循環の観点で具現化する
おはようございます。今日も出来事の振り返りを。発注の手配ミスが発生し、上司と担当が話合い、営業所としての対応が決まりました。お客様とのやりとりは所長が対応されるようでしたが、わたしからお電話しましょうか、と提案し、任されることになりました。(わたしを含め複数の人の怠惰、依存が重なり、手配ミスになったので、きちんと対応しようと思ったのですが)ここを観てみることにします。流れは「所長が対応する」にある。これを「わたしが対応する」に変えたわたしの意識は?思いついたわたしのやり方を「試してみたい」「うまくやれるかも」です。結果を求める獲得観点ですね。ガッツリ自我をグラウンディングしています。流れに沿うなら所長に対応をお任せして、わたしは仕事のフローの見直しを検討するなど、自分の役を全うすることができたはずです。この後、わたしのやり方を試してみたわけですが、ここでも所長の案を否定しました。ざっくりと書いてみます。お客様にお伝えする内容を上司に確認すると、非を正面から認める対応ではなく、不可抗力によるものだと伝える。また手配できない商品の代替品として後継商品をご提案するのですが、その際価格を調整して対応していることを伏せ、トータルで同価格で対応することを伝えるとのことでした。(値引きする幅があった商品を最初の見積もりで値引きしなかった事を指摘されるのを避けるため)これをわたしは保身と判断して、否定します。非は非として認め、代替商品を手配するため、価格を調整している事を伝えるべきだと。自我の判断は必要なかったことに気づきました。全てを循環方向に戻す観点で具現化する。お客様の発注品が手配できない=循環が滞っている これを流れる方向にむけ、協働者と具現化していく。協働者とは今日の場面では所長や営業など。その時大きな流れとしてスピリットの霊性進化という循環が滞っているので、その詰まりを取り除く方向に舵をきる。わたしは所長を否定する観点から行動するのを停止して、循環の観点から所長との調和に向けて行動する。例えば所長の案を受け、どのような観点からその案を採用しているのかを聴こうとしてみる。「実際の原因を伏せて、あえて不可抗力とするのは何か理由があるのですか?」とか。もしかしたら、正直にミスを伝えることで、相手の怒りを煽るようなことになったら、お客様を無駄に怒らせることになる。(カルマをつくることになる?)という考えがあるかもしれない。自我の保身による選択なら、「こちらの正当性を主張してもその裏の保身の意識は相手に伝わるような気がします。火に油を注ぐより、まずはこちらの手配ミスにより手配できない事実を伝えて、お詫びをしたいと考えますがいかがでしょうか」と提案してみるとか。何にせよ、相手の観点も知らぬまま否定するのは大変失礼な事(礼を欠く、敬意がない)だと気づきました。 すごく時間をかけて考えても、調和に対してはこんな案くらいしか浮かばないのが、今の等身大のわたしです。トライアンドエラーで學びながら進めていこうと思います。大きな気づきは、「循環の観点」で具現化するということです。循環についてはある流れの一部を協働創造するようなイメージで捉えています。現実で循環が滞ったら、詰まりを取り除き、流れるように具現化する。その具現化をする時、意識としては霊性進化の詰まりを取り除く方向に舵を切るような。そんなイメージです。今日もおつきあいいただきありがとうございます。読んでくださってありがとうございました。