2014/1/8
人は生まれる時には、いったいいつから人になるのでしょうか。
『脳のなかの倫理 脳倫理学序説』
マイケル・S・ガザニガ著 紀伊国屋書店
“精子が卵子に出会うと胚はすぐに任務を開始し、細胞分裂と
分化を延々と繰り返す。胚は、合体した2個の細胞から出発して
最後には約50兆個の細胞でできた人間に成長しなくてはならない。
胚が成長を続けて数週間がたつと、脳や脊髄以外の神経ができる。
・・・胚は、のちにさまざまな脳構造となる領域を次々と発達
させていく。
とはいえ、脳で電気的な活動が行われるのは、5週目の終わりか
ら6週目にかけての、受精後40~43日くらいになってからである。
電気的活動が始まるといっても、私たちの意識を支えているよう
な統制のとれたものではない。
エビの神経系のほうがまだしも秩序がある。
・・・13週目に入る頃には、もう胎児は体を動かすようになって
いる。
それでも、この段階の胎児にはまだ知覚力がなく、自己を認識
することもない。ヒトというよりウミウシに近く、刺激に対し
て体をうごめかすだけの反射運動の塊である。
発達した脳になるための基本構造ができるのと、発達した脳を
実際に持つのとでは、存在のありようがまったく異なるのである。
・・・胎児は23週くらいから、医療のサポートさえあれば母親
の胎内を出ても生きていける。
胎児がいつから人になるかという問題には、脳神経科学の理屈が
通用しないのだ。
道徳論が生物学と入り交じり、いきおい激しい感情と信念の渦巻
く頑なで不合理な持論のぶつかり合いになる。
私も人の親として、段階23に達した受精後8週ほどの胚の写真か
らは、小さいながらもそれがヒトであることがうかがえる。
これより前では、ブタの胚と区別もつけがたい。
ところが摩訶不思議、段階23に入るとふいに顔の様子がヒトらし
くなってきて、間違いなく私たちの仲間に見える。
かりに成人の脳が大きな損傷を受けて、この段階の脳ほどにしか
働けなくなったら、その患者は脳死とみなされて、臓器提供の
候補者になってもおかしくないだろう。
脳の機能が衰えて、社会の定める基準を下回ったら、もはやその
人間を人とみなさなくていいというのが脳死の意味するところで
ある。”
訳者あとがきにこうあります。
“SF作家のフィリップ・K・ディックの短編『まだ人間じゃない』
の舞台となる未来社会では、高等数学の問題が解けない子供たち
はまだ人間ではないとして「生後堕胎」が認められている。
荒唐無稽に聞こえるが、ヒトと人の境界線を決める絶対的な基準
が存在しないことを鋭く突いている。”
去年、特定秘密保護法がいつの間にやら成立してしまいました。
特定秘密と通常秘密との境界線についてのあいまいさが取りざた
されています。
しかし、脳科学の進歩が提供する問題はもっと複雑で厄介です。
脳のなかの思想や信条を読み取ることが射程に入ってきた現在、
罪を犯す前の「犯意」でもって逮捕される事態さえ、現実を帯び
てきているのです。
ヒトと人。
犯意と犯罪。
あいまいな境界線に決着をつけなければ、空恐ろしい事態がいつ
起きても不思議ではないのです。