好奇心旺盛だけどちょっとコミュ障自転車とご飯と本と映画が好きな主婦とお茶目なダンナの日常を中心にお送りします
「疑わしきは罰せず」 司法の大前提であり、人間の尊厳にも関わる問題ですが、「冤罪」事件というのは後を絶ちません。 「冤罪」をテーマにしたドラマや映画も数多く作られていますね。ですが、無くなる気配はありません。松本サリン事件が起きたとき、当時理学生だった主人の同級生は事件後すぐにサリンの化学式を教室の黒板に書いて、製造工程を説明したという。そして、そこそこの大学生でもわかる程度の知識が 「洗面器でサリンなんか作ったら作った本人が真っ先に死ぬ」 ということでした。しかも身内の安全の確保をすることもなく、何が楽しくてそんなことをするのか? 本当に人間が理性を持って、自身の感情に流されることなく冷静に判断することができれば本来であればあの「冤罪」は起こりえないことだった筈なのです。 こういう性格ですので毎シーズン「いいなあ」と思って見るドラマは1本あるかないかなのですが、「dele 」はいいです。 最新話はとある事件を彷彿とさせる内容でした。https://gyao.yahoo.co.jp/player/11138/v00145/v0000000000000002987/ 決して他人事と思ってはいけません。真に怖ろしいのは波一つない水面のように静寂に見える、でもただ単にそれは抑圧されているだけで、その底に蠢く人の悪意なのです。 イジメ→差別→村八分→魔女狩り キッカケは些細なことでも「あいつが」という悪意が水の底で繋がった時にそれは得体の知れない魔物となってあなたに襲いかかるのです。 自分はそんなことにはならないと、誰が言い切れるのでしょう? モデルになったと思われる事件に関して、被告が保険金詐欺事件で裁かれるのは一向に構いません。が、しかし、かの事件で裁かれてはならないと思います。それを認めることは、人の猜疑や憎しみの感情が人を裁くことを認めてしまうことになるからです。 勿論、証拠や証言を捏造する警察の不祥事も相次いでいますし、法の目を掻い潜る悪党も後を絶ちません。信じられるものなどない世の中だと言ってしまえばそれまでですが、あえて言葉にしてみました。 「dele 」の製作者もそういう思いを抱き続けていたのかもしれませんね。マスコミや集団の悪意、人の心の闇、生と死、シンパシーを感じる部分が多いです。 内容も深く評判もいいドラマなのに8話(次週)で最終回。 ひょっとしたら delet された幻の一話があるのかもしれませんね???
今でも多少はあるのでしょうが、Tシャツのロゴやお店の名前などに変な英語が使われているのが話題になったことがありました。 具体的にいうと、わいせつな言葉だったり、文法がおかしかったり、商売の内容とあっていなかったりといった具合で、それが英語よりも馴染みの薄いフランス語やドイツ語だとさらに酷いことになったりします。 ただこれは、英語に限った話ではなく、外国人の刺青や海外の日本料理店に時折変な日本語が見受けられることもありますから、どっちもどっちといったところでしょうか。 以前、ドイツの友人がタトゥーではなく文字通り「刺青」を入れるにあたり、「日本の刺青の写真集が欲しい」という無理難題に応えるべく奔走しましたが、奔走したかいあって本場のアッチ系の方より見事な刺青に仕上がりました。「彫り物」って言った方がいいんでしょうね。それにぴったりの「4文字から6文字くらいの漢字のワードを!」との要望に「天衣無縫」を選びましたが、意味を伝えると大変喜んでくれました。 それがすっかり遠い思い出になった頃、「両足の龍にそれぞれ『火』と『水』を使った4文字くらいのワードをまた頼むよ!」と新たな課題がやってきたのが最近。一応回答は届けて喜んでくれたので完成したのが見られるのは来年くらいでしょうか。 こんなことを思ったのはたまたま目にした投稿の中で製菓用の小麦粉に「エクリチュール」という名前がついているという話が出たから。響きから推察できると思いますが、フランス語です。「書き言葉」という意味にざっくりとはなるのですが、文学の流れや思想を語る上で欠かせない深みのある言葉になりますので、興味を持たれた方は是非ググって考察を深めてみてください。話の続きではおむつポーチにもこの「エクリチュール」という名前がついてるそうで、そこまで行くともはや訳わからんという感じにはなります。 これを「よくあるイタい外国語の使用例」と片付けてしまうことは簡単ですが、あえて「小麦粉とエクリチュールの交差点」や「おむつポーチとエクリチュールの交差点」を考察し明確に言語化することに言語の楽しさはあると言えます。さらに逆方向から「真理をあえてイタい言葉で表現する」試みとか。 一見するとふざけてるようですが、実はこういう姿勢はビジネスでも実生活でも役にたちます。よく物事を「俯瞰」することが大切といいますが、一方向からしかものを見られない人がどれだけ目を凝らしても自分も他人も世界も「俯瞰」することはできません。様々な方向・角度から見る視点が集まって初めて自分と他人、内側と外側などという境界に縛られず、自分を含む空間全体を「俯瞰」することができるようになるのです。 エクリチュールとよく似た例で昔「美容室バウハウス」てのを見つけて、「どんなシンプルかつ革新的な髪型にしてもらえるんだろ?」とそのよくある田舎の小さな美容室の外観とのギャップにドキドキしましたが、何気にググったら全国に「美容室バウハウス」はたくさんあり、中には本家バウハウス並みのデザイン性の高いものもありました。 この投稿が全国の「美容室バウハウス」様の集客に貢献できましたら幸いでございます。
少し前のことですが、二日ほど遠出して帰宅した時感じたのが 家っていいわー。落ち着くわー。 30年近くかけて整備し続けた(現在も進行中だし将来も続く)周辺環境ですから、快適じゃなかったらおかしいですよね。マイナス面は「見聞を広める」以外の外出する意欲が無くなるということでしょうか。自転車は例外かもしれません。 先日fbの方でビジネス系の投稿をしたところ、出るわ出るわビジネス(とりわけセミナーや起業関連)系の広告が。あまりにもわずらわしいので片っ端から非表示にしました。興味のあることなら言われなくてもネットだけじゃなくてあらゆるツールを駆使して調べます。こういう時に私は一応ネット以外にテレビ、書籍、(信頼のおける)人の話を聞いた上で最終的に「外出」して情報の真偽を確認します。 もっとも人生もこのくらい進むとある程度情報ソースのセレクトもできてきますので、無駄は減ってきますが。 話は変わりますが、やたら出てくる「無料」「誰でもできる」「簡単」「〇〇日で」という広告。なんと言いますか、こういった文句を鵜呑みにできること自体がそもそもアンビリーバボーなことではあるのですが、そのように「誰でも」参入できる市場に入ること=「どこよりも厳しい」競争にさらされること、というのを理解できない人があまりにも多い。 実際、自己啓発業界の第一人者ともいえる方がたまたま部活の先輩でしたので、多少のウラ話も含め昔から話を聞いてましたが、申し訳ありませんけどその方は学生時代から向上心と行動力が「半端ないって!」でした。 凄いことはアッサリ起きたりしませんよw そういうネット系ビジネスや起業を勧めるセミナー業界がこぞって揶揄するのがいわゆる「サラリーマン」と呼ばれる企業に勤めて月給をいただいてる人達で「社畜」なんて言葉もあるくらいですが、本当に彼らの言う通りでしょうか? 「社畜」という言葉が生まれたのは1990年頃のようで、思ったよりも古い言葉でした。Wikipediaによれば「主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ」とあります。 「主に日本で」「外部から」というところに注目ですね。自然発生的な言葉ではなく元々ある意図を持って作られた言葉であることがうかがえます。 【家畜を飼うのは食べるため】 社員を雇うのは食べるため?実際そういう企業はありますね、いわゆるブラック企業です。ただ、今の世の中では超ブラックな企業を除いてはそのような目で社員を見て雇うような企業は自ら滅びる運命にあると考えます。そして、自分の意思と良心を放棄するかしないかはあくまで個人の選択かと。 むしろ今は人(特に日本人)が思考することを放棄し、AIに選別され情報という餌を与えられて飼い慣らされているのではないでしょうか?自分で何かを選んでいる、判断していると思っているようで、実は選ばされている、判断させられているとしたら? 今は「社畜」ならぬ一億総「言畜」時代かも。
名古屋のシネマスコーレで「マルクス・エンゲルス」を観てきました。「ガチ星」を観に行った時に予告を観て気になってました。何で今マルクスなんだろ?と思ったんですけど、今年はマルクス生誕200年にあたるそうで、その記念映画ということだそうです。若き日のカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの出会いから、後に大きく世界を動かすこととなる「共産党宣言」を発表するまでが描かれています。この映画に対して、過去の史実と比べやれどーの、哲学的な立場からどーの、とうんちく混じりの評論を述べる人が多いのですが、ちょっと違う見方をした方がいいのではないかと思うのです。 マルクスとエンゲルス、それぞれのパートナーについてはまたどこかで書く機会を設けるつもりです。 というのはですね、フランス・ドイツ・ベルギーの合作ですので、当然私はこの映画はドイツ主導で作られたもの、というかドイツ的なイデオロギーがベースになっているだろうと思っていたのですよ。ですが、映画の原題は「Der junge Karl Marx(ドイツ語で"若きカール・マルクス")」ではなく「Le jeune Karl Marx(フランス語)」なのです。 資本主義が極度に進み階級による貧富の差が激しさを増す社会の中で、ブルジョア(富裕層)の所有する財産に対しそれは搾取であるとプロレタリア(労働者層)を代表しマルクスは度々唱えます。 どうでしょう?なんとなく今の社会のようだと思いませんか? ブルジョアを今の軍事・IT産業を中心としたアメリカ、プロレタリアをブルジョアの垂れ流した糞便(難民)の受け皿となっている欧州だと捉えることもできます。そして、この「搾取」という言葉に対しては、約半世紀前の哲学者がこう述べています。 「搾取が搾取と見えるようではいけないので、それは恩恵のように思われねばなりません。」 全くジャンルの違うものにはなるのですが、もし皆様がいつかこの「マルクス・エンゲルス」をご覧になるのであれば是非その前に「エクス・マキナ」をご覧いただきたいです。私たちが搾取されているもの、それが何か?考えてみてください。 共産党宣言の紋々の後エンドロールのボブ・ディランのお馴染みの曲に移る前に現れるのは画面いっぱいのフランス国旗とその前に立つ少女の強いまなざしで、私はこれに戦慄を覚えたのですが、ここに触れる人がいないのが不思議でなりません。 「哲学者は世界をいろいろに解釈しただけであるが、大事なことは、世界を変革することである」 とは、マルクスの言葉ですが、この映画は思考による変革でアメリカ的資本主義に宣戦布告するフランス現代思想のメタファーであるような気がしてならないのです。 「戦いか、死か」と作中のエンゲルスは言いますが、この血の気の多さがフランスっぽく、最後にドイツらしい戦い方というか、今哲学界の風雲児と呼ばれるマルクス・ガブリエル(映画のタイトルもメタファーっぽい)さんのドキュメンタリーを観ていただけると、今欧州の人々の意識の根底に流れるものが見えてくるのではないでしょうか。 多分、私がドイツを好きな理由はこれなんだろうな。
前回の投稿で海外TVドラマ好きなことをお伝えしましたが、小さな頃に見た映画の中でタイトルが思い出せずいまだに探し出すことができないというものが何本かあります。 そんな中で最近探し出すことができたものを一本。 戦時中、イタリアのとある美しい村の美しい娘がそこに駐留していた3人の(え!?)米兵と恋に落ち、彼らが帰還後身ごもったことを知ります。3人のうちの誰の子かというのはわかりませんのでそれぞれに「あなたの子供ができました」と伝え、彼女は3人から金銭的な援助を受けながら生まれた娘を育てますが、娘には父親は戦死したと嘘をつきます。そして20年の月日が流れ、どういういきさつか彼らを含む元米兵の一団とその家族が村を訪れ、村では盛大な祝賀会が行われます。父のことを知りたい娘、真相を知られてはまずい母親、奥さんの目を盗んで母娘に近づこうとする3人の男、真相を知らず色々面倒を見る母親の現在の恋人、ということで事態はどんどんハチャメチャになります… こんなにハッキリあらすじやセリフを覚えているのに。 それこそ30年以上の歳月が流れたある日、一本の映画を目にしました。 「マンマミーア!」 え!?これってこれって絶対あの話が原作でしょ??? そこで 「マンマミーア 原作」 と検索をかけ、ついに私はその映画が何なのかを突き止めることができました。邦題は 「想い出よ、今晩は!」 だそうです。 詳しいあらすじは こちらのリンクを そして私はもう一つの謎の答えを知ることになります。 みなさん、「イオナ」って漫画ご存知ですか?マツコさんが愛してやまない漫画でして。某番組では、「イオナってわかる?オカマしか好きじゃないんだよね、アレ…」とつぶやいてました。 てーことは、私はオカマか??? いや、もう私も大好きでたまらなかった漫画なんですが、単行本のタイトルが毎巻セクシー大女優の名前になってたんですよね。その中で ジーナ・ロロブリジダ だけ映画を見たことがないと思っていたのですが、観てたよー、めっちゃ観てたよー。 「想い出よ、今晩は!」の中で全てがバレて3人に詰め寄られるのですが 「父親を誰か一人に決めることなんてできなかったの。だって、だって、3人とも本当に愛していたのよ!!」 と言われて普通許すか? 「偽りの愛」よりは「1/3でも本物の愛」にすがりたい男心かな。そして娘がまた可愛い。 「こんな可愛い娘は俺の娘以外にはありえない!」という3人の親バカ全開パワーが何故かすべてを丸く収め、物語はハッピーエンドを迎える。
唐突ですが、私は子供の頃海外のTVドラマが好きでした。 それもかなり小さな頃からです。小学校低学年で将来の夢は?と聞かれて「サンダーバードかチャーリーズエンジェル!」と答える、当時としては明らかに周りと一線を画す子供でした。 そんな私が大好きだったドラマの一つですが、未だに知ってる人に出会ったことがないのが1990年前後に放映された「弁護士シャノン」 離婚歴あり。娘一人。お金無し。でも弁は立つ。法廷で争うというよりその前段階の交渉で示談や和解に持ち込むというスタイルでアウトローだけどちょっと情にもろい。だからいつも最終的にお金にならない。日本のおじ様おば様で「俺たちは天使だ」とか「探偵物語」辺りが好きなら好きになりそうな話。 元々は依頼者だったのに秘書になる女性ルーシーはエリザベス・ぺーニャが演じていた。「ジェイコブスラダー」しか映画で見た記憶はないんだけど、このドラマの彼女めちゃくちゃ良かった。 しかし、このドラマで一番素晴らしかったのはウイントン・マルサリスが音楽を担当していたこと、常にスモーキーでブルージーな大人の空気が漂っていた。ウイントン・マルサリス知らないってならgoogleでも何でも調べてください。ジャズの巨人でやんす。 ドラマでも度々音楽ネタが出ていて、娘がブルーオイスターカルトのライブで熱狂してたり(どんだけコアな娘やねん!)、とある女性カントリーシンガーが有名歌手に盗作されたと訴える回では「私の「私に返さないで」を返して!」 「え?え?何言ってるの?」「だーかーらー、「私に返さないで」を返してって言ってるのよ!」「???」みたいなやり取りがあったりしました。 最後にマルサリスの演奏をお楽しみください
おはようございます。この連休中は暑さもピークに達するようですが、熱中症、クーラー病などで体調を崩されないようお気をつけください。先日ブログを再開したところ、あのようなお粗末な文章にも関わらず20人以上の方がシェアしてくださいました。私のfbの投稿など普段ご覧くださってるのはせいぜい100人くらいでしょうし、ブログの閲覧数もそれより少し多いくらいなので、大変ありがたいことだと思いました。どのような方がシェアしてくださったのかはわかりませんが、私のfb友達の中でシェアしている方は見当たらないし、ページを訪れた方は殆どが外部のリンクから訪れていました。反対にブログの記事に「いいね」をしてくださった方の内訳を見ると、昔からブログを読んでくださっている方(心より感謝申し上げます)を除くと殆どが自身のページへの誘導目的のものでした。「ガチ星」絡みか?ギャンブル系と凄いなと思うのはサイドのリンク紹介に目をつけたスピ系。しかもなんかみんなプロフ写真は若くてキレイな女性… 怖いわ。これが本人の写真かどうかもわからんし、そもそも女性が本当に書いてるかどうかわからんよね。なんかこんな場末の、と言ってはなんだけど、オバさんのとこまでサーチかけてグイグイ来るほどエゲツないスピの世界って「気高い精神」とは程遠い気がします。まあ、本当に信じる人は選んでいただきたいですね。良い人紹介してくれってなら先ずはブログから紹介しますんでいつでも言ってください。たった一つの投稿からでも色々なことが分かり興味深かったです。人の繋がりってオモシロイですね。
先日「柳屋商店開店中」を読んだ流れで映画「アマデウス」を観た。 神童と呼ばれ生きている間に評価を得たアーティストでもかくもみじめな死を迎えるのかと思う一方である分野で天才と呼ばれる域まで到達する人はおおむねその他の分野では凡人以下でありマネージャーやパトロンといった裏方やスポンサーの協力なくしては成功はあり得ないのだと、それは今も昔も変わらないようでいて時としてYouTubeやSNSから突然ヒーローやヒロインが現れることもあり少なくともクリエイターやアーティストと呼ばれる人達にとっては良い時代になったのではないかと思う。 その際に突き抜けられるかどうかは人に媚びを売らずに己を貫けるかが「鍵」だと思う。「ウケ」や「いいね」を狙っていてはいつまでも経ってもその他大勢から抜け出せるはずはない。 同じようにアーティストの末路が切ない映画ということで「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」を久し振りに観た。 いわゆる「天は二物を与えた」系のイケメンヴァイオリニストデビッド・ギャレットがパガニーニを演じているというよりまんま演奏している。実際のパガニーニもイケメンだったかどうかは知らないが高身長であったことは確かなようで髪を振り乱し汗を飛び散らせて弾きまくる様に全世界の腐女子が熱狂したようである。この映画を見るまでは、パガニーニというとクラシック界のイングヴェイ・マルムスティーンみたいなものかとずっと思っていた。事実彼の作曲した特に「練習曲」などは変態以外の何者でもない。 しかし、映画の中のアリアを聴いたときに見る目が変わった。「なんだろう、むしろ現代的というか、劇団四季が歌ってもおかしくない気がする」と、横でつぶやいたダンナの言葉が結構いいところをついている。そう、悪魔に魅入られたアーティストが無垢なるものを汚れなき魂を渇望するあの「オペラ座の怪人」の声が聞こえてくるのだ。 「私の音楽の天使よ、私のために歌ってくれ」
私の好きな「ジョーカー・ゲーム」シリーズの作者として知られる柳広司氏の未収録の短編とエッセイやあとがきなどを収めた一冊です あまりエッセイやコラムのようなものを書かない人らしく?あの、裏の裏のそのまた裏を読むようなそれでいて一切の無駄をそぎ落とした「ジョーカー・ゲーム」の世界から来たような人だと思って読むといい意味でショックを受けるかもしれませんええ、かなりお茶目な人ですそれにしても「ジョーカー・ゲーム」アニメの出来が良かったんですよねぇまたまさかD機関の皆様が揃いも揃ってあんな美形になるとは予想だにしませんでした。わざと三好にツンケンさせておいて「柩」に彼を持ってくるなんて… う… 上手すぎます舞台まであるってんですから信じられません彼らが萌えの対象になる日が来ようとは夢にも思いませんでしたあ、ヴォルフ大佐はぜひ「スターリングラード」のケーニッヒ少佐ことエド・ハリスでお願いいたします。 話を柳氏に戻しましょう初期の頃からの作品を知るものから見ると氏のパロディ精神や哲学的な思考はお馴染みのものではあるのですが作中の登場人物に氏が憑依して語り出してしまうことが多々ありそれが初期の頃は良くも悪くも氏のカラーとなっていて読みにくく感じていた人もいたのではないでしょうか「トーキョー・プリズン」も、もう少しスッキリしていたら…とは感じたのですが、それが見事になくなってロラン・バルトによるところの『作者の死』が完成したのが「ジョーカー・ゲーム」でしたね。 「柳屋商店開店中」の中には氏の高校時代のエピソードも少し出てきます実は氏は高校の部活の先輩でした。私の2年上、主人の1年上でしたので接する時間が短かった私の氏に関する思い出はほんの少ししかありませんチャラめのNg先輩と怖いNm先輩によくイジられているほんわかした先輩でした主人の知る先輩も概ねそんな感じなのですが高校時代に今でも人生の大きな軸となっている言葉をいただいたそうです 「相談とは愚の骨頂だ。人が誰かに相談をするのはただ同意を求めているだけで、何の問題解決にもならない。」 細かい部分は違っているかもしれません主人にしてみれば一番優しそうだった先輩に相談を持ちかけてこのような返答が来たことに腰が抜けるほどの衝撃を受けたそうですがその後の自分の意思決定について深く考えるキッカケになったそうです「柳屋商店開店中」を読んでいるとその先輩らしさが作品の中にも表れているような気がしました ひとしきり読んだ後、主人が私の顔を見てひとこと 「…ヤナギ先輩、なんで陸上やってたんだろ?」 「私もそう思った…」 かくして私たち夫婦の前には最大の謎が立ちはだかったのであった -追伸 先輩、リベンジ失敗です
「戦力外通告を突きつけられた人はどうするべきか」 先週、映画「ガチ星」を観てまいりました 冒頭のリンクは公開直後に日経ビジネスに掲載されたもので詳しい解説はこちらにお任せしようと思いますというのも元競輪関係者が「良かった」と言っても説得力は薄く全く競輪に縁のない人の感想をあえて最初に持ってきたかったので この映画は『競輪』の映画というよりはむしろ誰にでも当てはまる人生のターニングポイントの映画だと感じましたそのせいか、予想以上にたくさんの人が観に来ていて驚きました女性も割と多かったです(久松君役の福山さんがイケメンだから?)正直「競輪好きのオッサンがパラパラいるだけだったらどうしよう?」と劇場に着くまでは不安でいっぱいでしたが稀有に終わりました挫折を乗り越える男の映画を楽しんでいただいたところでちょっと(かなり?)マニアックな『競輪』の世界を覗いてみたい、とほんの少しでも思っていただけたら嬉しいですね。 実際の競輪と比べると競走に関してはツッコミどころ満載すぎて倒れそうになりますが…同地区の自力選手同士が競りません、普通は 主人公が 「吹っ切れる」 シーンと前後する物語の終盤部分は素直に 観てほしい と思えるものでしたどうやったらここまでクズな男になれるのかと頭を抱えるほどクズの主人公浜島とは真逆の性格で常に刺激となる同期の久松君ですが寡黙なキャラ故終盤部分での演技には衝撃を受けますその演技もさることながら、大変美しい顔をしているんですよねどこかで見た覚えがあるけどそれが映画を観ている間には思い出せず家に帰ってから調べました あ~らビックリ! ドラマ「弱虫ペダル」の京伏の水田くぅ~ん(御堂筋君っぽく読んでください)だったんですね全然キャラが違うからホンマ分からんかったわ映画は見るけどあまり役者そのものには興味を持たない方なので改めて 役者さんて凄いな! と感じたのでした