幼馴染が集まるちょっとした会合としときましょう。そしてその市会議員をげんちゃんとしときましょう。

 
げんちゃんは市会議員だから当然公職選挙法の定めにより年賀状出すことができません。
 
正確には,
直筆で親しい人に返事を書くことはかまわないのですが印刷して一斉に有権者に大量に配ることはできません。 
 
■ 公職選挙法の条文
●(あいさつ状の禁止)第147条の2
 「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域)内にある者に対し、答礼のための自筆によるものを除き、年賀状、寒中見舞状、暑中見舞状その他これらに類するあいさつ状(電報その他これに類するものを含む。)を出してはならない。」■
 
 
ところが新年会で、ある女の子。と言ってもおばさんですけれど、『げんちゃんなんで年賀状出さんのだ。そんなことで市会議員が務まるのか?』
 
『そもそも挨拶をすることは常識であり』などと言ってみんなの前で説教し始めました。
 
げんちゃんは信心深いことで知られる方で、それをバックに当選しているのです。げんちゃんはとても頭の良い方です。正確に言うとカルト宗教の選対本部が非常に人心掌握に長けているのです。
 
市会議員としてのホームページには富士山をバックに写真が載っています。そして富士のような政治家を目指すと書いています富士山とは書いていないのです。色心不二(ふに)とか言ってそのカルト宗教のテーマで関連する団体には富士という言葉がいっぱい付いています。
 
真に上手なステマですね。要するにその宗教団体のために政治をするということです。
 
げんちゃんはヘラヘラしながら『すいませんすーーいません忙しくてな。今度カラオケでもなんでも歌うから許してな』と言っておちゃらけていました。
 
その女の子は市会議員に説教をすることによって天にも昇る満足感を得たでしょう。自分は市会議員に説教ができる立場なのだと社会的地位が上がったようにも勘違いしてるのでしょう。 そばで聞いてお前が一番馬鹿にされているんだと思いました。
 
その後,二次会へと向かい、げんちゃんと二人きりでタクシーに乗った時の事です。
 
「君は公職選挙法の規定により年賀状は出せないだろう」言いました。
 
それまでヘラヘラしていたのが急に真面目な顔に戻りして「お前はよく知っているなー。嫌な奴だなあ。」
 
と言いました。
 
三つの点で不愉快だったのはまず第1に我々をバカにしているからそういう発言が出てくるわけです。こんなレベルの低い集まりで公職選挙法の規定を知ってる人がいないということを前提に行動しているのです。
 
2番目に市会議員が嘘をついたことです。『公職選挙法の規定により年賀状は出せません』などと言ったら、 『俺に恥をかかせやがって』と言って二度と投票してくれません。 ということを知ってるんでしょうね。
 
3番目に上の方からそういう風に答えろというマニュアルがあるのでしょう。そうしないと『難しいことを言うな、、』と言って市会議員の票がかえって集まらないからでしょう。
 
 
市会議員になったらお前偉くなってしまったなあーと言って却って選挙で票に結びつかないからでしょう。公職選挙法がどうのこうのとか難しいことを言いやがって。 思われるからでしょう。
 
夏目漱石も理屈や正論を通せば世の中は角が立ってしまって生きにくいと言っています。
 
市会議員なんてヘラヘラしながら町内会でお酒をついでまわったりすれば通るわけです。
 
衆愚政治とはこのことです。
 
 
*それはともかく、Einen、 guten Rutsch und ein gesundes und glückliches neues Jahr!

XmasをX’masと間違えている人が多い。


なぜ間違いかというとXは救世主のシンボルでありエックスでない。カイである。つまり省略していないので省略記号としてのア・ポストロフィを入れる必要が無いからだ。


これはたいていの英和辞典にのっていることだ。身の回りのことに関心を持ち、辞書を常日頃から引くことがいかに重要かということである。


英語というのはツールである。 実際にどのように使われるかはともかく辞書に間違いであるとはっきり書いてあるものは受験英語としては間違いであると指導をせざるを得ません。


フレッシュジーニアス英和辞典 初版再版より 






東京大学理科3類に現役合格した生徒が中一であったときに、ある質問をされて面食らったことがある。


それは


 i の上にアクセント記号をつけると何故 i のうえの点はなくなるのですか?





というものだ。それまで意識もしていなかった。そんな質問をされたことは一度も無かった。色々な英語教師の友人や米国人にきいても誰もわからない。

 ついには辞書の編集委員に手紙を書くに至った。

返事が来た・・・・・・(以下はそのうち更新します)




* 以下は更新です 。

さて更新続きであります。 一流の編集者は読者から指摘を頂くことを決して嫌がらない。

それほど熱心に読者が本を読んでいるということは編集者にとって名誉なことだからである。


さて頂いた お手紙の内容です。 大修館書店の 正式な 見解でありますが私の責任でまとめてみました。


はっきりはわかっていない。 ただ活字を組み合わせる歴史において アクセント記号の付いた活字は 組み合わせで作るわけではなくて最初から独立した 文字として 作っています。


したがって辞書の歴史においては 単にデザイン上の問題であろう。 しかしながら詳しい 歴史上の ことは 分かっていないとのことでした。


円柱を2本直角に組み合わせた共通部分と3本直角に組み合わせた共通部分が分かればよい。

前半の形を実際に作ると次のようになる。
実際に作ったものUBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

なお、この体積の求め方は中学生でも理解できる方法がある。

半径がaの円柱を中心軸が直角に交わるようにしたとき、共通部分のなかに半径がaの球を内接させる。2つの中心軸に水平な平面で斬ると常に円に外接する正方形が現れるので球の体積÷円周率×4である。


*なお、この解法は05年の東大入試の翌土曜日の岡山中学・高等学校の長山の講義で解説をしたものである。

 

 

早稲田大学の校歌に、「現世を忘れぬ久遠の理想」という歌詞があります。

つくづく今になって思うのでありますが、これは、非常に素晴らしい言葉だと思います。

 

「現世(げんせ)」というのは、現実の世の中という意味で、「久遠の理想」というのは、未来に向けての果てしなき理想という意味だと思われます。

ここで何が素晴らしいかというと、はっきりと、「現世を忘れぬ」と前提条件が歌詞に書いてあることです。

 

つまり、理想を追求する、理想の世界を求める、その際においても、常に現実の世の中を見据えて行動しなければならないという意味でありまして、言い換えれば、現実と理想のバランス感覚と言えるでしょう。


 

いくつか例を挙げます。

 

ソーシャル・ビジネスということで、ある有名な実業家が起業家を募集しました。そのときに、貧しい国の郷土料理を東京に、レストランとして作り、そしてその貧しい国の特産品やそこでつくられた野菜や果物を輸入して、ビジネスを始めようとの企画書を出した人がいました。

 

それをみるなり、その実業家は、

「この考え方はあまりにも理想に傾いている。この料金でレストランをつくったら、やがて経営的に息詰まる。高級なエスニック料理専門店として、もっと客単価を上げ、付加価値を高め、利益を出さなければ、あなたのソーシャル・ビジネスは成立しませんよ」

と指摘されました。

 

これがまさに、現実と理想のバランス感覚だと思います。

どんなに理想を求めても、現実のものとしてそれが機能しなければ、ビジネスとして成り立たなければ、理想を追求するどころではない、ということでしょう。


 


 

また、今問題になっている様々な教育の問題であっても、すべての子供たちが平等で、争いのない学校生活を送る、これは理想ではありますが、実際の世の中はそうではなく、どんなに先生が指導しても、言うことを聞かない生徒や保護者がいることもまた事実であります。

 

特に(教育学部を出て)学校の先生になろうという人は、まじめな人が多く、また教育学者というのも、比較的恵まれた環境で育ち、どうしても理想を追求する傾向にあると思われます。

 

 

 

ですから、教育学部で将来教員を目指す学生に、「伸び行く力をはぐくむ」とか、「人の心を分かち合える子どもを育てる」、それは確かなことでありますが、一方で、実際の教育現場に出れば、中にはとんでもないような生徒や保護者がいることは事実です。

 

この理想と現実のギャップに悩んで、いざ学校の先生になったら、現実の教育場面に直面して、悩んでしまう教員がいることは、私の身の回りにおいてもいらっしゃることを経験しております。

 

この早稲田大学の校歌の一節である「現世を忘れぬ久遠の理想」という言葉は、厳しい戒めの言葉だと思います。理想だけを追求してもダメ、現実に甘んじてもダメ、その両方をうまく勘案して、対応するべきだという教えではないでしょうか。

特に、現在の社会においては、このバランス感覚がくるっている社会ではないでしょうか。


 


 

また、ここではっきり申し上げますけれども、私のところにも、学習塾を始めたい、これから、自分の理想の塾を作りたい、と言って相談に来られた方が何人もいます。(大手塾の岡山進出を含めて、いくつかの塾の設立には私が関与しています)

 

その時に私がどなたに対しても必ず申上げるのは、

最低限の利益(生活費)を確保しなければ、理想の教育は不可能である。塾が軌道に乗るまでの生活費の算段はありますか?

ということです。

 

UBQを設立した時に土日に授業を集めていたのは、平日の仕事をしていて、それで生活費を捻出していたからです。どんなに採算がとれなくても、食っていけるから、指導理念において一切妥協する必要がなかったのです。さらに個人営業の赤字を・・・・・から・・・・できるということを知っていたからなのです。だから法人成りしたのは3年後なのです。


 

 

大手の学習塾から「大手塾は儲け主義だ、理想の塾を作りたい」と言ってその塾を退職し、塾を始めた結果、経営的に行き詰り、生徒をほったらかしにして、やはり、元の大手の学習塾に戻っていかれた方を何人も知っているからです。

 

 

何しろ岡山は三越が撤退する土地柄ですから、難関塾の経営は不可能にも近いところです。東京大学理科3類に2年連続合格なんて、経営的には大打撃なわけです。

 

理想の教育を実現するためには、経済的に利益(生活費)を上げなければ不可能なわけです。教材とか、優秀な講師を雇う、もちろん、無料ではできません。

ですから私ははっきり申し上げますけれども、学習塾を始めるからには、適正な利潤=利益(生活費)の確保が最も重要なことだと思います。

 

なかには、理想の塾を始めたけれども、利益(生活費)が上がらないからと言って、すぐにやめてしまうという方がおられますが、こんな無責任なことはありません。

お金は返すことができても、その塾で一所懸命頑張ってきた生徒の時間を返すことは不可能なのです。


 


 

学習塾に通塾するということは、一切履歴書に書くような性質のものではありません。学習塾がつぶれたからと言って、通っていた生徒の経歴に傷がつくことはありません。

 

何といっても許しがたいのは、学校、特に私立の大学が、経営が成り立たないからと言って閉校する、あるいは来年度から募集を停止する、(最後の大学生へ!腹が立ったら、意地でも留年してやれ!)中にはすでに通っている学生がいるにもかかわらず、辞めてしまう、こういったことは、本当に許されないことだと思います。

 

学習塾と違い、経歴に残りますから、一生その経歴が残るわけです。


 

就職の際でも、最終学歴は**大学ですと言ったならば、「あ、そういえばそういう大学ありましたね、今もうないのですか」とか、縁談や再就職などの際に「ああ、あのもうなくなってしまった大学か」と。

 

こんなひどい話もありません。


 

特に、法科大学院が、学生が集まらないから募集を停止するなどということは、あってはならないことです。

もともと法科大学院ができた時に、定員を見れば全員が法曹界に進むことは不可能であることはわかっていたことです。


 

また、大学の定員割れの問題に関しても、10年前、ある中央銀行の理事の方は、講演会で、経済の指標でもっとも重要かつほぼ間違いなく予測可能なのは、人口の推移であると言いました。

円高やデフレは、なかなか経済の専門家でも予測できない。しかし、18年前に子供が何人生まれたかを見れば、18年後に人口がどれだけになるかは、ほぼ間違いなく推計できることですから。


 

先日、中学・高校などの同窓会に行きましたが、同窓生って、絶対に増えませんねと言ったら、それはそうですねと、今度新しく昔の同級生が増えましたなどということはありえないわけです。

ですから、今までの少子化は、18年、20年前に予測できていたわけですから、そのことを考えれば、生徒が集まらない、利益が出ないと言って、大学を閉校するということは、無責任極まりないことだと思います。


 


 

もう一度もとの話に戻って、「現世を忘れぬ久遠の理想」ということが、いろいろな場所で失われていることが現状ではないでしょうか。

 

理想だけを追求する、しかし現実はそうではない。

 

このような例が、いろいろな社会の場所において起っているのが、現状ではないでしょうか。

 

これを、今から100年以上前の1907年(明治40年)に警鐘を発した相馬御風の言葉は、まことに拝聴に値するものであると思います。


 


 


 

 


 

さて、ある学習塾の先生の名言を、ここで紹介します。

それは・・・

「理念なき利潤追求も困るけれども、利潤なき理念追求はもっと困る」

というものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月20日。

テレビが壊れたので修理をお願いしました。

 正しい報道が全く映らないのです。 壊れてるようです。

それは仕様です。 正しい報道が映るテレビはありません。と言われました。
日経新聞2022年12月26日より



障害者のカップルの 妊娠を強制的にできなくすれば完全な犯罪です。

北海道で 上の報道のような事案がありました。 



誰が責任を取るのかと言われます?

生まれた子供の子育てや将来については誰が責任を取るのか ?

社会福祉法人ではありません。 本人でもありません。親でもありません。 北海道庁が監督する問題でもありません。


生命の仕様として障害者は必ず存在します。健常者が存在するためには障害者が必要なのです。命はそのように作られているのです。


多様性を確保して、生命自体が生き延びるためと言われています。


ネアンデルタール人の時代から、クロマニヨン人の時代から現代に至るまで、人類はそうやって生きていきました。


必要だったのです。結婚をしたい子供が欲しいと言う人が、1人もいなければ人類は滅んでしまいます。

生命はそのように存在するのです。人類は集団生活を送る動物です。集団生活を送らなければ滅んでしまいます。



したがって、責任を取るのは人類全体です。


幸い、現在では、科学文明が発達しているために、お金があれば充分生活して人類全体で面倒を見ることができます。

国会議員の数を減らすと言う約束はどうなったんでしょうか?


暴露系のユーチューバーやパパ活国会議員に税金でお金を払っています。



国会議員の数を半分にしても構いません。寝ている国会議員に全員辞めていただいても構いません。





そのお金で責任が取れます。

人間は土曜日でも日曜日でも祝日でも無関係に亡くなるわけです。

 
日本の法律では基本的に土葬というのは認められておりません。火葬場でお願いするしかありません。
 
死後変化というのがあります。ほっとけば腐ってしまうし、肌が乾燥したり、死後硬直が起こってしまいます。
 
ですからなるべく早く遺体を火葬したいというのは家族の当然の気持ちでございます。
 
さてところで六曜表というのがございます。いわゆる仏滅とか友引というものでございます。
 
学問的なことを言えば、元々のオリジナルの仏教では認められていないことで中国で作られて日本に輸入された迷信です。 考えてみれば 先に戦争を仕掛ければ勝てる縁起のいい日を先勝と言います。 その逆に負ける日を先負と言います。


相手が同じ伝説を信じていたらどうするんでしょうか?
同じ文化の人間が戦うことを前提にしていないわけです。

異民族と 異民族が戦うことを前提にしているので 日本の文化でもありませんね。
 
 
大谷大学の学生手帳には六曜表というのがありませんしむしろ迷信に基づく差別だという見解だそうです。
 
浄土真宗 仏滅などのキーワードで検索していただければ浄土真宗がいかに六曜表を徹底的に弾劾しているかということはご理解いただけるかなと思います.


 

 
もちろんクリスチャンやイスラム教徒においては六曜表というのはもってのほかでございまして仏滅だから縁起が悪いとか友引だから葬式をしないとかクリスチャンが言うことは絶対にありませんね。
 
ところが驚きました。岡山市では友引は火葬場が休みだということで葬式があげられないと言われました。
 
そして友引の次の日は当然そのぶん2倍(2日分)の葬式が重なるので予約が取れないとまで言われました。
 
遺体を安置するのに葬儀場をさらに1日お願いすれば相当のお金がかかります。
 
葬式などに対する宗教的な感情は人さまざまであります。
 
13日の金曜日に結婚式を挙げたくないという方もおられますし仏滅に結婚式を挙げたくないとか友引に葬式をしたくない方とか様々でございます。
 
しかしながら市役所・行政がそれをしていいのでしょうか?
 
例えば今日は13日の金曜日だから結婚届は受け付けないなどと市役所が言ったら大変なことでございますね。
 
公務員・行政が特定の宗教の宗派の考えに基づいて葬儀ができないというのはいいのでしょうか?
 
しかしながら岡山市の公式ホームページに書いてございますように岡山市の火葬場は友引は休みでございます。
 
もう一度申しますけれども特定の宗教の教義に従って公務員が職務を放棄しているのであります。個人がどう考えるかは自由ですけれども 岡山市が運営している火葬場でこれは許されるのでしょうか?
 
これは岡山市の公式ホームページに書いてある事実です。
 
 
 
 ちょうどその後 友人と弁護士にこの話をしたら 具体的に 葬儀場の 費用や親戚や家族のホテル代が余分にかかった以上は 国賠訴訟を起こせば 100%勝てると言っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

さすがにパレスチナは遠かった。パレスナ自治区というが、元から住んでいる人はそうは思っていないので自治区(AUTHORITY)というと、誰からAUTHORIZEされたのか?てことになる。その話はクリスマス休戦として後で。

 

とりあえずドーハで乗り継いでアンマンまで、ここまで来たらペトラ遺跡。陸路でイスラエル。さらに国境というよりは分離壁を超えて、ベツレヘム。パレスチナ自治区。

厳戒中。この先は命の保証ができないとイスラエル側に書いてある。お前が原因だろうと心の中で叫ぶ。

 

 

 

 

 

レストランにジョン・ポール・ローマ教皇と謁見している男性の写真が・・・それに向こうには隠してあるがアラファト議長。(パレスチナ側から見るとパレスチナ国初代大統領。)   確認を取ってみると確かにローマ教皇はここに来た記録がある。

 

 

 

いったいこの人誰?とレストランのオーナーに聞いてみたら、

「そりゃあ、(若いころの)わしじゃ」ということで記念写真。

 

 

ということでやっときました、生誕記念教会。



外国人が英語話せば本物サンタ? 

(ここより引用開始)

派遣サービスが好評 クリスマスを前に、外国人講師らが扮する「サンタクロース」を派遣するサービスが人気だ。向かう先は幼稚園や幼い子どものいる家庭。料金はちょっと高めだが、見慣れた先生やパパサンタでは満足できない子どもも、英語を学ばせたい親たちも、大歓迎だ。「サンタさんが来たー」。白い袋を背負ったサンタクロースが、〇〇県○○市の私立○○幼稚園のクリスマス会に現れた。「私はピアノをとてもうまく弾けるんだ」。サンタは英語でそう話すと、「赤鼻のトナカイ」などを演奏。約100人の園児たちは大喜びで合唱した。 (中略) ○○幼稚園では、以前は先生がサンタ役だったが、園児から「偽サンタや!」と言う声が出て、3年前から○○さんに頼むようになった。(朝日新聞ネット版)


*固有名詞は引用者が伏せました





えっ!外国人が英語話せば本物サンタですって!!外国人てぇだれなの?




以上のような日本人として恥ずかしい記事を見た。白人の外見をして英語を話せば「本物」と子供が思うのは問題だ。



サンタクロースの時代にピアノがあるわけがないので、サンタクロースはピアノを弾けるわけがないというのはさておき、伝承に従えばラテン語。



(ないし、古代ヘブライ語とか古代アモリ語:←なんのこと?と思われる方がほとんどであろうが、世界で最も有名な古代アモリ語がある。アーメンである。)


を話すと言うのなら、まだ分からないではないのだが・・・・上の記事で外国人とあるのは白人と訂正すべきであろう



次の写真はイスラエル 受胎告知教会 で長山が撮影したものだ。

 



UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ


チマ・チョゴリを着た聖母マリア(幼子イエスは東洋人に描かれている)







UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ


螺髪(らほつ)のイエス像








UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ
中国のものです。映り込んでる女性はガイドさん。








ナザレで発見!




日本のものです。




世界の教会ではキリスト像でも白人に描かれているとは限らない。山上の垂訓教会にはアフリカ系(黒人)の巡礼団も多く見られた。西洋文明やキリスト教に関するものを、全部英語を話す白人をイメージするものに結びつける考え方は日本人のとんでもない偏見だ。





私が園長であれば、子供達にアフリカ系(黒人)や東南アジア系のサンタクロースを見せてやりたい。そのほうが「国際化教育」であるし、キリスト教精神「もともと、民族や人種・肌の色を超えた平等思想だから多民族国家である、ローマ帝国に取り入れられた」にかなっている。イスラム教徒のフィフィさんもクリスマスをお祝いすると YouTube で発言されています。





東洋人のサンタクロースを見て「偽者」という生徒に、なぜ注意しないのか?黄色人種のサンタクロースは「インチキ・偽物」なのか?








朝日新聞の記事が世界では到底通用しないことが分からない人は国際感覚が無い人だ欧米に旅行したら公共のTVコマーシャルやポスターに注目していただきたい。




UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

ドイツ フランクフルト 

アム マイン国際空港で撮影


少なくとも私の経験では白人だけが出てくる事はない。そんなことをすれば問題になる。問題にならないと思っているのは世界の常識では少数派だ。上のように、必ず肌の色の違う人々を組みあわせた写真が載っているはずだ。広告を作る側では、このような注意は世界の常識・日本の非常識のようだ。





わかりやすい例:ハリー・ポッターの映画では、ホグワーツ魔法学校にはアフリカ系(黒人)の生徒がいますね。





これが世界の常識。日本の非常識。





中世の魔法学校という設定ですから、忍たま・乱太郎にアフリカ系黒人が出て来るようなものです。








国際化=英語を学ぶこと=欧米に留学すること。





これだけが、全てと考えることが最も国際化とは程遠い事に気がつくことが真の国際化である。









2023年 11月13日 午前7時頃



現在 イスラエルとハマスが戦争中です。
ハマスの政治部門のリーダーは現在カタールに 亡命中です。

軍事部門のリーダーは どこにいるか分かりませんが 3回 イスラエルに 暗殺未遂を受けて 家族を殺害されています。 本人も大怪我をしています。




これから 病院を攻撃する と言われています。
日本のテレビ局は中継することは考えられませんから 中東のカタールにあるアルジャジーラ を見ています。

全世界で 約15万 の 人間が 今現在 見ています。

15万人の人間が見ているところで ジェノサイドを するのでしょうか?


せめてリスナーの数を増やしたいと思います。