みなさん、こんにちは。とうしんです。
2017年も残すところあと2週間。このところ連日、真冬の厳しい寒さが続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今年は月刊「自分教ガイド」として、ほぼ月一ペースで更新してきましたが、6月以降は本の執筆に注力して、ブログでは短めの文章をあげるようにしました。ブログの理想としては、いつもの論文調ではなく、その時々の気づきを中心としたエッセイ調へと早く移行して行きたいのですが・・・果たして2018年はそうなるでしょうか。
代わりにYouTube動画を多くアップするようになりました。毎月の教室動画から抜粋して、1回3~5分の短い動画を数個ずつアップしています。なかなか好評です。登録人数も今月で100人を超えました。動画の方はこれからも続けていきたいと思っています。長文が苦手な方は、是非とも動画の方をお楽しみください。長くて5分ですから、お手間を取らせません。
さて今月の「自分教ガイド」ですが、先月の大阪ヌーソロジー教室で取り上げました「相対性と双対性」について、少し思うところを書いてみたいと思います。それこそエッセイ調で。
まずは関連動画から。
11月度大阪ヌーソロジー教室の冒頭部分です(3分40秒)。11月度のテーマは「双対性について」でした。とくに「相対性」と「双対性」の違いについて、中心的に語る回でした。
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本日のテーマ:「相対性」と「双対性」について(前編)
「相対性」と「双対性」。とてもよく似ている言葉です。漢字でもひらながでも一文字しか違いがありません(そう“た”いせいと、そう“つ”いせい)。
こんな時は、英語で比較するのが分かり易かったりします。「相対性」は英語で"relativity"、「双対性」は"duality"。う~ん、これではまだよく分かりませんね。
●「相対性」とは?
「相対性」"relativity"の"relative"というのは「相対的」という意味ですが、その反対語は"absolute"「絶対的」「絶対性」です。相対性とは「関係性」のことであり、絶対性とは「関係によらない」と理解できます。かつて、「でも、そんなの関係ないッ!」という某裸芸人のギャクがありましたが、あれはある種の「絶対性」宣言でした。
相対性とは関係性、相関性、相互依存・・・などの意味があります。「単独では存在できず」「他のものとの関係性によって初めて成り立つ」ということですが、森羅万象には以下のように「2の関係」として相対性がよく見られます。
《空間に見る相対性》
前・後、上・下、左・右、内・外、表・裏……
《陰陽的な相対性》
プラス・マイナス、男・女、雄・雌、凸・凹、N極・S極……
《運動にみる相対性》
動・静、押す・引く、入る・出る、開・閉、膨張・収縮……
《性質にみる相対性》
温・冷、柔・固、明・暗、乾・湿……
《自然現象、サイクルにみる相対性》
生・死、昼・夜、夏・冬、春・秋、繁栄・衰退、健康・病気……
などなどが上げられます。
これら全ては「2つで1つ」の概念です。片方が単独で存在することはありません。下がなければ上もありません。左なくして右もなし、右と左でセットです。
例えば「男しかいない世界」というのものがあったとしましょう(イヤですけど、そんな世界)。繁殖はどうするんだ?というツッコミは置いといて、「男しかいない世界」においては、「男」という概念も消失します。「女」が消えれば、「男」も消えてしまうのです。
「男という概念」は「女という概念」が前提となっています。逆に、「女という概念」は「男という概念」が前提です。これを別の言い方で、「男という概念は女という概念が押し出している」「女という概念は男という概念が押し出している」、相補性とも言います。
先ほど挙げた相対性の概念の数々は、すべてこのような関係です。「片方が片方を押し出している」・・・これがまさしく相対性です。「2つで1つ」とか「相互補完」の関係性だと言えます。
以上のことから相対性とは、二極性とか二元性と同じ意味合いで表れることが分かります。これを「2の関係」と言います。つまり「相対性とは2の関係である」ということが言えます。
●「悟り」とは「相対性を悟る」こと
いわゆる「悟り」とは、この森羅万象に見る相対性を悟ることではないでしょうか。悟りなき凡夫は、得てして現象としての二極性に惑わされるものです。それを「右往左往する」というのですね。凡夫は右往左往します。現象の快・不快に一喜一憂し、心は落ち着かず、漠然とした不安感の中に生きる・・・これがまさしく凡夫の生涯というものでしょう。
相対性を悟ったものは慌てることをしません。良い時もあれば悪いときもある。上がれば下がり、下がれば上がる。「禍福はあざなえる縄のごとし」で、淡々と目の前の、自己の分限に精進する。人に褒められたとしても浮かれることなく、蔑まれたとしても大して落ち込むこともない。雨にもマケズ風にもマケズ、欲はなく決して怒らず、いつも静かに笑っている・・・ああ、そんな人に私はなりたいですねぇ(笑)
相対性を悟った人は、何物にも執着しなくなる、ということでしょうか。なぜなら相対性を悟ることは、「一切は空であると知る」に繋がるからです。「空を知る」とは、全てが関係性であり、実体がないということを知ることです。それすなわち、現象としての2極の差を取ることになるので、これを「差取る=悟る」と言う人もいますね。
さてさて、これでめでたしめでたし。みんな相対性を、空を悟りましょうね、悟ってない人は執着が取れるよう頑張って修行して下さいネ・・・はい、これで全部解決ッ・・・ってことにはなりません。お釈迦様が登場し、仏教が世に出てもう2500年以上経ってますが、現状の世界をみる限り、これで解決できないことは自明ではないでしょうか。
どういうこと?・・・このブログでは、その本質を何度も指摘してきました。それは「人間には2つのタイプがある」ということです。つまり「一切は空」で納得するタイプと納得できないタイプです。これは根源的なものなのです。古代ギリシャ時代にまで遡って、哲学のあけぼの期に、すでにこの両者の対立が見られます。それがパルメニデスとヘラクレイトスでした。
「あるものはある」・・・実体論者がパルメニデス。「万物は流転する」・・・無実体論者がヘラクレイトス。「一切は空」というのは後者のタイプですね。そして前者は、真実や唯一絶対を探し求めようとしますから、ユダヤ・キリスト教精神に通じていきます。
実体を求める姿勢は、やがて「唯一絶対の神」への「信仰」に至るのです。それに対して、実体はないという姿勢が「一切は空」、つまり「悟り」に至るのです。
実体論者は「信仰」に至り、無実体論者は「悟り」に至るのです。この両者の違いは根源的なものです。今風に言えば、遺伝子的なものでしょうか。儒教と道教の違いにもこれは表れています。孔子を始祖とする儒教は、実体論的なものであり、老子を始祖とする道教は無実体論的。ところで中国の孔子・老子とギリシャのパルメニデス・ヘラクレイトスが活動した時期は、共に紀元前600-450ぐらいの同時期に重なっています。これは不思議、何かのシンクロですね。
さてそれで、実体論者と無実体論者は対立しています。実体論者からすれば、無実体論者、つまり仏教的悟りやノンデュアリティを奉じる人達には納得がいきません。彼らには信仰がないのだ、とどこかで思っている。反対に無実体論者たちは、実体論者、つまりクリスチャンや、そうでなくても何か真実を求める人達をせせら笑うでしょう。彼らは悟っていないのだ、まだ青臭く甘チャンなのだと。無実体論者の方が得てしてクールで、人を小馬鹿にするようなところがあります。実際、無実体論者のヘラクレイトスは相当偏屈で皮肉屋の為に嫌われ者だったようです。
このように精神史を実体論者と無実体論者の対立として見るのは、自分教独自の視点です。この両者の対立が根本的であるということが分からなければ、これを仲裁することはできません。しかし「ヌーソロジー~自分教」は、これを仲裁できる可能性を持っています。
●実体論者も無実体論者も同じ穴のムジナ
実体論者と無実体論者のいがみ合いは、同じレベル同士の争いと自分教では見ます。それは共に「見せかけの2」である相対性に留まっているからです。どういうことでしょうか。
「すべては相対的である」と悟るのが無実体論者でしたね。相対性を悟ることで、一切が空であると知る。これは「空一元論」ということができます。
対して実体論者の方は、「一切は究極の実体である神の表れである」と見ます。相対性は、神ご自身の中にある二性性が原因であると。神ご自身の中に陽性と陰性の元があり、それが人間の男性・女性や森羅万象における陰陽として表れていると見るのが神学的な考え方です。まあぶっちゃけ言えば、なんでもかんでも「答えは神」というのが実体論者、とくにクリスチャンの思考方法です。彼らにとって、どんな質問・疑問であろうとも、その答えは「神」であり、「愛」なのです。最初から答えは神(もしくは愛)なのです。それが「信仰」の王道です。
極論を言うと、実体論者は神一元論、無実体論者は空一元論、ということになります。両者とも「一元論」なのです。そして「一元論」は「見せかけの2」を伴います。「2の関係」、つまり相対性は見せかけの現象だからです。奥にある真実は「1」なのであって、それが「神」なのか「空」なのか、という違いです。
冒頭の動画の中で、私は「相対性はうさん臭い」と語っていますが、その理由がここにあります。
上に挙げた相対性の例の数々・・・すべて「2つで1つ」の概念群が並んでいるのですが、これをして「この地球は二元性の星なんですね」とスピリチュアルの世界ではよく言われます。「本当にそうか?」・・・私はここに、よくひっかかりを感じました。
「2つで1つ」の概念であるということは、はじめから「一元性」なのであって「二元性」ではありません。上で掲げた相対性の概念群は、すべて「ある1つの価値の両側面」を表しているに過ぎないのではないでしょうか。
そうです。私たちは一度も二元的に考えたことなどないのです。最初からずっと一元性に支配されているのです。そして、この一元的にしか見たり考えたりできないということが争いの原因となります。これは人間におけるあらゆる問題の原因となっているのです。
ですから「相対性と一元論はうさん臭い」というのが自分教の主張です。
実際に、キリスト教の一元論においては、地獄や悪魔の存在が問題になります。これを神学では、「人間の責任」とか「天使の責任」だとか言って複雑に理由付けしようとしますが、素人目線で素直に見れば、明らかに矛盾しています。一切が神に起因するのなら、地獄も悪魔も神から出たものです。
そして空一元論の問題としては、「何も無い」という結論に陥るのをどうするのか、ということがあります。もちろん空一元論は無実体論ですから、「何も無い」という結論なのは当然ですが、それでは自暴自棄や刹那的・厭世的な生き方を呼び込み、深刻な虚無に陥る可能性があります。実際は存在している宇宙において、「何も無い」と言い張っているだけの可能性もあります。
最先端の物理学では、宇宙には物質と反物質が存在し、両者には完全な対称性があることが知られています。その対称性が破れないと、宇宙はプラマイゼロとなって、何も無いという結論になるのですが、実際にはこうして存在しているので、対称性は破れてなければオカシイということで理論が考案され、実験を繰り返して実証しようとしています。科学者のこの努力は当然ですが、空一元論者からすれば、これも意味の無い努力ということなのでしょうか。
これらの問題は、みな一元論に原因があるのです。相対性は一元論なのです。そこで本日のお題にある「双対性」が登場するのです。双対性は一元論ではありません。ある意味、二元論です。双対性"duality"の"dual"というのは「二重」「二者」という意味です。つまり双対性というのは、「二重性・二者性」という意味で、二元論なのです。
さていよいよこれから双対性の話が始まるのですが・・・もうすでにかなりの長文となってしまいました。続きは次回ということにします。できるだけ、年内には続きをアップしたいと思っていますが・・・。
ということで、本日のブログはおしまいです。
それでは次回、
「相対性と双対性について(後編)」でお会いしましょう。
とうしん
【連絡事項①】
●12月度ヌーソロジー教室やります(京都・大阪)
今月のテーマは「無限遠点について」です。
「無限遠点が一体何なのかを理解することが高次元世界に入るための重要なカギとなります」
かつてオコツトは広宣さんにこう伝えて来ました。
そして広宣さんは、後に
「無限遠点とは、観察主体である〈わたし〉自身の位置のことである」
という結論に達します。
「自分の位置が無限遠点にある」ということを感覚化することは、
ヌーソロジーにおける意識進化の基本中の基本になっていることが分かります。
今回は、この無限遠点について、いろいろと見ていくことにしましょう。
とうしん勉強会は、いつでも初めての方オッケーです。
できるだけ、初心者・一般の方に向けた解説を心がけています。
ふらりと遊びに来て下さい。
★12/19(火) 京都ヌース教室
場所:ウィングス京都 会議室11
午後6時半~9時
★12/23(土) 大阪ヌース教室
場所:江之子島文化芸術創造センター Room8
午後1時半~5時
《お申し込みフォーム》
【連絡事項②】
●11月度ヌーソロジー教室(大阪)の動画DVD、できました!
テーマ:「双対性ついて」
編集作業はだいぶ慣れてきました。
動画DVDは、教室ライブの映像に、資料や補足説明をプラスして仕上げています。
《11月号教室DVDのラインアップ》
1:相対性と双対性
2:同じが先か、違いが先か
3:SO(3)とSU(2)
4:双対性宇宙論
3では、ヌーソロジーにおいて最重要とも言える数学的概念のSU(2)について
数式を使わず文系・感覚用語で統心流の解説をしています。
半田さんがよく言うSU(2)って一体なんなんだよッ!?
と思っておられる方にはお勧めの回です。
《教室DVD申込みフォーム/最新版》
※お申し込み後、自動返信にて振込先をお知らせします。
【連絡事項③】
●初級ヌースレクチャーシリーズDVD全6巻
最近少しずつ注目され出したヌーソロジー。難解なヌーソロジーですが、内在研究家(ひきこもり)とうしんによって、初めから体系的に解説されています。
初級ヌースレクチャー〈全6回〉DVDシリーズのご案内です。
ヌーソロジー実学派の統心独自の切り口で、最後まで飽きさせない展開となっています。
全6回、各回DVD2枚組+50P近いテキストがついて税込3780円。
第1回と第6回の巻末には半田広宣さんとの対談も収録されています。
《詳細と購入ページはこちら》
【連絡事項④】
●YouTubeチャンネル登録をお願いします
関西ヌーソロジー研究会の公式チャンネルを作りました。
毎月の大阪教室録画を元にして、ちょくちょくミニ動画を上げていますのでお楽しみ下さい。
※関西ヌーソロジー研究会 公式チャンネル
☆祝、登録者数が100名を超えました!
【連絡事項⑤】
●とうしん、執筆最終段階!
現在、初校校正作業中。
これを今月に終えたら、
出版予定は来年3月頃!
引き続き、応援をよろしくお願いします。