さてカッターのことの話のはずが、観念的、アートより(?)方向に転がって、自分でもちょっとびっくりしました。

ここからは、実際にカッターをどう使っていったのか、という話になります。

 

と言いつつも、なぜ自分にここまでカッターが必要なのか、というのを書かなければ始まりません。手工製本の話です。

 

美大院卒後2〜3年勤めた小さい出版社をやめて、手工製本工房の見習いになる、ということがあって、そのことが、今の私の大半を形成しています。

 

ちょっと長くなってしまいますが、それを書きます。

 

この、手工製本の見習い時代、
工房では精密な仕上げカットは、
電動の断裁機を使っていました。
200vの、鋳物の、ごっついやつです。

 

「ルリユール」と通称される、フランスの工芸製本を身につけた、私の師匠のやり方は、今考えると、とてもユニークなものだったのだと思います。

 

「ルリユール」は、
1人の人のための、1冊の本を、
オリジナルに作るという製本技術です。

 

全盛期の19世紀末から20世紀前半に、確か「100人愛書家協会」などというグループがあり、超ハイクオリティな本を企画していました。

ユイスマンスの『さかしま』の豪華本などが有名です。

全ページにカラフルな木版画イラスト入り(もちろん「印刷」ではなく「木版画」そのものです!)。

文字部分の活版印刷は、活字のデザインからオリジナルに作る、という凝りようで、限定100部だけを作ります。
 

これだけで、すでに、くらくらくるんですが、

企画を仕切ってる協会長のような立場の人は、
木版の別刷りやら、もちろん原画やら、重要なやりとりをした書簡など、記念になる物々も美しく綴じ入れて、

本当に1冊しかない内容にし(エディションユニック、といいます)

さらに、この本1冊だけのデザインをさせて、素晴らしい革製本に仕立てる、ということをします(この時代の装飾の基本は、金箔押しと色の革を貼ることで、デザイン全てに手押しの金型が必要ですから、もう本当に気が遠くなります。豪邸を建てる金額、など例えていました。)

 

つまり、工芸的なお宝を作る製本技術です。

 

現代では、往時の真似は全くできないのですが、ともかく一点ものの丁寧なデザインと細工の習作は作らせてもらっていました。

 

これはその一つです。ファッションのデザインを参考にしていることもあり、

 

レースやビーズ、スパングルなどを使っていました。

 

色が綺麗すぎてそう思ってもらえないことも多いのですが、高級なピンク色の仔牛革装です。




さて、多井絵さんが日本に帰国した、1970年代当時、フランス方式は、日本でやれるものではありませんでした。

かかるお金のことはさておくとしても、印刷物だけを作って、製本をオーダーメイドで仕上げる、という伝統は日本には全くなかったのですから。

 

製本会社にも印刷会社にも勤め、経験を積んだ師匠は、機械で量産する方法をも身につけました。

(師匠の真骨頂は、企画から仕上げに至るまでの全てに、心遣いが行き届いた、芸術としての本を作る、というところです。私は、その製本部分をわずかに学びとれたに過ぎないです。ここに書いてることも、それにすぎないことを、お断りしておきます。)

 

そんな師匠の編み出した策は、

日本の限定本愛好家に、

「ルリユール」のクオリティを持った量産本を(と言っても、基本手作りの、最大100冊くらいの量ですが)

を作って売るということです。

 

陶芸家が、寸分違わぬお皿を見事に、大量に、作っていくのと似ているかと思います。

その例えでいくと
「ルリユール」は一つしかない楽茶碗みたいなものとなるかと思うのですが、

師匠のやっていること、というのは楽茶碗を100個(寸分違わず、しかも魂を抜かずに)作る的なことで、
不可能みたいなことです。

 

というわけで、精密正確に、同じものをある程度の量作る、とうことが、見習いとしても、一つのテーマでした。

「ジグ」というのか「かた」というのか、を上手に使いこなすことが必須です。

 

この考え方で、私は育ちました。

 

フランス留学してルリユールを学ぶこと、とは

とても違うのではないか、と想像しています。

 

冒頭に書いた通り、断裁機で同じサイズのものを仕上げ切りする、というのが基本作業でした。

だから、このストーリーの主役である、カッターは普段使ってはいましたが、地味な存在でした。

 

それでも、カッターで紙を切ってるときに、

「いままでなにやってきたの?」

と、言われたことは、印象に残っています。

 

大学での制作や、出版社での写植の切り貼りなんかで、それなりにカッターを使ってもいたし、不得意感はなかったので、ちょっとびっくりして、残念な気持ちになりました。

 

数年後、この工房に間借りして、私の「手で作る本の教室」は始まりました。

 

その教室時に、本の背に使う、細長いボール紙を切っている時、指をスパッと大きく切ってしまいました。

 

このことが、カッター使いを意識することのきっかけとなりました。
 

やっぱり、下手くそ、だったんですね。

 

25ミリ幅の30センチステンレス定規を使って、

すごく速く繰り返し刃をあてて、

2ミリ厚のボール紙を切っている時です。

なぜ、切ってしまったのか?

私が気づいたのは、押える面積が少なく、指が刃に近い、ということでした。


そこで普通に使っていたスレンレス定規をやめ、三角定規にしました。

結果、押える面積が増えて刃も遠くなり、長時間のカット作業も疲れなくなり、直角を切ることもできる、となりました。

しかし、そもそも三角定規はプラスチックで製図用。カッターで削ってしまったり、もやもやは非常に残りました。

 

しかし「使い捨てだよ」と公言して使っていました。

指を切ったことは、そうとうに嫌なことだったのです。

 

下の写真を見れば、ステンレスの定規では疲れてしまうというのがよくわかると思います。