【不登校・子育て】逃げても大丈夫・「もうこの場所にはいたくない」と思った自分を守った話① | 家族に笑顔が戻る最短距離~『不登校のち笑顔』

家族に笑顔が戻る最短距離~『不登校のち笑顔』

不登校のお子さんが動き出すために必要なことは,「子供に選択させて,結果を経験させてあげる」こと.
親御さんが意識と行動を変えるだけで,お子さんはどんどん変わり,現実がガラッと変わります.

親子揃って【小さな一歩を重ねたら】,必ず家族に笑顔が戻ります.

 

 

 

UMI カウンセリング,遠隔ヒーリングともに9月枠の募集を終了しました.ご検討下さりありがとうございました.

 

 

アメンバー申請して下さる方へのお願い
 
 
 
キラキラ
 
 
中学2年の終わり頃,高校受験に向けて塾に通い始めました.
 
 
 
その塾は私にとても合っていたようで,結果的に1年間で偏差値20上がりました.
 
 
その後の私に必要な学力の基礎を作ってくれたと言っても過言ではありません.
 
 
 
その塾のことが大好きでしたし,その時の先生方も友達も大好きでした.
 
 
 
 
 
 
 
大学3年生の時,そのときお世話になった塾の先生から電話があり,「講師としてアルバイトをしてほしい」と言われました.
 
 
 
大学に入ってから,ずっと塾や家庭教師のバイトをしていた私にとって
 
 
 
 
大好きだったあの空間に再び身を置ける
 
 
 
それも大好きだった先生たちと一緒に仕事ができる
 
 
 
まさに夢のような話であり,断る理由はひとつもありませんでした.
 
 
 
 
 
 
 
そのバイト生活は想像以上に楽しくて,どんどんのめり込んでいき,大学の勉強よりも塾の予習や教材作りに力が入る日々でした.
 
 
 
 
そして,私はその塾で正式に働こうと考えて,企業に就職することをやめました.
 
 
 
 
 
 
当時はバブル景気で,理系の大学生はまさに引く手あまたの時代.
 
 
 
恐らく読者の皆様が知っていらしゃるような大企業から,私も就職のお誘いを頂きました.
 
 
 
 
 
 
でも,断ったんです.
 
 
 
 
 
 
断った理由は簡単です.
 
 
 
 
 
 
自分の好きなことを仕事にしたかったから
 
 
 
 
 
 
 
 
「モノを教える」ということが,本当に大好きだったんですね.
 
 
 
 
だから,今考えると「それはどうなの?」と言いたくなるような就労条件に何の疑問も持たず,その塾で務めることに決めました.
 
 
 
 
 
 
 
 
楽しいバラ色の生活が始まるはずだった.
 
 
 
 
 
 
 
ところが…
 
 
 
 
 
 
その塾が,翌年に新規校舎を出すことが決まり,その校舎の責任者として私が任命されました.
 
 
 
 
 
 
「え? それって,担当授業数が減るってこと?」
 
 
 
 
 
 
 
教えることをメインにやりたかった私にとって,青天の霹靂
 
 
 
 
私の心がザワザワし始めました.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つづきます.
 
 
 
 
 
 
 
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