名古屋のシネマスコーレ「マルクス・エンゲルス」を観てきました。



「ガチ星」を観に行った時に予告を観て気になってました。何で今マルクスなんだろ?と思ったんですけど、今年はマルクス生誕200年にあたるそうで、その記念映画ということだそうです。若き日のカール・マルクスフリードリッヒ・エンゲルスの出会いから、後に大きく世界を動かすこととなる「共産党宣言」を発表するまでが描かれています。



この映画に対して、過去の史実と比べやれどーの、哲学的な立場からどーの、とうんちく混じりの評論を述べる人が多いのですが、ちょっと違う見方をした方がいいのではないかと思うのです。
 
マルクスとエンゲルス、それぞれのパートナーについてはまたどこかで書く機会を設けるつもりです。
 
というのはですね、フランス・ドイツ・ベルギーの合作ですので、当然私はこの映画はドイツ主導で作られたもの、というかドイツ的なイデオロギーがベースになっているだろうと思っていたのですよ。ですが、映画の原題は「Der junge Karl Marx(ドイツ語で"若きカール・マルクス")」ではなく「Le jeune Karl Marx(フランス語)」なのです。
 
資本主義が極度に進み階級による貧富の差が激しさを増す社会の中で、ブルジョア(富裕層)の所有する財産に対しそれは搾取であるとプロレタリア(労働者層)を代表しマルクスは度々唱えます。
 
どうでしょう?なんとなく今の社会のようだと思いませんか?
 
ブルジョアを今の軍事・IT産業を中心としたアメリカ、プロレタリアをブルジョアの垂れ流した糞便(難民)の受け皿となっている欧州だと捉えることもできます。そして、この「搾取」という言葉に対しては、約半世紀前の哲学者がこう述べています。
 
「搾取が搾取と見えるようではいけないので、それは恩恵のように思われねばなりません。」
 
全くジャンルの違うものにはなるのですが、もし皆様がいつかこの「マルクス・エンゲルス」をご覧になるのであれば是非その前に「エクス・マキナ」をご覧いただきたいです。私たちが搾取されているもの、それが何か?考えてみてください。


 
共産党宣言の紋々の後エンドロールのボブ・ディランのお馴染みの曲に移る前に現れるのは画面いっぱいのフランス国旗とその前に立つ少女の強いまなざしで、私はこれに戦慄を覚えたのですが、ここに触れる人がいないのが不思議でなりません。
 
「哲学者は世界をいろいろに解釈しただけであるが、大事なことは、世界を変革することである」
 
とは、マルクスの言葉ですが、この映画は思考による変革でアメリカ的資本主義に宣戦布告するフランス現代思想のメタファーであるような気がしてならないのです。
 
「戦いか、死か」と作中のエンゲルスは言いますが、この血の気の多さがフランスっぽく、最後にドイツらしい戦い方というか、今哲学界の風雲児と呼ばれるマルクス・ガブリエル(映画のタイトルもメタファーっぽい)さんのドキュメンタリーを観ていただけると、今欧州の人々の意識の根底に流れるものが見えてくるのではないでしょうか。
 
多分、私がドイツを好きな理由はこれなんだろうな。