おはようございます。


昨日は細々と依頼が重なり、

タスクの整理や依頼の内容について

調べたことの整理などで、

頭の中がぐるぐるしていました。 

つまり情報処理でいっぱいいっぱいだと

自我は考えていたようです。


夕方のある瞬間、

なんでこんなことまでやらなきゃいけないの?

わたしばっかり忙しくて…

という想いが湧きました。


あ、湧いたな。キャパ超えたのかな。と思考し、

その後あれこれ試し、緩みを創り、

また仕事に戻りましたが、

メインテーマはなんだったのか。

振り返り観ることにします。  


今までは、お願いしますと依頼していたから

周りが助けてくれていましたが、

今は極力自分でやるので、

仕事量が増えたんですね。

そしてあたりまえのことですが、

やって当たり前のことをしているだけなので、

見返り(承認)もない。


散々怠惰を満喫してきたので、

来たものは受け取るスタンスでいくなら

忙しいのはあたりまえですね。巡り還りなので。


そして鏡は、今もなお怠惰なわたしを鏡している。

すぐ人に依存しようとしてますから。


構造的に観て観ると

自我の決める一定のラインがあって、

(許可と不許可の境界線のような)

ラインを越えて不許可エリアに入ると

エリアに沿った周波数(この場合は怒り系の

周波数)を出して、

その周波数に合う理由(思考)を創り、

現実を体験する。

みたいな設定なんだろうな、と。


情報処理ができている時は自分を

優越に配置することができるから、

特別良いと決めていることでもない限り、

普通に過ぎていく。(許可エリア)

スムーズに処理ができなくなると、

自分を優越に配置できなくなるから、

キケンキケン!と周波数で知らせる。

(不許可エリア)

で、情報処理ができないことを正当化する

理由を見繕って、その観点で現実を観る。

人のせいにする現実を体験をする。

これで自分を優越に配置したままでいられる。

のような。


それから、1日を通して電話の声の響きに

フォーカスしてました。

名乗ったあと相手の声がどう変化するかで

一喜一憂を創ってました。


自我的には相手の声がはなやいだらご褒美です。

「つなさんでよかった」とか言われると

勝手に舞い上がりますね。

何がよかったのか、わたしの望むこととは

限らないですけど、盲目になります。

この辺のご褒美認定した現実は

わたしすごい、わたし好かれてる等々の幻想の

裏付けに使うのでしょう。


周波数→思考→体験 という流れなら、

周波数はいつ出るの?

周波数はスピリットとの差異?に対して出るなら、

そのサインを自我の強化に使ってるって

なんか本末転倒のような。

周波数をスピリットの流れというか世界?

と一致する方に使うように切り替えが必要だな。

それが事象を観る観点なのかな。

コントラストを映せば自我の強化になり、

スピリットの盲目エリアを映せば、

自我からの解脱方向に向かう、とは

ここに繋がるということですかね。


ほんとにそうだったわ〜、という腑に落ちる

という感覚ではなくて、

多分そうなんじゃないかなーという感覚なので、

体験してみることにします。


追記

冒頭の情報処理でいっぱいいっぱい

とは自我の設定が有限になっているからですね。

スピリットは無限の存在である、

ということが盲目になっていました。

その意識をセットするため、

追記することにしました。


長々とおつきあいいただきありがとうございます。

読んでくださってありがとうございました。