FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

藤本タツキの原作漫画は言うまでもなく、それを『ヱヴァンゲリヲン:破』や『風立ちぬ』の原画を担当した押山清高が監督したアニメ版も素晴らしい出来だった。優れた漫画やアニメの実写版が、それらを超えるのは、相当ハードルが高いことは言うまでもない。なので、この作品もかなり期待値を下げて観たつもりだったが、全くダメだった。この作品を実写化するのは、是枝裕和をしても無理だったかと思わざるを得なかった。

 

細かな突っ込みどころは置いておいて(中学生役の配役に実年齢24歳の二人の起用は無理があるとか、「鶴」や「海」といった原作にはないモチーフが生きていないとか)、最大の難点は、原作&アニメにあった精神性が全く反映されていないこと。その精神性とは、タイトル『ルックバック』に込められた意味と、テーマである「クリエイターは何をモチベーションとするのか。そして藤野の場合は」という二点(但し、前者は意図的に和らげられたかもしれないことには理解する)。

 

まずタイトルの『ルックバック』には多層的なコノテーションやメタファーが存在することは指摘されているが、自分が最も重要だと思っているのは、「テロに対するアンセム」であるオアシスの「Don't Look Back in Anger」を連想させること。

 

2017年5月22日、マンチェスター・アリーナでのコンサート会場で、自爆テロ事件が発生し、22人の命が奪わた。その事件の数日後、市内の広場で犠牲者を追悼するための黙祷が行われたが、黙祷が終わり静まり返った広場で、1人の女性が突然その曲を歌い始めた。最初は一人だったが、徐々に周囲の人々が加わり、最後は広場の人々の大拍手で終わった。オアシスはマンチェスター出身のバンドであり、この曲が地元の人々に「テロリストに対して怒りや憎しみの連鎖で返すのではなく、街が一つになって前を向いて進もう」という人々の不屈の精神、レジリエンスと合致し、以降この曲はテロに対するアンセムとなった。

 

藤本タツキの原作漫画が発表された際、犯人の凶行が京アニ事件を連想させるとして批判された(セリフが精神疾患を連想させるという批判から改変されたのは適切だったが)。しかし、藤本タツキがこの作品を描いたきっかけに、京アニ事件が彼のクリエイターとしての自分を見直す契機になったことは想像に難くなく、それでも前を向いて進まなくてはいけないという気持ちがあったのだろう。それが「Don't Look Back in Anger」からタイトルを取ったことにつながったと思われる。怒りではなくあの事件を乗り越えなくてはいけないというポジティブで強靭な意思が汲み取られなかったのは残念だが、実写化においては更に京アニ事件との連想は避けられていたように感じられた。

 

それよりも致命的なのは、原作及びアニメの重要なテーマである「なぜ藤野は漫画を描くのか」というクリエイターとしての強い思いが実写化作品には感じられなかったことである。「藤野」と「京本」という、「藤本」の名前を分けた名前を使っている以上、彼女たちは藤本タツキの分身であり(しかも京本の「京」は京アニ事件を連想させる)、作品中に何度か問われる「藤野ちゃんはなぜ漫画を描くの?」という問いに対する答えはこの作品の最重要テーマであるべきだろう。

 

その答えは、原作漫画やアニメでは、藤野が京本の葬儀の後に彼女の部屋を訪れるシーンで、観ている我々に分かるように描かれていた。藤野が京本の部屋に足を踏み入れると、彼女の目に映ったのは、藤野の連載漫画の単行本と読者投票のアンケート葉書。京本は藤野と袂を分かった後も、自分を引きこもりから別の世界を見せてくれた恩人である藤野を慕い、プロの漫画家になった藤野を応援していたということが痛いほど分かるシーンだった。それは、藤野の心になぜ創作をするのかという答えが明確になった瞬間だった。京本がずっと自分のファンであり続け、自分の漫画を読んで飛び跳ねるほど喜んでいた姿を想像すると、漫画は京本と自分をつなぐ唯一の絆であり、京本を笑顔にするためのものだったと気づく。藤野にとって漫画を描く理由とは、他者からの評価や名声ではなく「ただ一人、大切な人を喜ばせるため」だったというのが、彼女がたどり着いた究極の答えだと自分は解釈した。

 

それが、是枝版実写化作品では、京本の部屋に足を踏み入れた藤野が目にしたものに、単行本やアンケート葉書はなく、彼女たちの思い出の風景画だった。京本の藤野に対する漫画家としてのリスペクトや応援したいという気持ちは表現されず、「藤野先生!」という京本の声は聞こえてこない描写だった。

引きこもりを救ってもらった天才と引きこもりを救った努力家の究極の結びつきのバディ物語がテーマであり、二人で完結していた世界の相棒が失われたという切なさが大きな感動を生んでいたのが原作&アニメだった。藤野の母、学校の先生、編集者といった周囲の人物にもフォーカスを当てることで、濃密な二人の関係に基づく作品の精神性が薄まって、汎用なドラマになっていたというのが実写版。

 

アニメで最も印象的だった。藤野が京本の出会いの直後の雨の中で踊りながら走るシーンで、実写版では劇伴のメロディを藤野が口ずさむという、映画的には画期的な手法が使われていたが、自分には全く評価できなかった。劇伴はあくまで観客の感情を増長する補助線であり、それが前面に出てくると押しつけがましくなる。スクリーンの中の登場人物が、本来彼らには聞こえていない(そして観客には聞こえている)メロディを口ずさむという冒険は、自分には成功しているとは思えなかった。

 

オリジナルの58分を99分に膨らませるのに、オリジナルにはない大幅なストーリーの付け加えがなかったのはよかったし、秋田県にかほ市の四季の風景が美しく描かれていたのはよかった。ではあったが、この作品を観る前に原作漫画やアニメを観ることは全くお勧めしない作品だった。もし原作漫画やアニメに触れていなければ、先に実写版を観てから、是非原作漫画やアニメを観てほしい。

 

★★★ (3/10)

 

『ルックバック』予告編