【バリ島クリヤヨガ修行シリーズ】
前回の記事は言葉足らずだったので、
今回は補足説明で号外記事とします。
■意識進化の2大条件
①内観・瞑想
長年、内観や瞑想をしている読者から、
「どうやったら半覚醒できるのか?」
というような質問をたまに受けます。
それは生活を捨てて修行に没頭することです。
僕も半覚醒後はほとんど修行していませんが、
それまでは毎日10~24時間修行していました。
10~24時間は瞑想から覚めないし、
最高で4日間瞑想から覚めないことがありました。
そして起きている時は、
四六時中 内観する生活を続けてきました。
しかし多忙な現代人にはそれは無理なので、
ロゴストロンやホロンクリスタルなど、
文明利器を活用するのが得策で賢明なのです。
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②真の信仰
もう1つは信仰心の問題だと思います。
人間の意識進化をサポートする神霊団がいて、
それと波長を合わせる必要があります。
「信じる者は救われる」という言葉がありますが、
これは「波長を合わせる」という意味です。
お祈りの時間だけ神仏を信仰して、
日常生活で悪想念を発しては意味がありません。
以前、熱心な日蓮宗の信者がいて、
勤行を終えた後にTVで事件のニュースを見て、
「けしからん奴だ!」と怒っていましたが、
それで勤行の功徳はチャラです(笑)
否、チャラどころかカルマを作っているのです。
凶悪犯罪のニュースを見たら、
それも自分が投影したことなのだから、
内観して反省と感謝をする必要があるのです。
常に神と波長を合わせて生きることが、
「真の信仰」というものなのです。
■信仰と宗教は無関係
「信仰=宗教」というイメージがありますが、
真の信仰と宗教は無関係です。
しかし、真の宗教は一般的な宗教団体等ではなく、
あくまでも「宗の教え」なので、
「真の信仰=真の宗教」とも言えます。
まぁ、そんな定義はともかくとして、
思い出した事があるのでついでに書いておきます。
昔、喫茶店の隣の席で、
創価学会員が外人のイスラム教徒を勧誘していて、
話が噛み合わない論争を繰り広げていました。
真の宗教(真の信仰)は宗教を超えているので、
僕は両者の意見が理解できるし統合できますが、
一般的に言う「信仰心」の持ち主の信仰とは、
独善的排他的な盲信・狂信の誤った信念なのです。
無神論も一神教も多神教も汎神論も、
すべては1つの真理の断片に過ぎませんが、
偏狭な信仰心ではそれが理解できないのです。
スピリチュアルの世界でも、
誤った信念体系を持っている指導者は多く、
それを鵜呑みにしている人々も数多くいます。
ちなみに僕の定義では、
「スピリチュアル=宗教」で、
実際に両者に違いを見い出せません。
なので僕は、
「宗教破壊・スピリチュアルバスター」を掲げ、
真の宗教・真のスピリチュアルを提唱しています。
■神霊術と菩薩行
僕は幼少の頃から自然に信仰心があり、
10歳の頃から神霊術を始めました。
そして神霊エネルギーを引き続けてきたので、
それが意識進化のベースになっていると思います。
神霊術については、
今後「アテナの錬金術」で連載する予定です。
僕が半覚醒したのは32歳の時で、
それまでは魔界を体験したり険しい道程でしたが、
全ては意識進化の為に敷かれたレールだったのです。
どのような艱難辛苦を味わおうとも、
神に対する絶対的な信頼感と忠誠心を忘れずに、
常に厳しい内観をし続けることが重要なのです。
クリヤヨガでもマントラを唱えたりして、
神への信仰が絶対的な軸として存在しています。
聖者たちは「奉仕」の重要性を説きますが、
真の信仰心を持って内観生活をしていれば、
自己放棄の菩薩行は当然のことになるので、
殊更強調することではないと思っています。
■罪は実在しないけど……
少し前に「罪は実在しない」と書きましたが、
それはあくまでも本質論であって、
それを言ってしまえば会話が成立しないので、
ここではその話は無視して話を進めます。
前回の記事で以下のコメントがありました↓
「盗んだ方が悪いですよね笑
ムカつきますが、命までとられなくて良かったですね。」
僕に同情して書いてくれたのだと思いますが、
本当にそう思っている人がいたら誤解です。
もし僕が掃除のおっさんに対して、
「盗んだ方が悪い!ムカつく」と思ったとしたら、
僕は信仰から離れて幽界と波長が合い、
意識進化の道を逆走していることになります。
僕は全くムカついていないし、
「あれ?金パクられた(笑)」
と言って笑っていました。
尊い御布施で成り立っている生活なので、
3次元的には笑い事ではないのですが、
「自分の所有物」という概念がないのです。
もしパスポートも盗られていたとしても、
怒ることはなく笑っていたと思います。
盗んだ方が悪いか盗まれた方が悪いかは、
他者は自分なのでどっちもどっちですが、
個人的な人間の自分を軸とする視座からすると、
「盗まれた方が悪い」ということになります。
■カルマと贖罪
まず、カルマの法則からすると、
自分が悪くなければ悪い事は起きないので、
僕が悪いからお金を盗まれたのです。
では、僕にはお金を盗まれるカルマがあるのか?
ないと思いますが、
僕は「宇宙=自分」という魂の視座で、
個人的なカルマに囚われていないので、
誰のカルマでも引き受ける気概で生きています。
「人類の贖罪」というやつです。
サイババのエピソードですが、
少年にお金を持ち逃げされたことがあり、
瞬間移動でお金を取り返したそうです。
サイババは大富豪なのだから、
貧しい少年から取り返すなよと思いました。
意識進化とはカバラで説明すると、
生命の樹を上昇することを意味しますが、
以前、ヤタガラスから以下のメールが届きました↓
「神の法廷の恐ろしさったら…
人類の全ての罪を背負う覚悟を条件でないと
生命の樹に入れるものではない…」
『日月神示』にもこのように示されています↓
「生命捨ててかからねば誠の理解には入れん道理。
身慾信心では駄目。
命捨てねば生命に生きられん道理」
3次元的な話をすれば、
僕の管理が甘かったから、
オッサンに罪を作らせてしまったのです。
その意味でも、盗られた僕は悪人なのです。
もちろん、お金を盗んだオッサンのカルマも、
僕は自分のカルマとして捉えているから、
「ご免なさい、許して下さい」であり、
色んな意味で「有り難う御座います」なのです。
外側の世界が内側の世界であり、
外側の世界を投影と観るのが内観なので、
ホ・オポノポノでも「全責任は自分にある」
ということを原理としています。
たびたび繰り返し書いているとおり、
「人のせいにしない」という生き方です。
過去には100万円単位で何人かに貸して、
返ってこないまま音信不通になって、
それで色々と大変な目に遭って来ましたが、
怒りの念を持ったことは一度もありません。
半覚醒すると怒りの感情がなくなるので、
過去10年間で一度も怒ったことがないのです。
尚、コメントをくれた
「宇宙一いい加減な生徒さん」のブログ
オススメなので紹介しておきます↓