ナザレ3

 

ナザレのご案内は今回で3回目、最終回になります。

1回目はナザレの名前の由来や「大工」のこと、跳躍の山などについて、2回目は市内の諸教会についてお話しました。

今回は、普通のツアーではあまり行かない、市場の中にある「シナゴーグの教会」と「ナザレ村」についてご案内いたします。

 

前回ご案内した受胎告知教会の道向かいに、市場に入る入口があります。ここから右左と角を曲がりながら少し入っていったところに「シナゴーグの教会」があります。市場のゴチャゴチャした中を抜けていくので、しばらく行っていないと少々迷ってしまうことも。

 

入口には、英語で“The Synagogue Church”というプレートが掲げられていますが、アラビア語では伝統的に “Madrasset El-Masshiach”(=メシアの学校)と呼ばれ、幼少期から青年期にかけてイエス様がここで祈り学んだ、という伝統を伝えています。

 

 

周囲が家で囲まれているため、教会の全容は見ることができませんが、教会の床は入り口から1mほど低くなっており、石がむき出しの内壁、シンプルな建て方などを見ると、古い時代の建物であることが分かります。

 

 

古くは、紀元570年にイタリアからナザレに来た巡礼者が、イエスが座って祈った場所を見た、ということを書き残していて、この場所ではないかと言われています。現在の建物は12世紀の十字軍によって、古いローマ時代のシナゴーグ跡に建てられたものではないか、とされています。

現在は、ギリシャ・カトリックの方々(18世紀にギリシャ正教から分離した一派)がここを管理しています。

 

さて新約聖書の中では、故郷ナザレにお帰りになったイエス様の様子が、2つの異なった物語として伝えられています。いずれもシナゴーグの中でのことであり、ここが舞台になっていたのでしょう。

 

イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。

(マルコによる福音書6章1-6/マタイに並行記事)

 

小さいときから知っているイエス様の姿と現在の姿があまりに違うので、故郷ナザレの人々がついていけなかった様子が分かります。ここを読むとイエス様の兄弟の名前もわかります。

また、ルカの福音書では、

 

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

 (中略)

イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 (ルカによる福音書4章14-24)

 

おそらく同じ時のことだと思いますが、マルコの福音書よりもさらに詳しく書かれています。ナザレのような田舎町でもイザヤ書が巻物として保管されていたこと、安息日(土曜日)の朝イエス様がシナゴーグでイザヤ書を読んだこと、すでに有名になっていたイエス様に期待の目が注がれており、その教えに驚いている様子、などなど。

 

さて、最後にナザレの中心地から1kmも離れていない街の斜面にある「ナザレ村」をご紹介しましょう。1990年代に発掘されたぶどう畑、灌漑施設、見張り塔やワインプレスなどを元にして、お墓、シナゴーグ、大工の家など当時の様式を忠実に再現しているので、別名「野外博物館」とも呼ばれ、2000年にオープンしました。

 

当時ここはナザレの中心街から少し離れた、日当たりのよい斜面に作られたぶどう畑だったようです。時間は1-2時間余計にかかりますが、2000年前の人々の生活ぶりを知るには大変に良い場所で、おすすめです。

 

写真を中心にご紹介いたしましょう。

 

まずは、羊飼いから。

イスラエルは全土が石灰岩で覆われ、無数の洞窟があります。それを上手に利用して手前を柵で塞いで、羊小屋としていた様です。

 

当時のお墓。岩盤に洞窟を掘って遺体を安置しました。墓穴を塞ぐのに、転がすことができる円形の石を利用していたのが特徴。当時は、安置して数年経つと骨だけになるので、それを四角い小さな骨壷に入れて埋葬し直していたようです。

 

下は見張り塔。少しわかりにくいですが、周囲は段々畑のようになったぶどう園です。イザヤ書に

 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。

 その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り

 良いぶどうが実るのを待った。(5章2節)

とあります。酒ぶねの写真が用意できないのが残念ですが、見張り塔の下には岩盤に掘られた古代のワインプレス(酒ぶね)もあり、このイザヤ書の聖句がそのまま読めます。

 

イエス様の時代、オリーブ油を作るには、まずオリーブの実を下の写真にある大きな石臼に入れてつぶしたあと、麻袋に入れてそれを数袋を重ね、上から圧をかけてじっくりと絞ります。

 

シナゴーグの内部。

壁に添って3方に長い段々(ベンチ)が作られていて、人々はそこに座って礼拝していました。

 

大工の家。

壁にいろいろな道具が掛けられています。写真のおじさんは人形ではなく、本物の人間です。

 

ナザレ村では、2000年前の食事を再現した昼食を取ることもできます。下のようにその場でパンを焼いて出し、オリーブ油やヒソプの粉末などを付けて食べることができます。レンズ豆のスープも出ます。

 

ナザレで時間が取れる方は、昼食も含めてここを訪れてみてはいかがでしょうか?