今回はヘロデオンを紹介いたします。

エルサレムの南東15kmほどの場所に、ユダの荒野が広がり、そこに日本で言うと富士山のような形をした山があります。2000年前にローマの傀儡政権としてイスラエルを治めていたヘロデ王が建てたヘロデオンです。
もともとは富士山のような形はしておらず、丘の上に30mほど土を盛って造った要塞化された人工の丘です。標高は758mあり、エルサレムやベツレヘムからも良く見えます。

(ヘロデオンの遺跡)

 

ヘロデ王はここを要塞化するために紀元前22年から約8年もの年月をかけました。

 

当時の歴史家ヨセフス・フラビウスによると、このヘロデオンはヘロデ王が自分のために建てた墓で、しかも埋葬時には盛大な儀式が行われたと記しています。

 

“家族や友人のために永遠の記念碑を建てた後、ヘロデは自分自身の記憶も保存することに目を向けました。エルサレムから60マイル離れたところに、乳房のような形をした人工の塚を築き、その名を「ヘロデオン」と呼びましたが、さらに壮麗に装飾しました。彼は塚の頂上を円塔で囲み、これらの塔に囲まれた場所に非常に壮麗な宮殿を建てました。宮殿内の部屋が美しく壮麗であっただけでなく、外壁や屋根なども装飾されていました。これらには莫大なお金がかけられていました”  ユダヤ戦記より

 

このユダヤ戦記に記述されたヘロデ王のお墓がどこにあるのか、考古学者たちは長年探してきましたが、2007年にヘブライ大学の考古学者エフード・ネツァル教授によって発見されました。

お墓への通路

ヘロデ王の石棺(イスラエル博物館所蔵)

 

ヘロデ王は自分の印として花を紋章にしていました。この石棺にはその花が記されていることから、間違いなくヘロデ王の石棺と証明されましたが、エフード教授はヘロデ王のことを誰よりも研究し、第一人者のひとりでした。数々のヘロデ王に関連する遺跡の発掘に携わり、このヘロデオンもその一つでした。1972年から発掘に関わり、ついに2007年にヘロデ王の墓を発掘しました。

しかし、その3年後の2010年10月25日、発掘調査のために同地を訪れていましたが、滑落し負傷して病院へ運ばれ、3日後に亡くなりました。

ヘロデ王は現在のイスラエルやヨルダンの各地に要塞や宮殿、ローマ皇帝のための町など数多く建てていきましたが、そのうちの代表的なものといえば、死海のほとりにあり、難攻不落の要塞マサダです。マサダについてはこのブログでも3回にわたって詳しく紹介していますので、ご参照ください。

 

最後の砦マサダ① 

 

 

最後の砦マサダ② 

 

最後の砦マサダ③ 

 

 

 

このマサダ遺跡には見学の前に簡単にマサダの歴史や出土したものを見ることができるミニ博物館があります。シアターではマサダについての歴史や発掘の様子、遺跡のことなどを、1980年代にアメリカで放映された「マサダ」の映像が一部使用されて分かりやすく説明してくれます。その映像の中で案内役の俳優とともに、マサダのことを解説している人がエフード教授です。熱を込めて解説し、案内役との掛け合いも見ることができ、個人的にもとても気に入っている映像です。エフード教授の動いている姿を見たいという人は、ぜひマサダ遺跡を訪れてください。

実際にお会いしたことはなかったですが、個人的にはイスラエルの考古学は好きですし、エフード教授のような方には尊敬する思いもわきます。ヘロデ王のことに情熱を燃やし、ついにはその関係のある場所でご自身の最期を迎えるなんて。

ちなみに、エフード教授はこんな方です。

 

さて、話をヘロデオンの遺跡に戻しますが、ここヘロデオンには、ヘロデ王の関係者(王族たち)が利用したと思われる劇場がありました。まさに王室御用達の「ロイヤル劇場」とも言うようなプライベートな空間だったようです。その席数はわずか400。カイザリヤの劇場が約4000席なので、ヘロデオンの劇場はその10分の1の規模。さらにエルサレムの方向に観客席が向いていて、壁全体にはカラフルなフレスコ画も描かれていましたのでかなり贅沢な劇場でした。ヘロデ王の墓所もこのすぐ側にありました。

(劇場跡)

紀元67年から73年に行なわれた第一次ユダヤ・ローマ戦争ではユダヤ人たちが立て籠り、ローマ軍に抵抗しました。その後のバルコフバの乱(第二次ユダヤ・ローマ戦争)でも、同じくヘロデオンに立て籠り、抵抗しましたが、その際に使用されたシナゴーグや貯水槽の跡も見ることができます。

(シナゴーグ跡)

また、丘の麓には宮殿をはじめ、大浴場、行政の関連施設もありました。さらにヘロデ王の葬儀のために建てられたと思われる長い高壇(350m×30m)も発見されています。

約2000年前イエス・キリストはこのヘロデオンのすぐそばのベツレヘムで誕生しました。ヘロデ王はその前後にイスラエルを支配していましたが、自身の終焉の地とイエス・キリスト誕生地がこれほど近いとは、どのように感じていたのか、エフード教授ではありませんが、ヘロデオンへ行って、そんなことを思い巡らしてみたいなと思いました。

皆さんも是非一度お訪ねください。