第452話/ウシジマくん38
鳩山と猪背がいつものところで麻雀している。鳩山はいつも通りだが、猪背は髪の毛が真っ白でひげももじゃもじゃだ。ふたりはほかのものにタバコを買いにいかせて、いつものひそひそ話である。
猪背はもうかなり年のようで、いろいろガタがきているようだ。こないだも入院したばかりで、前の黒髪も染めたものだったらしい。見た目がすっかり年寄りになっていたもので、猪背じしんショックを受けて弱気になっているのかもしれない。だからはやく引退したい。鳩山もくちではそれを止めているが、まあ異存はないだろう。猪背が引退すれば、だいぶ前に戌亥が噂話として語っていたように、鳩山はくりあがることになるのだ。
問題は鳩山以下である。鳩山がトップになったら、いま彼が座っている猪背組組長の席があくことになる。そこを誰にするかである。候補はふたりいた。熊倉と鹿島である。しかし熊倉は、彼らがどこまで知っているのかわからないが、ともかく死んだ。鹿島も行方不明である。そうすると、序列的には豹堂本部長になる。ヤクザくんで若い衆を引き連れて待機していた、またウシジマくんの最初のほうで滑皮にやたらからんでいた、武闘派っぽい男だ。だが鳩山はちょっと気が乗らない。華がない、組長の器じゃないと、そんなふうに感じているのだった。なるほど、そういわれると、たしかにそうかもしれない。猪背は他人事みたいに、思い切って若手を、みたいなことをいっているが、滑皮はじっさい華がある。その他大勢では決して終わらない男だ。鳩山も、とりあえず滑皮を候補に考えているようだが、すんなりいくかどうか、という感想である。猪背は、しみじみと、男の嫉妬はおそろしいと、重いひとことをつぶやく。この際、豹堂と滑皮をぶつけて試してみろというのだった。
その豹堂である。まともに描かれるのははじめてのことだ。豹堂は子分の男と後部座席に座る。運転している男はイヤホンをつけて音楽を聴いているようなのだが・・・。わりと深いはなしをぼそぼそしているので、空気を読んで聞こえないふりをしているのかもしれない。
豹堂は鹿島と兄弟分で、彼からもらった財布を大事につかっている。子分の様子からすると、豹堂じしんは世渡り的には不器用なタイプかもしれないが、まあまあ好かれてるっぽい。子分はけっこう若そうだけど、ぺらぺらふつうに仲良く話している。で、たぶん子分が、熊倉のことを「熊倉のボケ」といっている。序列でいうと熊倉は少なくとも豹堂と同格、たぶん上だとおもうのだけど、これを豹堂が特に咎めないのは、ふだんからそうだということなのだろう。たぶん鼓舞羅の件以来、熊倉は仲間内から陰で馬鹿にされていたのだ。
子分は、その熊倉も鹿島もいなくなってしまったから、そろそろなにか昇格があるのではないかというはなしだ。猪背引退はまだオフィシャルな情報ではないから、いまあいている熊倉や鹿島の穴、つまり理事長か幹事長になるのではないかということである。しかし豹堂はまだ気が早いという。じぶんはあまり金稼ぎが上手くないから、鳩山にあまり買われていないという自覚があるのだ。それは別にいいのだけど、そのいっぽうで、金稼ぐのが上手い滑皮のような、じぶんよりずっと若いものが出世しつつあるのが、とにかく気に食わないのである。子分も、とりあえず口ではうんざりだという。
この手の情報はどこからどういうふうに漏れていくのかさっぱりわからないが、彼らは獅子谷のことも知っている。それが滑皮の金づるだ。半グレの彼らは手段を選ばない、年寄り相手の詐欺や強盗など、仁義もヘッタクレもないのである。
そこで、噂といえば、という流れで、子分の爆弾発言である。これはヤクザくん冒頭で描かれた謎の死体だ。熊倉が滑皮をつかって鹿島を殺したという噂があるのである。微妙な表現だが、鹿島の死じたいは彼らは知らない。この死体は、読者しか目撃していないのである。これが、ここで表示されるからには、この噂はおそらく事実なのだ。滑皮が殺し、例の死体処理の方法で、この世からすっかり消してしまったのである。
たしかなはなしではない。豹堂も、めったなことをいうなとそれを諌める。鹿島とは仲がよかったようだから、不機嫌になっても不思議はないが、子分はおしゃべりを続ける。たぶん、いつもこうなのだろう。そういう関係なのだ。
ともかく、滑皮のうさんくささは並ではない。半グレをつかった手段からして好感を呼ぶものではないし、そのうえもし鹿島の件が真実だったとしたら、絶縁どころではない、誰かに殺されても不思議はない。このように子分はいう。それを、豹堂は真剣な表情で聞くのであった。
久々の柄崎は取り立てである。ホストの彼氏と別れて泣いている女の子にド正論を吐いて消えろ馬鹿といわれている。うん、まちがいない、柄崎はこうだよな。もてないもの。だからこそ、丑嶋は高田を必要としたのだ。柄崎も高田に丸投げしたいといっている。高田も加納もマサルも、それぞれ担当があった。これらをいますべて柄崎と丑嶋でまわらなければならない。すべては物理的に無理としても、こういう状況はあるだろう。
柄崎は朝まで戌亥と飲んで頭が痛いといっているが、この日って、ずっと前に飲み明かしたあの日と同じなのかな?39巻を読み返してみたのだけど、そうするとなにかおかしなことになる気が・・・。
さて、獅子谷たちの手を逃れた丑嶋である。これは最初に包囲された駐車場だろうか、それを上から見渡せるビルに入って、あたりを観察している。緊急事態であるから、柄崎にも電話しまくっているが出ない。丑嶋は注意しつつ車に乗り込み、スマホを取り出す。ちょっとわかりにくいが、これは高田と小百合を遠くから撮影した画像ということだろうか。ラインのような画面で、柄崎ではない誰かが柄崎の携帯をつかって話している。今すぐこなければこいつらを全員処刑すると。こいつらというからには、複数であり、やはりこの前の高田と小百合の絵は拉致する前に撮影したもののようだ。つまり、柄崎、高田、小百合の三人が、獅子谷にさらわれてしまったのである。
つづく。
まさかカウカウ全員さらってしまうとは。ネオシシックの機動力ハンパないな。小百合もか・・・。
回想をはさんでかなりわかりづらくなってしまったが、時系列を整理しよう。はっきり時間がわかる日としては、熊倉の三回忌がある。同時に、また交互に描かれているような描写は同じ時間、あるいは近い時間のものだとすると、ウシジマくんの冒頭、滑皮がホテルでがちゃがちゃ御飯を食べている場面は、三回忌の前日である。その同じ日に、丑嶋は鳶田と遭遇して滑皮のもとに連行され、3億を要求される。丑嶋は戌亥と会い、獅子谷甲児の台頭を聞かされる。獅子谷は梶尾たちに呼び出されて丑嶋拉致を依頼され、柄崎と戌亥はその夜に飲み明かすことになる。そしてその翌日が三回忌だ。このあたりから時間の進行が不明瞭になるが、柄崎と戌亥が飲み明かして話していた直後の滑皮は、よくみるとまだ礼服で、三回忌から帰ってきたばかりっぽい。そこで最後に3億を要求し、丑嶋が断って、獅子谷の描写になる。ごくふつうに読むと、丑嶋が獅子谷に包囲された日、つまり現時点での今日は、熊倉の三回忌の当日である。柄崎が戌亥と飲んだといっていることとも平仄があう。とすると、たいへんなことになる。三回忌は一時集合だと鳩山はいっていた。つまり、今日の昼一時に真っ黒だった猪背の髪の毛は、いまが何時だかわからないが、数時間で真っ白けになり、また髭も、風呂に入ったピグレットのように、ボッと伸びてきたことになるのである・・・!
猪背の入院じたいは、最近のはなしとは限らない。丑嶋が帰ってくる前のはなしかもしれない。だからこそ引退のはなしも出ていたはずだ。こうなると、必然的には「今日」は三回忌からしばらくたっていることになる。さすがに染めていない白髪があそこまで伸びるほど時間がたっているとはおもえないから、もともと染めてからけっこうたっていたものが落ちてしまった、という感じだろうけど、どのくらいで白髪染めって落ちてしまうのだろう。考えられることとしては、三回忌からもどった滑皮が3億を要求してから獅子谷が動き出すまで時間があいていた、ということ以外ない。しかし、そうすると柄崎は、あれからまた戌亥とオールナイトで飲んでいたことになる。でも、猪背の白髪のリアリティからして、事実そうなのである。
と、ここまで書いておもったが、そもそも、これはほんとうに猪背なのだろうか。煽り文にはたしかに猪背と書かれているが・・・。若琥会会長の虎谷秀虎という可能性はないか?!もともと、熊倉たちのくりあがりのはなしは、この虎谷が辞めるという件で連鎖して起こる予定だったものだ。もし虎谷が辞めて、猪背も辞めちゃったら、鳩山は一気に虎谷のポジション候補になってしまう。もしこれが虎谷だったら、以上のはなしはすべてすっきりする。なにしろ初登場になるから、これまでの描写はまったく関係ないのだ。ただ、そうなるとセリフがちぐはぐになる。鳩山が虎谷の跡をとるなんてことにはそうかんたんにならないし、それはとりあえず総長ではない。また、初代組長・猪背と二代目組長の鳩山が磨いた「猪背の金看板」を、虎谷が「ワシとお前で磨いた」なんていうことはないだろう。
まあ、ただのまちがいということもあるので、ここはあまり深追いせずに置いておこう。
今回はヤクザくんで描かれた全裸の死体が鹿島であり、それが熊倉の命令で動いた滑皮の手にかけられたものであるということがほぼ確定した。やったのは滑皮だけど、命令したのは熊倉である、ということも、噂では伝わっているようである。だとしたら悪いのは熊倉じゃないかな・・・というような気もするが、だからこそ「熊倉のボケ」なのだろうし、結果としてはそれを引き受けて出世しているのは滑皮であるということも、豹堂たちには気に入らないのだろう。
鹿島殺しが滑皮だとすると、けっこう納得いくぶぶんもある。それは、彼が3億で丑嶋の熊倉殺しを買おうとしているところである。どうあれ熊倉は滑皮の兄貴である。たぶん、鼓舞羅の件で昇進が危うくなっていたので、衝動的に命令したのだろう。しかしかつては熊倉にもかっこいい時代があり、それを見ていたからこそ、現在の「かっこいい兄貴」としての滑皮は成り立っている。ホテルに丑嶋を呼び出して熊倉の件を追及したとき、滑皮はヤクザの仇討ちのシステムについて説明していた。彼らは、じぶんが死んでも組織が必ず仕返しをしてくれると信じているから、命をかけることができる。だとするなら、熊倉殺しの犯人が丑嶋であるという確信がある滑皮は、丑嶋を殺さなくてはならない。しかし、なのに、彼は3億を要求する。これを、一種の妥協点と考えることはできた。滑皮の確信は、なにか証拠があるわけではなく、直感と戌亥の情報の組み合わせでしかないのである。そうして、帰納的にそうであろうと推測はできるが、確証はない。そうとらえることができた。しかし鹿島殺しが滑皮だとすると、ここのところも少しクリアになるのである。
組織の人間である滑皮の行動原理は、つねに外部にある。「かっこいい兄貴」は熊倉をモデルにしたものとしてふるまわれ、そもそもそうすべきだという確信も、熊倉を経由し、ヤクザ組織じたいから遠く受け取っているものだ。身内に手をかけることがヤクザ的にはどの程度タブーなのかわからないが、ふつうの殺人以上にあってはならないことだとここでは仮定しよう。滑皮にとって熊倉は、もっとも身近な先輩であり、組織が及ぼす影響を直接届ける媒体となる。真似すべき、尊敬する相手に、まちがった命令をくだされたとき、ひとはどうなるだろう。ここで、その命令を「まちがっている」と判定するためには、そこにあてがう別のものさしが必要になる。ところが、ヤクザには先輩の命令は絶対である。滑皮がただ従順に熊倉の命令にしたがっているだけとは考えられないが、しかし、彼らの関係は対等ではなく、会話はつねに上から下に流れるものとなる。わざわざ兄弟盃のようなものが用意されているのも、こうした上下関係を明確にするためのものとおもわれる。空手では帯の色は絶対である。原則的に帯が上のものに対しては、年齢も、なんなら強さも関係なく、つねに敬語で、返事は押忍であり、前を通ってはならないとか、いろいろルールがある。僕はそれを、実力以外のところに秩序を設けることで、圧倒的な実力差に絶望したり、あるいは超えられない壁を別の文脈に読み替えることで超越可能にしたり、要するに成長をうながすための智恵ではないかと考えてきた。暴力でくちに糊する彼らにおいても、こうした秩序を用意し、それをかたくなに守ることを美学にまで昇華することで、腕っ節や年齢や外見や才能では超えられないものを別の規則に置き換えているのではないかと考えられる。そのことによって、無形の、名前を与えることのできない流れのようなものは世代を超えてパスされていく。再び空手に戻ると、直接打撃制の空手ではもある程度は型を行うのだが、こうしたむかしから伝わっている型には、現代ではもはやどういう意味があるのかわからない動作が含まれていることがある。しかし、いわれたとおりにそれは行われる。型には、ただの反復動作では再現できない、さまざまな意味が、要素として流れていて、熟練者はそれを日々発見、あるいは解釈していくことになる。伝統的なものは、伝統的であることによって、その価値を再構成していくのである。だから、型稽古にかんしては、意味があるとかないとか議論してもしかたない。ただ「そういうもの」としかいいようがないのであり、あとは好き嫌いで、指導員によってはぜんぜんやらないひととかもいたけど、技芸のパスという視点からいえば、とりあえずやるに越したことはないのである。
似たような流れをヤクザ社会に見出してもそれほどずれてはいないだろう。とりわけ滑皮のような男にかんしてはそうである。まず、彼には、熊倉がかっこいいという観点がある。だからそれを受け継ぐ。しかしそれは、それを一種の方法、「やりかた」として受け継ぐのではなく、モデルとして、お手本として受け継ぐのである。しかし、これを突き詰めると、彼はいずれ梶尾に豹堂を殺させるような男になることになる。これはヤクザ的には非である。ここに、ダブルバインドというか、彼の矛盾が生じる。彼には初期衝動として熊倉がかっこいいということがあったはずだ。だからじぶんもそうなりたい。けれども、熊倉の命令は「かっこいい」ものとはいいがたく、ヤクザの常識からしても外道である。しかしそれに逆らうことは、ヤクザとして生きる以上できない。だが、ここで滑皮は壊れたりしない。おそらくそれこそが、彼が丑嶋にわからせようという、「中途半端な人間と生き方を決めた人間の差」なのである。通常、ふたつの矛盾した命令にさらされて、ひとは強いストレスをためこんだり分裂したりするが、滑皮はこれを、組織の人間として、複雑なものを複雑なまま受け取り、処理しているのだ。おもえばヤクザ社会とはつねにそうである。回想でも、滑皮は、熊倉の命令で彼をむかえに行かなければならないのに、別の先輩にアイス買ってこいと因縁をつけられていた。これは両立しない。だが、たとえばここでアイス買って来いの先輩に、「このふたつの命令は両立しないので」などと説いて論破しても殴られるだけである。とりあえず、アイスは買って来れなくても、なんとかその場をごまかして突破することは可能だ。それが滑皮のおいう「生き方を決めた人間」ということだったのである。丑嶋は、極論、じぶんとうーたんの身が守れればそれでよい。できたらカウカウメンバーも救えればよいし、金も確保しておきたいが、最悪身ひとつあればなんとかなる。哲学がひとつあればじゅうぶんなのである。しかし滑皮はそうではない。いくつもの矛盾した哲学を同時に抱え、おのおの対応できなければ、この世界では生きていけない。そのことを、彼は熊倉の命令を通じて悟ったにちがいないのである。
彼が「かっこいい熊倉」に原風景的な初期衝動を見出していることはまちがいなく、梶尾たちにもかつてのじぶんのようにそうあってほしいと願っている。しかし、ヤクザの世界には、彼の原風景である親子・兄弟関係が導く伝統的ガイドラインの裏に、並行的にダブルバインドの世界が存在している。それは、先輩の迎えに出発しつつ、同時間的に別の先輩のアイスを買ってこなければならない世界である。その複雑系を受け止め、それなりに乗り切るのが、組織の人間なのだ。これは、滑皮にとっては熊倉の姿が二重になることで理解される。若い、カッコイイ熊倉は、原風景のなかにいまも生きている。しかし同時に、無理な要求をする熊倉も、並行世界に存在している。そしてこれは丑嶋に殺された。つまり、殺されたのは「かっこいい熊倉」ではなかったのである。その死は、身内を殺すヤクザが存在する文脈で起こったものだ。したがって、その理解も、親子・兄弟関係で理解される原風景的な文脈ではなされない。彼が熊倉殺しのカタキを討たず、3億で買おうというのも、そう考えれば腑に落ちる。げんに、彼はいっているのだ、「俺にとって熊倉の兄貴は昔の格好良かった兄貴のまま心の中に生きている」と。
豹堂は見た目通り不器用そうな男だ。彼の不器用さは、彼の足場がほぼその原風景的世界にあることを意味するだろう。豹堂は滑皮を殺そうとするかもしれないが、たぶんかなわないだろう。滑皮は、半グレを手先にして手段を選ばず稼ぐありかたがどう受け止められるかも理解しているはずである。梶尾たちも、滑皮が理解してやっているということを理解している(だからあこがれる)。だから、世代間のパスという視点からいえば、滑皮のありようはいずれ外道なものも含めて原風景的なものに包括されて伝統の流れに注がれていくだろう。それほどの器が彼にはあるのだ。
柄崎は人質になるのがもう何回目だよって感じだが、高田と小百合は・・・。小百合も心配だし、高田が預かっていたうーたんたちも心配である。もし「今日」が三回忌の当日だとしたら、とりあえず高田は前日連絡をとっているので、獅子谷たちはほんの少し前に行動を起こして彼らを拉致したことになる。最初から居場所を把握していたということなのだろうけど、いずれにせよたいへんな機動力だ。どうするのかな・・・。
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