藤原氏、平氏、源氏などの場合、名前の前に「の」がつくが、名字の場合はつかない。織田信長、徳川家康、のように。なぜか? チコちゃんで説明していたのが面白かった。
藤原氏、平氏、源氏などの場合、名前の前に「の」がつくが、名字の場合はつかない。織田信長、徳川家康、のように。なぜか? チコちゃんで説明していたのが面白かった。
最近、ラフカディオ・ハーンの著書を何冊か読んでおり、明治日本のイメージを得ることができたが、アーネスト・サトウのも翻訳が出ていると知り、読んでみた。上中下の3巻があり、上巻はカルチャー編、上下巻はルート編である。インバウンドのガイドが日本文化を学習するのにおもしろいテキストだと思った。
訳者まえがき: 本書初版が発行されたのは1881年、その3年後にこの第二版が出た[ちなみにラフカディオ・ハーンの『知られぬ日本の面影』が出たのは1894年]。マルコ・ポーロが14世紀に日本について知らしめたことが契機で、日本についての興味を呼び起こした。江戸時代にはオランダ商館医師のケンペルとシーボルトが日本について科学的に紹介した。そして開国後、外交官や宣教師、お雇い外国人らにより、日本についての知識が広まった。オルコック、ディキンズ、サトウ、アンダーソン、チェンバレン、アストンなど。サトーによる本書は日本に関する百科事典であるかのように讃えられた。後年のラフカティオ・ハーンとは神道の認識が異なる。現在から見ると、歴史的資料の価値がある。
1. 日本語: 略。
2. 遊歩規程: 外国人の行動範囲は10里以内(3906〜3925m)。横浜なら小田原くらいまで。神戸からだと京都へは立ち入れない。
3. 内国旅券: 日本内地を旅行するには内国旅券を申請せねばならない。手数料は課せられない。
4. 狩猟免許: 10月15日ないし4月15日。免許状を得るには手数料10円が要る。
5. 通貨: 略。
6. 度量衡: 1里は36町、3925m。1町は60間、1間は6尺。1尺は30.22cm。10尺は1丈。1合は10勺、10合は1斗。10斗は1石。
7. 地図と参考書: クニッピングの地図が最良。参考書は略。
8. 手荷物: 柳行李が秀逸。
9. 服装: 草鞋(わらじ)と綿脚絆。
10. 食糧など: 牛肉と鶏は入手が困難。内陸部では外国風の食事をするのは難しい。
11. 旅宿: 旅籠は二食一泊。女中に心付け。日本家屋で一番格式が高いのは床の間の前である。
12. 道路、乗物、料金など: 駕籠、荷馬、俥(人力車)など。
13. 日本の入浴と温泉: 温泉と入浴についていろいろ。湯本、宮ノ下、姥子、四万のお湯はほとんど有効成分を含まない(?)
14. 旅行心得: 寝具にノミ pulci がいるので、防虫パウダーが必携品(?) 防臭の石炭酸。水の濾過器。郵便事情はきわめて良好。
15. 主要ルート一覧表: メモ略。行き先は金沢、鎌倉、江ノ島、東京、箱根、富士、甲府、日光、諏訪、京都、大阪、神戸、奈良、伊勢神宮、長崎から乙女峰、高島炭鉱、雲仙、函館から小樽、苫小牧、室蘭など。
16. 電信局全覧: 全国で182局。
17. 地理: 山岳部に火山が多い。千島列島(クリール諸島)、小笠原島は最初の発見者の名にちなむ。大八洲(おおやしま)。雄大で野性的な信濃飛騨山脈。地形のこといろいろ。略。
18. 天候と気象: 変化に富み、統一性はない。冬季には山岳展望が利く。日本海側での雷。六月と九月の連綿と続く降雨。台風。
19. 動物学: 略。トキは東京周辺で珍しくなかった(!?)。魚類。害虫はいない。
20. 植物学: 年の内、八ヶ月は植物の成長が盛ん。植物相は旧北亜区と亜熱帯が共存。略。ツツジ、ユリ、シダなど。
21. 神道: 日本では二つの宗教、神道と仏教が共存している。薩摩では神道が主体。神道は、死後の世界や道徳律をはっきりと示すことをしない。それらは仏教に委ねられている。仏教における多種多様の尊体はヒンドゥー教のそれに通ずるものがある。神道は仏道と区別するための呼称。英雄・傑物の神格化。自然崇拝。日本家屋にある神棚と仏壇。祖先は死後仏様となる。神道は人々に参加を求めるお勤めはないが、お祓い、禊をしてもらい、お供えを提出する。神主は禁欲生活の誓約に縛られない。巫女は神楽を舞う。神道では、死者が住むのは天国でも地獄でもなく、黄泉の国である。神社には偶像がない。御霊代には、鏡、宝剣、勾玉などがある。
工芸は仏教とともに日本に入ってきた。
王の墓に見られる埴輪は、当初あったであろう殉死を思わせる。
神社は森(造替の木材を充当する目的がある)に囲まれた簡素でプリミティヴな建築物で、本殿と拝殿よりなる。築材は高価な檜が好まれる。当初は掘立(穴を掘って柱を立てた)の小屋であった。
参拝者は鈴を鳴らしたりして神の注意を喚起する。参拝者は柏手を打ち、簡単な祈りを捧げ、賽銭を投じて去る。神社は守札を売って些細な収入とする。参拝前に手水舎で手と口を浄めるのは神道でも仏教でも同様である。
御幣は神に木綿や絹を奉じた名残である。注連縄には神が降り立つ。神域の入り口である鳥居。
神社建築に特有な千木と鰹木について: 千木には外削ぎ(男神)と内削ぎ(女神)がある。鰹木は茅葺屋根の押さえとして始まったもの。
古事記について説明している。三神(天の中心の神、威厳をつくる神、神をつくる神)から始まり、伊邪那岐と伊邪那美が生まれた。黄泉の国について[神道に地獄、天国はない]。日本の宗教は祖先崇拝に始まり、それに自然崇拝が植え付けられた。神々は自然を擬人化したもの。神道では、偉大であった人物を神格化 apoteosi する。
22. 仏教: 仏陀は、護名大士(ごめいだいし: 兜率天に住む釈迦)が、浄飯王(釈迦族の王)の妃、摩耶夫人に降胎したもの。以下、釈迦についての説明。花祭り(4月8日)に祝う仏陀の誕生について、日本では前1027年、西欧では前653年とされている[現在では前463年とされている]。仏陀の生涯; 誕生、出家 Pabbajja、苦行 esercizio Tapas、涅槃 nirvana、祇園精舎 boschetto di Jeta、入滅、について。
日本への伝来: 552年、百済の王が釈迦像と経典を天皇に献呈した。22年後、仏師や工人らをも派遣。蘇我馬子の信奉。物部守屋の抵抗。大阪の天王寺、太秦の広隆寺、大和の飛鳥寺などが建立された。623年に中国僧が渡来。寺院の数は46に達する。僧を中国に派遣。孝徳天皇、天武天皇による信奉。薬師寺の建立。
役小角(修験道の創始者)について。735年、華厳経が導入され、聖武天皇は奈良の東大寺を建立し、全国に国分寺・国分尼寺を建立。754年、鑑真が渡来。
805年、空海が真言密教を伝える。12世紀には法然上人が浄土宗を開き、禅宗は、栄西が臨済宗、道元が曹洞宗、13世紀には親鸞が一向宗、日蓮が法華宗(日蓮宗)。
天台宗と真言宗は抽象的な密教、天台宗の根本経典は法華経。涅槃の境地が目指すところ。延暦寺の本尊は、日光月光を左右に従えた薬師如来。須弥壇には梵天、帝釈天、四天王、12神将も祀られる。三井寺派は弥勒菩薩。従来は多くの神道の神々(山王、天神、稲荷、神明、大鳥、八幡、牛頭天王)も祀られていた。
真言宗の名は、マントラ(中国語の真言: 神秘的な呪言)から来ている。真言の修法は、身密、語密、意密よりなる。大日如来を奉ずる。教義は大日経、理趣経、金剛頂経。恵果から空海(弘法大師)に伝えられた。修行により即身仏となることができるとした。智徳の金剛界、慈悲の胎蔵界。
禅宗は、5〜6世紀、印度の達磨によって開かれた。教えは以心伝心による、とした。大般若経を要す。阿弥陀如来を中心として尊信。日本では、臨済宗と曹洞宗がある。、17世紀には隠元により黄檗宗(禅宗のひとつ)が開山された。
浄土宗: 印度人の馬鳴(めみょう)により始まった。衆生の救済、極楽往生には、阿弥陀の本願をひたすら信仰することだとした。
日蓮宗は日本で生じた。法華経(妙法蓮華経)を経典とする。弥勒信仰について: 弥勒仏は、仏陀入滅の56億年7千万年をへて、その教えが滅尽するとき、蓮華が泥から生えるように、この世に現れて仏陀の教えを再興し、衆生を救済する未来仏。不動七福神や鬼子母神をも尊信する。
浄土真宗: 浄土宗と似ている。阿弥陀の念仏を繰り返すことで済度が得られるとしている。開祖は親鸞。他力(阿弥陀の威力)本願とする真宗は、日本において最も裕福で宗教力が強い。阿弥陀仏は計り知れない慈悲により全ての衆生を極楽浄土へ導く。
23. 絵画美術: 最古の仏教画家は5世紀に渡来した男竜(おたつ)。残されている最古の作品は607年に建立された法隆寺金堂の壁画。
9世紀半ばからは大和絵が現われた。巨勢金岡という宮廷画家について。
13世紀に土佐派(光信、光茂、光起) が成立し、宮廷の保護を受ける。鳥羽僧正の風刺画、滑稽画。サトウは、足利家をメディチ家になぞらえており、その下が多くの名画家が活躍したとする。如拙。仏教画の兆殿司(明兆)、狩野正信(名ばかりの創始者)による三つの狩野派(元信あるいは探幽、永徳、山楽、守信など)。周文。雪舟派が頭角を現わす(秋月、雪村、道安)。狩野派の大胆な筆使い。菱川師宣の独自性。尾形乾山。
17世紀に現われた光琳派の蒔絵師。酒井抱一。
18世紀に現われた円山応挙の写実性。
木版刷の画業は18世紀に庶民のもの、浮世絵となった。北斎。勝川一門。歌川一門の広重。喜多川歌麿。巧みな線描力は書道教育の賜物。色彩感覚。構成力。
24. 彫刻美術: 石造においてはさしたる実績はない。木彫刻や青銅では重要な発展が見られた。奈良の興福寺西金堂[中金堂の西側にあった]の仁王像[鎌倉時代]。
11世紀の偉大なる定朝について: 薬師寺の四天王像。だが、繊細な作風の快慶。[運慶]の仁王像[東大寺南大門]には劣る。[親の湛慶は、三十三間堂の本尊をつくった。]
[サトウは乾漆造などには言及していない。]
建築物に彫刻的装飾が加えられるようになる。欄間の透し彫りなど。
根付について: 手工芸による細工物。吉村周山など。香炉、厨子、釘隠し、鯱鉾、甲冑工芸、刀剣の付属品(鍔:つば、目貫、小柄:こづか、笄:こうがいなど)。
刀工について: 後藤祐乗。横谷宗珉。奈良安親。大友数末。外見家継。
中巻には、東京、京都、横浜、箱根、富士、甲府、名古屋、中山道、伊勢、大阪、信州、甲州、新潟、日光、伊香保など。
下巻には、善光寺、近江、松本、飛騨、神戸、大阪、京都、奈良、伊勢神宮、吉野、高野山、青森、日光、新潟、鶴岡、仙台、会津、米沢、房総、函館、長崎など。
今回は京都で夜に仕事が終わり、後泊して翌日に帰宅することができたので、まるまる一日どこかに行くことができた。それで、ずっと行ってみたかった福井の永平寺に立ち寄ることにした。13世紀半ばに、中国で禅の修行をして帰国した道元によって開山された曹洞宗の総本山であり、西洋の修道院のようなもので、ミシュランが2つ星にしたので、西洋人観光客の姿も多い。NHKも番組をつくっていた。
京都からサンダーバードで敦賀へ、そこで新幹線に乗り換え、福井下車。駅前にはトリケラトプスの像がある。永平寺ライナー(片道750円) に乗る。パスモやクレカでOK。永平寺までは約30分。駅の大きめのコインロッカーが満杯であったが、下車したところにある一休という飲食店がキャリーを預かってくれたので、あとで、そこでお昼を食べることにした。
少し歩くと観光案内所があるが、永平寺のパンフは、僧院で拝観料を払った人にだけもらえるとのこと。右側が参道、左側が帰路の商店街。参道の右側には永平寺川が流れていて、清涼なかんじ。青空に濃い緑、あたりの景色は初夏というより、夏休みのよう。左手にシンプルモダンなカフェができていた。
▲ 道元の詠んだ日本の四季: 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり
龍門を経て、通用門左手にて拝観料を納め、吉祥閣に入り、スリッパに履き替える。雲水たちが毎日雑巾掛けしているのだから、靴下ばきでよいのでは?と思う。スリッパは階段など、とても歩きにくい。
▲ 僧侶に写真機を向けてはいけないのだが、後ろ姿なら許されるかなと思った
傘松閣(さんしょうかく)は1994年に改築された新しい建物だが、2階の「絵天井の間」という格間天井をもつ大広間を覗く。そこから時計回りに七堂伽藍を見ていく。法堂(はっとう)は朝課の行われるお堂で北の中央、最も高いところにある。そこに辿り着く前に、まずは東司(トイレ)、必要なかったが覗くと、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう) の像 (▼) が掲げられていた。排泄も修行の一つとのこと。
その次に僧堂。ここには90人の雲水が一人畳一畳の空間と、ふとんと私物を入れる棚2つを与えられ、起居し、坐禅を行なう。扉が閉まっており、見ることはできなかった(下の方にイラストを書いているブログを貼った)。
その右手、伽藍の中央部分には、ご本尊のお釈迦様を祀る仏殿がある。三つの像は、過去、現在、未来の三世で、朝晩、世界平和を祈祷しているとのこと。
僧侶が食事の入ったと思われる箱を西側の承陽殿(じょうようでん)へと運んでいた。そこは道元禅師の御真廟(墓所) である。ここへは頂き中央にある法堂を見る前に、西に進むと見られるが撮影は禁止。
法道は朝の道場で、聖観世音菩薩が祀られており、天蓋が金蘭豪華。
東側には大庫院、つまり台所があるが見学はできず、前の階段を下りる。その下、南東部分にある浴室も非公開。食事も入浴も修行とのこと。
そこから、山門へ。これは唯一18世紀の建築なのだが、正面からの写真は撮れない。カラフルな四天王像がある。
祠堂殿(信者が位牌を納めるお堂)からは納経塔がよく見える。六角形プランの塔。
出入り口の横には、ビデオを見ることのできる大講堂がある。
売店の東側には、瓦志納のカウンターがあり、そこに僧侶がいたので、階段の端にところどころある金属の透かしプレートは温風吹き出し口なのかと尋ねたところ、かつてあった雨樋の排水溝(▼) とのことであった。なぜ屋根付きの廊下の内側に雨樋があるのかと質問を重ねなかったことが悔やまれる。
帰る時、通用門に外国人の雲水が立っていた。何人の僧が住んでいるのか尋ねたら、およそ140人の僧侶(そのうち雲水=修行僧は90人)とのことであった。その人が何人か、とかいろいろ聞けばよかった・・・。ネルケさんではなかった。
ポスターなどに使われている勅使門は外からしか見られない。永平寺杉がうっそうとしていて深淵な感じがする。川を遡ったところにある寂光苑には行きそびれた。
バス停前の一休でお昼を食べて帰路についた。おそばも歯ごたえ良く、胡麻豆腐も美味しかった。帰途、ふと考えた。永平寺は禅寺なのになんで枯山水がないのだろう? 私が見そびれたのだろうか? Aiに聞いたら、曹洞宗の永平寺は修行の寺なので、臨済宗のように瞑想をする寺と違い、石庭がなくてよいそうです。
この方のブログには、僧堂の解説図などがある▼
ドイツ人の僧侶ネルケ無方さんのインタヒュー▼
https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/bk_tusin_no42_2.htm
WOWOWでやっている映画の大半はB級でいまいち面白くもないものが多い。これもあまり期待しないで見始めたが、ぐんぐん引き込まれてしまった。やっぱり横浜流星は稀有な怪物であった。求心力が半端ない。彼以外のキャストもすべてよかった。
主人公の家族が出てこないなと思ったら、なんと、養護施設で育ったひとり者だったのだ。これ、カンヌ映画祭などに出していたら受賞したかもしれないと思った。日本アカデミー賞はたくさんとったのね。
この本のことは、『神道とは何か-小泉八雲のみた神の国』(平川祐弘、牧野陽子共著)を読んだときに知って、読んでみたいと思っていた。ラフカディオ・ハーンの著作を全訳したのは柏倉俊三。ただの日本人でいると神道のことや仏教のことをこんなに考えることはない。外国人の視線で見た日本の宗教論はたいへん興味深いし、腑に落ちた。ハーンが日露戦争の始まる前から、宗教に裏付けられた日本人の精神力「大和魂」に着目し、その結末を予想していたことは驚きである。通訳ガイドをやっている私にとってはたいへん勉強になった。メモる。
1. 難解なこと: 日本のことを認識して理解することは途方もなく困難である。それを解明した著作は多くない。日本人自身の間でさえ、自国の歴史について科学的な知識をもってなて始末である。日本の宗教問題は、それに対する怨敵の手によって書かれてきている。これが無視されているうちは、日本をほんとうに知ることはできない。
2. 珍しさと魅力: 日本への旅行者は、情緒的感銘を受ける。そのような感情が起こる理由はどうもわからない。日本人というものを少しもわかっていないことをわかって初めてこの論稿をものす資格ができたと感ずる。外見上のもの珍しさは、不気味な感じである。至るところに見られる漢字が醸す魔術めいた感じ。彼らの動作は西洋人とは逆である。鉋や鋸など。
心理学的な不思議さは、外見皮相の不思議さよりもさらにはるかに驚くべきものである。思想も情緒も西洋人のものとは違う。そして内面的な不思議さの中にも、それ自体の美しさ、庶民生活に反映している道徳的美しさがある。
宗教の中に暗い影をもちこまない。牛や馬にも怒鳴ったりせず、鞭も使わず、虐待もしない。盗難事件などのない土地では刑務所はガラ空きである。物静かな上品さ、正直さ。素朴さは野蛮からくるのではない。みな教育を受けており、行儀作法を心得ており、あらゆるところに清潔さと趣味のよさが見られる。日々の入浴は一般的である。すべてが魔法めいている。
日本文化は単純素朴な固有の土台の上に、いろいろの外来の文化が積み重ねられて、複雑至極の形を呈している、特殊な文明である。古い日本文明のすぐれた趣は、明治のすべてのものの変革の中にも、依然として本質的には変化せずに残っている特性、種族の特性にある。
種族の起源は推測されるというべきものである。日本種族は雑種であり、主要要素は蒙古人種である。一つは痩せ型、もう一つは逞しいがっしり型である。
日本文化をよりよく理解することは、目下の緊要事となっている。日本が世界の競争場に登場してきたからである。
3. 上代の祭祀: 日本の真正の宗教は、祖先崇拝である。日本起源のものは三つの儀式に区分される。これを総称して「神道」としている。三つとは、家庭の祭祀、地域社会における氏神の祭祀、国家の祭祀つまり皇室の祖先の祭祀、である。
最も古い家庭の祭祀は、族長的家族の祭祀であった。
最古の祖先崇拝は、死者の霊に対する慰霊の祭祀である。はじめ、死者は墓場に住居するものと考えられた。その後に地下世界という考えが展開した。日本神話で、天国や地獄の観念がつくりだされなかったのは注目すべきである。仏教の渡来以前、それらの観念はなかった。死者の霊力は地上世界をさすらい、風や水の中で動いて、「上に立つもの」つまりカミになったのである。死者がことごとくカミとなったことは平田篤胤もド・クーランジェも書いている。そしてカミにはお供えをしたり、音楽や踊りを捧げた。神道の場合、死ぬことは超人的な力を持つことであった。その死者は遺族による尊崇を必要とした。これは古代ギリシアの死者観と同様であった。死者の幸福に生きている者の幸福がかかっていた。この世に起こる善悪は、すべて死者の仕業なのである。天変地異の多いこの国に住んでいた人々の心に死者の霊は重圧を加えた。
4. 家庭の宗教: 大族長家族の時代、家族の祖霊が崇められた。三段階で発展しつつも、先行の二つの宗教に取って代わるものではなく、ともに共存していた。
死者がでた場合、喪屋を建てることが習わしとなり、そこで弔いの儀式が行われた。死者の家を御霊屋とし、それが後に宮となったか? 霊は塚の中に住んでいるとされ、必要なものをいっしょに埋葬した。生贄の習慣「人垣」は、垂仁天皇によって禁止されたと記録されている。野見宿禰は土偶を献策し、採用された。日本書紀によれば、646年、孝徳天皇は殉死を完全に禁じた。だが武家の時代になると、14世紀ころより、自発的な殉死の風習が生まれた。
死者の神化崇拝は慰霊として理解されねばならない。最古の神道は、恐怖の宗教であり、死者がでると捨てられたのはその家だけでなく、遷都も行われた。それは、次第に温情慈愛のもの、柔和なものとなった。
現存している神棚について。仏式で死者を祀る場合は仏壇に位牌が収められる。死者はその位牌の中に住っている。仏教の死者は仏(ホトケ)と呼ばれる。日本では長い間仏教と神道は調和してきたので、両者の間に矛盾はない。孝道は、両親に対する子供たちの献身というよりも義務 obbligo である。祖先への祭祀、感謝といったものである。日本では亡霊が子孫を監視しているので、心情も純潔になり、心意も抑制される。このような信仰の影響が、日本人の行為の美しい面をつくりあげるのに与って力が゛あったことだろう。
5. 日本の家族: 祖霊崇拝の基礎にある観念は、生者の幸福が死者の幸福にかかっているというものである。これは古代ヨーロッパの考え方に類似している。原始の日本には、天国や地獄の観念もなく、輪廻の考えもなかった。輪廻を支持するには、高級精緻な哲学体系が必要である。原始の日本はホメロス以前の時代のギリシアの考え方と似ており、死者の住む地下世界があった。
祭祀をする子孫を残さずに死ぬことは最大の災難、祖先に対する罪悪であった。これも古代ヨーロッパと似ている。[この章ではクーランジュの『古代都市』とほぼ同じこと、男系社会を述べている。]家族の長の権力について。家族制度について。結婚は養女入籍の形をとる。小糠三合あるなら婿に入るな。日本の婚礼は、宗教的儀式であった中国の例に倣ったようである[その理由が知りたい]。
日本の古代において一夫多妻であった点は、西欧の一夫一妻と異なる。蓄妾は貴族や高位武士の特権であった。それは家系の継承に関わっていたからである。だが、国民的道徳的感情から一夫一妻の傾向に向かった。ただし、結婚は宗教上の問題であり、家と家の問題であったので、恋愛の情は度外視された。父権は生命と自由に対する権力をもち、家庭の専制君主のごときものであった(子を殺そうと売ろうと勝手であったので、極貧の場合にはそれもあり得た)。財産は父から息子へ譲渡された。分配される場合も、家と付属物は長子のものとなった。婦人に自由はなかった。ただし、家長に対する服従と同時に家長は庇護と援助を与えた。
立ち居振る舞いには礼節が求められた。家にはおそらく下僕か農奴のような使用人的な寄宿者がいた。このような家族は社会の単位であった。
6. 地域社会の祭祀: 地域社会の宗教もまた祖先崇拝であり、その氏神は、氏族の祖先、つまり初代族長の霊であったと考えられる。その地区の人々は「氏子」と呼ばれている。八幡神は応神天皇の御霊であり、源氏の守護神である。春日大明神の子孫は藤原氏である。総じて、上代(太古) の日本には大小1182の氏族があり、これは勧請することで場所を移動することもあった。教区の神社にはそれぞれお祭りがあり、大祭と、年に一回最重要な例祭がある。乳児のお宮参りについて。氏子は毎月参詣する。
徳川幕府時代の道徳的覚書について: 治安のための規定と処罰もあった。村を出るには許可が必要であった。地域社会で生きていくには地域社会に尽くさねばならなかった。村八分、追放(地域社会の外では生きていけなかった; 西欧における破門に近い処罰)という処罰もあった。こうして社会から外された人々、穢多非人は下賤な職業でしか生きてゆけず、家も持てなかった。地域社会が加えた刑罰は、鎮守の神の名のもとで行われた。神輿について; 神霊によって導かれた神輿は、神が良しとしない家には入り込んで打ち壊す、つまり処罰である[お神輿にこういう意味、つまり処罰の手段という意味があったとは知らなかった 😱 ]。
7. 神道の発展: 一民族の崇拝する上級の神々は、後に発展して祖先崇拝の対象となった。祖神崇拝は文化発展していった。ある職業の守護神といったように。しかし日本の神話は進化の法則にとって重要な例外を提供しない。むしろアジア大陸にさかのぼるのではないかと思われる。原始時代の神々は天地混沌の時代の妖怪変化である。国教となった神道の礼拝は、皇祖神の礼拝、つまり日輪の神の礼拝である。全神話は二つあり、一方を『古事記』といい、712年に編纂された。もう一方は『日本紀』で720年頃に編纂されたとされている。ともに勅命により成立した。さらに古い7世紀頃のもの[ホツマツタエなどいくつも]があったが失われてしまった[これは知らなかった! 調べたら一部が発見されたものの信憑性が疑われているようだ]。
『古事記』の概要について。全皇統は太陽神の血統としている。すべての日本人が神の子だということになる。[ここでふと思った; 皇族には姓つまり苗字がなく、戸籍がない。そもそも戸籍は徴税や兵役のための台帳だからである。]
日本人の中には、士農工商という身分に入らない、最下層民がいた。それはイザナギが黄泉の国を訪れた時に被った穢れ、禍津神から生まれた人々であった。平田によれば、氏神はすべて出雲の大国主命の支配下にあった。皇祖は国家祭祀として最も重要であるが最古ではない。大国主命は天皇家に両国を譲り、霊の国の支配者となった。皇室は今でも勅使を遣わして出雲と伊勢に礼拝している。
技術者の祖先は渡来した帰化人であった。職工、陶工、大工、弓師、鍛工、船大工、など。刀鍛冶は今でも神主の装束を身につけている。神功皇后に仕えた大臣、武内宿禰は300歳まで生きた。菅原道真について。曽我兄弟について。加藤清正について。ほかに、産業神、農業神、動物の霊を祀る場合、水神、荒神(竈の神)、樹木の神もある。鬼門の祠は中国由来だと思われる。アニミズム(物活論) について; 日本の神道と物活論に一線を画すのは難しい。奇石珍木[滝も]には鳥居をつけて礼拝している。
8. 礼拝と浄め: 生者はどこにいても亡霊の監視下にある。森羅万象すべて死者の支配するところである。すべての神に祈るのは不可能なので、毎日神棚にお祈りを上げるのでよい。あるいは朝日に向かって祈る。
伊勢や出雲のような大社では、万事が厳粛で簡素ですがすがしい。像や装飾はない。神々は精霊なのだから像は不要である。ご神火は太古の方法でおこされる。
巫女舞は鈴を振ってなされる。かつて巫女は市子(いちこ: いたこ、神の言葉を伝える者)であったこともあった。
浄め: お祓い: 諸悪の追放。人間の肉体的汚れは道徳的な不浄なので、常に清潔にせねばならない。家や空間の清潔も然り。日本人の清潔に対する執着は宗教の清浄の掟にちなんでいる。「ひとがた」による浄め、祓いの式について。古代ギリシアやラテンでは浄めといっしょに戸籍の登録がなされた。
神道は禁欲的ではない。筮卜(ぜいぼく) : 占いについて。皇室の仕事で、筮卜師は宮廷に属していた。
神道が課した強制は厳しいものであった。特に職業に関しては。
9. 死者の支配: 掟に従いながら悪人でいることはできなかった。その道徳的習慣が自然に身につき、「大和魂」と呼ばれるような道徳的国民性をつくった[面映いわ]。徳川幕府時代の奢侈禁止令などの諸法規、武家の行動規範、農民や婦人に対する立ち居振る舞いから言語に至る作法についての規範があったこと。罪と処刑について。葬儀に関する規定。現在の日本人は、心を抑圧されていた祖先の鋳型をはっきり見せている[明治時代までの話? 清潔、礼節、節度など、令和時代にも4割くらい残っているかな?]。[ハーンは、アーネスト・サトウやハーバード・スペンサーの著作をよく読んでいるようだ。]日本の法律には、死者が生者を支配していることが顕著である。
10. 仏教の伝来: 外来の宗教に対する神道のリアクションについて。仏教は若干の闘争の後、国教となった。仏教は祖先崇拝の根絶を図らなかったので、近隣の祖先崇拝を行なっていた種族に広まった。552年、仏教は日本にもたらされた。
だが明治政府の廃仏毀釈を見るに、古代祭祀である神道の保守性がよくわかる。
本地垂迹説は11世紀頃に真言宗の僧によって成立したと今日ではされているが、この本でハーンは、弘法大師がそれに似た説、つまり神道の神々は仏教の仏の化身であると唱え始めたとしている。これを両部神道という。
仏教の教えは、慈悲という福音をもたらし、中国の美術工芸や建築を日本にもたらした。解脱の意味など、大衆は理解していない。だから、宗派による教義の違いを考慮するのはあまり意味がないとしている。仏教は「輪廻転生」や天国・地獄という概念をももたらした。日本ではそれ以来、アマテラスは大日如来の化身とみなされた。
祖先崇拝の詩趣は、仏教の餓鬼の教えに取って代わられた。
因果応報の教え。この世は仮の宿、まだ未来があるという考え。
一切の衆生をいたわる、牛・馬・犬・猿・雉の肉食の禁止。六界・六道の教義。
国民は祖先の祀り方の選択は自由であったが、仏式を選ぶ者が多かった。
祖霊崇拝、仏教、道教が混ざり、中世初期にお盆の風習がうまれた。
11. 大乗仏教: 日本の大衆が考えているものと大乗仏教 buddismo del grande veicolo はかけ離れている。仏教哲学には言い表しがたいほどの深い魅力がある。
大乗仏教の教え: ただ一つの実在がある。それは絶対者、無限なる存在、仏陀である。仏陀以外に真実の存在はない。一切の存在は因果応報によってつくられる。現在は過去のつくったものである。現在と過去が結合されて未来となる。一切のもの、目に見える一切の宇宙は変転無常の現象である。意識が存在する限り、唯一の実在を知ることはできない。この意識滅却が「涅槃」である。人間の意識するものは、一時のものであり、永遠の実体ではない。仏陀よりほかに実在はなく、その他のものは「業」(つまり自我) 、物象も心も自我の業(カルマ) である。
マハーヤーナ哲学(大乗仏教)いわく、清純な行為は宇宙に浄土をもたらし、不浄な行為は穢土をうみだす。
大乗仏教には霊魂もないし、輪廻もない。人格もない。それでも再生はある。人間は新しい存在の中で、前世で他人の犯した行為のために苦しむことになるのか?
大乗仏教は大衆にはほとんど理解されなかったし、大衆向けに説かれてはいない。それは形而上学(存在や実在について考察する)者の宗教であり、難解である。
[ハーンは、ハーバード・スペンサーを読み込んでいる。この章のハーンの文を読んでも大乗仏教のことについて判然としなかったので、いろいろ検索してみた。日本で奉じられている大乗仏教では、『華厳経』『阿弥陀経』などを経典とし、キリスト教カトリックの三位一体説に似た三身説をとる。つまり目に見えない宇宙の真理、終わりのない存在、衆生を救うためにこの世に現われた応神仏の釈迦如来、である。一方、東南アジアに広がった上座部仏教 Buddismo Theravāda は、衆生は永遠に輪廻をくりかえすが、釈迦のように解脱した存在となるには出家するしかない、と考える。]
12. 社会組織: ヨーロッパの族長家族はもう数千年も前に滅んでおり、国家宗教の光が旧来の地方祭祀を覆い包むようになった。だが日本はそうはならず、民族段階以上には発展しなかった。
日本の上代の社会は、族長的な家族であり、祖先崇拝、つまり氏神の祭祀によって統合されていた。民は寄宿者を表わし、今では民衆の意味となっている。人民の大半は隷属者であったのだ。当時は、支配層とこの従属的な民という二つの階級があった。奴隷は所有者を示す入墨をしている場合があった。7世紀に、私有の奴隷は国家財産となることとなり、徐々に自由人の階級ができた。貴族、士族、神官、医師など以外は、まげを結った[髷は冠の中にいれるためのものだと考えられているのだが、奴隷あたま、奴隷のやっこ頭というのは初めて聞いた???]。
[国造は地方偽陽性の官職名のはずなのに、蒙古人の子孫で農夫だとある(????)。伴造も官人のはずだが、渡来人の職人とある(????)。渡来人は倭人よりも知識や技芸に優れていたので天皇直属の部下として重用されたのかもしれない。]
姓(かばね) ははじめは職業を表していたが、7世紀には混乱が甚だしくなってきたので、天武天皇はこれを八つの姓に再編成した。天皇は最高の司祭であり、最高の軍事司令官であり、調停者であり、裁判官であった。日の女神の祭祀は種族の祭祀となった。天武天皇の頃には仏教が優勢になってきたようで、人民には菜食が勧められていた。行政機構の再編成も行われた。社会は支配者階級と生産者階級に区分され、武家勢力の台頭がみられた。社会的結束の絆は氏族であった。(徳川幕府の時代にも55家の貴族があった。)その次に武士の階級があった。その頭領、将軍は天皇から任命され、200〜300あった大名を支配していた。徳川時代には、琉球を含む69国、藩の数は292であった。幕府は大名を、御三家を含む親藩、譜代(176)、外様(68)と分けていた。幕府の要職に就けたのは、石高少なめの譜代のみであった。
平民は、農・工・商に分けられていた。僧侶は、武士と肩を並べていた。その他、明治時代に呼称が廃止された被差別民、穢多非人(長吏)がおり、賎業に従事していた。
13. 武家の興隆: この国の歴史は、前660年から日本を統治した神武天皇に始まる。202年にあったとされる神功皇后の朝鮮征伐は、今日ではなかったこととなっている。第15代応神天皇の時代[4世紀後半から5世紀頃か?]に朝鮮半島から多くの帰化人が渡来し、重用されたという言い伝えもある。そして6世紀に仏教が伝来し、推古天皇の摂政、聖徳太子の時代に採用された。この時代から宮廷は中国の儀礼を導入し、貴族の位階を定めた。貴族155家のうち、95家が藤原氏に属しており、五摂家のみが皇后を出すことができた。7世紀末までに藤原氏は文官の職をほぼ独占するようになった。天皇は宗教的な尊厳を維持しつつも政権はこの藤原氏の手中にあった。藤原氏は軍事を源氏と平氏にさせた。そして11世紀中ごろ、この両家は政治の場面にも台頭してきた。そして源平両家の抗争があり、12世紀末、源氏による将軍政治の時代が始まった。だが源氏の政権は長くは続かず、権力闘争が続き、朝廷は南北に分かれ、14世紀、将軍職は足利へと移った。足利将軍家15代のうち、辣腕家もいたが、戦国時代と呼ばれる不安定な状況は16世紀まで続いた。鉄砲の伝来、イエズス会の来日、織田信長の登場、豊臣秀吉の政権、朝鮮出兵と耳塚、関ヶ原の合戦、徳川幕府の成立と250年の平和。参勤交代。様ざまな法律。宮中祭祀は温存された。
14. 忠義の宗教: 殉死。埴輪。禁止にもかかわらず、忠義心からの殉死はあり続けた。切腹による自決は武士階級の特権、栄誉として始まった。婦人は自害した。これらの行為には、孔子のおしえに基づく道徳、勇気の本分、忠義 lealtà/ fedeltà/ devozione の宗教が具現されている。仇討ちは儒教で認められていた(父あるいは師の仇とは同じ天を戴かず)。四十七人の赤穂浪士について(ミッドフォードによる訳文)。これらの行為には宗教的性質がある。だがこの忠義の宗教は、愛国心のようなものには発達しなかった。幕府は、大名に御所に接近することを禁じ、帝への直訴を禁じていた。これは愛国心の発達を阻害するためであった。このような掟は幕末、西洋侵入の危機に際して危機に瀕した。
15. キリシタンの災厄: 16世紀は最も興味深く重要な時代である。信長・秀吉・家康という才能が出現し、社会組織が結合し、イエズス会によりキリスト教が入った(1549年)という点で。イエズス会は1581年までに日本に200以上の教会堂を建て、11人以上の大名が改宗した。1585年にはローマ教皇のもとに使節が送られた。信長の没後、この宗教に対する反動と弾圧が始まった。家康は、イエズス会の陰謀を知りつつも、長い間、外交上、信徒100万(60万くらいか?)といわれたキリスト教徒の処遇について躊躇していた。だが、キリスト教が偏執排他的であり、日本の神道・仏教を非難攻撃するにおよび、排斥せねばならぬとした(1614年に禁令を布告)。新教徒のオランダ船の水先案内人イギリス人ウィリアム・アダムズが九州で拿捕された。イエズス会士は彼らを殺害させようと企てたが叶わず、家康との面会と尋問のすえに召し抱えられることとなった。
キリシタンの多くが改宗させられ、それに従わない者は国外追放され、それでも潜伏していた者たちは拷問を受け、処刑された。1636年、287名の混血児もマカオへ追放された。人種的憎悪が喚起された。
エピソード: 豊臣秀頼はキリシタンを庇護し、徳川幕府に対抗し、滅びた(大阪の陣)。島原の乱(1637〜1638年) について、オランダ人は威嚇されて鎮圧に加担させられた。1634年に造成された長崎の出島について。
[ハーン、この章については饒舌であり、祖先崇拝に攻撃を加えたことは社会組織への攻撃であり、イエズス会のしたことを罪悪、日本にとっての災害であったと断じている。そして、当初の布教が急速に進んだ理由の解明が必要だとしている。]
16. 封建制の完成: 江戸時代後期、平和と鎖国と安定のうちに、日本文化は発達の極限に達した。「慈父のような」人道的精神にもとづく法制的統治が行なわれ、民は法律と風習の束縛を受けたが、下層階級ほどその束縛力はゆるかった。徳川家康の遺訓について。文学と芸術(浮世絵など)の活動が盛んとなり、職人の技芸が発達した。教養は普遍化し、誰もが読書を楽しんだ。茶の湯が普及し、礼儀作法と礼節が重んじられ、婦人たちの容姿や振る舞いは典雅となり、親切で、従順で、やさしくなった。西洋の僧院のシスターのようでもあり、古代ギリシアの女性のようでもあった。
17. 神道の復活: 徳川幕府の弱体化は、国民は惰弱に、柔弱になったことによるものである。そこを攻撃したのは薩摩と長州という西国の大藩であった。その可能性を家康は考えており、力を削ぐことに意を砕いていた。三人の文人(賀茂真淵、荷田春満、本居宣長、平田篤胤)、神道学者が徳川幕府廃止の道を準備した。水戸光圀によって『大日本史』240巻が編纂され、皇室に関する500巻の書物を編纂した。この人たちによって皇室、天皇の権威が見直されることとなった。
そして幕末、ペリー提督の日本開港要求。列強と通商協定を結んだ幕府は、尊王攘夷運動の敵となった。西欧諸国のことなど、朝廷は何もわかっていなかった。こうして、幕藩体制は終焉を迎えることとなった。復活した神道は国教であると布告され、仏教は毀釈された。だが時代は日本の欧化を求めていた。→明治時代。
神道により異国文化から日本を救うことができた。今後も民族的危機が起きた場合には、一切の伝統を代表するものとして力を存続してゆくことであろう[第二次大戦の敗戦がそれを証明したかも]。
18. 前代の遺物: 明治維新の後にも、日本の社会は、特に農村地帯では、旧態を保持していた(ハーンはそれを「妖精の国」と称している)。人々は道徳的に優れた人間性をもっていた。ふつう人は三つの圧力を受けている。権威からの圧力、地域社会からの圧力、代々受け継いてきた傾向と伝統的な感情による圧力。
19. 現代の抑圧: 18章の三つの圧力は、古代の宗教的責任の忘れ形見である。(略) 明治時代に勉強の圧力を受けて死んだ学生の話。[ハーンは、職能組合の無言の掟、年季奉公、女中奉公のことなど、独力ではなにも成就できない仕組み、身分の低い有能者の出世を阻む仕組み、有能者が十分な報酬を得られないことなど、よく観察しているなと思うが、贔屓目のような気もする。]
20. 官吏教育: ヨーロッパと日本の教育についての考え方が違っていること。明治日本で西洋的教育が実施されても効果があらわれていないこと。たくましい独立独歩のための個人能力の養成を目指す西欧の教育と、個人を共同的行為に向くように訓練する日本の教育。のけものにするという処罰について[今日のイジメですね]。[ハーンの見た日本人の学生生活はなんと味気なく、つまらないものか・・・]静かで無表情な学生たち。そのように慎重と自重の訓練を受けた学生が、落ち着きはらった官吏へと変身する。この人は、自身の道徳的自由と正義の信念に基づき行動する権利をもたない。、悪い上司の下で働く場合には辞職か従うかしか選択できない。[モリカケ問題の忖度がアタマに浮かんだ。]現代日本にどれほど多くの封建日本が残っていることか。外人教授は、この状況にあっては、機械のようなものだとハーンは嘆く。
裕福な貴族はもちろんのこと、貧しい人もしている学生への援助について。海外留学の目的は政府の公務につくため。
21. 産業の危機: ド・クーランジュの『古代都市』ににある革命に沿って明治日本の状況を把握しようとしている。1871年が第二革命期、このままいくと、第三革命期が軌道を走り、第四革命期が目前に迫っているとある。[たしかに明治時代の変転変化のめまぐるしさは明らかだ。]ゆえに、日本には中産階級が発達しなかった、と。幕藩体制が瓦解してから、日本では働いている者が食えない場合もありうるという悲惨な事態が起きた。
古代ギリシアやローマでは個人の権利がずっと重んじられてきたが、現代日本には自由が欠如しており、真の民主政体の成立を不可能にしている。日本は今、死に物狂いになっているが、それは外国資本を引き入れ、使用されるための準備をしているのではあるまいか。陸軍も海軍も、政府の抑制がきかない事情に激発され、貪婪な侵略的連合軍を相手に無謀絶対な戦争をはじめ、自らを犠牲にするという悲運を見るのではなかろうかという悪夢が続く。政治的能力に期待したい。[ハーンは第二次世界大戦での日本敗戦を予感していたようである。]
22. 反省: ハーバード・スペンサーは「制度は国民性に依存している」と述べている。宗教的制度の変更には必ず反動がくる、と。
日本がわずか三十年間の間にしてきた努力は驚嘆すべきものである。だが、旧時代の残映は、言語を絶した美に満ちている。
今後、日本が、世界競争に成功するには、人に好かれない特質を伸ばす必要があるだろう[人がよすぎるのはよくないということか?]。
日本の攻撃力の背後には精神力があり、それは暗黙のうちに隠蔽されていた。ロシア軍は、兵器よりもこの信仰を恐れねばならないだろう。今度の恐るべき戦争[この本の初版は1904年に出たので、日露戦争のことであろう]のための変革は、あわただしくではなく、徐々に行われねばならない。ロシアの威嚇に対する「大和魂」について。だが自信過剰の危険 L'eccessiva sicurezza in sé stessi è pericolosa もある。
外国資本が日本の国法、政治を支配することになり、国が滅びる可能性があるので、外国資本に土地の購入権を与えてはならない。ロシアの軍事力よりもはるかに英米の資本を恐れねばならない。慢心や自信過剰は命取りである。
この国が西洋の信仰を採用する日は、万世一系の皇統がきわまる日である。猫の額ほどでも外国資本に土地を与えてはならない。キリスト教と啓蒙の口実のもとに、異国に加える侵略は正当なものとは言い難い。東洋は断じてキリスト教徒になりはしない[21世紀現在、日本におけるキリスト教徒の割合は約1%、100万人強である]。
付録 ハーバード・スペンサーの日本に対する助言: スペンサーは1903年に他界したが、金子堅太郎宛の書簡を遺し、それが翌年『ロンドン・タイムズ』に公表された。アメリカおよびヨーロッパにはできるだけ距離をあけておくべきである。外国人、外国資本には足場を与えぬように配慮に務めねばならない。特権を与えてはならない。日本人と外国人の結婚を禁止せねばならぬ(!!)。中国よりの移民を防止すべし、最小限に抑えねばならない。他人種には距離をとるべき。私の助言は保守的である。外国人は土地の保有を許されてはならない。・・・時代が移れば、日本は危険なしにその保守主義の大部分を放棄することができよう。しかし当分、この国の保守主義は、この国の救いなのである。[私は近年、中国資本にやられた発展途上の、あるいはそうでない諸外国のことを思い浮かべた。]
この本について、とてもよくまとまっているサイト▼
WOWOWでやっていたので録画しておいた。松下奈緒のピアノを聴いてみたかったので。岡山の美作が舞台というのも気になった。緑茶のおいしい淹れ方の勉強になる。爽風の五月にふさわしい映画だと思えた。しかし、不治の病というのはずるい手だ。杉野遥亮のすっきりした風貌がとても映画にマッチしていた。祖母役の女優、既視感があると思ったら、びっくり池上季実子であった。おばあちゃん役をやるために、髪を脱色して、コロナにかかったあとで酸素ボンベを吸いながら撮影したとのこと!! でも、忙しい時に無理して見る映画でもないな、と思った。
この映画『ラーゲリより愛を込めて』もWOWOWでやっていたので見ることができた。ラーゲリとは収容所を意味するロシア語で、満州のハルビンにいた主人公は第二次大戦後、ロシア軍に拘束され、シベリア、スヴェルドロフスクの収容所に送られ、帰国できないままハバロフスクで他界した山本幡男(はたお) についての実話である。
とても悲惨な話なのだが、能天気な兵士を演じたケンティと犬の場面は嘘っぽくありながらもなごんだ。だが、クロが引き揚げ船を追いかけて日本に連れてこられたことは原作にあったとのこと。それでもやはり悲惨であった。
奥さん役の北川景子が美人すぎた。
アイドルをキャストに起用することで若い人たちが少しでも戦争のことを知るのであれば、この映画は意味があるとは思った。
ちなみに、私の伯父は、朝鮮半島北東部の羅南で抑留生活を送り、ツンドラ地帯で苔をとったりして手足が凍傷にかかり、手足の指先が腐り、帰国してから、病院で突き出ていた骨を切り取った。なので歩く時はトントンというかかとの音がした。手の指には爪がなく、短かった。伯父に戦争のことを聞いても話したくないと言われた。どこにいたのと聞いたら、一度だけ「らなん」と言った。シベリアに抑留された人たちは凍傷にならなかったのかな、と考えた。
千島列島の領有は、アメリカがソ連を対日参戦させるためにしたヤルタ密約が原因だった。ロシアはアメリカに北海道の領有も要求していた。1956年にロシアは、善意から2島返還が妥当としたのを日本が拒否し、今日に至っている。
世界最高のミステリー文学賞を受けたというので読んでみる気になった。
ものすごい暴力と流血!! とてもおぞましいのだが、胸くそ悪くはならず、スカッと感さえあるのは、暴力がヤクザの世界での出来事であり、主人公やお姫様に対する婦女暴行も間一髪の未遂で終わり、サイボーグのように逞しい主人公が、犬好きであり、お姫様を救出するという勧善懲悪的な終焉のために、コメディー的娯楽であるからかもしれない。なお、この場合のコメディーは、ダンテの「神曲」同様、結末良し、という意味であるが。許せない暴力というのはやはり婦女暴行、動物虐待などである。睡眠薬で眠らせて輪姦しようとしたような奴らの性器は、指詰めよろしく、切り取られて、漆塗りの箱に入れられて贈り物にされてしかるべきである。日本の刑罰にも、猥褻や婦女暴行犯にはそういう刑罰があった方がよいのではないか。
暴力団の抗争には拳銃がバンバン出てきそうなものなのに容易には現れない。でも最後には現われた。
主人公はやはりスラブ系の混血なのだろうか。カッコよさそう。歳をとったら、本当にババヤガ(魔女) になっていそうですさまじくもカッコいい。お姫様の名前の読み方は「ナイキショウコ」だとわかった。
すごく長い時間が経過しているのに、スピード感は半端ない。
タランティーノが読んだら映画化したいと思うだろうな。
この本は、既に購入していた角川ソフィア文庫の『日本の面影』と『日本の面影Ⅱ』と重なる部分がある。平川祐弘先生の編纂である。メモる。NHKの朝ドラと重なる部分が多い。ラフカティオ・ハーンがいかに日本に惚れ込んでいたかがひしひしと伝わる。このような明治日本の面影は、日本の地方都市を訪れたときにまだ少しは感じることができるのは有り難い。ところで、視力に問題のあったハーンは、それだけに想像力が研ぎ澄まされ、豊かであったのではないかと思った。名著である。
英語教師の日記から: 明治時代の日本の地方都市における教育の様子がとてもよくわかる。尋常中学校と師範学校で教えたハーンの文章によれば、生徒たちの英語力はもしかしたら今日の学生よりも上だったのではないかと思われる。「楠木正成の歌」というのがあるとは知らなかった。明治時代の庶民の食生活の劣悪さ、そのためか若くして死ぬ子供や学生の少なくなかったことも思い知った。この子たちの葬儀の様子も語られている。
日本海の浜辺で: お盆過ぎの水泳をしてはいけない、海に引きずりこまれるとは、私もよく伯父に言われたものであった。それが河童であり、はらわたをむさぼり喰らうとは知らなかった。猫が船からお化けを遠ざけるとは初耳であった。鳥取の布団の怪談も語られている。
伯耆から隠岐へ: この紀行文は面白い。後醍醐天皇と後鳥羽上皇の流された隠岐島に行ってみたくなった。でもその前に佐渡島に行かなければ。文覚上人のエピソードも。明治の近代化は、最も原始的だと思われたこの離島にも及んでいた。旅館ではステーキを注文することもできたのである(ハーンは注文しなかったが)。この島の食糧事情は良く、島民の体格はよかった。烏賊の腑を肥料にしているので臭い。馬蹄石と佐々木高綱の名馬生月について。後醍醐天皇のイカに隠れての脱走について。黒木山にある後醍醐天皇の神社跡。米子にある、後醍醐天皇の内親王にゆかりの歯型栗の木について。犯罪について、窃盗のまじないと窃盗よけのまじないについて。瘧(マラリア性の熱病)の原因が餓鬼仏の霊だという迷信について。仏についての考察。古い迷信が打ち壊され、文明化しつつあること。狐信仰について。菱裏の子守唄について。亡くした子供が帰ってくるという信仰について。死者の名を呼ぶ習慣について。野鳥が人を恐れないこと。流罪となった後鳥羽帝が住んだという長者助九郎の家を訪ねる; 鳴かない蛙、静かな松について。鈴虫の鳴き声を巫女が神前で舞うときの鈴の音に例えるハーンは流石。ハーンに対する島民の好奇心。プライバシーのないこと。松江の楽山にある松平家の菩提寺、月照寺の大亀について。楽山神社の祭礼と、困窮した武士について。[このような感興を、私はシチリアのエオリエ諸島、特にストロンボリ島のジノストラを訪れた時に感じたことを思い出した。]
化けものから幽霊へ: ハーンは、金十郎から雪女の話を聞く。大寒の季節にあるやぶ神社の天王さんのお祭りに出かけ、生人形館、幽霊屋敷、地獄めぐりをし、侍が怪物を退治する幻灯芝居を見る。金十郎による怪談奇談; 言い寄る男どもを試す姫と、それに応じて豪胆を示した侍の話。死者(武者の許嫁) がこの世に戻り、子をなした話。
日本人の微笑: 日本人は西洋人ほど深刻でないから幸せ。西洋人は日本人をにやけている、と言う。「日本人の微笑」は研究に値する。それは礼儀作法の一つである。恥辱や落胆に際しても微笑む。時として西洋人との間に誤解を生む。日本人の人種的特性について。近代化によりその美徳は消失したか。微笑は社交上の務めなのか。苦悩を抑制する美的な、あるいは道徳的な理由によるものなのか。秘密を解く鍵は日本人の礼儀正しさにある。日本人を軽率に愚弄することはできない。日本人の微笑は作り笑いではない。古風な日本人は自分のことは話さないが、相手に対しては興味を寄せる。他人に対する思いやりと、意思的な自己抑制。[このようにハーンは日本人を観察分析している。]だが従来の道徳教育では、無難な意見の持ち主ばかり生み出して、このままでは人間精神の自由で独創的な発展には不向きのようである。だが、世界中でその中で一緒に暮らしていちばん暮らし易い国民はいまなおやはり日本人である。
京都のあるお地蔵様の微笑について。日本民族の微笑は、菩薩の微笑の観念と同じである。鎌倉の大仏は、深い静かな水のように落ち着いた表情は「此滅するを楽となす」(生滅をはなれた絶対的な心の安らぎ: 諸行無常: 世の中のあらゆる存在は無常(常に変化し続けるもの)であり、生じては滅するということが本質である)という真理を表している。自己を抑え、自己を殺すことによって生まれる幸福なのである。
日本でいま起こりつつあるさまざまな変化がこの国民の道徳的低下をもたらすであろうことは不可避的なことのように思える。だが、日本人が自国の過去を振り返る日が必ず来るであろう。[特筆すべきハーンの日本文化論]
横浜にて: 地蔵堂を訪ね、老僧と仏教について問答する。弘誓(ぐぜい)の船で涅槃に渡る。万物の究極の源は真如の一心にあり。無明(むみょう)は誤った悟り、迷い。真如こそが仏性。
そして五年ぶりにハーンは老僧を再訪したが、すでに他界しており、若い僧のもとで、地蔵堂も様変わりしていた。失われた夢は返されなかった。
勇子(ゆうこ): 1891年の大津事件[ロシアの皇太子ニコライ暗殺未遂事件]について明治天皇が心を痛めた。それで日本じゅうが憂慮した。この女性、畠山勇子は、天皇のご憂慮を鎮めたいがため、京都に至って自害した。それを知った天子様は以後、憂慮を止めた。
京都旅行記: 京都では、平安奠都1100年を記念して催しが行われた(1895年)。歴史的祭列、後に平安神宮と呼ばれることになる大極殿の建立など。御室御所での掛け物展では、伊藤博文の養子(伊藤博邦か?)の揮毫を見て感動した。骨董品店で思いがけずも『アトランティック・マンスリー』という書籍を入手した。機械仕掛けの玩具(たぶんからくりのこと)について。自然の美と宗教建築について。日本ではひしめきあい人ごみの中を通り抜けるのに苦労はいらない[渋谷のスクランブル交差点を思った]。日本人の沈黙と国民感情について。
そして、明治天皇の憂慮のために自害した女性、畠山勇子の墓を末慶寺[JR京都線丹波口の近く]に訪れた。
出雲再訪: 幾年久しく(7年)経ってから再訪した。松江の婆々橋について(咳を苦にして頭身自殺した)。古き良き日本は滅び、西洋人にとっての古代ギリシャのように、人の信仰と芸術の物語に永遠の生命を得るのであろう。・・・ただ一つの疑問を婆々橋問い続けている。あの「新しい日本」の中で「古き日本」の何かに巡り合う幸福な機会に恵まれるだろうかと。「一度愛し捨て去った土地をふたたび訪ね、無傷でいることはできない。何かが失われていた。・・・その不在こそが私の胸中の漠たる悲哀の源なのだ。・・・失われた魅力とは私自身の人生から消え失せてしまったもの----初めて心に焼きついた日本の幻影にまつわる何かなのだろうか。」
富士の山: 富士講について。木花咲耶姫について。ハーンの富士登山体験談。強力を2人頼み、御殿場口から太郎坊という休憩所まで人力車で、そして2合5勺まで馬に乗り、あとは歩いて登攀した。朝4時にスタート。天気は雨。1707年の宝永噴火について。強力のアシストにより6合目まで、午後2時7分。午後4時40分、8合目に着く。雑炊の食事をして宿泊。野中という気象学者が富士山頂での越冬を試み、死にそうになり、強力によって救助されたという話を聞く。一人で外に出るなと言われたのに午前4時、外に出た。午前6時40分出発。8時20分、頂上。目前の壮大な光景は、既に消すことのできぬ記憶となった。
橋の上: 熊本の白川にかかる橋にて。車夫が、西南戦争のとき、この橋の上で目の前に起きたことを語る。
お大の場合: お大は仏壇の中の厨子を開いた。中には位牌と巻物があった。位牌について。お大は生活のために改宗することとし、イギリス人女宣教師の命令によりそれらを川に捨てた。祖神礼拝という日本の伝統を捨てたお大は日本の社会から疎外され、生きていくことができず、しまいには遠い土地で春を鬻ぐこととなった。
日本の病院で: 束の間生きる人間という生きものは何か、と考える。生命の神秘は不可解な、畏怖すべき謎である。
ちんちん小袴: 日本の畳について。ものくさなお姫様のもとに夜な夜な現れた侍のなりをした小人は、畳に埋め込まれていた楊枝であった。梅の種という似た話もある。
おばあさんの話: 老けず、働き者で人格者という理想的な老女の話。そのような人はもう生まれ変わらず、この世から直接成仏するのであろう。
勝五郎の再生: 前世の記憶の可能性について語る説話。六歳で病死した勝五郎の再生記[平田篤胤が文書化している。私はイアン・スティーヴンソンの本を思い出した]。
蛍:ホタル lucciola の研究者、渡瀬庄三郎について。源氏蛍(大きい)と平家蛍(北に分布)が宇治川で大合戦? 蛍狩り。その商売。蛍の膏(あぶら)という接着剤。監将丸あるいは武威丸。柳を好み、松を好まない。柳は死人の木で、亡霊が好む。
露の一滴: 露の玉、水滴を観察し、魂の小宇宙だとするハーン。
力馬鹿(りきばか): 精神年齢が幼児のままの若者が死んだ時、手に書いた「力ばか」の字を手にもって生まれてきた子の字をなくすのに、件の若者を埋めた墓の土で擦ったという話。
ひまわり: 妖精の輪(フェアリー・リング)の中で眠り込んだ男が姿を消し、鬼の呪縛にかかったという話を従兄弟ロバートとする。ハーンの幼少期の思い出のようだ。日本のひまわりのことを知り、死んだ従兄弟のことを思い出したのだ。
蓬莱: 家の掛け軸の絵を見ながら仙郷蓬莱を思い、中国の伝説をひもとき、蓬莱を連想する。蓬莱は蜃気楼にして幻影(ミラージュ) なのだ。
私の守護天使: ハーンが幼少(6歳) のころ、お化けや鬼を信じていたころの話。カトリックの信者として教育されつつ、祈祷の中にある「精霊 Holy Ghost」という言葉に興味をもった。神経質な子供であった。従姉妹のジェーンのこと: 修道女になるはずだったが他界した人で、ハーンは、神について語った彼女を怖れ、憎んでさえいた。彼女はハーンに蔵書を遺贈した。その中に宗教書はなかった。
解説: 『知られぬ日本の面影』の後半を中心とした部分を収めてある。前半部は『神々の国の首都』にある。ハーンは次第に紀行文についての関心を失っていった。
日本は何という恐ろしい速さで近代化していくのでしょう。〜移り変わりゆく明治日本を目の当たりにしたハーンの文を通じて我々はあの時代のことを知る。
『明治日本の面影』原題と訳者一覧: 平川先生が訳したのは、「英語教師の日記から」「日本海の浜辺で」「日本人の微笑」「橋の上」「勝五郎の再生」「力馬鹿」「ひまわり」「私の守護天使」