カズオ・イシグロを気に入っており、翻訳されている作品を読破したいと思っていた。これは後回しにしていたものの一つである。お気に入りは『忘れられた巨人』『クララとお日さま』『充されざる者』『わたしを離さないで』など。いずれも夢のような曖昧模糊とした空気が漂う作風である。

 本作は翻訳がすばらしかった。一箇所、日本語として気になる部分があったが、もう忘れてしまった。

 時代は日本の戦後。主人公は引退した老画家。娘や孫と暮らしながら、戦前のことをいろいろ回想する。戦前は軍国主義に迎合するような活動をしていたようだが、その後、浮世を題材にした欧米人向けの作品を描くのに忙しい日々を送っていた。だが、松田という人物と出会い、作品における自我が芽生える。その経緯について、恩師、画家仲間たちとのやりとりが想起されている。日本は敗戦を境いに、ものの価値観が大きく変わってしまい、それに翻弄された人々は少なくなかったのだ。

 舞台は、描写から想像するに、東京の荒川地区のようにも思えるが、実在しない。まあ、戦後の東京は大きく変わったから、どこでもよいのだ。以下はメモ。

 

 序文: カズオ・イシグロはプルーストの『失われた時を求めて』を読んでいた。

 1948年10月: 「ためらい橋」とあったので思わず検索した。そういう演歌がヒットしたが、東京にはなかった。主人公が大邸宅を安く購入する経緯。娘たち(節子と紀子)の話。孫の話に、ゴジラのようなものが出てくるが、ゴジラが公開されたのは1954年だから、これも小説の上での話なのだ。小さなバー<みぎひだり>のマダム川上。長崎は原爆が落とされる前に6回の空襲を受けているので、もしかしたらこの小説の舞台は長崎なのだろうか、などと考える。主人公の孫がローン・レンジャーに夢中になっているが、これも日本で公開されたのは1958年以降だとわかったから、小説上の話なのだ。

 主人公が子供の頃、絵を描くのを仕事にしたいと思い始めた頃を回想する。

 主人公の娘の縁談について。一度目の縁談は破談になっていた。都電荒川線を思わせる描写あり。「平山の坊や」という知恵遅れの人が軍歌を歌って殴られたという話から、戦前を想起する。歓楽街は退廃的だとみなされていた。古川地区? 主人公はそこの下宿の屋根裏部屋で絵を描いていた。そして武田工房で働き出し、忙しく制作していた[たぶん軍国主義的なポスターなど?]。カメさんという綽名の遅筆の画家の話。主人公は武田工房をやめ、森山という芸術家の弟子になる。カメさんをそこに推薦し、一緒に制作するようになる。

 戦後に、弟子であった黒田という人と会う。主人公の次女の縁談相手の父親、斎藤博士との世間話。松田という尊大な人物は、三十年経った今、病んで様変わりしていた。

 1949年4月: ためらい橋。マダム川上の店の存続について。シナ事変のポスターについて。主人公の次女の見合いについて。主人公のかつての弟子、黒田の居所をつきとめて会いに行く。留守番をしている黒田の弟子との対話。

 1949年11月: 斎藤博士は大学の教授であり、美術界と関わりがある。[ポパイのテレビアニメが日本で公開されたのは1959年以降であった。]森山という画家[技法は黒田清輝を思わせる]の別荘で、歌麿ふうの浮世の絵を制作していた七年間についての想起。次第に、師匠の森山と異なる作品を描くようになり、離反、決別していったこと。那口幸雄という音楽家が、戦争中につくった曲のことで自責の念にかられ、自殺したことについて、孫に問われたこと。主人公が描くようになった作品を見た友人のカメさんから、裏切り者だと罵られたが、これからはこのように描くのだと言い切ったこと。そのような構想にインスピレーションを与えたのは松田とともに見た貧民窟の風景であった。松田は画家たちは退廃的な集団で、無知だと言っていた。松田は、共産主義ではなく、王政復古を求めているのだと言った。その感化によるものかどうかはわからないが、主人公は「浮世の画家」であることを辞めたのであった。一方、弟子であった黒田は警察に連行された。

 1950年6月: 主人公は、先日再会した松田の訃報を受け取り、見舞った時のことを想起する。戦前に、森山師匠のもとを離れてから画家として重要な賞を受賞したときのことを思い出す。師匠の森山の作風はしかし評判が下がる一方であったことも。

 主人公は<みぎひだり>というバーのことを思い出す。そこはオフィスビル群の前庭のようになっており、主人公はそこに置かれたベンチに腰掛けて思いを巡らす。

 

 白内障で読書がしんどかったからか、カズオ・イシグロの作風がおぼろだからか、いまいち内容が判然としなかった。不消化感ひしひし。そのうちに、手術で目が治ったらもう一度読み直してみようと思った。