エルサレム旧市街編 〜ダマスカス門、新門〜
これまでヤッフォ門やシオン門など、シリーズでエルサレム旧市街の門を紹介してきましたが、今回は北面の門を2つ紹介したいと思います。ダマスカス門おそらく8つある門の中で一番大きく飾りの付いた城壁の北側の門です。シリアの首都ダマスカス(ダマスコ)へ通ずるところから、この名前で呼ばれるようになりました。ヘブライ語では、שער שכם(シャアル シェヘム)と呼ばれています。日本語にするとシケム門ですね。これもやはり地名から由来していますが、サマリア地方の都市シケムに通じていたところから、そのように呼ばれています。ちなみにアラビア語では、バブアルアムードですが、「柱の門」という意味で、他にもバブナブルス(ナブルス門)という呼び名もあるようです。この近くにトラムの停留所がありますが、英語とヘブライ語、そしてアラビア語、それぞれ名前が違うので、興味深いです。ここでは、ダマスカス門で呼んでいきます。(ダマスカス門付近のトラムの停留所) ダマスカス門は、第二神殿時代(紀元前6世紀~紀元1世紀)と呼ばれていた時代からエルサレムの門の中でも重要な門で、2世紀には、ローマ皇帝ハドリアヌスがエルサレムを占領したことを記念し、3重の門を建ててローマンスクエアと呼ばれる広場に自分の銅像とマイルストーンを置きました。今でもその遺構が現在の門の下に見ることができます。(左下:2世紀の門の一部)ちょっとした博物館になっているので、ダマスカス門やローマンスクエアの歴史を学ぶことができます。ローマンスクエアの中心部には、ローマ皇帝ハドリアヌスの銅像とマイルストーンの柱が建てられていました。写真は復元されたものです。エルサレムの城門の中でも一番賑わっていましたが、その名残を今でも見ることができます。ヨルダンのマダバにある聖ジョージ教会内で見ることができる、古代パレスチナ地図(紀元6世紀)に大きく描かれていますので、いかに重要だったかが分かります。(下の画像の左側部分)(マダバの古代パレスチナ地図)ダマスカス門の周辺の地区は、1967年まではヨルダン領だったこともあり、イスラム教徒が比較的多く住んでいます。一般的にラマダンの月になると、イスラム教徒は日中は断食、唾すら飲み込まないくらいですが、日没から日の出までは食事が許されているため、この時とばかり集まってくるアラブ人でダマスカス門周辺は賑やかになります。私もその雰囲気が好きでよく出かけていったことがあります。この写真はイスラエルのツアー中に、たまたまラマダン時期が重なり、ダマスカス門付近で撮ったものです。人々が大勢集まってきて、お祭りを祝っています。町もイルミネーションで飾られます。ダマスカス門はそのような飾りをつけなくても壮麗な雰囲気がありますが、さらにそれが増すようにも見えます。思わず、こんなトルネード型のポテトを食べてしまいました。新門さらに旧市街の北面には、8つの門の中で一番歴史が新しい門があります。新門です。名前の由来はそのままです。もともと現在の新門はただの城壁で、城壁の外へ行くためには、上記で紹介しているダマスカス門、またはヤッフォ門から出入りする必要がありました。ところが19世紀頃からエルサレムの居住区が旧市街からその外側にも広がり、さらにノートルダム修道院の建設、ロシア正教会の巡礼者のためのロシア人地区が設けられたことなどがあって、巡礼者たちが聖墳墓教会などのキリスト教関連施設に遠回りをしなくても行けるように、1887年にキリスト教徒地区とノートルダム修道院(現在はホテルを兼ねる)をつなぐ門が開かれ、現在に至ります。(ノートルダムホテル)話は変わりますが、イスラエルではその人口の70%以上がユダヤ人(ユダヤ教徒)のため、クリスマスシーズンになっても街中でその雰囲気を感じることはありません。しかし、この新門付近は昨今ミニクリスマスマーケットのような賑わいがあり、多くの人が行き来するようになりました。イスラエルの中でもクリスマスの雰囲気を感じたいという人が増えてきたということでしょうか。(新門付近のクリスマスマーケットの様子)個人的にはクリスマスはとても好きなシーズンです。いつか新門付近で行われているクリスマスマーケットを訪れてみたいものです。