おはようございます。
昨日の振り返りです。
夕方ごろ、他部署へのおつかいから戻ると
わたしの部署に他部署の社員が来られ
上司と話をされていました。
社員「そういえば〇〇さん(パートさん)
さっき下に来てましたよ。」
上司「へぇ」
社員「〇〇の対応してって。そんなのまだ
わからんじゃんね。できんって言うの」
上司「それはわからんね。」
社員「でしょ? さっき休憩してたし。」
上司「休憩?してたの?今日?」
社員「そう、バイトには文句いうのに、
パートはいいってこと?」
会話を耳にしながら、休憩?話飛んだな。
いいってこと?と言うってことは
ダメだと思ってるのかな。休憩云々は
何の話かわからないけど。
上司は普段パートさんと仲良かったのに悪口?
と思考します。
そしてわたしは休憩に出ました。
他者の会話を「悪口」と判断してます。
事実は、パートさんが下の階の部署に来ていた。
未確定のことの事務処理を希望した。
休憩に行った。です。その事実に対し、
他者の目に映る世界を他者の観えるまま
言葉にしている、ということだと思いますが、
わたしの自我フィルターを通すと
その社員達の会話が「悪口」に聞こえる。
事実をどう歪めているのか。
まず所長がパートさんと仲が良いというのも
わたしの判断です。
そして話の全体をわたしは捉え切れていない。
その中で、パートさんの行動を否定的に捉えた
社員と上司の会話を「悪口」と判断している。
「普段」(とわたしが認識している事)と
「今」を紐付けている意識があります。
普段は本人に対して否定的なことは言わない
今は本人のいないところで否定なことを言う
と認識していることから、
本人のいないところでその人に対して否定的な
意見をいう事を「悪口」と判断する
設定があります。
「否定的な言葉」と
「本人のいない場所で指摘する」
この組み合わせをセットで否定に配置している。
否定的な言葉も本人に直接指摘するならOK
でも影で言うのはNG
なので、
本人がいる前で、と、いないところで、
で判断が分岐しているように観えます。
途中ですが、今日はこの辺りで。
おつきあいいただきありがとうございました。
読んでくださってありがとうございます。