【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
☆認知症ばーちゃん&うつ病長女&心身症孫
のドタバタ話 →こちらから
☆姑はなぜ自分の家を追い出されたのか?
→こちら (発端)
大阪の家を鬼嫁👹に追い出されて、わが家に引っ越して来たばーちゃん(姑)の、ワガママカマッテチャンぶりについては、こちらを見てね ⇒こちらから
私の母(2020年97歳11か月で没)の介護の方は、ずっと末っ子の私が、病院診察や入院などの付き添いに行っていた。ところが、介護の話が出始めた97歳半ば頃、急に次兄と姉が介護の話に入って来て、兄弟間に大きな亀裂が
そのときの次兄&姉による強引な決断が、母の寿命を縮めてしまった・・・
母が亡くなった後も、亀裂はますますひどくなり・・・
私の実家の家族紹介
母:社交的 性格は穏やか。しっかり一人暮らししていて認知症は無い。要介護1・92歳で腎臓にガンがみつかる
少し後遺症が残るけど、基本的な日常生活はなんとかできる。
長兄嫁:薬剤師 ケアマネージャー とても忙しい
社長(父)が亡くなり、専務(長兄)の交通事故後、薬局経営を支える
次兄:私の10歳上 関東在住 なぜか小学生の時から(他の3人と違って)頭が良くて、有名国立大(理系)→有名企業→ 定年退職
姉:私の8歳上 関東在住 私の小さい頃から、私の相談にのってくれる優しい姉(だった)
「叔母の存在で変わった次兄の態度」の続きです
母のお別れに来た施設スタッフ達
☆これまでのお話
次兄は、母を騙して自分推薦の介護付き有料老人ホームへ母を夏に入所させ、次兄と姉が中心で動き始めたので、私の方は、夫の考えた作戦のとおり、静観を貫ぬくことにしていた。。。
12月9日午前2時、施設で母永眠
☆優しかった施設の対応
母が入所した施設について、
パンフレットと現実がかなり違うとか、食事がまずいとか、料金が高いのにお掃除とかのサービスが悪いとか、色々このブログで書いてきたけれども・・・
母の腎臓がンの症状が進み、いよいよ終末期に近づいてきたという判断だったのだろう、最後の数日前に、母の部屋を1階に移動、私たち家族の面会は、人数制限や時間制限なく、自由に出入りが許されていた。コロナのことで規則が厳しかった2020年の秋~冬だから、この配慮はとても有難かった。
看取り対応の施設でも、いよいよの時に家族が部屋に簡易ベッドを入れて一緒に泊まれるかどうかは、施設によって違うみたいだけど、ここはそれができたのもよかった。
☆施設提携医師の終末期への判断
医師は、点滴などの処置はせず(点滴でさらに腫れがひどくなり苦痛が増すため)、痛みがひどくなった時のためにいつでも使えるようにモルヒネを用意されていた。(結局使われたのはカロナールとロキソニンだけですんだ)
高栄養剤なども使わず、すべて自然に任せる感じ・・・それも良かったと思う。
☆母への最期のお別れに来てくれたスタッフたち
母の部屋で、私たち兄弟と叔母(母の妹)とで葬儀の打ち合わせなどをしていると、思い思いの時間で、二人ずつとか、ふらりと一人で、とか、多分スタッフそれぞれの仕事の合間を縫ってだと思うけど、部屋に入って、
「最後のご挨拶をさせてください」
と母に手を合わせたあと、帰りにこんなことを言ってくれた。
「いつもとても奇麗で、背筋を伸ばしてシャンとしておられました」
「97歳までこんな風にいたいと思いました。私たちのお手本です」
「私もこんな老い方をしたいと思いました」
私が面会に行っていた曜日は、午後アクティビティの時間があった。いつも呼びに来てくれたスタッフはこう言った。
「クイズ大会ではいつも高得点でしたよ。最後の方はベッドに休まれていて、もう1階に降りるのは無理だと思いましたが、明るく声をかけるのもリハビリになるだろうと思って、必ずお声をかけに行きました。
そしてお母様の最後になった回(私は職場がコロナクラスター状態で面会へ行けなかった、亡くなるくなる6日前)はクリスマスの飾りを作る日だったので、お声をかけると、お母様は体を起こして、
『私、絵は下手なのよね~』と言いながら、折り紙に顔を書いてくれました。かなり体はしんどかったと思いますが、最後まで本当に頑張っておられましたね」
マネージャーも来てくれた。
このマネージャーとの話が、特に印象的だった・・・😢
長くなるので続きは明日に🙇
「施設選びと入居時期の難しさ」
「叔母(90)が語った母の施設の話」
「母に言ってしまった残酷な一言」
「逃げた兄を引っ張り出した人は?」
「医師激怒!鈍感な兄が撃沈」
「泌尿器先生の激怒、医師ブログで納得」