ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 他 アンチェル チェコpo (1961) | ~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

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学生時代から断続的に聞いてきたクラシックCD。一言二言で印象を書き留めておきたい。その時の印象を大切に。
ということで始めました。
そして、好きな映画や読書なども時々付け加えて、新たな感動を求めていきたいと思います。

新年あけまして

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それでは、今年もたくさんの

素晴らしい音楽との出会いを

願ってスタートします。飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

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ショスタコーヴィチの時代 ㉓

ショスタコーヴィチは、プラウダ批判の翌1937年にこの交響曲第5番で名誉回復を果たし、再びソビエトの人気作曲家としてカムバックします。この曲は、かつてはショスタコーヴィチの代表作とされ、人気も一曲集中気味でした。私も初めて聴いた曲はこの曲だったと思います。そして、ヴォルコフの証言ののちにいろいろな解釈がなされるようになり、人気もいろいろな曲に拡散にて多種多様となり、今日に至っています。

【CDについて】

①作曲:ショスタコーヴィチ

 曲名:交響曲第5番ニ短調 op47 (42:41)

②作曲:チャイコフスキー

 曲名:序曲「1912年」op49 (15:29)
演奏:アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1961年11月11,14日①、1965年1月14,15日② プラハ 芸術家の家

CD:COCO-6766(レーベル:SUPRAPHON、発売:日本コロムビア)

 

【曲と演奏について】

ついに、ショスタコーヴィチのかつての代表作です。

1970年代までは、ショスタコーヴィチといえばこの曲ではなかったでしょうか。廉価版シリーズにもだいたい1枚組みこまれていました。ショスタコーヴィチは、いまや人気曲やファンの一押しの曲はかなり分散して、交響曲では、第10番・第8番、最近では第4番。他にも弦楽四重奏とかムチェンスク郡…とか、すっかり多様化しました。私はとても一つに絞り込めませんが、好きという意味では、第10番やムツェンスク郡ですかねぇ…。昔からそれなりに思い入れがあるもので…(笑)。

 

あの「ヴォルコフの証言」以来、それまでの社会主義リアリズム的なイデオロギー寄りのイメージは徐々に消えていき、いろいろな解釈が唱えられるようになっています。「証言」によれば終楽章の歓喜は、強制された歓喜であるということになる訳ですが、確かにそう考えることは、今日の目から見ると信じたくなる部分ですね。そこに関連する事実とすれば、終楽章の音楽が「プーシキンの詩による…」の第1曲の復活の背後のメロディと一致しているため、この曲が将来に託した暗号を含むということになります。けっこう、信憑性があります。(詳細は以下参照)

 

 

 

 

あとは、この曲のカルメンの引用の多用は、離れていってしまった愛人がカルメンという男と結婚して、カルメン姓になったため、元愛人に激しく呼びかけるものだとか…。

 

そういった解釈やエピソードは、当たらずとも遠からず、あるいは全部正解という事かもしれませんが、基本的には、名誉回復のために社会主義リアリズムを追求した音楽という体裁をとって作曲されたということだと思います。公式にショスタコーヴィチが語ったことは、「以前の作品が西欧かぶれした形式主義的な産物として批判されたため、その反省によって作曲されたもの」であり、「正当な批判に対する、ある芸術家の創造的回答」なのです。

 

スケルツォも以前のような(西欧かぶれした)諧謔性を潜め、伝統的でベートーヴェンの第5番のような、「暗から明」、「苦悩から歓喜」へと移り変わる四楽章構成となり、人間の苦悩とその解放を表現しているとされています。かくして、ソビエト革命20周年記念日に、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによって初演が行われ、スタンディングオベーションの大成功となり、当局もこれを歓迎したということになりました。ショスタコーヴィチの心中はいかがなものであったか、想像以上に、いろいろな思考感情が渦巻いていたことだと思います。(マズイ、これでは目立ちすぎる…とか含め(笑)。)

 

この曲にはたくさんの録音がありますが、まずはムラヴィンスキーの演奏が初演者ということで、伝統的な解釈者と考えられるため、名盤には必ずあがります。一方で、人間の苦悩の解放という側面が強調されたような、バーンスタイン=ニューヨークフィル盤が西側の解釈として支持を得ていました。熱い演奏であり、私も最も多くの回数を聴いたと思います。新盤の東京文化会館のライヴですね。全集を録音していたソ連の指揮者としては、コンドラシンやロジェストヴェンスキーがあり、また、クーデター騒ぎで騒然とした中で録音されたフェドセーエフ盤は、その録音環境とレーニン像が破壊されるジャケットが衝撃的な印象を残しました。

 

今回聴いたのは、カレル・アンチェル盤です。かつて廉価版では時折東欧系の演奏も見かけられましたが、その一つです。まず、チェコ・フィルの強固なアンサンブルと、彫りの深い演奏が大変印象的です。響きは暗めですが、素晴らしい演奏だと思います。イデオロギー的な強調や、テーマの表現というより、極めて純粋に音楽的に演奏されていると思います。楽器間のバランスも素晴らしいもので、極めてスタンダードで内容の濃いものではないでしょうか。ということで、バーンスタインに食傷気味になると、このCDばかり聴いていました。

 

この曲、かつて代表曲として盛んに演奏されましたが、新しい演奏はあまりフォローしていません。最後に買ったのはヤンソンスの全集かな…。もしかしたら、新しい演奏の中にも素晴らしいものがあるのかもしれませんが、1950年代~80年代に名盤が集中しているように思います。ソヒエフあたりに新譜を一発期待したいところです…。

 

ソヒエフの第5番第4楽章の一部

 

そうそう、チャイコフスキーの「1812年」がカプリングされていました。これは、デジタル初期に横行したような派手さのない演奏で(あれはあれで好きですが)、じっくりこの管弦楽曲が楽しめます。アンチェルらしく彫りの深い、よく構築された演奏なので、飽きないですね。

 

購入:不明、鑑賞:2023/12/24(再聴)

 

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