昨晩、東京大学本郷キャンパスにて、フェッラーラ大学准教授ラケーレ・ドゥッビーニ女史による旧アッピア街道の発掘についての発表があると、芳賀京子教授から連絡があったので、聴講しに行った。タイトルは「アッピア・アンティーカ39番地プロジェクト」であった。

 女史による発表の後、検索して見つかった様々な新聞記事、女史自身による論文などに目を通してわかったことなどをメモっておくことにした。

 

 その発掘地点、旧アッピア街道39番地とは、後3世紀に建設されたアウレリアヌスの城壁のサン・セバスティアーノ門から約700m、ちょうど有名なドミネ・クオヴァディス聖堂が建つあたりである。伝説によれば、殉教を免れようとローマを立ち去ったペテロの前、ここにキリストが顕現し、市内に引き返したと言われている。[ちなみにその時代にあったセルウィウスの城壁はもっと内側にあり、城門は大競技場南端のカペナ門であった。]

 そのあたりには、アルモーネ川 Valle d'Almone[Valle は谷、渓谷と邦訳されることが多いが、流域のことである]が東から西へと流れていた。[この川は、トロイアの英雄アイネイアスの息子アスカニウス/ ユルスが建国したアルバ・ロンガであったとされているアルバーノから、ロムルスとレムスが拾われたテヴェレ川へと合流している。ローマでは王政期、賢王ヌマの時代にマルスを国の神と定め、マルスの月三月に祭礼を行なっていた。]

 アルバ・ロンガを追放され、ウェスタの巫女となっていたレア・シルウィアがここで軍神マルスと出会い、ロムルスとレムスを懐妊したとされており、一帯はマルス・グラディウス Mars Gradivus [訳すと出陣するマルス; ウフィッツィ美術館にアンマンナーティによる聖像がある]の聖域とされ、軍事演習や兵士の訓練が行われていたとのことである。なお、軍神マルスが市壁内に祀られたのは、アウグストゥスが、自らのフォルムに復讐神マルス Mars Ultor に神殿を奉献したのが初めてであった。それまで、マルスは市壁外にとどまり、ローマを守っていたのである。今の旧市街カンポ・マルツィオにさえもマルス神殿はなかった。そして市の南側、ポメリウム(市壁の建つ聖域) の外、冥界の神々が住むアルモーネ川流域には、前390年のガリア人の侵攻後、マルス神殿が建てられた。前312年、アッピア街道が着工され、ブリンディシ港まで至り、そこからローマは東方へと拡張していくことになったのである。

 発掘調査により、白黒モザイク床をもつ墓室がいくつか出土した。

 ただし、この一帯(カッファレッラ地区)の発掘をすすめるには、行政上、解決すべき問題があるのが現状、とのこと。

 

 

 昨夜の日曜日、NHKの大河べらぼうも終わってしまったし、Wowowでやっていた「サイレントラブ」という映画を見てみた。浜辺美波が主演だったから録画しておいたのだ。期待せずに見始めたが、いつのまにかじっと見てしまった。

 

 交通事故で失明した(ただし視力が回復する可能性はある)ピアニスト志望の音大生と、けんかで声帯を刺され、声を失った青年が出会い、聴覚と触覚のみを頼りに惹かれあっていく話である。声帯を失うことはがんなど、いろいろなケースが考え得るが、ips細胞などによる再生治療は不可能なのだろうか、と思った。

 静かな映画である。場面の切り替えも頻繁ではなく、落ち着いてみられたし、久石譲の音楽も抑えめであった。ロケ地は国立(くにたち)音楽大学だったとのこと。

 野村周平がやな感じの男を地のままで演じていた。この人、悪くない俳優だと思うのだが、性格がとんがっているようで、業界から干されぎみのようだ。

 

 

▼ あらすじなどはこちらのWikipediaに記載されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96

 

 ▼ 映画の重要な小道具であったバリ島のガムランボールについて: 日光東照宮の薬師堂で売っている鈴のお守りを思い出した。

 

 ▼ 劇中のピアノ演奏は、東大卒のピアニスト角野隼人が行なった。

 

 この三島自決事件をとりあげた番組は、NHK総合で2022年4月8日(金)に一度放送されているので見たことがあるが、改めて視聴した。最近、平川祐弘先生の著書を読んだりして、戦後日本のアカ体制をより知ることができたので、自衛隊を合憲とすべく憲法改正をしなければならないと叫ぶ三島由紀夫の気持ちが改めてよくわかった。

 

 1970年11月25日、三島由紀夫(自衛隊に体験入門していた)は、1968年に自ら結成した楯の会の会員4人とともに、市ヶ谷自衛隊駐屯地旧一号館(今は資料館) に乗り込み、自衛隊に憲法改正のための決起を訴えた。そして割腹自殺。

 視点Ⅰ: 自衛官寺尾克美の証言: 東部方面総監のもとを訪れていた三島は、総監を監禁した。寺尾は現場に駆けつけ、三島に日本刀で斬り付けられた。三島らと自衛官たちの格闘。三島は自分の演説を聞かせるべく自衛官たちを集合させようと自衛隊に要求書をつきつけた。自衛隊を否定する憲法にぺこぺこするな、と叫ぶ。聴く人たちの中に、憲法改正に立ち上がる人がいないという見極めをつけると割腹自殺したのだ。

 監禁されていた益田兼利総監は、どうしてこういうことをするのかという質問に「仕方がなくなったんだ、終わったら腹を切って死ぬ」と三島は答えたという。

 視点2: 最後の演説を録音した文化放送の記者、三木明博: この事件の一年半前、東大駒場900番教室で、東大全共闘と三島の討論の場に三木はいた。戦後の好景気に踊る日本を見て、三島は「てめぇの足元はどうだって言いたくなる。守るべきは、神としての天皇をもつ精神文化の国ではないか」と全共闘の学生に訴えた。代表(木村修)は、意見は認められないと言いつつも、三島の勇気を讃え、二人は壇上で握手した。木村は、三島は論理的で、軍国主義者などではなく、気の優しい人だと確信をもった。

 このとき三島は、自分が行動を起こす時は非合法でやるしかないと言っていた。

 楯の会の目的は、左翼勢力から日本を守ることであった。当時は世界中が、右を向いても左翼、左を向いても左翼の時代であった。共産革命を防ぐために祖国防衛隊をつくらねばならなかったのである。

 1968年の新宿騒乱について。三島は、現在の平和憲法のもとでは、自衛隊の出動は許されない、だが警察が左翼勢力に敗れたら、国は自衛隊に頼らざるを得ないだろう、その時こそ楯の会の出番、憲法改正の声も高まるはずだと思っていた。

 ところが、楯の会の出番はなくなった。自衛隊はもはや憲法を守る軍隊になってしまった、血の涙で待った憲法改正の機会はないんだよ、と三島は訴え、嘆いた。自衛隊にさって、建軍の本義とは、日本を守ること、(象徴としての)天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである、と叫んだ。三木明博は、これは軍国主義でも愛国主義でもないと言う。

 第3の視点: 元サンデー毎日記者、徳岡孝夫の証言(46日間の自衛隊体験入門後の三島を取材して知り合った。三島は人間宣言をした昭和天皇に対し、「などてすめろぎ(皇統)はひととなりたまいし」と罵倒していた)。三島からの手紙を楯の会のメンバーから受け取った。計画が失敗した時のための檄文であった。事件が官僚によって隠蔽されないよう、檄文がノー・カットで公表されるよう託したのであった。徳岡は、三島がノーベル文学賞を受けていたら自決はしなかっただろうと語った(1968年、川端康成が受賞した)。

 平野啓一郎の語り: 戦争に行かなかった三島は、生存者が抱く罪の気持ちを持ち続けていた。『仮面の告白』の文章を引用。何で自分は生き残ってしまったのだろう、と。「自分のためだけに生きて 自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない 人間は何か理想なり、何かのためということを考えている・・・死ぬのも何かのためということが必ず出てくる それが「大義」というものです 大義のために死ぬことがいちばん華々しい 立派な死に方である」

 檄文には「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本(たいほん)を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。」とあった。

 

 [たしかに今の日本は嘆かわしい状況にある。災害があるたびに自衛隊に助けてもらっているくせに、いまだに自分たちで憲法を改正しようとはしない。アメリカの占領下に押し付けられたものを平和憲法だと讃えている。核も軍隊も持っている中国に非難されて怯えている。君が代斉唱を拒否する日教組がまだ威張っている。日本神話という文学すら子供達は学校で学ばない。日本はどういう国ですか、と聞かれてきちんと答えられる子供達はいるのだろうか?]

 

 

 

 改めて、番組についてメモをしておこうと思ったら、すでにブログで詳述している人がいたので、それを貼らせていただくことにした。

 

 

 主人公の安重根は韓国にとっては英雄であり、日本にとっては犯罪者であった。韓国映画はそのような人をどう描いたのだろうか、反日映画なのだろうか、と興味があったので見てみた。

 この映画を見る前に、日本が韓国を併合あるいは植民地化した経緯を知らねばならない。

▼ 公明党とか、サンデーモーニング(特に寺島実郎)とか、小沢一郎について分析している國民會館のサイトはけっこう正論を述べている。

 

▼ 伊藤博文暗殺事件についてのWikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 それで映画についてであるが、リリー・フランキーが伊藤博文を演じており、「ワシがなぜしばらく朝鮮併合に消極的だったか分かるか? 朝鮮という国は数百年間、愚かな王と腐敗した儒生たちが支配してきた国だが、ワシはあの国の民たちが一番の悩みの種だ。恩恵を受けたこともないのに、国難のたびに変な力を発揮する。300年前、豊臣が朝鮮に侵攻した時も義兵たちが現れた。今も満州にいる義兵たちが悩みの種だ。これまで我が国が朝鮮の地に注ぎ込んだ金は膨大だというのに、あの民衆は今も日本に敵対心を持っている。方法がわからん」とつぶやく場面がある。これはまさしく日本の朝鮮植民地化の実態を言い表している。この場面を見られただけでもこの映画を見た価値はあったように思える。

 そして、映画のこのシナリオからも、単なる反日映画ではないことがわかる。韓国人は李氏朝鮮時代のひどい政治について、植民地支配した日本が多額の投資をしたことを、伊藤博文が植民地支配に反対していたことをよくわかっていたのだ。でも、一人の日本人政治家を暗殺しただけで変わるものではないのに、やはり深慮が足りなかったとしか思えない。自国の自由を守るには国民が智力を養わねばならない。

 

 凍ついた豆満江の画像が鮮烈だ。ロシアのつくったハルビン駅がすばらしい。日本人役を日本人俳優にやらせる予算がなかったのかしら? 日本語がたどたどしすぎる。それだけにリリー・フランキーの印象が際立っているが。

 

 最後に銃を撃った後、安重根が「カレア・ウラ」とロシア語で叫んだ。ウッラーというのはよくプーチンも言わせる「万歳」のこと、カレアはコレアのことだろう。

 

 

 

 やはりWOWOWでやっていた。タイトルは有名なイタリアの「フェラーリ」だが、アメリカ映画であり、監督もマイケル・マン、主人公のエンツォ・フェラーリもアメリカ人俳優アダム・ドライバーである。オットは飛行機の中で見たらしいが、見ていて憂鬱になったと言っていた。もしかしたら、イタリアではあまりヒットしなかったのではないだろうか。ただし、モデナを中心にイタリアでロケしたので、目の肥やしにはなると思い、見ることにした。

 帝王エンツォ・フェラーリの私生活を深くえぐっていた。幼くして難病で早逝した嫡子の墓参りを繰り返すエンツォ、愛人と庶子の存在を知った本妻(経済面を握っていた)のすさまじい激怒の前に、本妻の目の黒いうちは愛人の子供を認知できなかったとエンツォ、エンツォに愛人がいることを知りながら、後継が必要だから黙っていた母親、車の事故での責任を問われる会社、資金繰りに苦しむエンツォ・・・はっきり言って、憂鬱になるストーリーであった。だが後半の1957年のミッレ・ミリアは見応えがあった。そのレースにおける事故は、フェラーリの事業を危うくさせるほどのものであったが、本妻の支えにより責任を追求されずに済んだ。帝王をいっさい美化することなく扱っていたが、不要と思われる場面もあった。その後のこと、庶子の認知については、最後にさらりと触れられていたのみである。

 

 

 

Wikipedia▼

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

 先生のおっしゃることはいちいち正論。先生が朝日新聞や中国のスパイに暗殺されないことを祈る。個人的にメモる。

 

 まえがき: 著者は、内と外から日本を複眼で見る比較文学比較文化の研究をしてきた比較文化研究者であり、民主主義者である。これまでに述べてきた意見は、反体制ではなく、反大勢であり、論壇の主流からずれていた。この本の表題は、産経新聞に書いた随筆にちなむ。夏目漱石は、長春、ハルビン、韓国を見て帰国直後、韓国総監であった伊藤博文暗殺の報に接して記事を書き、「余は幸にして日本人に生まれたといふ自覚を得た」「余は支那人や朝鮮人に生まれなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いていた。

 著者は『西欧の衝撃と日本』を書いて編集者ともめ、書き換えを求められたが、断り、日本のように言論の自由が認められている国に生を享けたことは、例外的な幸福である」と書き足した。

 植民地主義は悪だが、さらに悪いのは一党独裁制である。大陸は台湾併合を狙うが、教育水準の高い台湾に根付いた民主主義が大陸に広まる方が人民共和国国民にも幸せだろう、などと書いている[痛快!! しかし、中国の独裁政権は強すぎて民主主義は逼塞させられているのが実情 😭]。慰安婦問題についても言及している。

 ダンテの言葉: 自由を求めて我は進む、そのために命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由を。

 

 序章 日本人に生まれて、まあよかった: 朝日新聞を定期購読し・・・ている人の多くは、日本について否定的な考え方に傾くらしい。

 大東亜戦争について、あんな悲惨な敗戦に日本を導いた軍部がなんで正しいはずがあるものか。彼らは井の中の蛙だったのではないか。

 日本に批判的な日本人の中から、自国に対して冷淡な知的青年子女がふえるというのはいかがなものか。日本人としての自己嫌悪は日本否定に走る。

 安倍晋三氏より前の首相の何人かは日本人として恥ずかしい人が多かった。どうしたら世界の中の日本を客観的に把握できて、外に向かってきちんと話しかけることのできるような、世界に通用する日本人になれるのか、どうしたら養成できるのか、が本書の主題である。

 自国に対して自敬の念 self-respect のある人こそ、隣人や隣国を大切にするのではないか。日の丸掲揚反対、君が代斉唱反対は良心的日本人の証しか? 左翼教授のいる国立大学では国旗を掲揚しない。日本の教育体系の中には、日本固有の宗教である神道についての教育はない。

 民主党政権下に、著者は、日本が坂の下へ沈んでゆく思いがし、敗戦直後よりも不気味に感じた。

 敗戦後の日本は悲惨であったが、東アジアで日本は西洋の植民地にならなかった。明治の先輩は独立を護ってくれただけでなく、産業化を達成してくれたと感じた。

 平川先生の思想遍歴について: 1948年、旧制一校の駒場寮で、後に日本共産党委員長となる不破哲三といっしょの部屋に暮らした。社会科学とはマルクシズムであった。だが先生は、マルクス主義の唯物史観に違和感を覚えた。留学を終えて帰国してから、安保反対でかまびすしい世間の中で、先生は孤独を覚えた。

 言論の自由がある日本に生まれてよかったと思っているが、今、日本は経済的にも輝きを失いつつあり、国際社会の中でぱっとしない日本人が多くなっている。

 朝日新聞の社説を是とする秀才たちを案じている。日本の教育環境もいびつ、出る杭は打たれるという戦後教育の競争原理排除も、日本を二流国家に落としつつある。

 

 1章 国を守るということ: 日本を愛することは基本だが、愛国心の鼓吹は時に危険でもある。諸外国 (特に中国や韓国) における日本に対する誤解、悪意に対処する有効な対外応答機関がなく、そこで働くべき人材が乏しい。

 日本人が自己変革に動き出さないのは、多くの人が現状をさほど悪いとは感じていないから。よって現状維持的である。過去の弊害は見えても、未来の設計が見えてこない。戦後体制から脱却せねばならないが、戦前への復帰であってはならない。自衛隊をきちんと軍と呼び、法に適う存在とすることは右傾化ではない。自衛隊を容認しない動きはカルト集団的要素によるものではないか? [私も日本の野党議員はカルト集団的だと思う。]

 反戦論者で無教会主義キリスト教論者の矢内原忠雄もやはり、カルト的要素を含む宗教運動の人だったのではないか。この窓口がなくなったあと、ナイーヴな人は、統一教会、オウム真理教に突き進む場合もあった。偏狭な心は剣呑。信仰が熱烈であればあるほど他宗教を排除するから、日本のような宗教多元主義は不可能。

 日本の憲法17条の「和を以て貴しとなす」は、複数価値の容認と共存という寛容の精神を示している。聖徳太子は、原理原則主義の危険性を察知していたのだろう。よって和諧社会を旨(理想)とし、憲法改正の前文は「和を以て貴しとなす」で始めるのがよいと思う。[高市さん、これ、よくありませんか?]

 1945年に日本を占領した連合軍とそれに迎合した戦後体制をそのまま惰性的に放っておいてよいのか? その憲法の精神は軍事忌避であった。戦後の日本には軍事アレルギーがあった。米軍占領下、日本は言論統制下に置かれ、メディアが操作されていた。私信も検閲にさらされていた。

 日本の防衛は、米国に依存するという他力本願状態に、日本人は安住してきた。日本国憲法の平和主義のおかげで、日本人は米軍麾下の兵隊として戦線に送り出されなかった。日本には、自前の防衛力のことは考えもせず、米軍基地反対のみを主張する人たちがいる。

 平川先生の少年時代、誰もが絶対不敗神話を信じ、敗北を想定することは禁忌であり、日本軍は捕虜になることを認めなかった。東條英機は敗戦を正面から考えることができなかったのではないか。どのように戦いを終えるかという見通しを検討していなかった。そのような考え方は、日本が海に囲まれた島国だという地理的事実にちなむものである。戦闘手段が変化し、島国という安全性が脅かされている今日もなお、絶対平和を確信する人たちは、お人好しで無責任である。

 このような平和ボケが、鳩山由紀夫のようなルーピーを首相にしたりした。はたして大陸の連中と互角に戦えるのだろうか。小沢一郎が中国に卑屈な外交をしたことで、中国は日本を軽く見ていいという信念を得た。日本には北京詣でをする政治家・知識人の伝統がある[かつての聖徳太子のように毅然とせねばならないですね]。

 日本人は、自分たちが、宗教的・言語的・人種的に自分とは異なる勢力の支配下に入る可能性があるとは思ってもいない。亡命を考えることもない。

 スイスの平和主義は積極的なものであり、国民皆兵、外敵の侵入があれば国を挙げて戦う意思をもっていたので、ナチス・ドイツも手出しできなかったのである。

 日本を守るのは竹槍ではできない。

 米国の防衛ラインの外に置かれると日本がどうなるかは、韓国をアチソン・ラインの外に置くというアメリカの言明後、1950年6月に、ソウルが北朝鮮軍に占領されたことを考えればよい。そして朝鮮戦争が始まった・・・。

 なので日米同盟は必須なのであるが、アメリカの世界警察としての能力低下には不安を覚えざるを得ないのが今日である。日米関係の互恵性と双務性を強めねばならない。だが、米国民にとってはなおも日本は「陰険な sneaky(卑劣な)」奴らである。

 〈日本は宣戦布告前に真珠湾攻撃に踏みきったため、sneaky(卑怯)だと非難されている。確かに日本海軍は戦艦アリゾナを轟沈させ千人余の米将兵が犠牲になったが、日本海軍は攻撃を軍施設に絞ったため、民間人犠牲者は68名にとどまった米国は広島、長崎、各都市への攻撃で50万人以上の民間人を殺害した。爆撃が人道的か非人道的かは市民と軍人の死者の比率でわかる。その見地に立てば、真珠湾攻撃はむしろ武士道にかなっていた〉と、櫻井よしこも自分のサイトにこの本の文を引用している。先生はこの意見を英文のタイム誌に投稿した。

 今日、米日間には、政治学上、甘えの構造が出来上がってしまった。米国に依存し、安住し、甘えている。

 とはいえ、日本には自衛隊がある。中国には共産党政権に代わる勢力は見当たらない。台湾併呑の軍事的可能性は皆無ではない今、日本が改憲し、自衛隊を国防軍とすることを米中はどのように考えるのか? 今、日本は米国の核の傘の下にいる。[集団的自衛権とは、政府解釈によると「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」である。]

 戦後の日本の平和は、平和憲法によるものではなく、米国の核の傘と、抑止力をもつ自衛隊の存在によるものなのである。軍事機能のある自衛隊を廃止するか、現行憲法を改正し、自衛隊を軍隊として認知するか、国民には二者択一しかない。その世論調査を繰り返し、行わねばならない。

 東京裁判について: 「勝者の裁判」である。原爆投下の日から善悪の立場は逆転した。だが、左翼インテリの旗振り役、羽仁五郎は判決に喝采した。廣田弘毅のA級戦犯判決に対し、駐日大使グルーはマッカーサーに不当を訴えた。オランダの判事レーリンクも判決を不当とした。

 靖国神社について: 政治と宗教は次元が違う。死者は区別せずにひとしく祀るのがよい。先生はこれを、あらゆる米国軍人戦没者を葬るアーリントン国立墓地 Cimitero nazionale di Arlington に準えている。靖国神社の意味を外国人に伝えねばならない。首相の靖国神社参拝が政教分離に反するという意見には、現行の日本憲法は唯物論 materialismo に立脚しているのか、無神論 ateismo を国民に強要するものか、と訝しまざるを得ない。

 戦後体制の護持を叫ぶ勢力こそが保守反動であり、共産主義や社会主義の理想に未来への展望はない。この人たちは国際社会の現実をつかめず、惨めな最後を迎えつつあるのだ。

 大新聞[朝日]の論説を読み、それに従って行動した左翼政治家たちの末路は失政であった。家永三郎について: 吉田清治の済州島における慰安婦の強制連行という記事にとびついた。平川先生は、この教授のことを、戦後という時代の御用学者であったとし、「日本の悪い面をこれでもかこれでもかと列挙した挙句、中国人民解放軍の良い面をこれでもかこれでもか」という歴史を書いた人であったとし、歴史に対する感性がないから吉田清治が病的虚言症だということも見抜けなかったと批判している。

 

 2章 本当の「自由」と「民主主義」: 日本が尊ぶべき二つの価値は、自由と民主主義であり、日本が、専制主義的一党独裁国家とは違うということを教育することが大切である。今後の中国が辿るであろう道、三つの可能性を挙げている。①代議制民主主義体制への移行②国家主席を国民の直接選挙で選ぶ可能性。これは危険。③各地方に権力者が割拠し、中央政府のコントロールがきかなくなる可能性。

 これから先は、中国国内の締め付けが強化されるであろうから、亡命希望者が増えるのは必定。日本はそれら亡命者を毅然として保護し、受け入れ態勢を整えねばならない。日本は中国の同化政策を支持するわけにはいかない。

 日中の違いを公の場で指摘すべき: 国際公法活動は非常に大切である。日本人の外国語能力は質が悪い。

 毛沢東について: 劉少奇は獄死させられた。『毛沢東の私生活』を書いた李志綏(りしすい)は刊行後、シカゴで死んだ(1995年)。おそらく暗殺されたのであろう。

 その頃、平川先生は『西国立志編(自助論)』を大陸でも台湾でも講義していた。その頃はまだ毛沢東に対する盲目的崇拝はなかったのだが、今はある。スマイルズの『西国立志編』(天は自ら助くる者を助く Aiutati che Dio t'aiuta は有名)を英語に訳した中村正直(徳川幕府によって英国に留学した14人のひとり、明治時代の啓蒙運動家)は、「自由とは、政治支配者の暴虐からの心身の安全保護を意味する」という政治学者J・S・ミルの考えを理解し、『自由之理』訳し、立憲君主制 monarchia costituzionale の価値を発見し、薩長が絶対君主制 monarchia assoluta をつくることを警戒した[おお、そうだったのか!! ]。この本は、自由民権運動のバイブルとなった。明治憲法の精神は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保護することであると伊藤博文は説明している[なるほど!! 明治の指導者はすごい!! ]。

 天皇について: 大正時代に日本大使だったフランス詩人クローデルは「天皇は、日本では、魂のように現存している。・・・常にそこにあり、そして続くものである」と述べた。平川先生は、卑近な国政の外にあり、万世一系という永続の象徴性により、日本人の・・・心の依りどころとなっている、と考えている。『君が代』も景気づけの行進曲ふうでなくてよい、と述べている。

 日中友好には滑稽な面、タブーが多いために気楽ではない面がある。魯迅が夏目漱石に非常に感化されたことを『藤野先生』を取り上げて説明している。明治期の日本を知ることと、孫文が「明治維新は中国革命の第一歩」と言ったこと。

 中国の反日教育は、江沢民以前、鄧小平の時代から行われており、中国人の大半は、日本は悪い国だと思い込んでいる。日本を仮想敵国に仕立てることで13億の中国人民の結集を図ろうとしているのが習近平の政権ではないか。

 

 3章 戦後日本の歴史認識をただす:  日本の敗戦と米軍占領期に広まった歴史観について: 贖罪としての平和運動→左翼の英文学者、中野好夫の自国の歴史卑下の例。

 明治の精神を「五箇条の御誓文」に見る: 平川先生は、これこそわが国の末永い国是だとみなしている。ただし、『坂の上の雲』に自己陶酔するのは自己誹謗よりも危険だと考える。明治維新による日本の近代国家建設の成功例は、アジアに夢を抱かせ、明治期には多くのアジア人が日本へ留学した。

 中国にとって、日本はなにかと癪にさわることが多いようだ。日清戦争(甲午戦争)で日本に敗れたことは、中国人にとってアヘン戦争以上に刺激となり、口惜しい出来事であった; 徳富蘆花の『不如帰』の翻訳について。平川先生は、『西欧と日本』(西尾幹二)という本を読み、森鴎外の場合を取り上げ、『和魂洋才の系譜』『西欧の衝撃と日本』という本を著した。だが第二次大戦後の二十年代の日本では、丸山眞男、中野好夫、大塚久雄などの日本人罵倒論がヒステリックに大流行りだったのは事実。

 一方、ドイツのナチス裁判をも見た東京裁判のオランダ人判事レーリンクは、日本のA級戦犯は真の悪党ではないと著書の中で述べている[そのうち読んでみたい]。また、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』をどう見るかと、恥の文化についていろいろ考察する(賛否両論)。

 北朝鮮や中国では、尊敬とは恐怖の裏返しでしかない。

 日本は昭和に入ってから、なぜ孤独になったのか? 日本は、孤独な言語の、孤独な文化の、孤独な宗教の国、本来的に友邦はない。外国人の日本認識の根底には、第二次大戦中に流布された強烈な日本悪玉イメージがある[実際、日本は悪玉的なことをしたのではないか? 多少はアジアのためになることをしたかもしれないけれど]。特にアメリカにおいては、真珠湾攻撃について「卑劣」というイメージがあり、それは決して拭えない。

 パール・バックの『大地』について; これはアメリカにとって中国のイメージを高めたが、中国にとっては屈辱であったから、読まれなかった。

 蒋介石夫人の宋美齢はアメリカに日本の非道を訴え、賛同を得た。

 だが、中国は共産党支配下に陥り、アメリカは赤狩りを行なう[歴史は動きますね]。そうなると、今度はアメリカの日本に対する見方も変化してきた。特に、日本に滞在したアメリカ人の評価が違ってきた。ところが、敗戦国日本が、経済復興し、経済大国になり、米国の自動車産業を壊滅させると、今度は恨みが凄まじいものとなった[トランプさんは今でも然り]。ともあれ、海外渡航が容易になった今日、日本に対する評価が、旅行を介して良い方に変わっていくよう期待したい。

 反日感情の強かったシンガポールにおける日本のイメージの変遷について; 西欧植民地支配に対決したアジアの反撃という点から、日露戦争を捉えるようになっている。

 日本は、西欧の帝国主義に張り合ううちに自ら帝国主義国家になってしまった。

 百年前の日本人は、イギリスについて、大英帝国の偉業に感嘆しつつも、植民地におけるアジア人の地位の低さに鬱屈した感情を抱いていた。

 河野談話について; 根拠薄弱。自ら自己の談話の欠陥を認めてもらい、言明してもらうしか方法はない。

 台湾は、李登輝が総統となってから自由化・民主化が進んだ。映画『非情都市』の公開(1947年、大陸渡来の中国軍による台湾エリートの虐殺処刑)。この頃のことを台湾の人は「犬去って豚来たる」と称した。台湾総督府の民政局長となった後藤新平について: 経済改革とインフラ建設を推進した。[台湾で評価されている後藤新平についての動画

 一方で、日本は、朝鮮統治に失敗し、朝鮮民族の誇りを奪うことになった。

 

 4章 生存戦略としての外国語教育: 日本は、五箇条の御誓文にあった「智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし」を大原則とせねばならない。戦前の日本を全否定するのもおかしいが、全肯定するのも間違いである。自ら憲法を改正する能力のない国民は、自らの手で国家を上手く管理できない。憲法は改正されねばならない。

 日本を知り外国を知り、外国人に対して位負けせず自己主張のできる人を育て、日本語の正論を外国語にも訳し、諸外国の人を納得させねばならない。外国語で論理的な自己主張ができる人がいなくてはならない

 国や個人を守るのは言葉という武器でもある。明治日本人の外国語能力は今よりも高かったことを、フランス海軍士官クロード・ファレールの『日本海海戦』を挙げて立証している。

 だが第一次大戦後、国際会議における日本代表の特色は3S: smile, silence, sleep だと言われた。一方、中国側は、米国大学出身者の若手を登用して弁論を振るわせた。日本人の英語下手の例外は、緒方貞子女史。理学部・工学部出身者の英語力はさておき、経済学部・法学部の出身者の出来がよくない。反駁 rebuttal [rigetto, obiezione, contestazione]ができねばならない。

 皇族の語学力について。

 相手を知り、自分を知り、その上で、自己の立場を説明できねばならない。

 日本人として自分たちのことを知らないと、日本語でもうまく説明できないから、外国語で相手を納得させることはできない

 

 5章 世界にもてる人材を育てる: 日本を国際競争力のある国とするには、国際競争力のある日本人を育てるにはどうしたらよいか? 教育の悪しき平準化は質の低下につながる。平等を理想に掲げていると、国際的に競争力の低下した国となり、日本は沈滞する。日本は上層部が傑出していない。競争排除のゆとり教育でよいのか?落第と飛び級を復活させるべきだと平川先生はおっしゃる(これは他国ではあること)。子供を退屈させてはいけないから。学校と塾という歪んだ起用行く体系を廃止して、能力別の教育をすべきである[ただし私に言わせれば、日本では、進学する際にかなり能力別にふりわけられているのではないか]。

 漢文教育は人間の生き方を教える: 孟子語録は読むべき。論語を英訳すると、つまらぬ教訓集になってしまう。現代語訳も然り。漢文の迫力が失われる。

 口述試験を取り入れるべき: 表現力を養う。

 外国語が達者なだけで、日本や東洋の古典や歴史を知らない人は、外国人を相手におどおどしてしまう。日本人としての教養を身につけねばならない。それで、平川先生は、日本の古典を英文で読むという一石二鳥の授業をしている(紫式部や小泉八雲などの教材がおすすめ)。日本と外国の違いを比較することで、日本のことがより明らかになる。

 試験は減点主義的なところを改めるべき。減点主義のやり方は、他人の短所ばかりを指摘する人、やきもち焼き、嫉妬深い人、となる。

 旧制一高で行われていたような、選ばれた者の使命、覚悟 noblesse oblige を日本の最高学府は旨として人材を養成せねばならない[これがないから政治家が汚職をしたりするのですね]。

 

 終章 『朝日新聞』を定期購読でお読みになる皆さんへ: アカイアカイ朝日新聞は、敗戦後、社会主義陣営に色目を使う傾向があり、日本国民をミスリードしてきた。例えば、特定秘密保護法に対する攻撃。朝日プラウダ[ロシア連邦共産党の機関紙]と陰口を叩かれたこともあった。

 政治的な歴史問題を取り上げることはデリケートである。先生はかつて、昭和天皇の誕生日に際して、英国ではヴィクトリア女王に対し、阿片戦争の戦争責任を追求する人はいない。だが日本たたきは再開され、戦争責任も蒸し返された、というような記事を書いたことがある。

 世間では、朝日新聞と異なる意見を述べると右傾化とか言われる。だが朝日新聞の左傾化には気がついていない。[従軍慰安婦に関する朝日新聞の謝罪記事は、この先生の本が出た年の年末に出された。]

 

 あとがき: 平川先生がこの本を書き下ろすことになった経緯について。八十路に入っても髪が黒いって、どういう遺伝子をおもちなのでしょうか? この本のタイトルは、薄熙来張成沢が逮捕されたり処刑されるのを見た先生が、夏目漱石が発した「余は支那人や朝鮮人に生まれなくつて、まあ善かつたと思つた」という言葉に共感する自分を感じたので、と書いてある。

 

 平川先生の御説はもっともな正論なので、まだ何冊か読んでみたい。

 

 この本も読んでみたい。先生のおっしゃりたいことは既に明らかであるが。

 

 

 WOWOWでやっていたので見てみた。まず、韓国には赤ちゃんボックスのようなものがあるのかと思い、検索したら、全国に3か所あり、教会系の施設で子どもたちは育てられているとのこと(下にサイトを貼っておく)。

 映画を見終わって、釈然としないことがいくつかあった。

 主人公 (ソン・ガンホ) はヤクザに借金があるようで、その返済のためにベイビー・ブローカーに手を染めているようだが、根は善人らしい。おそらく賭博かなにかの借金が原因で離婚別居している様子。(主人公の相棒の若者も捨て子であり、施設で育った人であったことがあとでわかる。)

 捨て子の母親が現われ、成り行きから、しかるべき養父母を探すため主人公たちと一緒に車であちこち旅するのだが、それを、刑事たちはずっと追跡しており、現行犯で主人公たちベイビー・ブローカーを逮捕しようと、おとり捜査までする。その刑事は子供が欲しくてできなかったという事情がある。主人公がおそらく借金をしていたヤクザの正妻は、その子どもを育てたいと思い、奪おうと企てている。

  (見ているうちにわかるのは、捨て子の母親は娼婦で、女衒のヤクザを殺して逃亡していたという事情があったことがわかる。ただし、そのヤクザと、捨て子を育てたがっている女の伴侶であった死んだヤクザが同一人物かは判然としない。) 

 子供を買い取る夫婦に会うのに、刑事の追跡をまくため、主人公たちは高速列車に乗る。遊園地で観覧車に乗る。そしてぽろぽろと会話する。この映画の秀逸なところは、後半、やはり捨て子の少年を含めた5人の擬似家族のようになってから、互いにぽろぽろ話すセリフの機微にある。

 捨て子の母親は結局、殺しを自供して主人公たちを警察に売り、子供売買の現場に現れない。売買の現場には主人公もいなかった。売買の場に赴く途中、知り合いのヤクザに連れ出されたからである。ニュース報道で、そのヤクザは殺され、現場に4000万ウォン(30万円くらい?)が残されていたとある。誰が殺したのだろうか? 主人公が? だとしても、殺す必要はなかっただろうに。ヤクザに子供を奪われないためには必要だった? これも釈然としない点の一つである。

 3年後の場面で、女刑事が例の捨て子といる。預かっていたのだ[養護施設に入れずに子供を刑事が預かることなどできるのだろうか?]。捨て子の母親が刑期を終えて出所し、女刑事が彼女に手紙を書いた。預かっていた子供の将来について話し合うために関係者一同で集まろうという内容の手紙である。だがその場に主人公はおらず、遠くから見守っているようである[これも判然としない]。5人で遊んだ時に撮ったプリクラを車にぶら下げて[この車に乗っている人が誰かは想像するしかない]。

 果たして、捨て子は、新しい養父母のもので育てられるのか? 実母と、主人公の相棒の若者(観覧車の中で一度提案していた) が養育することになるのか?  この若者は逮捕されたものの罪が重くないということで刑罰は軽かったのだろう。主人公は、ドラマの中で、自分はもう必要ない存在だと言明したのだから、遠くから見守るだけにしているのである。 もしかしたら、5人でいたときに列車の中で、生みの親に(気持ちを)告白されそうになった時、まずいと思い、自分は身を引いて、自分の相棒の若者が赤ん坊の親になるのがいいと考えたのかもしれない[ひじょうに微妙な心情の揺れ具合が仄みえていた]。ヤクザの正妻は子供をもう諦めたのだろうか? 

 いろいろと謎めいたことが多い脚本である。もやもやがまだ残っているが、セリフひとつひとつが微妙に心に沁みた。そして、この映画をジェジュン[幼い時に実母が今の両親のもとにジェジュンを里子に出した]が見たらどう思うのだろうか、感情移入するだろうか、と考えた。ジェジュンは3歳の時、養母に「僕を捨てないで」と言ったことが知られている。捨てられた子供の心の傷はおそろしく深いのだ。

 人間は誰もが、たとえ人殺しでも、捨て子でも、社会的にまずいことをしている人でも、「生まれてきてくれてありがとう」と言われる存在なのだ、と監督は言いたかったのではないか。

 

wiki▼

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC