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~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

学生時代から断続的に聞いてきたクラシックCD。一言二言で印象を書き留めておきたい。その時の印象を大切に。
ということで始めました。
そして、好きな映画や読書なども時々付け加えて、新たな感動を求めていきたいと思います。

新年あけまして

おめでとうございます。

今年も引き続き

よろしくお願いします。

当ブログは、1月1日より

通常メニューとなっております。

それでは、今年もたくさんの

素晴らしい音楽との出会いを

願ってスタートします。飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

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ショスタコーヴィチの時代 ㉓

ショスタコーヴィチは、プラウダ批判の翌1937年にこの交響曲第5番で名誉回復を果たし、再びソビエトの人気作曲家としてカムバックします。この曲は、かつてはショスタコーヴィチの代表作とされ、人気も一曲集中気味でした。私も初めて聴いた曲はこの曲だったと思います。そして、ヴォルコフの証言ののちにいろいろな解釈がなされるようになり、人気もいろいろな曲に拡散にて多種多様となり、今日に至っています。

【CDについて】

①作曲:ショスタコーヴィチ

 曲名:交響曲第5番ニ短調 op47 (42:41)

②作曲:チャイコフスキー

 曲名:序曲「1912年」op49 (15:29)
演奏:アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1961年11月11,14日①、1965年1月14,15日② プラハ 芸術家の家

CD:COCO-6766(レーベル:SUPRAPHON、発売:日本コロムビア)

 

【曲と演奏について】

ついに、ショスタコーヴィチのかつての代表作です。

1970年代までは、ショスタコーヴィチといえばこの曲ではなかったでしょうか。廉価版シリーズにもだいたい1枚組みこまれていました。ショスタコーヴィチは、いまや人気曲やファンの一押しの曲はかなり分散して、交響曲では、第10番・第8番、最近では第4番。他にも弦楽四重奏とかムチェンスク郡…とか、すっかり多様化しました。私はとても一つに絞り込めませんが、好きという意味では、第10番やムツェンスク郡ですかねぇ…。昔からそれなりに思い入れがあるもので…(笑)。

 

あの「ヴォルコフの証言」以来、それまでの社会主義リアリズム的なイデオロギー寄りのイメージは徐々に消えていき、いろいろな解釈が唱えられるようになっています。「証言」によれば終楽章の歓喜は、強制された歓喜であるということになる訳ですが、確かにそう考えることは、今日の目から見ると信じたくなる部分ですね。そこに関連する事実とすれば、終楽章の音楽が「プーシキンの詩による…」の第1曲の復活の背後のメロディと一致しているため、この曲が将来に託した暗号を含むということになります。けっこう、信憑性があります。(詳細は以下参照)

 

 

 

 

あとは、この曲のカルメンの引用の多用は、離れていってしまった愛人がカルメンという男と結婚して、カルメン姓になったため、元愛人に激しく呼びかけるものだとか…。

 

そういった解釈やエピソードは、当たらずとも遠からず、あるいは全部正解という事かもしれませんが、基本的には、名誉回復のために社会主義リアリズムを追求した音楽という体裁をとって作曲されたということだと思います。公式にショスタコーヴィチが語ったことは、「以前の作品が西欧かぶれした形式主義的な産物として批判されたため、その反省によって作曲されたもの」であり、「正当な批判に対する、ある芸術家の創造的回答」なのです。

 

スケルツォも以前のような(西欧かぶれした)諧謔性を潜め、伝統的でベートーヴェンの第5番のような、「暗から明」、「苦悩から歓喜」へと移り変わる四楽章構成となり、人間の苦悩とその解放を表現しているとされています。かくして、ソビエト革命20周年記念日に、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによって初演が行われ、スタンディングオベーションの大成功となり、当局もこれを歓迎したということになりました。ショスタコーヴィチの心中はいかがなものであったか、想像以上に、いろいろな思考感情が渦巻いていたことだと思います。(マズイ、これでは目立ちすぎる…とか含め(笑)。)

 

この曲にはたくさんの録音がありますが、まずはムラヴィンスキーの演奏が初演者ということで、伝統的な解釈者と考えられるため、名盤には必ずあがります。一方で、人間の苦悩の解放という側面が強調されたような、バーンスタイン=ニューヨークフィル盤が西側の解釈として支持を得ていました。熱い演奏であり、私も最も多くの回数を聴いたと思います。新盤の東京文化会館のライヴですね。全集を録音していたソ連の指揮者としては、コンドラシンやロジェストヴェンスキーがあり、また、クーデター騒ぎで騒然とした中で録音されたフェドセーエフ盤は、その録音環境とレーニン像が破壊されるジャケットが衝撃的な印象を残しました。

 

今回聴いたのは、カレル・アンチェル盤です。かつて廉価版では時折東欧系の演奏も見かけられましたが、その一つです。まず、チェコ・フィルの強固なアンサンブルと、彫りの深い演奏が大変印象的です。響きは暗めですが、素晴らしい演奏だと思います。イデオロギー的な強調や、テーマの表現というより、極めて純粋に音楽的に演奏されていると思います。楽器間のバランスも素晴らしいもので、極めてスタンダードで内容の濃いものではないでしょうか。ということで、バーンスタインに食傷気味になると、このCDばかり聴いていました。

 

この曲、かつて代表曲として盛んに演奏されましたが、新しい演奏はあまりフォローしていません。最後に買ったのはヤンソンスの全集かな…。もしかしたら、新しい演奏の中にも素晴らしいものがあるのかもしれませんが、1950年代~80年代に名盤が集中しているように思います。ソヒエフあたりに新譜を一発期待したいところです…。

 

ソヒエフの第5番第4楽章の一部

 

そうそう、チャイコフスキーの「1812年」がカプリングされていました。これは、デジタル初期に横行したような派手さのない演奏で(あれはあれで好きですが)、じっくりこの管弦楽曲が楽しめます。アンチェルらしく彫りの深い、よく構築された演奏なので、飽きないですね。

 

購入:不明、鑑賞:2023/12/24(再聴)

 

当ブログからの関連記事です。

 

【CDについて】
作曲:クープラン

曲名:教区のためのミサ曲 (66:10)

演奏:アラン(org)

   ヴェルサイユ礼拝堂聖歌隊(指揮:エマニュエル・マンドラン)
録音:1996年9月23-28日 ポアティエ サン・ピエール大聖堂

CD:WPCS-11396 (0630-17581-2)(レーベル:ERATO)

 

【曲について】

クープラン一族は代々サン・ジョルヴェ教会のオルガニストを務め、大クープランもオルガニストを長らく務めたのですが、作品はクラヴサンに集中し、オルガン曲は2曲しか残していません。しかしそれは、この時代のフランスのオルガン曲の頂点をなすものとも言われています。

オルガン・ミサ曲は、17世紀から18世紀にかけてフランスで演奏されてきた作品形式です。これは、一連の短い小品(通常21-22曲)で構成され、それに合わせて、ミサの中の聖歌と交互に演奏される形になっています。形式が固定されているため、オルガニストの自由度は非常に限られており、作曲家はそれぞれのプログラムの中で才能を発揮する形になります。

 

【演奏について】

このCDを聴くには、まずオルガン・ミサとはいかなるものか…というお勉強から始まります。まず、オルガンの前奏から始まり、次に聖歌という形で、短いシークエンスで繰り返されます。次々と現れるオルガンの短く個性のある楽曲が、それぞれのオルガンのいろいろな部分で演奏され、美しい音楽が奏されると、キリエから始まる聖歌が深い空間を満たし、そしてオルガンがまた新しい音を展開していくという音の世界の中に没入していくという雰囲気で、ミサが展開していきます。

 

オルガンの音楽は、明るい曲あり、寂しげな曲あり、音色を使い分けて、それぞれのデュオやトリオという形で、楽曲が展開していきます。なるほど、そもそもオルガン音楽とはこういったものだったのですね。一人オーケストラというか、一人室内楽というか…。ちょっとだけ理解が進んだような気がします。もっともこういった音楽が「わかる」という意味では、グレゴリオ聖歌や、聖歌の数々や、ミサの形式などを知っていることが必要なのでしょうが、さすがにそこまではとてもとても…、です。雰囲気だけ楽しみます(笑)。

 

この手の曲をじっくり聴くのは、正直初めてではないか?と思うのですが、演奏されるオルガンによっても音色がいろいろあったりするのでしょう。ここで演奏されているのは、ポアティエの1790年頃製造されたものとのこと。違いは判りませんが、深みのあるいい音が聴けました。演奏は、マリー=クレール・アランで、いろいろな楽曲でお馴染みの方。安定したいい演奏を聴かせてくれました。オルガン曲も、またいろいろなCDを聴いてみれば、いろいろと感じるところも出てくるものだと思います。

 

【録音について】

雰囲気のいい素晴らしい録音だと思います。

 

【まとめ】

年の瀬にあって、オルガンのミサ曲を聴いてみました。なかなか良い体験です。年の瀬は教会でもいろいろなミサが行われていると思いますが、このような曲がどこかで演奏されているのではないかと思うと、ちょっと感慨深いものがありました。

 

購入:2023/12/07、鑑賞:2023/12/23

 

これが、今年最後の投稿になります。

この1年、読んでいただいた方には深く感謝申し上げます。おかげさまで、こうしてブログを書くことによって、私の方でも、多少経験値が積み重ねられ、素養も深まったのではないかと思っておりますが、大変奥深い世界ですので、これだけ聴いてもほんの少しという感じですね。また、来年も可能な限り続けていきたいと思います。

それでは、良いお年を…。

師走にマーラーのCDを消化しよう ⑤

今年のマーラーは、これが最後です(笑)。ブーレーズのマーラーの買い置きは、第5番と第7番が家にあったのですが、結局そのままの流れで第7番を聴いてみました。前回が少々不発気味だったので、今回は好きなブーレーズのマーラーなので、ちょっと期待して聴いてみます。第7番では、クリーヴランド管弦楽団を指揮しています。

【CDについて】

作曲:マーラー

曲名:交響曲第7番ホ短調 (74:53)

演奏:ブーレーズ指揮、クリーヴランド管弦楽団

録音:1994年11月 クリーヴランド Masonic Auditorium

CD:447 756-2(レーベル:DG)

 

【曲に関して】

Wikipediaなどを読んでいると、マーラーがこの曲に関して何もコメントを残さなかったので、この曲の解釈については議論百出のようです。巨匠たちもこの曲をそれぞれの独自解釈で演奏しているような気がするので、いろいろな肌触りの演奏が生まれてきている気がします。と、この演奏を聴いていても感じました…。

 

【演奏についての感想】

第7番は、マーラーの曲の中でも、一応何通りかの演奏を聴いた曲。今回は立て続けに3つ目ですが、最後の締めはこれで、ということで聴いてみます。第一楽章の冒頭からかなり遅く感じます。でも、クレンペラーの27分強には及びません。時々テンポを上げたり、戻ったりして、波のように流れていきます。そもそもブーレーズの演奏なので、細部が克明に描かれていて、情感たっぷりという訳ではなく、じっくり作りこまれています。曲の流れはしっかりしていて、緩む事はありません。遅めですが、23分半という長さを感じさせない、集中力の高い演奏でした。最近はどんどん押していく演奏を聴いていましたので、新鮮です。

 

第二楽章は普通のテンポでスタートしますが、早くはなりませんでした。さらっとしていてあまり歌うことは意識していないと思いますが、真ん中あたりの木管のソロなどいいなぁ…。という感じで、聞かせどころが散りばめられています。第三楽章は、不気味な感じで始まります。この演奏は、この曲の夜の曲というイメージを前面に出しているのかな?そしたら逆に第五楽章が弾けそうだなと思ったりしました。第四楽章は意外と明るく感じます。夜が明けてきた?(笑)感情の起伏などは、あまり表現されていないとも思いますが、演奏密度は高いので、聴いていて曲に集中できます。誇張して押し付けがましい所もないので、いい感じです。

 

第五楽章。やはりねという感じで、かなり明るく闊達ですね。夜から夜明け、そして朝へという感じで進んでいった感じがします。この曲はそういう一面もあるとは思いますが、そこまではっきり表現していくのは珍しいかな? ブーレーズの演奏は、テンポや音楽の醸し出す表情は変えていきますが、細かいニュアンスでの強調とかは、ほどほどに抑えたバランスなので、ねっとりと絡みつかない演奏でした。クリーヴランドの音も乾いた感じで、この組み合わせの表情もよく出ているのではないでしょうか。ラストはしっかりと盛り上がって締められました。

 

【録音に関して】

細部までよく捉えられた、素晴らしい録音だと思います。

 

【まとめ】

ブーレーズのマーラーは今年は第6番や第9番も聴いていましたが、第7番はそれとはちょっと雰囲気が違った感じもします。ブーレーズはオーケストラも違えて、曲ごとに試みも多少変えているのかな?と感じました。

 

購入:2023/07/29、鑑賞:2023/12/16

 

年末にマーラーを5枚聴きましたが、結局第5番と第7番だけでした。楽しかったので、来年は普段は全く聴かない第3番や第8番あたりにも挑戦してみましょう…。多少マーラーに慣れた気もしますが、マーラー初心者の域はでません(笑)。

最後に今回聴いたCDのリンクです。

 

 

 

 

 

最近リリースされた新譜から ㉑

スティーヴン・オズボーンによるドビュッシーのピアノ曲集を買ってみました。スコットランドのピアニストで、ハイペリオンレーベルに数々の録音を続けられています。聴くのは初めてと思いますが、そこそこ評判も良さそうなので楽しみに聴いてみます。

【CDについて】

作曲:ドビュッシー

曲名:練習曲集 L143 (43:18)

   ピアノのために L95 (12:35)

   レントより遅く L128 (3:45)

   英雄の子守歌 L140 (3:50)

   発見された練習曲 L143 No11第1稿 (4:18)

演奏:オズボーン(p)

録音:2021年8月4日,2022年12月7-9日 ロンドン St.Silas the Martyr, Kentish Town

CD:CDA68409(レーベル:Hyperion、販売:東京エムプラス)

 

【曲について】

練習曲集はドビュッシー晩年のピアノ曲集で、ショパンの練習曲集の校訂に取り組んだ後に作曲されたとのことですが、楽曲そのものの明確な関連性はあまり無いようです。全12曲は前後半それぞれ6曲ずつで構成され、第1部は「指の柔軟性とメカニズム」に、第2部は「響きとリズムの探究」となっています。調性はある程度便宜的で、各曲ごとに練習目的が題名となっています。

 

【演奏について】

ドビュッシーの練習曲は、CDは持ってはいるものの普段はほとんど聴かない分野でした。ドビュッシーのピアノ曲と言えば、どうしても有名な表題付きの曲を聴いてしまいますし、ドビュッシーの名曲集なんかにも、練習曲はまず入ってくることはないようです。そんな曲でちょっと敷居が高そうではありますが、初めて聴くオズボーンのピアノと併せて楽しんでみたいと思います。

 

最初の曲は、ちょっとパロディっぽい始まりで音階が奏され、その後すぐに一気にドビュッシーの世界へと入っていきます。なかなか刺激的な開始でした。この曲は、曲毎に練習のテーマが題名となっていますが、そんな、無機的な表題とは裏腹に、曲の雰囲気はまさしくドビュッシーのもの。かなりの技巧曲の雰囲気もあり、これを弾きこなすのが、ドビュッシーのピアノ曲を弾きこなすための練習だといった事を感じさせます。ドビュッシーが晩年に残した、ドビュッシーの音楽技法の総決算ということかもしれません。

 

ここでは、オズボーンの弾くドビュッシーの「夢」をリンクしておきます。

 

さて、オズボーンの演奏は強い明確なタッチで、この練習曲にある、純粋な音楽の芸術性を浮かび上がらせていると思います。情緒や雰囲気には頼らず、彫りの深いはっきりした演奏で表現しているところが、なんとも潔く爽快で、押しの強さを感じました。練習曲にの後に収められている「ピアノのために」を練習曲から続けて聴くと、技巧的な部分が際立って聴かれると同時に、2つの激しい動きを持つ曲に挟まれたサラバンドに澄んだ情緒を感じます。このCDには普段はめったに聴かない曲が収められていますが、オズボーンの演奏で改めて聴いて、ドビュッシーのピアノ曲をまた違う角度から体感した次第です。

 

【録音について】

クリアな録音で、強靭なピアノの音も無理なく自然に聞こえるものです。

 

【まとめ】

ドビュッシーも曲と言えば、情緒たっぷりに演奏されることも多いですが、オズボーンの演奏はストイックな方ではないかと思います。そういう意味ではイギリスのドビュッシーという事かもしれません。今回はドビュッシーのピアノを味わう上でも一つの形を体験できた気がして、ドビュッシーのピアノを聴くうえでいい経験になったと思います。

 

購入:2023/11/10、鑑賞:2023/12/24

【CDについて】

作曲:フォーレ

曲名:レクイエムニ長調 op48 (39:32)

演奏:ロス=アンヘレス(s)、フィッシャー=ディースカウ(br)

   クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団 エリザベート・ブラッスール合唱団

録音:1962年2月14,15日,5月25,26日 パリ Eglise Saint-Roch

CD:TOCE-7090 (レーベル:EMI、発売:東芝EMI)

 

【曲について】

フォーレはこの曲に対する「死の恐ろしさが表現されていない」とする批判、あるいはディエス・イレを欠き、そのままではミサに使用できない、といったことに対し、「私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」と書いています。また、「私が宗教的幻想として抱いたものは、すべてレクイエムの中に込めました。それに、このレクイエムですら、徹頭徹尾、人間的な感情によって支配されているのです。つまり、それは永遠的安らぎに対する信頼感です」と書簡に記しています。

 

【演奏について】

フォーレのレクイエムに関しては、コルボによる何種類かの伝説的名盤がありますが、今日聴くのは1962年に録音されたクリュイタンス盤です。この録音も、伝統的名盤として、コルボ盤に劣らぬ支持を集めています。

 

フォーレのレクイエムは、父の死が作曲の契機とも言われますが、基本的にはフォーレ自身の信仰告白を表現した音楽であると言えそうです。清澄な音楽であり、この音楽を聴くことによって、俗物である私としては、今年一年あるいはこれまでの濁った心を清らかな水に洗い流し、来年に向けて再生しようと思います。全編を覆う静かな美しい時間の中で間違った考えを正すことができれば良いではないか、という考えなのです。座禅で煩悩を追い払うのが東洋の流儀かもしれませんが、こういった音楽の中で煩悩を追い払うのもいいではありませんか…。

 

ロス=アンヘレスの独唱のピエ・イエスいいですね。美しく穏やかな歌唱でした。合唱も美しく、胸に染み入るものでした。クリュイタンスの演奏は穏やかなだけでなく、押すところはしっかりと鳴らしていて、音楽を聴く魅力にあふれています。素晴らしい演奏です。今日はしばらく、これを聴いて過ごしましょうか…。

 

【録音について】

1962年の録音で、安定したステレオの音が聴かれます。この時期のステレオ録音は何かしらのこだわりがあるようで、好きです。

 

【まとめ】

曲の偉大さに対しては些事かもしれませんが、この時代の録音は、編成が大きい第3稿になっています。最近はフォーレが確実に作曲したと言われる第2稿の録音が主流になってきているようで、コルボの新盤も第2稿で演奏された様子。是非一度聴いてみたいと思います。

 

購入:2023/11/22、鑑賞:2023/12/11

師走にマーラーのCDを消化しよう ④

4枚目は、やっぱり7番にしました。聴きやすいので、今回はこれで行きます。5番と7番ばかりになりそうです(笑)。実際このあたりをよく買っていたみたいです。

【CDについて】

作曲:マーラー

曲名:交響曲第7番ホ短調 (73:41)

演奏:マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

録音:1982年9月 ライプツィヒ Neues Gewandhaus

CD:0302922BC(レーベル:Berlin Classics、販売:タワーレコード)

 

【曲に関して】

この曲の冒頭は、弦がリズムを刻む上に、テノールホルンの低いメロディで始まります。オーケストラ曲でテノールホルンが使われることは大変珍しいみたいですね。

 

【演奏についての感想】

このCDは、タワレコ企画のSACDです。この時は、聴いたことのないマーラーの演奏をこの企画のSACDで聴いてみようと思って、探して買ったのだと思います。マズアというところが、かなり引っ掛かりましたが、他にこれというものが無かったので買ったのでした。その時は、一度ざっと聴いたと思いますが、まぁ…という感じでした。ちゃんと聴いたという訳ではなかったので、改めて聴いてみようと思います。

 

冒頭のテノールホルンの音が大変暗い感じです。昨日聴いたバイエルン放送響の音よりも音色が暗く感じます。そして、なんとなくザワザワと曲に入っていきます。ちょっと捉えどころのない感じ。演奏の雰囲気はなんというか、素朴?という言葉がいいのかどうか…。特に角が立たず、メリハリが無く、ふんわりと流れていく感じだと思いました。リズムは確かに刻んで進みますが、結果として出てくる感じはそんなところです。音自体はSACDだけあって、いろんな音がよく聴こえて満足できるものでした。ゲヴァントハウスの音ですかね…。

 

第二楽章、第三楽章と、そつなく淡々と進みます。連綿と流れる音楽は、美しいことは間違いありませんが、あまり特徴を感じない堅実な演奏でしょうか。マーラーを聴いているというより、普通にそこにある何かのクラシック音楽が流れている感じがします。マーラーといえば、感情的な表現や音響効果的な表現を盛り込んだり、聴く方もそれを期待したりすると思いますが、ここにはそれがありません。東独の素朴な、という表現ではなくて、マズアだからでしょう。

 

第四楽章も歌うではなく、流れる感じがします。そして、いよいよ曲は大詰め。最終楽章も同じくストレスなく進みんで、曲自体は破綻なく安定していますが、ちょっと集中力が保てません。ラストはじっくりテンポを落としつつ盛り上がりますが、どちらかといえば穏便な感じで終わりました。

 

【録音に関して】

ゲヴァントハウス管弦楽団の音がリマスターとSACDということで美しく捉えられていますが、いかんせん演奏にパワーが無いですね。

 

【まとめ】

少々否定的な感じになりましたが、マズアの演奏はだいたいこんな感じではないでしょうか。よく言えば堅実素朴。でも聴くスタンスによれば、平板で何もしていない演奏と言いたくなってしまう演奏なのでした。同じ時期にケーゲルの第1番・第4番を同じタワレコ企画のシリーズで買ったのですが、かなりインパクトが違います。

 

購入:2023/03/20、鑑賞:2023/12/09

師走にマーラーのCDを消化しよう ③

3枚目は、第7番にしました。どうも、いざ聴こうとすると、第5番~第7番あたりに集中する傾向があるようです。やはり歌無しの方が馴染むのでしょう。歌無しでは、第1番はなんとなく今更感がつきまとうし、第9番は真剣に向き合うと構えてしまうので…。好きな方ごめんなさい。

【CDについて】

作曲:マーラー

曲名:交響曲第7番ホ短調 (72:33)

演奏:クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団

録音:1970年11月 ミュンヘン

CD:UCCG-4988(レーベル:DG、販売:ユニバーサルミュージック)

 

【曲に関して】

交響曲第7番は「夜の歌」という副題で呼ばれることもありました。これは、第二楽章と第四楽章に「Nachtmusik」と記されているところから来ています。マーラーは第二楽章をレンブラントの「夜警」に例えたと言われていますが、絵そのものではなく夜を徘徊するイメージということと思われます。

 

【演奏についての感想】

第7番は、マーラーの交響曲の中でも、現時点では一番好きな曲ですが、きっとそれは、いろいろと楽しげなメロディが入っているからかもしれません。全体的にシメントリーになっていて、統一感があると思っています。これは異論はもちろんあると思います。真ん中に穏やかな感じの楽章が3つ続くので、ちょっと眠気に襲われることはありますが…。それでは、クーベリックの演奏を聴いてみましょう。1970年のものですが、マーラーブームが始まる頃のものですね。

 

第一楽章は、クーベリックのテンポは少々早めで、どんどん前へ進んでいく感じがします。金管の音が渋めで大きく感じます。時々現れるテンポの転換も絶妙で、サクサク進んでいく感じがとてもいいと思います。サクサクというよりは、ゴツゴツとかドカドカ進むという感じかもしれません。このテンポ感といい、何か能天気に進んでいく感じが好きだなぁ…と思います。第二楽章は緩徐楽章ではありますが、基調は同じような雰囲気だと思います。冒頭のホルンの音も、渋くていいと思いました。早めのテンポの中での揺れも絶妙です。メリハリがあって、聴いてて飽きない演奏だと思いました。

 

第三楽章は、穏やかでメリハリがあり、第四楽章は十分に歌い込まれて、美しい演奏でした。そして、それまでの穏やかな流れから一転して一気に爆発する第五楽章に入ります。それほどうるさくはなく、ある意味コントロールされた感じもします。輪郭ははっきりして細部も明晰で、まとまった感じでした。リズムやテンポの変化が面白く、ラストはとても華々しく決まる。思わずブラボーと言いたくなるようなラストです。この演奏以降たくさんの第7番が録音されていますが、この演奏は1970年とはいえ既に何か懐かしいような、こういう時代だったんだよな…、となんとなく思ってしまう演奏でした。なかなかいいです。

 

【録音に関して】

音は大変クリアで、細部まで無理なくよく捉えられている美しい録音だと思います。フォルテも十分余裕があります。しかし、今の基準で行くと、少々古い音という感じがしないでもありません。

 

【まとめ】

マーラーの中でも、第7番はいつでも気軽に聴ける曲なのですが、それほどたくさんの演奏を聴き込んだという訳でもないので、もっといろいろ聴いてみたい曲なのでした。

 

購入:2023/03/20、鑑賞:2023/12/08

ショスタコーヴィチの時代 ㉒

プラウダ批判の年、交響曲第4番の初演をあきらめたショスタコーヴィチは、翌1937年初めに、「プーシキンの詞による4つのロマンス」を作曲します。以前にこのブログで一度登場したことがありますが、今回はショスタコーヴィチが1960年代に編曲したと言われている第1曲から第3曲の収録されたCDを鑑賞しました。

【CDについて】

作曲:ショスタコーヴィチ

曲名:①クルィロフの2つの寓話 op4 (8:43)

   ②プーシキンの詩による4つの歌曲(管弦楽伴奏)op46a (7:45)

   ③イギリスの詩人の詩による6つの歌曲 op140 (15:03)
   ④ユダヤの民俗詩より op79a (25:40)
演奏:ディアドコヴァ(ms)①、レイフェルクス(bs)②③、オルゴナソーヴァ(s)④、
   シュトゥッツマン(cont)④、ラングリッジ(t)④

   N.ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団

   エーテボリ・オペラ女声合唱団①

録音:1992年5月④、1993年8月①②③ エーテボリ Konserthuset

CD:439 860-2(レーベル:DG)

 

【曲と演奏について】

プーシキンの詞による4つのロマンス

ショスタコーヴィチは、交響曲第4番の初演をあきらめたのち、この曲を作曲しています。op46として作曲されたのは、ピアノ伴奏版。そして、1960年代に第1曲から第3曲を管弦楽伴奏版に編曲し、op46aとしました。この第1曲「復活」の歌詞は、以下のようなものでした。

 

 野蛮な画家が天才の絵を汚す
 彼の拙い絵筆で
 そして愚かにもその上に
 自分のまとまりのない模様を描く

 しかし時が経って、その間違った絵は
 虫が這うように剥がれていき
 そして天才の傑作が現れるのだ
 すっかり以前の美しさに戻って
 

 このように誤った考えが剥がれ落ちる
 私の苦しんだ心から
 そして以前の純粋な日々の
 ヴィジョンが現われてくる

 

この時のショスタコーヴィチの状況と、このプーシキンの歌詞の意味するものを符合させ、またこの第3連の部分の伴奏が、この次に作曲される交響曲第5番の終楽章に現れる伴奏と同じものであることを考え合わせると、この歌詞と交響曲第5番に込められた二重性を考えたくなります。ヴォルコフの証言は偽書ということになっているようですが、火の無い所に煙は立たずという言葉通り、当時の作曲家の内面にはいろいろな思いが渦巻いていたと考えるのが自然ではないでしょうか。

 

交響曲第4番からこの曲を経て交響曲第5番に至る史実の流れと、1935年頃から深みを増し始めたショスタコーヴィチの曲想を合わせると、この後の名作群に至る重要な転機に作曲された作品となっていると思います。20代のバレエ音楽などに現れた諧謔的なポルカや、前衛的な曲想は、より深みを増したスケルツォや冷徹な哀愁を帯びたアダージョへと発展していくこととなっていきます。

 

ヴァイオリン・ヴィオラ・ピアノの三重奏による「復活」。後半のピアノ伴奏が、交響曲第5番に繋がっています。

オーケストラ伴奏の歌曲版。交響曲第5番とセットになっているようです。

マーク・エルダー指揮ハレ管弦楽団の演奏です。CD-Rで出ているようです。

 

さて、もちろんその他の曲も聴きました(笑)。

 

クルィロフの2つの寓話 op4

以前も登場しましたが、初期のサンクトペテルブルク音楽院在学中の作品ですね。おとぎ話を合唱曲にした作品。オーケストレーションが、のちのショスタコーヴィチの作品を想像させる見事な作品です。

 

イギリスの詩人の詩による6つの歌曲 op140

戦争中の1942年に疎開地で作曲された、op62の同名曲の小管弦楽版オーケストレーションです。op62を作曲後、大管弦楽版としてop62aも作られていましたが、演奏機会は無かったようで、それから30年後op140として、小編成の管弦楽版として編曲されました。晩年にあたり、交響曲第13番~第15番などと繋がる死の影のある伴奏となっていて、曲想に見事に合致しています。

 

ユダヤの民俗詩より op79a

この曲は、ショスタコーヴィチの2度目の危機である、ジダーノフ批判の最中に作曲されています。森の歌で復活を遂げる前にあたります。ショスタコーヴィチは交響曲第13番など、ユダヤ民族の苦難の歴史を描き、民衆に問いかける音楽を、中期以降に多数作曲しています。この曲もユダヤ民族の詩や音楽に由来し、三人の歌手のソロから三重唱までが登場して、小さなオペラ風ともいえる曲集となって、ユダヤ民族の生活のいろいろな場面を描いていきます。

 

1960年代に、反ユダヤ主義に対抗し民衆に問いかける形で、この曲のオーケストレーションが行われました。全体的に暗い曲調で、最終曲「幸福」はあくまで陽気でコミカルな曲なのですが、そこには重大な偏見や迫害が真に消滅する社会の実現を、聴く者に問いかけるという意味合いを持っていました。

 

こうしてみると、このCDは、これからのショスタコーヴィチの曲に対する楽しみの詰まった歌曲集となっていて、交響曲第5番以降に、現時点でどんな曲が聴かれるのかが、楽しみになるのでした。

 

購入:不明、鑑賞:2023/12/16(再聴)

最近リリースされた新譜から ⑳

【CDについて】

作曲:リムスキー=コルサコフ

曲名:歌劇「クリスマス・イヴ」 (146:51)

演奏:ヴァクーラ:ゲオルギー・ヴァシリエフ (t)
   オクサーナ…ユリア・ムジチェンコ (s)
   ソローハ/紫色の鼻の女…エンケレイダ・シュコーザ (ms)
   チューブ…アレクセイ・ティホミーロフ (bs)
   悪魔…アンドレイ・ポポフ (t)
   パナス…アンソニー・ロビン・シュナイダー (bs)
   村長…セバスティアン・ゲイアー (br)
   輔祭…ピーター・マーシュ (t)
   女帝…ビアンカ・アンドリュー (ms)
   パツューク…トーマス・フォークナー (bs)
   普通の鼻の女…バルバラ・ツェヒマイスター (s)
   フランクフルト歌劇場合唱団(合唱指揮:ティルマン・ミヒャエル)
   フランクフルト歌劇場管弦楽団
   セバスティアン・ヴァイグレ(指揮)

録音:2021年12月17-19日,2022年1月8日 フランクフルト Oper Frankfurt

CD:8.660543-44 (レーベル:NAXOS)

 

【曲と演奏について】

クリスマスあたりにどうか…と思って、先だって出た様子の新譜を買っておいたのでした。ただ、この録音はDVDやBlu-rayもでています。鑑賞するなら圧倒的にあちらが有利です。CDだと、歌詞すらついてない…。ロシア語歌唱なんか解る訳ないやん…。

 

という訳で、鑑賞にあたって用意したのは、まずあらすじを読むためのWikiのあらすじの翻訳。これは、日本版より海外版Wikiの方が詳しい。ドイツ語・英語・ロシア語をざっと見て、ドイツ版Wikiのパソコン和訳が一番読みやすかったので、それにしました。

幸い、ブックレットにはトラックの内容表記くらいはついているので、今、どの場が進行中かくらいはわかります。

そして、もう一つ用意したのが↓。これ、原作本なんですが、1994年に買っていたものの、1937年の初版本の復刊なので、読みづらくて、買ってそのまま積んであったのが、30年ぶりに陽の目をみました(笑)。哥薩克とかすんなり読めない。(慣れですけどね)。今回は、飛ばし読みしています…。

という訳で、この3つを駆使しながら、内容を理解しました。

原作は、このゴーゴリ作の「ディカーニカ近郷夜話」の中にある、「降誕祭の前夜」という中編小説です。平たく言えば、クリスマス・イヴですね(笑)。

 

ちなみにこの「ディカーニカ近郷夜話」は、8編のウクライナの中部の伝承や民話という形式の物語で、悪魔や魔法使いが出てくるお話は、独特の世界観があって、ロシアの文化の淵源という形でいろいろな出し物の原作になっています。

この、「降誕祭の前夜」は、チャイコフスキーの歌劇「鍛冶屋のヴァクーラ」の原作であり、またチャイコフスキーはこれを、歌劇「チェレヴィチキ」として、改作しています。リムスキー=コルサコフは、この「クリスマス・イヴ」以外に、歌劇「五月の夜」も、この小説集からオペラ化しています。バレエではアサフィエフが「クリスマスの夜」を作曲しています。その他、映画はたくさんです。このゴーゴリの作品とその周辺だけでも、なかなか興味深いものです。

 

さて、聴いてみましょう…。

リムスキー=コルサコフ作曲 歌劇「クリスマス・イブ」フランクフルト歌劇場のライヴ録音です。

 

第一幕第1場

前奏曲

クリスマスらしい前奏曲で、ハリウッド映画にでもはじまる感じです。チェレスタを使って雰囲気を出しているのですね。

 

未亡人で魔女のソローハは、ほうきに乗って小屋の煙突から飛び出し、冬至の夜のことを歌います。悪魔が屋根の上で彼女と一緒になり、彼は、人々がもはや彼を恐れないことを嘆きます。ソローハの息子である鍛冶屋のヴァクーラは、特に彼を嘲笑していました。ソローハは、悪魔が息子とオクサーナの恋を止めるのを手伝うなら、問題を解決すると約束します。彼女は、裕福なコサックであるオクサーナの父親のチューブに興味を持っていました。ソローハと悪魔は、ヴァクーラのイヴの外出を防ぐために、空から月と星を盗み、吹雪を引き起こします。

 

チューブは相棒と、あるお祝いに出かける途中で、ヴァクーラは、家に一人でいる最愛のオクサーナのところへ行こうとしていました。ヴァクーラはオクサーナの気持ちが計り知れずにドアの前で迷っていましたが、そこで嵐で引き返してきたチューブと出会い、チューブは暗闇で家が判らずヴァクーラに追われてソローハの家へと向かいます。

このあたりは、状況設定です。よく理解しておきたいところです…。

第1幕第2場 チューブの家の中

若く美しいオクサーナは、子供のように自分の姿を賞賛しています。

なんだか、ハラショーを連発するアリアが聴かれます(笑)。

 

ヴァクーラは勇気を振り絞って中に入ります。しかしオクサーナは彼の求愛にあまり興味を示さず、彼をからかって、退屈だと言い放ちます。友人が新しい靴を持って入ってくると、オクサーナは笑いながら、ヴァクーラが女帝の使う靴を持ってきてくれたら結婚してもいいわと宣言します。このいたずらは、外で集まっていた村の若者たちの間にすぐに広まっていきます。

これで、お話の筋が決まりました。さぁ、どう展開していくでしょう…。


第2幕第3場 ソローハの家の中
ソローハが悪魔と楽しんでいると、村長、輔祭、チューブなど、求婚者が次々とソローハの家に入ってきて、次の客が来ると、前の客は鉢合わせを避けるため、部屋の中の大きな石炭袋に隠れていきます。

この、ソローハとの会話?や音楽がなかなか滑稽です。映像と対訳がないので、いったい何をしているんだろうと思いつつ、「ムツェンスク郡…」のあの夜の密会の音楽を思い出してしまいました。ここではそんなことはしてないでしょうが、滑稽な音楽になっています。

最後に到着したヴァクーラは、その皆が入った石炭袋を鍛冶場に運んでいきます。

第2幕第4場 村の通り、ヴァクーラの鍛冶場
ヴァクーラが通りで袋を降ろすと、クリスマスキャロルを歌う若者たちに出会い、オクサーナは靴のことで再び彼をからかいます。彼は悲しく別れを告げ、鍛冶の道具だと思った、最も小さな袋だけを持って立ち去ります。皆はヴァクーラの行動を不思議に思い、普通の鼻の女と紫色の鼻の女は、ヴァクーラは自殺するのだと言い張ります。オクサーナは一瞬考え込みますが、すぐに友人たちに向き直ると、皆で残っている袋を大喜びで開けます。しかし、そこには期待していた宝物はなく、ソローハの恋人たちが入っていました。ソローハの恋人は自分だけだと思っていたチューブに、群衆は爆笑します。
さて、ヴァクーラはもうこの世では合わないというような感じで、思い詰めてオクサーナに別れを告げました。オクサーナに一瞬迷いが生じます。

第3幕第5場 パツュークの小屋
ヴァクーラは太った魔術師のパツュークに、女帝の靴を得るための助言を求めに小屋に入ります。ヴァクーラは靴を手に入れるためには、悪魔の助けに頼ってもいいと話すと、パツュークは、悪魔は既にヴァクーラが背中に背負っていると話します。悪魔は袋から出ると、ヴァクーラが悪魔に魂を渡すなら助けると話します。ヴァクーラは承諾しますが、すぐに悪魔の隙をついて十字架の印を使い、悪魔を従えると、ペテルブルクの女帝の元に連れていくよう強要します。
このパツュークという魔法使いは、ドアから出られないほど太って、食事も魔法を使って食べ物がかってに口に入ってくるようにしているようです。怠惰の塊といった感じです。面白いキャラクターです。

第3幕第6場 大空、月と星

前奏曲
ここは、空を行く場面になります。前奏曲はキラキラした音楽が展開します。これぞクリスマスの飛行なんですね。ここでは星のゲームや踊りが展開する一方で、クリスマス前夜の闇夜に集ってお祝いをする悪魔たちが描かれています。それをヴァクーラたちが十字架の力ですり抜けて進むのですが、この歌劇の名場面となっているようです。リムスキーコルサコフの管弦楽もひとつの見せ場となっています。原作ではあっさり書かれていますが、リムスキー=コルサコフの歌劇では、見せ場とばかりに展開しているようです。

夜通しの飛行中に、ヴァクーラは星のゲームや踊りをみます。パツュークやソローハなどの魔女や魔術師たちは、冬至の夜を祝い、光の神々との戦いに備えます。彼らはヴァクーラに気づくと止めようとしますが、十字架のしるしに道を譲らざるを得ません。遠くには都の明かりが見え始めています。

 

フランクフルト歌劇場の悪魔の集いの場面です

 

第3幕第7場 宮廷
廷臣たちが女帝に敬意を表す中で、ヴァクーラはザポリージャ・コサックのグループに加わり、彼らと共に女帝の前にやってきました。ヴァクーラはこの機会に女帝に靴を所望し、愉快な依頼に驚き面白がった女帝は、最も美しいペアをヴァクーラに渡しました。さっそくヴァクーラは悪魔に指示して故郷に戻ります。

この宮廷の場面は一転ゴージャスな音楽や舞曲が出てきます。原作では比較的長くとられており、エカテリーナ2世やポチョムキンなど実名が登場しますが、オペラでは当時はまだ帝政の時代でもあり、憚りがあったようです。

第3幕第8場 大空
夜が明けると、悪魔や魔術師たちは去っていき、その未明の空をヴァクーラは飛んでいきます、すでに、明けの明星をはじめ光の精霊たちの世界となり、教会の鐘が鳴り響き、故郷では歌声が響き渡っています。

夜明けになると、今度は輝かしい音楽に変わります。この第3幕は、全曲中でもリムスキー=コルサコフの見せ場になっています。組曲版はこの第3幕の音楽が多くの採用されています。

そして夜が明けると、クリスマスの日です。


第4幕第9場 チューブの屋敷
オクサーナはとても心配になります。目の前では二人の女性がヴァクーラの死について、自分の意見を言い争っています。

この口論の描写は、なかなか面白いやり取りの音楽になっていました。

 

オクサーナはヴァクーラへの愛に気付き罪悪感に苛まれます。

大変美しいアリアです。女声のアリアとしては、この歌劇の中の白眉だと思います。

 

そこへ本人が帰ってきます。父親のチューブにもプレゼントを渡したあと、ヴァクーラはオクサーナに女帝の靴を差し出します。彼女は喜んで結婚に同意し、靴ももう必要はありませんでした。チューブは村中に朗報を知らせ、誰もがヴァクーラの帰郷を喜びました。
ここで物語としては完結です。

エピローグ ゴーゴリを偲んで
毎年クリスマスに語り継がれる。詩人ゴーゴリを讃える歌で大団円となります。

 

はい、最後まで来ました。リムスキー=コルサコフのコミカルで輝かしい管弦楽も楽しめる、ロシアの民話でのクリスマスのお話でした。こういった、ロシアの歌劇は聴く機会は少ないですが、なかなか面白いものがあると思います。

 

ゴーゴリはウクライナ中部地方の出身で19歳でペテルブルグに上京しました。この小説には、かつてのこの地方の風物がいろいろと出てきます。聴きなれた地名となってしまったサポリージャなども小説中には出てきますが、再び平穏な日々が戻ることを願っております。

 

購入:2023/11/10、鑑賞:2023/12/12

師走にマーラーのCDを消化しよう ②

マーラーをどんどん聴く2回目は、ラトルさん。全集を録音されていますね。一風変わったマーラーだという噂を聞きますが、どんな感じでしょうか。

【CDについて】

作曲:マーラー

曲名:交響曲第5番嬰ハ短調 (69:07)

演奏:ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:2002年9月7-10日 ベルリン Philharmonie(ライヴ)

CD:7243 5 57385 2 3(レーベル:EMI)

 

【曲に関して】

最も有名な第四楽章のアダージェットは、アルマに宛てたラブソングと言われています。アルマがメンゲルベルクに宛てた手紙によると、マーラーは小さな詩を残しているとのことです。
 わたしはあなたを愛しています、わたしの太陽の光よ、
 わたしは言葉では言い表せません。
 私の憧れ、私の愛、そして私の至福だけが、苦悩をもって宣言することができます。
このドイツ語のテキストは、アダージェットの主題に合わせて歌うことができるとのことです。

 

【演奏についての感想】

この録音は、ラトルがベルリン・フィルに就任した最初の定期のものということです。いろいろと気合も入っているのかな?と考えつつですね。ラトルのマーラーを聴くのは初めてではないとは思いますが、真剣に聴くのは初めてかも…。

 

トランペットのファンファーレでいつものように開始されます。とてもゆったりしたテンポだと感じました。そして、激しいトリオに入るとテンポはいくぶん早くなりますが、アクセントがつけられて、タメがある演奏に感じます。再び最初の主題に戻るとテンポももとに戻ります。時折出てくるタメためがなんか面白く感じます。そんなドラマティックな造りで、第二楽章に入っていきます。オーケストラがさすがベルリン・フィルという感じで素晴らしいです。第二楽章もニュアンスが適度につけられていて、面白く聴かれました。第三楽章は快活な進行と緩やかな場面が交差していきますが、対比幅が大きく感じられ、効果的に表現されていると思いました。

 

さて、お待ちかねの第四楽章のアダージェットに入ります。美しい音楽です。少々早めで、気持ちだけあっさり感があるような気がしますが、それでも十分に歌われています。この演奏だと、映画のシーンは浮かんでこないのですが、メロディ的には美しいと思いました。そして、最終楽章にゆったりと入り、音楽はだんだん活気を帯びてきます。相変わらず美しいベルリン・フィルの音に乗って、軽快に進みました。ニュアンスがついているのと、あまりメロディが流れる感じではなく、細かく演奏された部分が繋がって続いていくように感じました。その分あっさりしているかもしれません。今まで聴いてきたマーラーの印象とはちょっと違った感じです。

 

【録音に関して】

多少厚みがどうかとは思ったところもありましたが、オーケストラの美しい音がよく捉えられている録音と思います。

 

【まとめ】

マーラーの第5番を続けて聴いてみました。どちらかというとシノーポリの方が好きかな…。という感じですが、ラトルの良く練られた演奏と、ベルリン・フィルの音は捨てがたいです。

 

購入:2023/11/22、鑑賞:2023/12/06