この本は、姪がおもしろかったというので読んでみることにした。最初姪から聞いた時はてっきり太平洋戦争の残存兵の話だとばかり思っていたのだが、親に虐待されて家出をした少年が43年間も自然の中で生き抜いたという身近なサバイバル体験記であった。ヘビやカエルやネズミを食べたり、ウサギやイノシシを取ったり。山菜やキノコや珍しい山の欄を売って現金を稼ぎ、魚を釣って売り、という才覚に敬服した。いちばん感動したのは、彼を追って家出をしてきた秋田犬が、熱を出した少年を、ボロ布を水に浸してきて看病した話、そして犬のシロを亡くしてから自殺を考えて青木ヶ原の樹海に入った話(自殺した人の様子、その人たちの供養をしたというのもすごい)、熊に襲われて、鉈で熊の手を叩き切ったというのもすごかったし、たぬきと仲良くなり、たぬきの一家に頼られたので、走って逃走したとかいう話にもびっくり。垢が2センチもたまるって、どういうこと? 警察に捕まって現代の日本に現れたオジさんは、まさしくタイムマシンに乗ったようなものであった。エレベーター、ウォシュレット、携帯電話・・・親切な人との出会いも心温まった。

 とにかく、びっくりな話ばかりで、あっという間に読んでしまった。

 2015年頃、NHKはこれをリリー・フランキーで連続ドラマにしていたのね。見てみたかった。220円のオンデマンドで見られるらしい。

 Xで検索したら、2025年7月にテレビでインタヴューを受けていたようなので、まだお元気らしい。まったくすごいことだ。(下に貼っておく)

 

 

 

 昭和21年生まれということは、今は80歳。すごいの一言しかない。

 

 動画の公式チャンネルもあり、去年から6本upされている。けっこう元気そう。

 

 2026年の冬季オリンピックは、私の第二の故郷とも言うべきイタリアで行われている。日本時間では未明に行われた開会式の様子を録画で見た。残念なことに時間がずれこんだのか、最後のハイライト、聖火を点けるところと、チェチリア・バルトリが歌ったオリンピック讃歌の部分が録れていなかった。NHKのばか!! NHK ONEで見られたけれど、録画しておきたかったわ。ニュースでは、Volareを歌ったマライア・キャリーのことばかり取り上げていたけれど(批判があったみたいです)、Laura Pausini のイタリア国家もよかった。その他、ニュースなども貼っておく。メモもする。

 開会式最初のパフォーマンスは、ヴェネト出身の彫刻家アントニオ・カノーヴァの「アモーレとプシュケ」で始まった。BGMに、ヴェルディのアイーダとか、ロッシーニの泥棒かささぎが流れるところなぞ、さすがイタリアである。この二人の音楽家とプッチーニの仮面まで登場していた。Vincerò〜♪ (私は勝つだろう) の歌詞で有名なトゥーランドットの「誰も寝てはならない Nessun Dorma」は最後の方で、アンドレア・ボチェッリが歌っていた。

 イタリアは文化にあふれた国、文学、食、歴史、建築、そういう要素がてんこ盛りだ。ヤマハのバイクを駆っていたヴァレンティーノ・ロッシが運転するトラムで、マッタレッラ大統領がサン・シーロ入りする映像もあった。

 ヴァイオリニストの Giovanni Andrea Zanon がストラディヴァリを演奏していた。

 国旗掲揚場面では、3色のアルマーニスーツのモデルたちが国旗を運んだ。

 聖火リレーの映像では、イタリア各地の観光名所が走馬灯のように映った。パレルモ、シラクーサ、アルベロベッロ、マテーラ、トロペーア、カセルタ、ポンペイ、スカステル・デル・モンテ・・・ 

 メゾ・ソプラノのチェチリア・バルトリは、アルマーニのローブを着て、中国人ピアニスト、ランランの伴奏(何で中国人?) でL'inno Olimpico (オリンピック讃歌) を歌った。下にVogueの Xを貼る。

 

 

 

▼ このクィリナーレ(大統領官邸)の公式動画の終盤に五輪旗掲揚、オリンピック讃歌あり、前半にはイタリア国歌も。ヤマザキマリのコメントなどないのもよい。

 

 どうせ読むならば、ラフカディオ・ハーンの研究家である平川祐弘先生の訳でと思った。先生の訳が大半だが、牧野陽子さんなど、他の先生方の訳もある。字の小さい文庫本であるが、巻末には、解説のみならず、元拠も記載されている。小泉八雲の文章(と訳文)は彫琢を凝らしたみごとなもので、メモなど意味ないことだが、どういう話だったか忘れないために簡単に、個人的にメモしておく。

 

 耳なし芳一: 原拠に比べてひじょうに物語を膨らませてある。下関壇ノ浦での源平合戦を物語る琵琶法師が、平家の怨霊により耳を引きちぎられるという話である。赤間神宮を訪れたことを思い出す(こちらのブログには写真がいっぱい)。

 

 おしどり: ある猟師が一番のおしどりの雄を殺して食したところ、雌が猟師の夢枕に立ち、翌日沼で雌のおしどりが自害するのを目にした。

 

 お貞の話: ある男のいいなづけが結婚前に病床にあった。事切れる前に、この世でまた会うと言い残した。その後、迎えた妻と息子が亡くなった後、旅先の伊香保で、かつてのいいなづけにそっくりな人を見つけ、名を尋ねたら故人と同じで、あの女の人の生まれ変わりだという。男はこの女を娶ったが、それ以来、その女は昔のこともその時に語ったことも何も思い出せないままであった。

 

 乳母桜: ようやく授かった一人娘が病に臥した時、その乳母が、自分を身代わりに病気平癒の願をかけ、それが叶った。乳母は願をかけた寺の境内に桜の木を奉納してほしいと言い残して他界し、奉納された桜は毎年その乳母の命日(2月16日)に花を咲かせた。

 

 策略: 打首になる男が恨み言を述べた。邸の主人は、その深い怨みの徴に、首が刎ねられたあと、あの飛び石に噛み付くよう言い、そうなった。誰もが怨念を恐れたが、主人は恐れなかった。男の怨念が、石に噛み付くという妄執により消えたと知っていたからである。

 

 鏡と鐘と: 寺の鐘を鋳造するために女たちが古い青銅の鏡を寄進した。その中に、寄進したことを惜しんだ女がいた。その女の鏡だけはどうしても溶けず、その噂に耐えかね、その梵鐘を突き破る者がいればあまたの財宝が授かると遺言して自害した。

 人々はそれを信じて鐘を撞くので、坊さんたちはそれを沼へ沈めた。だが人々は、青銅の手水鉢を梵鐘になぞらえて打ち鳴らし、三百両を恵まれるという例が出た。

 さらに、ある自堕落な百姓が、泥で鐘をつくり叩いたところ、土の中から白衣の女が蓋をした甕を持って現われた。その甕に何が詰まっていたかは語られていない。

 

 食人鬼(じきにんき): 夢窓国師は、旅の道中、庵室に住む老僧に宿を乞うたところ、近くの村へ行くように言われ、そこでもてなしを受けた。その家ではたまたま死者が出たので、皆別の村へ移るから、いっしょに行こう言われたが、遠慮してその家に残った。すると夜更けに現われた物影が死体をむさぼり食らうのを目にした。村人の話から、夢窓国師は例の老僧は既に死んでいたことを知り、食人鬼となった老僧の霊に施餓鬼の法会を営んでほしいと頼まれた。

 

 (むじな): むじなはアライグマのことだが、ここでは、日没後に人気のない界隈(赤坂の紀伊国坂、弁慶濠の西側)に出没するのっぺらぼうとして語られている。

 

 轆轤首(ろくろくび): ろくろ首には首が伸びるものと、ぬけて飛び回るものがあるようだが、こちらはぬける方である。

 ある九州の侍が浪人となって剃髪し、僧となり、説法の行脚を続け、ある晩、木樵の家に泊めてもらった。夜中に目覚めると五人の家人の首がない。首たちは林の中で僧侶を食う相談をしていたので退治した。首が一つ袂に食らいついたままだったので、僧は逮捕されたが、袂の首には切られた跡がなく、放免された。後に追い剥ぎにあうも、その妖怪変化の首つきの着物を所望されて売り渡した。追い剥ぎは、悪霊の祟りをおそれ、そのろくろ首が出たあたりを訪ねて葬り、法要を営んだ。

 

 葬られた秘密: 丹波のある商人の娘が嫁ぎ、子を産んでから他界した。だが、その娘は、腰から下は消えているものの、自分の部屋に出没した。きっと霊が気になるものを残しているのだろうということになり、僧侶に来てもらうと、僧侶のもとに霊が現われ、抽出しの敷紙の下から手紙が見つかった。それは娘が昔もらった恋文であり、僧侶はそれを焼き、誰にもその内容を話さなかった。

 

 雪女: 二人の木樵は吹雪にあい、渡守の番小屋に避難した。若い方が目を覚ますと、白装束の女が年老いた男に息を吹きかけており、彼の上にもかがみ込んだが、不憫になったのでやめておくが、誰にも話さぬようにと言って消えた。老人は死んでいた。

 翌年、男はお雪という娘と知り合い、嫁にした。十人の子供ができた時、男は、自分が若い時に会った、妻にそっくりな白い女の話をした。妻は、しゃべったら命はないと言ったのにと甲高い声をあげて煙出しの穴から姿を消した。

 

 青柳の話: ある若侍が、越前から京への旅路、吹雪の夜、山中で一夜の宿を借りた。そこの青柳という娘に心を奪われ、嫁にしたく思い、道連れとしたが、細川の殿の手下の手にかかり館に拉致されてしまった。若侍はなんとか思いを伝えようと漢詩を送ったところ、細川の殿に呼び出された。死をも覚悟であったが、漢詩に感銘を受けた細川公は二人の婚礼を祝った。その五年後、青柳は死ぬ。切り倒された木の霊なのだという。侍は越前であの家を探すと、三本の柳の切り株があるだけであった。

 

 十六桜: 伊予のある侍の庭に桜の老木があり、みごとな花を咲かせていたが、枯れ死んでしまった。その侍も年老いて、子供にも皆先立たれてしまうと、その木を蘇らせてほしいと、その木の下で切腹した。それから、その日、正月十六日になると、雪の季節だというのにその桜は咲くのである。

 

 安藝之介の夢: この大和の郷士は、家の庭の古い杉の大木の下で一睡りした。その夢の中で、豪奢な宮殿に招かれ、その家の姫君の婿に迎えられ、婚礼式を挙げた。そして数日後、莱州の国司に任ぜられ、二十年統治した。そして妃が他界し、国王はその郷士を国もとへ送り返すこととし、海に乗り出した、というところで、目が覚めた。友人はその人の顔のあたりを飛んでいた蝶が蟻につかまり、穴の中に引き込まれたのを見たというので、杉の木の下を調べてみると、みごとな蟻の巣が掘り抜かれており、妃の墓とおぼしきものも見つかった。

 

 宿世の恋: 江戸で、落語家円朝の人情噺「牡丹灯籠」の中から怪談を英語にしてみることにした。ある旗本には美しい儚げな娘(お露) がいたが、後妻と折り合いがわるかったので、女中をつけて別邸に住まわせた。病に臥したその娘を訪ねた医師が、美しい若侍(萩原新三郎) を連れていったところ、娘は侍に懸想したが、医師が、旗本の勘気を恐れて若侍を遠ざけたため、娘は思い詰めて焦がれ死に、女中も世を去った。

 若侍は後で医師から話を聞くと位牌を仏壇に入れて念仏を唱えた。盆の入り七月十三日、若侍は死んだはずの娘と女中に出会い、家に招き、それから毎晩通ってくるようになった。その若侍の傭人はそれを見咎め、女の顔を覗くと、それは髑髏!!  隣家の老人に事を告げる。その老人は若侍に、幽霊と情を交わすならば死ぬと注意され、下谷の谷中の三崎を訪ねると墓が二つと牡丹灯籠。新幡隋院の良席和尚から死霊除けのお札とお守りをもらう。だが、入口を失った幽霊は、傭人を脅して金を握らせ、お札を外させた。こうして侍は死に、その傍らには女の骸骨が横たわっていた。

 ハーンは友人とその墓を見に行った。それらはお露と女中のものではなかった。

 

 因果話: [この話はおそろしかった!]ある大名の正妻が今際の際にあって、若い側室を呼び寄せ、正妻になるよう優しく話しかけ、最後に桜が見たいからおぶって欲しいと言った。背中に乗った正妻はその側室の乳房を掴み、事切れた。その手は取り除くことができず、切断した後も胸にぶら下がっていた。側室は出家し、托鉢に出たが、毎晩丑の刻(深夜の1〜3時)になると干からびた蜘蛛のような嫉妬の手に痛めつけられないことはなかったという。

 

 天狗の話: 悪童にいじめられていた鳶を救った高僧が法師の姿になって現われ、恩返しに見たいものを見せるというので、天竺の耆闍崛山の大会で釈迦如来の説法を目にしたいと願った。それを目にした高僧は、禁じられていたのに、思わず簡単の声「あなかしこ」を上げてしまったがために、その鳶は羽を折られてしまった。

 

 和解: 年若い侍が、主君を失い、職を求めて京を落ち延びるにあたり、妻を離縁した。二度目の妻は性格がよくなかったので、前の妻を思い出しては後悔した。離縁して京に戻り、前の妻のもとを訪ねると、あたたかく迎えてくれた。翌朝目が覚めるとしかし、傍らに寝ていたのは死骸であった。前の妻は、何年も前に、侍が京を離れた年の秋に死んでいたのであった。

 

 普賢菩薩の伝説: 播磨国のある坊様が普賢菩薩にお目にかかりたいと思っていたところ、神崎にある「遊女の長者」の家へ行けという夢のお告げがあり、坊様は、六牙の像に乗った普賢菩薩の姿を見た。門を出た時に件の遊女が現われ、今夜見たことは他言無用と言った。

 

 死骸にまたがった男: 離縁された女が憤死した。男は陰陽師に助けを乞うと、死骸にまたがり、女の髪をしっかり掴めと言われた。女の死骸が外へ出て走り、恐ろしい夜を過ごしたが、陰陽師はそれで救われたのだと言った。[?]

 

 菊花のちぎり: 義兄弟の武士の1人が故郷に旅立つにあたり、9月9日に戻ると約束をした。だが尼子経久に捉えられ、その部下の家に監禁され、約束を果たすために自刃して魂となって立ち戻った。

 

 破られた約束: 妻が死ぬ前に、夫は二度と結婚しないと約束した。妻は自分が庭の隅に鈴とともに葬られるよう頼んで死んだ。だが夫は若い娘と再婚した。果たして死んだ女は、鈴の音とともに現われ、新しい妻を脅かし始めた。人に話すと殺されると脅されていたが、打ち明けると、夫は見張りの侍を二人つけてくれた。だがその侍たちは眠らされ、若い妻は首をもがれて死に、墓の傍らに首を持って立っていた。ある武士が念仏を誦えてその化け物を切ると消えたが、肉の落ちたその右手はなおも血まみれの首を握っていた。

 

 閻魔の庁で: ある少女が疫病にかかった時、親族が疫病神に熱心に祈ったところ、娘は、疫病神が同じ名の娘と命を入れ替えて救っくれるという夢を見て、快癒した。再び三日間臥せって目が覚めると家のことも両親のこともわからずにいる。身代わりに死んだ娘は一方で、閻魔大王に送り返され、魂は臥せっていた娘の体に戻った。そして駆け出して、自分の家に戻り、両親と再会し、事の次第を説明した。二組の両親はその娘を両家の子とみなし、娘は両家の遺産をつぐこととなったという。

 

 果心居士の話: 果心居士は地獄の責苦を描いた掛け物を見せながら説法してお布施を集めていた。信長がその掛け物を所望すると、果心居士は金百両を提示した。信長の家来は果心居士を斬って絵を奪ったが、掛け軸を広げると真っ白で絵がない。しばらくしてから、果心居士は別のところで絵を見せていた。そして妖術使いとして捕えられ、取り調べられた。絵には魂が宿っているから百両払えば絵は戻るだろうと言い、実際そうなった。痛い目にあわされた侍の弟は果心居士を殺したが、また生きて現われて捕えられた。その間に信長は光秀に殺され、果心居士は光秀に呼び出された。そこで酒をふるまわれ、屏風絵の中の船と湖水を実現させて一同をびっくりさせた。そして果心居士はその船に乗り、沖合へと姿を消した。

 

 梅津忠兵衛: この出羽の国の侍が夜勤番に当たっていた時、夜更けに女と出会い、赤子を預かってほしいと言われ、抱いていると、その子がどんどん重くなった。あまりの重さに南無阿弥陀仏とつぶやくと、腕はからっぽになり、戻ってきた女は、自分は氏神で、氏子の難産を救ってくれたから、その侍に剛力を授けると言った。この侍の子供たちもやはり剛力になった。

 

 夢応の鯉魚: 近江の三井寺にいた絵の名手である僧が、夢の中で魚と戯れていた記憶を絵にした。死んだようになって七日過ぎてから蘇生し、夢の中で自分が魚になって釣られてしまい、調理されたところで目が覚めたと語った。その次第はまさしく事実であった。その僧が他界してからしばらくして、描いた魚が湖に泳ぎ去ったという。

 

 幽霊滝の伝説: 麻取り場の女たちが、幽霊滝に一人で行ける人には取った麻をあげるという話になった。お勝という女が行くと言い、証拠として賽銭箱を持ってくることにした。果たしてお勝は戻ってきたが、おぶっていた子供の頭がもぎ取られていた。

 

 茶碗の中: 江戸時代の話。ある若侍が茶屋で渇きをうるおそうとしたところ、茶碗の中に顔の影が写っていた。注ぎ直してもやはり現われる。それを飲み干してしまった日の夜、あの茶碗に写っていた男が現われ、にじり寄ってきたので、短刀で斬りつけたが手応えがなく、壁の向こうにするりと消えた。翌晩はその男の家来が三人現われ、主人は傷が癒えたら報復に来ると告げたので斬りつけたが、舞い上がって消えた。話はそこで途切れているとのこと。

 

 常識: 京の愛宕の山に学僧がいた。学僧は猟師に、毎晩象に乗って普賢菩薩がお見えになると語った。寺の小僧も何度か見たという。漁師は寺に留まり、普賢菩薩を待ち、現われると弓矢を射た。翌朝、矢に射抜かれた狸の死骸が見つかった。

 

 生霊(いきりょう): ある江戸の霊岸島の商人は、甥を店の手伝いとして入れた。よく働いたが、七ヶ月ほどした頃、からだの具合がわるくなった。聞いてみると、店のお内儀(あるじの妻) の生霊に苛まれているのだという。内儀は甥が優秀なのに、実子が才覚に劣るので、甥を呪っていたのだという。甥は支店を出してもらい、それからは生霊に悩まされることはなく、再び元気になった。

 

 お亀の話: 仲の良い若夫婦がいた。妻のお亀は病に倒れ、再婚しないでくれと言って息絶えた。残された夫は日に日に衰えていった。母に打ち明けたところによれば、お亀が毎晩添い寝をしにくるのだという。寺の和尚に助けを乞うと、お亀の墓をあばくこととなった。その遺体はまるで生きているかのよう。和尚は遺体に梵字を書き付け、施餓鬼の法要を営むともう霊がやってくることはなくなり、夫は健康を回復することができた。

 

 蝿の話: 商人夫婦のもとに玉という下女がいた。着る物を質素にして節約していたのは幼い時に亡くした両親の法要を営むためであったことを商人夫婦は知った。こうして両親の法要を営み、残りの三十匁を内儀に預かってもらった。そしてにわかに病床に臥し、死んだ。それからしばらくすると、冬だというのに家の中に大きな蝿が入ってきた。目印をつけると同じ蝿が何度も入ってきた。夫婦はこれは玉だと思い、預かっていた三十匁で、玉の法要を営んだ。

 

 忠五郎の話: ある旗本の足軽忠五郎は人好きの良い若者であったが、この頃、毎晩家を抜け出して明け方まで帰らないようになった。顔色も悪くなり、仲間に誰何され、訳を話した。きれいな女に出会って、水の中に導かれ、宮殿に至ったと話した。そして忠五郎は意識を失い、診察した医師は、彼に血がなく、血管の中にあるのは水だと叫んだ。医師は前にも似たことがあり、その女の正体は醜い蛙なのだと話した。

 

 鏡の少女: 足利時代、南伊勢のある神社の宮司は社を修復する助けを求めようと京に上がり、待つ間、一軒の家を借りた。屋敷の東北に井戸があり、多くの人が身投げした不吉な井戸だと言われていた。旱魃があった時、人々はそこに水を汲みにきたが、ある朝、若い下僕の死体が井戸に浮かんでいた。見ると水に化粧をする若い女の姿が見えた。引き込まれそうになったので、垣根を作って近づけないようにした。

 それから一週間ほどして、井戸に見えたあの女が訪ねてきた。あの井戸には竜王が住んでいたことがあり、私を使って人の生き血を吸っていたが、今はいなくなったので、私の体を引き上げてほしいと言う。井戸を浚うと髪飾りと鏡が見つかった。

 またしてもその女が現われ、鏡を足利義政公に献上してほしいと言う。さらに明日この家は破壊されるので留まるなと忠告したので、宮司は洪水にあわずに済んだ。しかも義政公は献上品を喜び、神社再建の資金をたっぷり与えたのである。

 

 伊藤則資(のりすけ)の話: 六百年ほど前、宇治に美男の武士がいた。近くで宮仕えをしているという少女と会った。物騒だったので家まで送ることにした。そして屋敷に上がるよう誘われ、美しい姫君に引き合わせられ、婚礼をあげた。侍っている老女によれば、姫は平重衡の息女だという。ぞっとした。その人は何百年も前に人ではないか!! だが夜明けを告げる鐘が鳴ると別れの時だと告げられ、彫りの施された小さな硯を贈られ、十年後の再会を告げられた。その後、その場に戻っても館など何もなかった。侍はやせ細り、十年後、硯をいっしょに埋葬してほしいと告げて他界した。その硯には12世紀、高倉天皇の御代の匠の銘があったという[やはり平家の人は成仏できていなかったようですね]。

 

 美は記憶なり: 人間の愛に関わる感覚、美に対する衝撃は、幾億という生命を通して蓄積された記憶なのだ、という説。なんだか神秘的哲学のような文。

 

 美の悲哀: 美の感覚に伴う謎めいた悲しみは、数知れぬ前世の追憶の悲しみだ、という、やはり神秘哲学のような文。すべての美しいものは悲哀の感情を呼び起こす、それは無数の死者の感情がそう思わせるのだ、と。

 

 薄明の認識: 超自然的なものに対する恐怖がいちばん怖い。それは遺伝的な恐怖の複合体だから。夢の中の恐怖についていろいろ[金縛りとか?]。

 

 破片: 夕刻の暗闇の中、菩薩と巡礼が山を登る。まわりには髑髏ばかり。頂は遠い。それらの髑髏はすべておまえの髑髏だと菩薩は言う。

 

 振袖: 250年ほど前の江戸の振袖火事について。ある娘が美しい侍にまた出会いたいときれいな振袖をつくらせたが、再会できず、恋焦がれて亡くなり、その振袖は寺に寄贈された。その着物は売りに出され、買って着た娘はやはり患って死んだ。これが繰り返されるに及び、住職は怪しんでその着物を焼いた。その炎が寺の屋根に飛び、大火となって江戸のあらかたを焼き尽くした(1657年の振袖火事)。美しい侍は人間ではなく、不忍池の主である竜の化身であったという説もある。[だから古着は気持ち悪いのよね。呉服屋の人が新しい反物を売りたくてつくった怪談かしら?]

 

 夜光るもの: 夜の大空に沸き立つような星くずは、幽界の深淵[エレボス Ἔρεβος]にうずまく生命であった。[またまた神秘と夢想の話。]

 

 ゴシックの恐怖: ハーンは、幼少期より、ゴシック建築に特別な恐怖を感じていたとのこと。巨大な恐竜の骸骨の中にいるように感じていた。椰子の木にも、恐ろしい美しさの感覚をおぼえた。ゴシックの尖頭アーチは椰子の枝のカーヴを示唆し、増強する力とエネルギー、脅かす悪意、魑魅魍魎と化すのだ、と。

 

 

 英文学者の故外山滋比古が書いたこの本は、Wikipediaによると、1983年の刊行以来、「東大京大で1番読まれた本」[5]としてロングセラーとなり、文庫版は124刷、253万部に達した、とのことなので読んでみることにした。でも英文学者のくせに「今日に至るまで外国の土は踏んでいない」とか言いつつ英文学者でいられたのは不思議だ。

 

 . 学校はグライダー人間をつくる、という考えには一理ある[グライダーは誰かに飛ばしてもらわねば飛べない]。新しい文化の創造には飛行能力が必要である。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事を奪われる。

 漢文の素読のように、教えないことがかえっていい教育になる。

 知的活動には朝の方がよいとか、まあ、当たり前のことですね。

 

 . 思考には発酵させる時間、寝させることが必要とか、当たり前のことですね。思考のカクテル、エディターシップ(すでにある思考の序列、編纂をする)、触媒、アナロジー(類似、類推)、セレンディピティ[これは初耳だった。副次的に得られる研究成果、思いがけず、周辺的事項に関心が動く、というような現象]。

 

 . "メタ"という言葉はいまいち判然としない。この本を読んでもよくわからない。情報のメタ化、思考や知識のメタ化とは、整理して関連づけた二次的なものをさらに昇華させ、三次的なものとすることだという[いろいろ検索するが、それ以外の意味もありそうだ]。

 スクラップ、カード、ノート、つんどく法、メモ、などのノウハウについては言われるまでもないことだ。各自試行錯誤するのがいい。

 

 . 頭をよく働かせるには忘れることが大切だ。知識の処分、整理、新陳代謝[私もそう思う。思考を切り替えるのが大切]。思考の整理には忘却がもっとも有効。

 

 . 時の試練島田清次郎の『地上』という大正時代の小説は当時たいへん話題になったが、今では完全に忘却された。一方、夏目漱石は今は国民文学となっている。時のふるいにかけられたから。スイフトの『ガリバー旅行記』は政治風刺として書かれたが、時を経て、リアリズムの童話となり、古典化した。

 史家の大半は現代に近づくことを恐れる。流行の色眼鏡をかけているから。

 知識は多ければ多いほどよい。組織された知識でないとものを生み出す働きはない。かなり精通してくると、壁に突き当たり、新鮮な好奇心が失われる[まさしく!]。整理とは、関心、興味、価値観によってふるいにかける作業。

 とにかく書く: 修飾語を多くつけると表現は弱くなる。副詞が削られ、最後に名詞が残る。テーマは一つのセンテンスで表現されるものでなければならない。

 ピグマリオン効果? 教えずに学ばせる。褒めて育てる?[ピュグマリオンは、ギリシア神話にあるキュプロス島の王]

 

 . しゃべる: 声は考える力をもっている。談笑: ロータリー・クラブの各支部は一業一人という条件。話題は多彩、多元的、複眼的。ただし、同じ学問をしている人たちが創造的雑談をしている場合もある。

 インブリーディング(近親交配、同型繁殖)は戒めるべき: その逆である桃太郎の話の例。ブレイン・ストーミング: 集団思考により根気よく解決法を見つける。インターディシプリナリー: 学際研究: 隔絶していた学問の垣根を取り払うことで生まれる新たな学問[例えば、今、東大がソンマでやっているヴェスヴィオ山の噴火をめぐる歴史・考古学・火山学・地球科学の相互研究のようなものだろうか?]。

 アイデアが閃くのは三上・三中: 馬上、枕上、厠上。無我夢中、散歩中、入浴中。

 本に書かれていない知恵がある。ことわざ。自分だけのことわざの世界。

 

 . 現実世界は二つある。直に接している現実と、知的活動によってつくられた頭の中の現実。この映像による現実が、現代の知的生活を複雑にしている。これらをなじませなければ、大人の思考にはならない。

 知的活動には三つの種類がある。1. 既知の再認、2. 未知の理解、3. まったく新しい世界に挑むこと。

 われわれには、拡散と収斂という二つの能力があり、これらを区別してかかることが重要。収斂は思考の整理であり、創造的なのは、拡散的思考。

 コンピューターの出現により、記憶と再生という人間の知的活動は脅かされている。創造性こそが人間らしくあるもの。

 文庫本のあとがき: 外国人から、日本人はよく I think---と言うと言われた。断定的な言い回しを避けるために「〜だと思う」と言うことを指す。シェイクスピアの時代の英語には、methinksという言い方があり、「〜思われる、であろう」に相当する。主張の強さに欠ける[イタリア語には、mi sembra che 〜/ mi pare che〜/ penso che〜 などに導かれる接続法という主観を述べる構文がある。それを使わずにすませるには、Secondo me, (私の考えでは)と前置きして直説法で断言すればよい]。

 東大特別講義〈新しい頭の使い方〉: 日本人の研究者は、国際的に批判を受ける勇気をもち、外国語で論文を出すべきである。

 コンピューターは、記憶と再生に関して人間をはるかに凌駕しているが、記憶した情報を、選択的に忘れることはできない。消去は全面的忘却である。一方、人間の忘却には個人差がある。幼児の絶対語感について。

 知識は力なり、を盲信すると、知的メタボリックになり、思考力について、弊害を引き起こす。よって、不必要な情報は忘れねばならない。情報社会に溺れないためにも、学びの新陳代謝をせねばならない。知識は思考の敵である。

 ハイブリッド文化: 文化系と理科系のように異質な情報を統合すると、人間味がある新しい想像力がうまれる。純粋ではなく、雑然としたものには力がある。

 

[読み終わってみて、なるほどと思わせられたこともあった。私がシチリアに強い関心をもったのは、きっと雑然としてさまざまな文化が累積しているからなのだと思い至った。そして、シチリアについて学びながら、ギリシア、ローマ、エトルリア、ランゴバルド、へと関心が広がっていったのは、まさしくセレンディピティという現象だったのだと理解した。そして、イタリアという国の魅力は、奥深い歴史の積み重なりと、民族的に培われた審美的感性により前衛的デザインを受容し続けるという、ハイブリッドなところにあるのだと実感できた。]

 

 

 

 平川先生の自伝を読まねばならないと思いつつも、横浜流星、広瀬すず、杉咲花、清原果耶ってキャストの豪華さに惹かれ、この映画を見てしまった。

 この映画、タイトルから恋愛ものかと思ったのだが、一言で言うと、殺人事件で殺されたけれど成仏できない霊魂たちの気持ち、生き残った家族および関係者の気持ちを描いたものであった。冒頭の事件の現場はあえてすっぽ抜けており、いきなり大人になった主人公の巻が始まる。だから観客は途中まで、なんかへんだと思いつつも、大人になった少女たちが幽霊だということに気がつかない。そっちの世界とこっちの世界があるという前提で、主人公の少女たちは、自分たちが死んでいることを理解しつつも、生きている人たちと交信したいと思ったり、生きている人に思いを届けたいと思ったり、自分たちがなぜ殺されねばならなかったか犯人から聞きたいと思っている。でも犯人は動機を語ろうとしない。これにはイライラさせられた。

 

 この映画については、多くの人(270人以上)がブログに書いているし、Wikipediaにはあらすじなど詳細も書いてあるので、そういうことはすべて省く。

 横浜流星が自分でピアノ演奏している!! この人、歌舞伎にしても、何にしても、プロ意識が半端ないですね。

 結論、それなりに面白かった。やはり映画はキャストが勝負ですね。

 

 

 

 まだ若かった頃、私は小田急線沿いに住んでおり、千代田線と直結しているので、六本木に用事がある時はたいてい乃木坂で乗降した。その地名はやはり乃木陸軍大将にちなむもので、殉死後に追悼して改名されたのであった。その人物をもう少し知りたいと思ったら、司馬遼太郎が小説にしていた。前半は軍人だった時のこと、後半は明治天皇とのことである。読んでみて、やはりなと思ったのは、日本軍は兵站と諜報に疎く、相手の軍備を見くびるところがあり、精神主義を重んじた。そして海軍と陸軍の間には意思疎通が欠け、互いにプライドばかりを気にしていた。このような状況は第二次大戦の太平洋戦争まで変わらなかったのだ。乃木将軍がこんなにナイーブで、非軍人的な人であったとは知らなかった。メモる。

 

 Ⅰ. 要塞: 乃木希典の家があった港区麻布の低湿地帯には江戸時代、長州毛利家の支藩、長府毛利家の上屋敷があり、そこでは元禄16年、赤穂浪士のうち10人が切腹したのであった[切腹して自刃した明治時代の軍人の話に、いきなり赤穂浪士とは!!]。

 年譜: 黒田清隆に呼ばれ、23歳でいきなり陸軍少佐となる。

 明治7年頃、銀座・京橋に多くの洋館が建ち、その一棟を月賦で買い、一家は移り住んだ。

 明治10年(1877年)、西南戦争に連隊長心得として出陣させられ、敗走し、負傷し、軍旗を奪われるという不幸に見舞われた。乃木は野戦病院から脱走して戦線に加わったという悲壮なことをした。軍旗を奪われたことで自責の念から死を冀い、監視を受けた。これらの出来事にもかかわらず、乃木は中佐に進級した。

 習志野での演習においては、児玉源太郎に乃木はいくさが下手だと笑われた。

 乃木は酒と料亭なしにはすまないという生活が9年も続いた。

 明治19年(1886年)、ドイツ留学を命じられ、以後、性向、容儀、嗜好、日常習慣すべてが一変し、別人になって帰還した。ドイツで戦術を学んでいる時、兵站(ドイツ語でEtappe ) の問題が出たが、日本陸軍はこれについて全く意味を知らなかった[この欠陥と情報収集の欠陥は第二次大戦でも多くの兵士を死なせることとなった原因だと私は思う]。料亭通いは一切やめ、寝る時も軍服を脱がなくなった。

 

 日露戦争の旅順攻囲戦について。旅順港内にいるロシア艦隊を、海軍は閉じ込めるようにと陸軍に要請し、大本営参謀本部はそれを引き受けた。だが、そのためには旅順要塞を攻撃せねばならないが、日本軍はそれについての知識情報をまったく持っていなかった。そかも近代要塞を攻撃した経験もなかった。これが少将時代の乃木に命じられたことは乃木にとって巨大な不幸となった、と著者は書いている。大本営は乃木にわずか三師団の歩兵と野砲一個旅団、重砲兵三個連帯しか与えず、火砲は鋼鉄ではなく、維新当時の旧式な青銅臼砲が混じっていた。近代要塞の知識がないから、乃木は要求も意見もせず、大本営の肉弾戦という方針に黙して従った。現地に赴く乃木には、参謀長として伊地知浩介が付けられた。海軍側が、海軍銃砲隊を協力させようと提議したことをこの参謀長は必要なしとしてはねつけた。敵の配備は手薄だと見たのである。

 乃木は、軍事技術者というよりも自己美の求道者であった、と著者は述べている。

 乃木の長男、勝典の死はロシア軍の機関銃射撃によるものであったが、機関銃は日本軍にとっては初めて見る新兵器であった。

 旅順の要塞は山一面の灌木に覆われ、その概要はとうていわからない。すべてみごとに隠蔽されていた。伊地知らには想像力に欠けていた。そのような堅牢完璧な要塞に、歩兵によって中央突破し要塞の郭内に入るという日本軍の立てた作戦は童話のようなものだが、日本軍は正気であった。東京で、海軍からの重砲提供を打診されたが、参謀長はこれをはねつけたが、乃木は金州半島海域にいる海軍からの重砲提供を受けることにした。司令部は要塞を数日で陥落させられるものと考えていた。だがこの読みは甘すぎ、実際は150日以上を要し、6万の兵の血を流すこととなった[無惨な戦況はメモを略す]。

 

 その間に二百三高地という攻撃目標が加わった。その価値は海軍によって発見されたものであった。海軍は、旅順要塞の唯一の盲点である二百三高地を取り、そこから旅順港の艦隊を撃沈すればよいと思ったのだ。陸軍はその提案を一蹴し続けたが、満州派遣軍による現地偵察の報告を得て、ようやくその気になったのである。ロシア側も二百三高地という弱点に気づき、防備をほどこし始めた。一方、日本軍には弾薬が不足した。乃木はこの惨況のため不眠症となった。後に乃木は「無知無策ノ腕力戦は、上ニ対シ下ニ対シ、今更ナガラ恐縮千万ニ候」と陸相に書き送っている。

 この乃木と伊地知の窮地を救ったのは、火砲の研究開発をしていた有坂成章少将であった。最低22珊(サンチ)砲が必要、東京湾観音崎砲台に設置されている28珊砲を輸送しようということになる。この砲の出現は金州半島を震撼させることとなった。それでも乃木らはまだ二百三高地を攻めようとはせず、満州陸軍総参謀長の児玉源太郎が現地に乗り込むこととなった。児玉は乃木の無能を承知していた。

 児玉は乃木と二人だけで語り合い、第三軍指揮の全権を自分に任せるよう説得し、そうなった[NHKがドラマ化した『坂の上の雲』では児玉を高橋秀樹が演じたのを思い出す]。かくして日本軍がついにその山を奪い、旅順港を見下ろした。逃げ場を失ったロシア側の司令官ステッセルはその20日後に降伏開城を申し入れた。

 

 旅順陥落後、乃木の第三軍は奉天の戦地に行くよう指令を受けた。その後、電線の切断により総司令部との連絡が途絶え、児玉は「乃木が迷子じゃ」と悲痛な思いでつぶやいた。荒涼たる戦野で、乃木は「孤軍、奉天ヲ衝ク」と決意した。

 奉天会戦について: ロシア側が優勢で、消耗した乃木の第三軍は苦戦を強いられ、なす術もなく、それを恥じた乃木は自殺の衝動に駆られたようであった。結局、日本軍はさらなる軍の投入により勝つことができたが、この本では、乃木の無能さを殺したいほど腹立たしく思った児玉についての回想を記して章を終えている。

 

 Ⅱ. 腹を切ること: どのように乃木希典とその妻が自決したか。まず、妻について: 薩摩藩士であった人の娘お七が静子となったこと。石川県の不平士族に暗殺され大久保利通の国葬の時、儀仗兵指揮官を務めた乃木の姿をお七は見ていたこと。結婚してからも乃木は料亭通いを続けていたこと。

 乃木希典と陽明学について: 知行合一、幕府のような秩序の支配者にとっては恐るべき学問であり、維新の立役者たちはたいていこれを学んでおり、たいていの人が劇的な生涯を送った。乃木希典の系統は、吉田松陰と、その叔父で師匠である玉木文之助から出ており、山鹿素行の正統を継ぐものであり、生涯それを守った[大石内蔵助もその一人であった]。山鹿素行の『中朝事実』は皇室絶対思想という主題に貫かれ、武士の生き様を問うている。著者は、乃木にはこの陽明学的体質があった、という。

 

 日露戦から凱旋した乃木は、従二位に叙され、伯爵となり、軍事参事官であり、学習院院長であり、宮内省御用掛であった。乃木は足繁く参内し、明治帝に愛された。

 明治帝は、西郷隆盛により、旧幕臣山岡鉄舟を侍従とした。帝と鉄舟の信頼感と愛情には深いものがあった。郎党のような鉄舟の死後、明治帝にとって、乃木はやはり郎党のような存在であった。

 

 さまざまなエピソード: 明治39年(1906年)1月、日露戦争から凱旋した幕僚たちが宮中に参内した時、乃木だけは戦闘服のままであり、各自読み上げた復命書のうち、乃木のものは自ら記したもので、読みながら嗚咽し、うなだれ、上座にいた者たちは一時廊下へ遠慮したほどであった。3ヶ月も前に終わった戦争の戦闘服を着たままであったのは乃木のみであった。その劇的な様子をこの本は記している。

 帝の横浜行幸の話、学習院に東郷平八郎を招き、講話してもらった時の話。皇孫(裕仁殿下) に対しては院長というより郎党として接し、質素を教えたこと。帝が風邪を引いた時、白河砂を敷き詰めた中庭を通り、陛下がその足音を聞き分けたと聞かされた乃木は驚き、見舞いから帰る時、長靴を脱いで静かに退出したことを知った帝が大笑いされたこと。 

 

 帝が病んでおられた時、沼津に行った乃木は家人に泊まる所を告げていなかったので、帝の危篤を知るのが遅れた時の様子について。

 かろうじて乃木は帝の御臨終に立ち会うことができた。天が白みはじめた時、年号が大正に変わったと聞いてからの乃木の様子について。殯宮に朝と夕、毎日参拝しつつ、さまざまなことの整理をし、自分の肖像と、先祖の佐々木高綱の肖像を依頼した。夫人が跡目について相談したが、相手にしなかった。いっしょに死ねばよかろう、と言ったともある。

 辞世の句について: 大君のみあと慕ひとわれはゆくなり

 自死の前々日、皇孫殿下に拝謁した。淳宮光宮もいっしょであった。手写した『中朝事実』の講義をし、「国家の本は民にあり、民の本は君(天子) にあり」と読み聞かせ、涙を滴らせた。裕仁殿下だけはその場から逃げ出さずに聴講し、献上した。殿下は、「あなたはどこかへ行ってしまうのか」と甲高い声で尋ねた、とある。

 死ぬ前日、夜食のそばを食べてから、自室にこもり、遺言書を認めた。

 当日は、ご遺体が桃山御陵へ出発する日であり、出発は夜の8時であった。書生や女中を御大祭の拝観に出かけさせた後、静子が部屋に行くと、古式に則り、自刃の準備が整えられていた。自刃は大正元年(1912年)9月13日午後8時、享年64歳であった。階下にいた静子の次姉は音を聞いて駆けつけた。乃木は、妻の自害を手伝った後、十文字腹を切り、上体を倒して咽喉を切った。乃木の自刃は、その1時間後には大葬を拝観していた群衆の間に広まったらしい。

 

 山内昌之の解説は、乃木静子の写真についていろいろと想像している。乃木希典には人の庇護意識を刺激するものがある、という考え方について: 児玉源太郎、明治天皇、乃木静子の場合。

[この人の訓育を受けた昭和天皇にして、マッカーサーを感動させ得たのだと思う。明治維新と陽明学、このたび、私はこの関係を知ることができた。]

 

 京都の南方、明治天皇の桃山御陵の近くにも乃木神社がある。ご夫妻の墓所は青山墓地にある。今年、京都に行って時間があったら訪れてみようかしら。

 

▼ 港区の乃木神社のサイトにある乃木希典夫妻の写真; この本の巻末にも掲載されている。殉死の朝、自邸内で撮影されたもので、同神社の宝物殿にある。

 

 

 

 高市総理、韓国の李在明大統領訪日のサプライズにドラム演奏を用意した。理由は「昨年APECでお会いした際に、ドラムをたたくのが夢だとおっしゃっていたので、」とのこと。勝手に自分の趣味で用意したわけではないようだ。Yahooニュースによると、ドラムの製造元であるパール楽器製造株式会社の担当者は、「現在は発売していないモデルですが、弊社で過去に製造していたドラムで間違いございません。タムはビートインシリーズ、それ以外はレンジャーシリーズで、80年代から90年代に販売されていたものになります。当時の価格で、一式10~15万円ほどでしょうか」と説明、とある。よく見ると、ブルーのつなぎには「Lee Jae Myung」という刺繍が入っている。

 その後のニュースでは、李在明大統領側からも韓国製ドラムセットとスティックなどが贈られたとのことだから、相互的であったことがわかる。根回しがあったのだろう。となれば、悪くは言えない。

 

▼ これは首相官邸のショート動画

 

 

 

 

 

 今年のアカデミー賞は3月15日の予定。1月11日にゴールデングローブ賞が発表されたが、「鬼滅の刃・無限城編」は受賞を逃した。それに際して、Ufotableがいかに非効率な手描きの作画をしているかを紹介する動画がupされた。それもオスカーの公式Youtubeにおいて、である。これは何を意味するのだろうか? 

 追記: 1/15現在で、9:27分のこの動画は52万回再生されている。

 

 鬼滅のアニメは、普通のアニメではない。芸術なのだ。何度見ても感動が新たになる。Ufotableのスタッフには本当に頭が下がる。彼らはまさしく日本的な職人なのだ。博物館で見る蒔絵、一竹辻が花、焼き物などの如しだ。

 

 

 

 

追記: ufotable の作画を讃えるこのようなnote を見つけましたので貼らせていただきます。鬼滅は、職人精神というとても日本的な伝統を表わす作品なのです。