いつのころか忘れましたが、グーグルで「人間宣言」と検索していると、

関連検索として、

 

人間宣言、録音技師、自殺

 

という項目が出ていました。

 

 

これはいったい何なのかと思い、検索してみますと、とんでもないブログがありました。

 

 

「歴史の勉強のために、ある映画を見ました。昭和天皇が病気だったとは知らなかった。また、人間宣言を録音した技師が自殺をしていた。それに対して昭和天皇は、「あ、そ」といっただけだった。そんなことは知らなかった。いい勉強になった」

 

と書かれていて、びっくりしました。

 

全く事実に反します。

 

しかしいったい、どうしてそんなことを書いたのかと思い、その映画を見て、これか!とわかりました。

 

 

 

「太陽」という映画です。
 

 



 

この映画は、「作り話」です。

 

 

 

 

 

昭和天皇の戦争末期から終戦、進駐軍に至る過程を描いていますが、こんな史実に反する映画を見たことがありません。
 

あくまでもこれはドラマであり、フィクションなのです。

 

ところがそれを、「客観的事実」であると思っている人がかなり多いのですね。

 

 

 

 

 

もともと、いわゆる人間宣言

 

 

(正確には、昭和2111日詔書「新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ(しんねんにあたりちかいをあらたにしてこくうんをひらかんとほっすこくみんはちんとこころをいつにしてこのたいぎょうをじょうじゅせんことをこいねがう)。いわゆる「人間宣言」「新日本建設に関する詔書」は略称。同日付官報号外に記載)

 

は詔勅であり、本来録音する必要のないものです。

 


 

 

いわゆる「玉音放送」については、非常事態ということで天皇みずから国民に呼びかけるという、極めて異例な形をとったわけです。

 

 

 

その後のいわゆる「米よこせデモ」で、昭和天皇みずからが録音によって国民に呼びかけたことがありましたが、これは戦後のことです。
 

 

 

第一に、私の知る限り、昭和天皇は終戦までに、自らの意思を3度、輔弼するべき重臣らに示したことがありました。

 

 

 

 

一度目は、時の首相田中義一を叱責し、内閣を退陣に追い込んだときのことです。
 

二度目は、2・26事件の時です。この時、反乱軍を昭和天皇の意向で鎮圧したのですが、この時、「馬を引け」といったと伝えられています。

 

 

 

三度目が、いわゆる「終戦の御聖断」です。
 

この三者には、国家の非常事態という、共通した要素があります。

 

一度目については、満州事変から日中戦争に至るまでの軍部の暴走という、憲法を超えたものでした。
 

 

二度目の2・26事件については、これは、クーデターですから、日本の帝国議会も軍部も機能していなかったわけです。

 

 

 

三度目の終戦の御聖断に関しては、もはや、帝国議会も軍部も民意さえも、コントロールできないほどの有事でありました。
 

この三度に関して言えば、超法規的措置というよりも、やむなく、帝国憲法にのっとり、国権の最高者である天皇ご自身が日本を守るために勅命をもって日本を動かしたと考えられるわけです。

 

 

 

 

このように戦前において昭和天皇は、憲法に基づいてきわめて強いリーダーシップをとったわけです。

 

 

 

 

ところが、多くの歴史を学んでいない方は、戦後何を聞かれても、無関心そうに「あ、そ」としか言わない昭和天皇のイメージしかないかもしれません。


 

 

戦後、昭和天皇が「どのようなテレビ番組を見ているか」と聞かれて、「今はテレビ局の競争が激しいので、個々の名前は差し控えさせていただきます」とか、ひいきの力士について聞かれ、「それは力士が困るから、ひいきの力士の名は言えません」と答えました。

 

 

昭和天皇「テレビについてはいろいろ視てはいますが・・・・・」(YOUTUBE動画)

 

このように、昭和天皇が「あ、そ」と、あたかも無関心であるかのように答えたのは、戦後のことです。もちろん、発言の重み・政治利用を避けるための「おおみ心」です。

 

 

 

しかしこの「太陽」なる映画では、戦時中も「あ、そ」と言って、何も関心がないかのように描いているのです。

 

 

世の中には、テレビドラマやバラエティー番組を見て、高学歴タレントがわざとクイズの答えを間違えているのに、「この人って馬鹿ねぇ・・・」と言っているほどの、判断力のない方がいるのですね。
 

なお、「昭和天皇独白録」に関するNHKスペシャルのDVDが出ていますが、ここで最後に、「協力 関西学園」というテロップが流れます。

 

 

これは、岡山にある名門伝統校で、「関西」とかいて「かんぜい」と読みます。

 

さて、なぜ岡山の関西高校が昭和天皇独白録に協力するかといえば、次田日記という、戦前戦中の一級資料がありますが、この次田大三郎氏(第六高等学校、東京帝国大学法学部卒。広田弘毅内閣で法制局長官、幣原喜重郎内閣の内閣書記官長などを歴任)が旧制関西中学(現在の関西高校)の出身校であるからです。

 

 

 

 

 

http://www.kanzei.ac.jp/schoolintro/graduates.html (関西高校HPより)

 

 

 

(注)兵庫県に「関西学院大学」というのがあります。
 

関東の人は間違えて「かんさいがくいんだいがく」と読むかもしれませんが、正確には、「くゎんせいがくいんだいがく」と読みます。

 

これは当時大阪〈大坂〉で、関西のことを「くゎんせい」や「かんぜい」と読んでいたからです。

 

 

 

 

 

なお、この映画の中で陛下をお迎えする車をTHE(ジ) CARと呼んでいます。特別な車は母音の絵でなくてもジと発音する例です。