は尽きないけれど。

あえて、

 

信じてほしい。

信じていたい。

 

何があっても

何とかなる。笑

 

私がここにいることには、意味がある。

何があっても、必ず意味がある。

(自分でもその意味がまだ分からなくても笑)

 

それを認めてあげるのは

まずは、私だった。

 

夫も

揺れているようで、

 

まぁね。

 

私さえ分かっていれば、

それで良いことにする。

 

 

ヨガも出来たし、良い日だったな。

 

9年前のバイトの思い出のペン。何と今日、インク切れ。思い出と和解して手放す時。