『自分教』ガイド

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世界の様々な思想・哲学・宗教を探査し、最後にたどりついたのは『自分教』でした。
『自分教』にたどりつきつつある人が増えていると思います。
そのような方々を応援し、かつ自身の『自分教』を磨き上げる為にブログを書いて行きます。

2019年、年末のご挨拶

令和元年は早くも大晦日を迎えました。
「自分教ガイド」の読者の皆さま、今年も大変お世話になりました。

今年は9月以降、約4ヶ月も更新が途絶えてしまい、楽しみにして下さった方には申し訳ありません。

あれからも思索と探求はモリモリ続いておりますし、書きたいこともフツフツと湧いてくるのですが、いかんせん、毎月の京都・大阪教室と動画作成に加えて8月以降に東京と広島の勉強会を各月で始めたことで、なかなかリズムを取ることができず、結局はブログにしわ寄せが来てしまいました。

しかしながら、私の原点はこのブログであるということを今や痛烈に感じていますので、来年からはいま一度原点に立ち戻り、ブログ執筆に注力して行きたいと思います。お楽しみの皆さま、来年からもどうか引き続きよろしくお願い致します。

ということで、本日は年末の挨拶だけで終了なのですが、それじゃあまりにも寂しいので、少しだけ、私の「今年の思考線」を簡単に振り返ってみたいと思います。


今年は8月を除いて毎月、京都・大阪2箇所で合計22回の定例教室をやりました。いつも月の前半でテーマをなんとなく定め、最初に迎える京都教室では「ライブ」形式でそれを皆さんとシェアします。作り込まずに臨むトークライブですが、意外とこれが盛り上がります。参加者の皆さんと歩調を合わせて進めるので、共鳴・共感が起こりやすいのかも知れません。

火曜日の京都教室を終える頃には、伝えたいテーマの輪郭がはっきりしてきて、方向性が定まります。その後3日間の準備を経てレクチャーとして作り込み、土曜の午後、大阪教室の日を迎えます。

この大阪教室を毎回ビデオ撮りし、翌月にはDVDソフトにしてリリース、ダイジェストのPR動画も作ってYouTubeにアップしています。

今年やってきたテーマをざっと並べるとこうなります。

  • 19年1/26「2019年の展望」
  • 19年2/23「思形と感性 概論
  •   ~「位置の変換」を視野に入れて
  • 19年3/30「変換人の心象風景」
  •   ~次元両生類・半神半人の世界
  • 19年4/27「同一性の解体」
  •   ~同一性の解体と失われた霊性の快復
  • 19年5/25「原因論と目的論」
  • 19年6/29「原因論と目的論パート2」
  •   ~中今の感覚化と不死の思考
  • 19年7/27「2019上半期総集編」
  •   ~「思形と感性」の等化は何処行った?
  • 19年9/28「アワとサヌキのサトリ」
  •   ~そして、やっぱり「前がわたし」
  • 19年10/26「大嘗祭と2度の交替化」
  •   ~「ヒトの交替化」は何をもたらすのか
  • 19年11/30「俯瞰と顕在化」
  •   ~「人間の反対」を見出せ!
  • 19年12/28「俯瞰と顕在化パート2」
  •   ~主語なんてイラナイ


自分で言うのも何ですが、毎回「神回」なんです。それは決して自慢してるとかではなくて、要するに自分では何もやってないのです(汗)。気がついたらレクチャーが終了し、DVDとなって目の前に現れる。私はそれを見届けているだけ・・・それが正直なところです。自分でやってるのではなくて、ある意味「神的」なものが代わりにやっているという意味で「神回」。

こう言うと何だか楽そうに聞こえますが、とんでもない(゚Д゚)。やってる本人はいつもオンザ・エッジ、崖っぷち状態。あたかも高層ビルの間に張り巡らしたロープを綱渡りするかの様に。生きた心地がしない・・・と言っても、もう慣れっこです。

どんな状況であろうと毎回必ず辻褄があってくる。それが実に面白い。自分としては初めに何となくの方向性を感じておくだけです。どちらが明るいかな、出口はそっちかな、という感じ。やがてそこに向けていろいろ情報や出会いが重なり、最後は自然に仕上がっていく。

毎月そうなのですが、1年という単位でみても、一つのストーリーになっているようで、今年は最後の最後にとても劇的な仕上がりを見せてくれました。

毎年、1年の最初の勉強会で今年の方針を決めます。2019年のテーマは「思形と感性」・・・ヌーソロジー用語ではありますが、その意味するところを普通の言葉で表すと「思考と感覚」「左脳と右脳」「男性性と女性性」のこと。人間の世界では対立しているこの二つの方向性、どちらかが他方を抑圧・否定するのが常でして、この両者の幸せな統合があれば、人間の世界にも良いものをもたらすに違いありません。

そこで年頭において私は大胆にも、今年は「男性性と女性性の統合」を見ていくよ!と叫んでしまいました。何の当てもなく・・・。はてさて、どうなることやら・・・と。

上に挙げた今年のテーマを見ると分かるように、9月になってようやく「男性性と女性性」のことを取り上げることができました。「アワとサヌキ」・・・ここでカタカムナとのコラボが始まりました。それまでの実に9ヶ月間を彷徨っていました。

ですが、まだ9月の段階では問題を提示しただけで、「男性性と女性性の統合」としては、その方向性を何も言えてないような状況でした。

それが最後の12月に・・・とうとうやって来たのです。

本日その詳細に入ることはしませんが、先日12/28に終了した勉強会の、その前日のツィートを最後に載せて起きます。2019年の年頭に掲げたテーマが、最後の月にしっかりとした方向性を得た・・・その感覚だけでも感じて頂けたらと思います。

ということで、これにて年末のご挨拶を終わりとさせて頂きます。

それでは皆さま、良いお年をお迎え下さい。

2020年、令和2年、「2」の並ぶ新しい年にまたお会いしましょう。


2019年12月31日
自分教ガイド・とうしん




(以下、12/27のとうしんツィートより)

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明日12/28は令和元年最後の大阪ヌーソロジー教室あります。テーマ:俯瞰と顕在化パート2 ~主語なんていらない!~ 日本人言語学者である金谷武洋氏の「主語不要論」を軸に、ヌーソロジー話を展開していくことにしましょう。

「主語不要論」を訴え続ける言語学者・金谷武洋氏。金谷氏の著作『日本語と西欧語~主語の由来を探る』では、「主語(→行為者)」という概念が「神の視点(→まさしく俯瞰)」と「物質化(→自然力の衰退)」に密接な関係があることを紐解いています。

さらに「日本語に主語はなかった」という従来の主張に留まらず、「元来、英語にも主語はなかった」ということを史実を遡りながら言語学的に明らかにされています。従って「主語に普遍性などない!」と雄叫びをあげる金谷氏。ヌーソロジストにとって「自我の解体」を後押ししてくれる強力な味方です。

そしてもう一つ、この本はさらに重大なことを示唆していました。それは古代印欧語に出てくる「中動態」のナゾ。「能動」と「受動」の中間とみられる「中動」。「中動態」とは言語学的に「受動態」よりも前に登場し、「受動態」はその「中動態」から分岐してきたものです。

元は「能動-中動」の対化から始まったと。これを読んで、私は悟りました。「能動」と「受動」という対化は根源的なものではなかったんだと。それは現象的なもの、結果でしかなかった。「能動 vs 受動」「主体 vs 客体」さらに「男性 vs 女性」までも・・・これら二項対立は根源的なものではなかった!

結果をいじくり回しても根源には至れない。ここにきて、今年の研究が全て繋がった! 男性性と女性性の統合、原因論と目的論、俯瞰と顕在化・・・令和元年最後の大阪ヌーソロジー教室、統心砲、炸裂させます!www 乞うご期待。

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※11月度大阪教室のダイジェスト、この動画は割と面白いですよ。まだ見てない方は、良かったら見て下さい。

 

 

 




 

 



 

みなさん、こんにちは。とうしんです。

残暑お見舞い申し上げます。お盆を過ぎて、朝夕やや涼しくなりましたが、まだ日中の酷暑は続いております。みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。

ここ数年、8月はしっかりとお休みを頂き、読書や内観に集中しております。ですが今週末には東京で『ほとんどヌース祭』状態の3日連続イベントがあり、私も全日出動する予定。さらに3日目の8/26夜には、どさくさにまぎれて「関西ヌース・東京臨時勉強会」を開催することになりました。東京で初めてのオフ会です。

ということで、ここから本格的に活動開始です。8/26東京臨時勉強会については、本日の最後に改めてご案内いたしますが、ざっくり『2019晩夏、令和元年からほとんどヌース祭』(勝手に命名)の概要を載せておきますと……

【2019晩夏、令和元年からほとんどヌース祭】

・8/24(土)13:00~ ヴォイス社主催『奥行きの子供たち』出版記念講演会
 出演:半田広宣さん、春井星乃さん、まきしむの著者3人、総合司会:川瀬統心
→詳しくはこちら

・8/25(日)9:30~ ヌーソロジー後略研究会2019 in 東京
 ヌーソロジスト界の重鎮、数学オタクのファイさんによる研究会!
→詳しくはこちら

・8/25(日)13:00~ ヌースレクチャー2019 in 東京 第2回
 講師:半田広宣さん 満員御礼でしたが、新たに数席確保されたとのこと。
→詳しくはこちら

・8/26(月)13:30~ 意識物理学研究所による研究会「素粒子と人間の意識」
 講師:ドクター佐藤 ゲスト出演:半田広宣さん ヌース物理部集合!
→詳しくはこちら(既に満員御礼とのこと)

・8/26(月)18:00~ 関西ヌース・東京臨時勉強会
 講師:川瀬統心 東京で初めての「自分教ガイド」オフ会です。
→詳しくはこちら


8/24~26の3日間、期せずして東京にヌーソロジーイベントがフル出動となりましたが、令和の始めでもあり、またこの9月以降に始まる世界の激動に備えて何かしら集合無意識が動き出しているのかも知れません……いや、知らんけど。

どれも個性溢れる特徴的な会ですので、ピンと来るものがあればトライしてみては如何でしょうか。


それではPRもそこそこに、久しぶりの自分教ガイドを始めることにしましょう。本日のメインテーマは「奥行きのスピリチュアル」です。




《《本日のブログ目次》》
【1】7/6広島講演のご報告
【2】「奥行きのスピリチュアル」とは?
【3】8/26東京臨時勉強会のご案内



【1】7/6広島講演のご報告

まずは先月の広島講演の報告から。

7/6土曜日の午後、天気予報を嬉しく裏切っての快晴・夏日。この日、広島の地にて初めての統心ソロ講演をしました。広島のカタカムナ研究者・御手洗さんのご招待により実現したこの企画、お陰様で盛況のうちに終えることができました。ご参加頂いた皆さま、本当にありがとうございました。

この日のテーマは『不死の思考』。ずばり「死」について。『生きながら死後の世界へ入る』というオコツトの名言と、『わたしを信じる者は、いつまでも死なない』というイエスの名言を絡ませながら、ヌーソロジーの知見をもとに「生と死」や「存在」について、あれこれ語りました。哲学的ジャーゴンの飛び交う小難しい内容であったにも関わらず、参加者の反応はとても良かったです。後で喜びの感想を沢山頂きました。

講演の最後に私は、「死別した人とは二度と逢えない」と断言しました。賛否両論あることは分かっています。それでもこれを言いたかったのは、「幅的なスピリチュアル」とは違う「奥行きのスピリチュアル」の響きをお伝えしたかったからです。

「死んでもまた霊界で再会できる」「いつも一緒にいる」「また生まれ変わって再会できる」・・・死別の悲しみを慰めてくれる情報はいくらでもあります。しかし私は、それらとは全く別の感覚をお伝えしたかったのです。だから「もう二度と逢えない」。

「二度と逢えない」・・・これほど不条理で恐ろしいことはあるでしょうか。でもその恐怖を完全に受け入れる時、いま生きている一瞬一瞬のかけがえのなさを感じます。毎日が二度と同じ日の来ない、歴史上初めての日であるとして輝きだします。そして目の前の人との一時を本当に大切にできるのです。

これが「生死一体」の思考。一瞬一瞬、耐えず「生と死」を感じ続けていく・・・。「奥行き」において、生と死は一体なのです。

このように心が深まり、濃くなっていくのが「奥行きのスピリチュアル」。逆に心が浅くなり薄まっていくのが「幅のスピリチュアル」。私はそう区別しています。

これからも、ヌーソロジー勉強会やブログ「自分教ガイド」を通して、この「奥行きのスピリチュアル」を発振して行こう・・・この度の広島講演を経て、私は改めて自分の立ち位置を確認することができました。




※この度の広島講演が大変好評だったので、広島でもヌーソロジー教室を開催することになりました。早速その第1回が来月に企画されています。9/22(日)14時~17時まで、場所は広島市内の西区民文化センターです。興味のある方はこちらまで。


【2】「奥行きのスピリチュアル」とは?

広島の講演で私は「死別した人とは二度と逢えない」とお話ししました。不死の思考、魂の永遠性をテーマに語っているにもかかわらず、「死んだら二度と逢えない」…ん? これってつまり、「死後の世界」を信じないってこと? これじゃあまるで唯物論者じゃないか。なのに「奥行きのスピリチュアル」って一体どういうこと?

混乱するのも無理はないです。この混乱を整理していくのが本日の主旨となります。

要は2つあるということです。「奥行きのスピリチュアル」と「幅のスピリチュアル」の2つ。「奥行き」と「幅」ですから、この両者は「直交」する関係にあります。



●「奥行き」と「幅」は直交関係

お互いが直交する関係の時、「奥行き」を取れば「幅」はゼロになります。「幅」を取れば「奥行き」はゼロになります。そういう関係。この両者を「一緒くた」に見てはいけません。

「奥行き」と「幅」を同時に見れる視点があるとすれば、それはさらに「上次元の視点」です。それをヌーソロジーでは「等化」と言いますね。それに対して「一緒くた」、つまり「味噌糞一緒」に見ている状態というのは、実際は両方とも「幅」で見ている状態でして、それを「中和」と言います。

「等化」とは両者の違いをはっきり認識できている視座であり、「中和」とは両者の違いを認識できていない視座である、ということです。

私が「死別した人とは二度と逢えない」と言ったのは、「死別」にも「奥行きの見方」と「幅の見方」があるということであり、「奥行きの見方」をすれば「幅の見方」はゼロになるということ。つまりそれが「二度と逢えない」という意味なのです。幅の感覚での出会いは二度とやって来ないということです。

「死んだら二度と逢えない」という「死の現実」を受け入れる「覚悟」、悲しみを受け入れる「覚悟」が必要なのです。その「覚悟」を決めた者に開かれるのが「奥行きのスピリチュアル」。

このことは「死の先駆的決意性」として、ハイデガー哲学でも言われていることですし、同時代の哲学者ヤスパースも「死への存在」「限界状況」として語っています。いわゆる「実存主義」です。



実存主義の立場から言えば、ギリシャのプラトンによるイデア論から始まり、キリスト教の世界観に至る西洋思想の流れは、至高や崇高なものを追い求めて、人間が「死すべき存在」であるという峻厳たる事実から目をそらしてきた「逃避」でもあるのです。

この意味で言うと、巷に蔓延するいろいろなスピリチュアル思想はどれも「死」から目をそらす逃避になり易いということが理解できるのではないでしょうか。「逃避」だとジャッジしてるのではありません。「逃避になり易い」から注意せよ、ということです。

その為には「奥行きの視座」と「幅の視座」の「違い」を認識する必要があるのです。


●「幅のスピリチュアル」の問題点

まずは「奥行きの視座」を獲得することです。人間は中和状態、つまり全てを「幅」でしか見れない状況に置かれています。それは人間の空間認識に問題があるからです。この世を時空(空間3次元+時間1次元)として見てしまい、その中にある肉体、そしてその中にある意識として見てしまう…これが幅で支配された空間認識です。

これは「架空の第三者」に見られている意識で構成された空間です。横から見られている、だから「幅」。幅認識とは「横から見られる」時に生じます。いわゆる「客観性」です。「横から見られる」ということは、自分で見ているのではありません。自分の視座が完全に抜け落ちている状態。これを「意識の位置がない」とヌーソロジーでは言います。



限定されたこの世を幅認識で見るのは仕方のない事です。そもそもそういう見方をすることが「限定されたこの世」でのルールなのですから。ところが、これが永遠に続くかも知れない「死後の世界」にまで拡張されるとなると話は別です。それは百害あって一利なし、まさに救いようのない話になります。これが私が警鐘を鳴らすところの「幅のスピリチュアル」の弊害なのです。

「幅のスピリチュアル」とは、「永遠の世界」や「魂の領域」に対して、幅認識、つまり「この世的な見方」を延長して捉える見方だと言えます。要するに「死後の世界」を「時空の延長概念」で捉えてしまっているのです。

そこには「自分の視座」がありません。つまり「意識の位置がない」であり、「実存」や「存在」がいつまでも忘却された状態です。それはいわゆる亡霊、幽霊のような世界。成仏できない魂の世界であると言えるでしょう。

また幅認識とは「横から見られる」時に生じるものでした。「死後の世界」にまで拡張された「横から見る存在」とは、「神」のことです。時空を超越した外在神、とくに一神教の神。そして、この様な神の超越的な視座を背後にしての教団や教祖、大天使とか「光の存在」を上位に置く霊的ピラミッド…これが何よりも問題であり、一度このような空間を受け入れてしまえば、永遠に搾取されることになります。



搾取されるとどうなるのか。【1】において、私はそれを「心が浅くなり薄まっていく」と表現しました。心が浅くなり薄まっていくと、耐えず外部からエネルギーを供給しなければならなくなります。これが依存状態。こうなるとスピリチュアル・ビジネスにがっつりはまり込むことになります。与えられるコンテンツを次々と消費したあげく、残ったのは返済不能の借金であった、となるまで気づくのは難しいかも知れません。


●真の「死の空間」を開くために

私がお伝えしたい「奥行きのスピリチュアル」とは、それとは直交する方向、「幅のスピリチュアル」からは見えない方向にあります。その方向を示したく、あえて「死んだら二度と逢えない」と言明したのです。

「死」にはいろんな痛み・悲しみが詰まっています。自分が無に帰する恐怖、死に向かう痛みの恐怖、そして愛する人々との死別…。これらの恐怖の中で特に「死別」について言及したのは、それが自分の死よりも先に訪れるものだからです。

このような「死」の現実から目をそらすような言説に溺れていては、心が薄まってしまいます。そうではなく、それを真正面から受けとめていく。ハイデガーの言う「死の先駆的決意性」として「覚悟」を決める。その覚悟の前に「真の死の空間」が開かれるのです。

ひとたびその空間を開いたならば、そこからは無尽蔵のエネルギーが、枯れることのない泉のごとく湧き上がってくるでしょう。それはネゲントロピー、作り出す側の世界であり、それが潜象世界と言われるものなのです。

「幅のスピリチュアル」の問題点は、この潜象世界を現象世界と同列に見てしまうことにあります。現象世界の拡張(或いは超越)としてしか潜象世界をイメージできないのです。その為に、現象世界における「搾取のルール」が潜象世界と思われる領域にまで適用されてしまうのです。それが宗教やスピリチュアルにおける多くの混乱を生み出しています。

ヌーソロジーが「反転」を重要視する理由はここにあります。現象世界と潜象世界はお互いに「反転」しているのです。反転によって全く異なる領域が露わになります。その異なる領域で適用されるルールは、ある意味、お互いに正反対のルールとなるでしょう。

例えば「幅のスピリチュアル」は「喜び」を求めようとします。しかしながら、「奥行きのスピリチュアル」は「悲しみ」を求めていくのです。それは決して自虐的ということではありません。そうではなく、悲しみに真っ正面から立ち向かい、その奥底にある静かな喜びを感じ取っていくのです。そのような喜びを知る人の重心はずっしりと低くなっていきます。そして、その心は深まり、濃くなっていくのです…。

「奥行きのスピリチュアル」考察の続きとして、次回は「輪廻」について少し考えてみたいと思います。というのも昨今、「生まれ変わり現象」の研究において信頼できる事例がどんどん発表されるようになってきたからです。

もはや現象としての「生まれ変わり」は確実に存在すると言ってよいでしょう。

しかしこれもまた「死別」と同様、「奥行き」と「幅」では捉え方が全く異なります。そして現在の新新宗教やスピリチュアル業界においては、大抵が「幅的」な捉え方をしています。それが「自我の拡大」に繋がり、精神世界を現世利益に隷属させてしまい、意識進化の本道から外れて様々な問題を引き起こしているのです。

次回はこのあたりの問題を整理し、「奥行きのスピリチュアル」からみた輪廻転生についてかなり大胆な仮説を提示してみたいと思います。ご期待ください。


【3】8/26、東京臨時勉強会のご案内



2019晩夏のヌース祭、最終日。

8/26(月)の夜、関西ヌースの東京臨時勉強会を開催します。

実質はじめての「自分教ガイド」東京オフ会です。

テーマは「奥行きのスピリチュアルへようこそ」

2013年より関西ヌーソロジー研究会で一貫してやってきたことを軸に

2019年の今この時に必要な内容を皆さんと共にシェアしていきたいと思います。


とうしん勉強会ですから

ヌース初心者の方からベテラン・マニアの方まで

誰でも気軽に参加できます。


平日の夜ですが、タイミングの合う方はどうぞお越し下さい。

場所はJR新橋駅すぐ近く。

普段お会いできない方との楽しい邂逅の時間になればいいですね。

 
※参加希望の方は、下のフォームからお申し込みください。
 
《参加申込みフォームURL》


【関西ヌース・東京臨時勉強会】
日時:8月26日(月)
場所:新橋・生涯学習センター「ばるーん」303号室
東京都港区新橋三丁目16番3号
◎最寄り駅:JR新橋駅・烏森口より徒歩3分
受付:午後5時45分~
勉強会:午後6時~午後9時まで
ナビゲーター:川瀬統心
費用:3000円
定員:30名

 
※アフター懇親会する予定!



 

本日はここまで。何とかこの9月から更新頻度上げようと思いますので、どうか辛抱強く当ブログ今後の展開を楽しみにお待ちくださいませ。ではでは~。

とうしん

みなさん、こんにちは。とうしんです。

先月は記事をアップすることができず、前回より2ヶ月近く経ってしまいました。

その間に夏至を越えて、2019年も後半に突入です。皆さん如何お過ごしでしょうか。

このところ長文大作ばかり続いて、自分のハードルを上げ過ぎたようです。走り幅跳びがいつのまにか棒高跳びになってしまった様な。

令和新時代も始まりましたので、これを機会にこのブログも変化させて、更新頻度の高いスタイルに移行したいと画策しております。しばらくは試行錯誤が続くと思いますが、何とぞ暖かく見守って頂けると幸いです。


本日の「自分教ガイド」は、「とうしん広島講演会」の告知記事です。

開催はもう明日になってしまいましたが、読み物としても「自分教」らしい内容ですので、ブログでもシェアしたいと思います。

もしご近所にお住まいでタイミングの合う方がおられましたらどうぞお越し下さい。飛び込み大歓迎です。

それではさっそく始めましょう。





★【告知】7月6日川瀬統心・広島講演会

この度、広島のカタカムナ研究家・御手洗さんのご招待により、広島で講演会を開くことになりました。

講演テーマ:生きながら死後の世界を開く『不死の思考』について

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私は幼少の頃より、「生と死」について思い悩んできました。

「死んだらどうなるのだろう、死後の世界とは?」
「なぜ親しき人との死別があるのだろう?」
「そもそも何の為に生きているのか?」

死の問題をないがしろにして突き進む文明社会に違和感を覚えた私は、宗教・精神世界・スピリチュアルという「心の世界」を彷徨い歩くことになりました。振り返ると、求道の半生であったと思います。それなりの神秘体験も経てきました。

そんな私も今年で齢五十となり、いまはヌーソロジーの研究家として、昨年はヒカルランド社より『ワンネスは2つある』という本を上梓するに至りました。ヌーソロジーとは、福岡市在住の半田広宣さんが創始した宇宙論・宇宙哲学です。半田さんはチャネリングという奇異な体験をきっかけに、人生を懸けてこの宇宙哲学を単身で構築して来られました。

ヌーソロジーには様々なアプローチの仕方がありますが、もっぱら私は「生きる現場における活学」としてのヌーソロジー探求に注力しています。

ヌーソロジーの元になったチャネリングソースである「オコツト情報」には、以下のような記述があります。

オコツト「変換人の意識に進化すれば、人間の死は克服されます」
半 田 「つまり、人間は死ななくなるというのですか?」
オコツト「これから起こる意識進化とは、人間が生きながらにして死後の世界へ入っていくという言い方ができるかもしれません。その意味でいえば人間は不死となります」

    「2013:人類が神を見る日」より

 


今回はこの「不死の思考」について、長年考え続けて来た統心がヌーソロジーの知見からお話をしたいと思います。既存の宗教・スピリチュアルにはない圧倒的な強度と違いをもって、皆さまを「不死の世界」へとお連れいたします。


「不死」と言えば・・・はるか昔、秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の仙薬を求めてこの日本にやって来ました。もし徐福がこの時代に生きていたのならば、この7/6は万障繰り合わせて広島にやって来るでしょう。そのような話をさせて頂きます(笑)。


【川瀬統心・広島講演会】
日時:7月6日(土)
場所:合人社ウェンディ ひと・まちプラザ 研修室C
受付:15:30~ 講演:16:00~18:00
定員:60名
費用:3500円

主催:カタカムナひろしま御手洗塾  御手洗 毅使

※アフター懇親会あり

《講演会申込みフォーム》

※当日の飛び込み参加も大歓迎です。

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「不死の思考」に至るポイントは、「流れない時間」の感覚化にあると思います。流れない時間。永遠の「今」であり、神道では「中今」とも言います。

この「中今」をまずは概念で理解し、それから感覚化することができれば、その認識は既に死を超越した意識体のものとなります。オコツトの言う「変換人の意識」。

いにしえの聖人・覚者達はみな、この領域のことについて少なからず語っています。例えばイエスは、「わたしを信じるものは、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」と伝えています。

しかしながら、イエスにおいては、その為の方法論として「わたしを信じよ」としか語れませんでした。「信仰」という方法しか示せなかったのです。もちろんクリスチャンに対しては、信仰を方法論などと語ることは許されません。篤実なクリスチャンにとって、信仰とは「目的そのもの」なのですから。

イエスの時代より既に2000年が経っています。ヌーソロジーにおいては、かつてイエスの見た風景を「変換人型ゲシュタルト」として、私たち凡夫でも、空間認識の変更によってその領域に参入できるという可能性を提示している・・・私はそう思っています。

ヌーソロジー探求を開始して早10年。それ以前の、幼少期より始まった真理探究歴を思えば優に40年が経ったとうしんの、いま見ている「不死の風景」を会場の皆さんと分かち合えたらと思います。

お近くにお住まいの方は気軽にお越し下さい。お待ちしています。


★7月7日弥山体感ツアーあります

翌日には『ヌーソロジーとカタカムナ・弥山体感ツアー』があります。

ヌーソロジーとカタカムナの相性はとても良いです。両者が伝えようとしている内容はほとんど同じ方向性。それもそのはず、オコツト曰く「カタカムナ文明は存在した」とあり、カタカムナ文明は「前次元のヒトがもたらした文明」というのがヌーソロジーの解釈。

ヌーソロジーが「考える」に焦点を当てているのに対して、カタカムナのそれはまさに「感じる」世界そのもの。「思念」や「響き」というものを大事にします。

ということで、前日に思考をいっぱい使った次の日は、世界遺産・厳島神社のある宮島、その頂上である「弥山」に登り、「ヌーソロジーとカタカムナ」のフィールドワークをしたいと思います。というか、その様な主旨でカタカムナ歴40年の御手洗さんが企画して下さいました。

以下、イベントの概要。参考までに。

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7/6(土)開催の川瀬統心講演会に続く7/7弥山体感イベントとなります。
8時30分宮島口に集合して、宮島に向かいます。
ご神木のある場所でカタカムナ講座を行い、
奥宮・御山神社でウタヒを唱和奏上し、
弥山山頂にて瞑想します。
下山して厳島神社に参拝します。

弥山山頂へは往復のロープウェイを使います。
講座参加費は昼食(あなご弁当代2160円)を含む3500円です。
交通費は各自でお支払いいただきます。

神の島 厳島弥山体感ツアーに参加して
イヤシロチ体験をしましょう。

前日7/6(土)の川瀬統心講演会と両日参加者は7000円のところ
6000円となります。

お申し込み・お問い合わせは
メール asongfor6364@gmail.com

《7/7弥山体感ツアー詳細》

※ツアーにはもちろん統心も参加します。

このツアーはお弁当の関係上、明日の講演開始時には締め切ります。

7/6と7/7の両日、広島のイヤシロチにて「考える・感じる」を極める2日間!


弥山山頂(「日本の国内旅行ガイド500」より)


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告知記事は以上です。

今月はもう少し記事をアップするつもりです。

それではまた、次回「自分教ガイド」でお会いしましょう。

とうしん