アカデミー賞において国際長編映画賞とドキュメンタリー賞にWノミネートされた作品。過去に両賞にノミネートされた作品は、『ハニーランド 永遠の谷』 (2019)のみ。そして本作は、ルーマニア映画で初めてアカデミー賞にノミネートされた作品。
2015年ルーマニアの首都ブカレストのライブハウス「コレクティブ」で火災が発生し、多くの死者と負傷者を出す大惨事となる。現場で27人の若者の命が奪われたが、病院に入院した負傷者たちがその後次々に死亡し、火事では一命を取り留めたものの入院中に死亡した人は37人に達した。事件に疑問を抱いて調査を開始したスポーツ紙の編集者は、内部告発者から衝撃の事実を知らされる。
ドキュメンタリー映画には2種類ある。マイケル・ムーアのように、リアルな映像を再構成することで自分の主張を前面に押し出したものと、素材をそのまま映像化し敢えてストーリーを排除した「観察映画」。この作品は後者のタイプで、ナレーションもテロップも音楽も使わないドキュメンタリーとなっている。
作品は、前半と後半に分かれ、前半のカメラはスポーツ紙の編集者を中心に捉えている。内部告発を基に取材を続けると、次々と隠蔽された事実や嘘が明らかになり、巨大企業の不正や政治の腐敗といった巨悪につながっていく。後半では、その事件が国民の批判を呼び、退陣せざるを得なくなった保健相大臣にとって代わった元アクティビストの新任保健相大臣が中心となる。政治家の生の姿にカメラが切り込むということは驚きとしか言えない。
火傷が比較的軽度であったにも関わらず、病院内感染で死に至るというのは、ある程度は起こり得ることなのだが(死因は、日和見感染症として代表的な緑膿菌によるもの)、その程度があまりにも自分の常識からは現実離れしていて「フィクション?」と思うほど。ルーマニアはEU加盟国だが、先進国と言っていいその国の唯一の熱傷専門医療病院の入院患者の患部にウジがわいている映像は衝撃的だった。また大手製薬会社が作る消毒液の有効成分含有量が表示とかけ離れて低い(15%の表示に対して、実際は10%程度)とか、これまた自分の常識ではあり得ないものだった(映画では、更にルーマニア内の数多くの病院がその消毒薬を薄めて使用していたとしていたが、よく病院で使われるベンザルコニウム塩化物であれば10%を100倍や200倍に希釈することは普通だし、消毒薬を薄めて使うことで浮く経費などたかが知れているので、それはどうかなと思って観ていた)。
前半のスポーツ紙の編集者が次々と闇に光を当てて行く過程は、ジャーナリストが主人公であるがゆえ、『大統領の陰謀』や『スポットライト 世紀のスクープ』、『ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書』の系譜にあるドキュメンタリー作品と言えるが、この作品で描かれた映像がこれまでになく画期的なのは後半部分。新任のヴラド・ヴォイクレスク保健相大臣は、元々政治畑の人間ではなく、海外のNPOでルーマニア国内のがん患者のために資金を調達する仕事に従事していた人物。腐敗した医療制度改革のために抜擢され、新大臣としての就任演説で意思決定の透明性を掲げていたが、彼の執務風景をそのままドキュメンタリーとして撮らせるということは、少なくとも日本では考えられないこと。観ていながら「これって俳優が演じたいわゆる再現フィルム的なもの?本当にドキュメンタリーなの?」と何度も目を疑った。
ルーマニアは第二次世界大戦後、社会主義国家として長くニコラエ・チャウシェスクによる独裁政権が続いたが、1989年のルーマニア革命により民主化された。しかし、この映画に描かれた事件当時政権を握っていた社会民主党は、チャウシェスク時代から続く既得権益集団として「腐敗政治家やビジネスマンの寄せ集め集団」と目されており、独裁政権の弊害がいまだに尾を引いているのがルーマニアの政治ということである。ルーマニアにおいては政治に期待をしない若者の投票率は10%を切っているというが、日本でもそれは同じような状況であり、日本はここまでひどくないどころか(さすがに病院の入院患者にウジがわくことはないだろうが、政治の状況は)ヴラド・ヴォイクレスクのようなオープンマインドで真に改革を目指す若手が要所に抜擢されることはないことから、それはむしろうらやましいと思わざるを得なかった。
2020年アカデミー国際長編映画賞は、デンマーク代表の『アナザーラウンド』が受賞したが、この作品はそれよりはよい出来だと思われた。そしてこの作品よりはボスニア・ヘルツェゴビナ代表の『アイダよ、何処へ?』の方がよかったし、更に個人的によかったのは香港代表の『少年の君』。
★★★★★ (5/10)