皆さま

ギュナイドゥン(トルコ語でおはようございます)!

 

前回のブログで、ミレトスはパウロの旅のクライマックスとご案内したので、聖書に見るトルコシリーズは終わりか、と思わせておいて続きます。

今回は、アレキサンドリア・トロアスをご紹介いたします。

 

トロイの木馬で有名なトロイの遺跡から、南に25kmほど行ったところに、アレキサンドアリア・トロアスがあります。

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トロアスに向かう途中にこんな看板がありました。

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現在の地名はDalyanといいますが、現在は町は残っておらず、遺跡があるのみです。

トロイの遺跡は有名ですので、観光客はたくさんいますが、ここアレキサンドリア・トロアスに来る観光客はほとんどおらず、案内板もかなり痛んでいました。

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アレキサンダー大王の武将であったアンティゴノスが建てた町で、最初はアンティゴニア・トロアスと呼ばれていましたが、後にアレキサンダー大王を記念して、アレキサンドリア・トロアスと命名されました。 

ローマ時代にはアジアとヨーロッパを結ぶ重要な港がありました。 

 

使徒言行録(使徒の働き・使徒行伝)16章6~11節を読むと、第二回の伝道旅行で、アジア州(エフェソ、現在のトルコの南西部)に行きたかったパウロたちですが、アジアで御言を語ることを聖霊に禁じられ、ビティニア(現在のトルコの北部)に行こうとしたところ、イエスの霊が許さなかったと聖書にあります。 

 

そのため、パウロたちは、北西部に当たる、アレキサンドリア・トロアスに来たのでした。 

 

トロアスについたパウロたちを待っていたのは、マケドニア人の幻でした。 
「マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください」と懇願されたパウロは、神様が招いていると確信して、ただちにマケドニアに渡っていき、アジア大陸の一番の西部、イスラエルで始まったこの福音は、パウロを通して初めてヨーロッパ大陸に伝わっていきます。 

その大きな一歩を踏み出す、きっかけとなった町がこのアレキサンドリア・トロアスです。 

 

聖書では、ここまで「バルナバとサウロ」、「パウロとその一行」、「パウロ」、「彼ら」、と3人称で書かれていますが、ここトロアスからは、「わたしたち」と1人称になり、著者であるルカが同行したことが読み取れます。 

新・旧約聖書全巻のなかで、唯一のユダヤ人以外の著者であるルカですが、この福音がヨーロッパに伝わるときに一緒にいたかったのでしょうね。 

 

この遺跡からさらにバスを進めると、港のあったと思われるところに着きます。 

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現在の港から数百メートル離れた海岸に、水没した遺跡の柱だけが頭を出しています(写真上)。

ここが当時も港だったかどうかはわかりませんが、このアレキサンドリア・トロアスから船出したパウロ一行は、ダーダネルス海峡を渡り、ヨーロッパ大陸のネアポリスへ到着。そしてピリピに向い、その後伝道が大きく広がって行くことになります。 

 

ピリピから始まるパウロの伝道旅行の様子は、当ブログのギリシア編をご覧ください。

 

エーゲ海に沈む夕日を眺めながら、パウロやルカたちもこの夕陽を見たのかなと、あまり整備されていない港でパウロを偲びました。  

 

 

また、第3回の伝道旅行の帰路、パウロと一行は、ここトロアスに来たことが、使徒言行録20章5~12節に記されています。

日曜日に皆で集まって話していた、パウロたちでしたが、その話が夜中まで続き、窓に腰かけて聞いていたエウティコという青年は、パウロの長い話に眠気を催し、3階の窓から落ちれ死んでしまいました。エウティコを生き返らせたパウロは、また夜明けまで話続けて出発した、とあります。

今のトロアスにいくと、とても3階建ての建物があったとは信じられないほど、何もありません。

現在では、3階建ての建物なんて、珍しくもありませんが、2000年前に3階建ての建物があったとは、とても栄えていた町だったことがわかります。

 

ある時のツアーで、「トルコのホテルでは、日本でいう『1階』にあたるロビー階は『G階』や『L階』、または『0階』とされていて、『3階』は、日本でいう4階に当たりますね」と言われたことがありました。そうなると、2000年前に4階建て以上の建物があったことになり、3階建てでもすごいな、と思っていたのですが、この家は4階建てという、豪邸だったことがわかります。また、そのような家でパウロたちは過ごしていたのですね。

 

聖書を読んだうえで、現地に立つといろいろな発見があります。

ご一緒に聖書の舞台に立ち、新たな発見をしたくなってきませんか?

 

 

 

主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。(詩編122編1節) 

 

聖書の舞台イスラエルへのオンラインツアーについてご案内です。 

コロナ禍で旅行もなかなか行けない今、教会の礼拝の後や夜の祈祷会の時などに、イスラエル在住の日本人ガイドさんと一緒に、エルサレムをオンラインで旅してみませんか? 

 

TVやYouTubeとは違い、双方向のやり取りをすることができるのが、オンラインツアーの魅力。 

参加しながら、ガイドさんに質問したり、メッセージを送ったり、「ここだ!」というときには、スクリーンショットで写真を撮ったり、通り過ぎた道を少し戻ってもらったり、途中のお店をのぞいてもらったり、歩き方自由自在です。 

 

ツアーにはZoomを利用しますので、教会からでもご自宅からでも、PCやタブレット、スマホがあればどこからでもご参加可能です。 
 

実際のオンラインツアー(ダイジェスト版)の様子が見られる動画もあります (以下)。 

https://youtu.be/8XS6BvrS02s 

 

 

こんなオンラインツアーを企画しています。

 

エルサレムオンラインツアー① 「シオンの丘から嘆きの壁へ」  60分

 参加費:お一人様1,500円 最少催行人員:10名以上 (最大15デバイスまで)

 

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シオン門
 
 

嘆きの壁と岩のドーム

 

コース 
○シオン門:エルサレムにある8つの門のひとつ。 
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○アルメニア人地区:旧市街の4地区の一つ。世界で初めてキリスト教を国教と定めたアルメニア人の地区。 

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○カルド通り:2000年前のエルサレムを南北に貫く当時のメインストリート跡。 
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○フルバ・シナゴーグ:300年前に建設された大きなシナゴーグ(ユダヤ教会)で、2010年に再建された。 
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○広い城壁:2700年前の城壁跡。時のユダ王ヒゼキヤが、アッシリアの侵攻に備えて急ごしらえで作った強固な城壁。 
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○嘆きの壁(西の壁):神殿の至聖所に最も近かった西側の壁。 
 

 

 
エルサレムオンラインツアー② 「オリーブ山からゲッセマネの園へ」 60分

 参加費:お一人様1,500円 最少催行人員:10名以上(最大15デバイスまで)  

オリーブ山より旧市街展望

 

ゲッセマネの園

 

コース

〇オリーブ山:エルサレム旧市街のパノラマ展望 
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〇主の涙の教会:イエス様がエルサレムを見て涙されたところに立つ教会 
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〇マグダラのマリヤの教会:ロシア正教の教会の外観 
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〇ゲッセマネの園(万国民の教会):イエス様が十字架にかけられる前夜、血の汗を流されて祈られた場所 

 

 

弊社企画イベントのほかに、教会単位やオーガナイズとしてのお申し込みも承ります。 

ご希望によりコースはいろいろと設定できますが、時間内に歩いて巡ることができる範囲、電話回線の電波状況が一定以上のレベルにあることが条件となります。 

※石の壁に囲まれた場所などでは電波状況が悪くなり、画像や音声が途切れたり乱れたりすることがありますので、予めご了承ください。 

 

お問い合わせ・お申込みは、テマサトラベルまで 

電話:03-3722-2184 

E-mail:sales@temasa.co.jp 

 

今回は、ギリシア、キプロスに続いて使徒言行録の舞台となった、マルタ島をご案内したいと思います。

 

マルタ島はイタリアシチリア島の南に位置し、面積は316km2東京23区の半分!)という小さな島ですが、れっきとした「マルタ共和国」という独立した国です。地中海のほぼ中央にありアフリカ大陸にも近いため、ローマ時代以降地中海を行き来する船の中継地点として繁栄しました。

次々と支配者が変わっていきましたが、中でも重要な人物は神聖ローマ皇帝カール5世で、1530年にマルタ島を聖ヨハネ騎士団に譲渡しました。ここから260年にわたるヨハネ騎士団の支配が始まり、現在のマルタの街の基礎がつくられます。

マルタは、東西冷戦の終結を告げる歴史的な「マルタ会談」の舞台となったことでも有名です。1989年12月3日ミハイル・ゴルバチョフ氏とジョージ・ブッシュ氏のふたりが米ソ首脳会談をおこない、戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピールしました。

 

さてマルタ島は、使徒言行録に伝えられるパウロ一行が乗る船が難破して、漂着した島として有名です。パウロはエルサレムで捕らえられて、カイザリアで約2年幽閉され、裁判を受けます。そして最終的に、パウロの希望でローマ皇帝に上訴するためローマへ行くことになりました。

使徒言行録を読みますと、

長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、-中略- クレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。」

「断食」とはユダヤ教の大贖罪日のことを指し、年によって変わりますが、だいたい10月初旬から中旬にかけてのころ。また「航海が危険な時期」とありますが、地中海沿岸地域では10月末にもなると約半年つづいた乾期が終わり、雨期が始まります。雨期は荒天になることも多く航海に適さない時期になりますが、特にその初期、真っ黒な雲が沸き起こり、強い風が吹いて雨をもたらします。特に最初の雨は、矢を射るような鋭い激しい雨が降ることから、ヘブライ語で「ヨレー(射る)」、と呼ばれるほどです。

冬(=雨期)を過ごすのにもう少しいい場所(=上陸して数ヶ月過ごす事ができる施設が整った港町)でと考えている時に、ほど良い南風が吹いて来たので「良き港」を出港するのですが、その途端暴風雨になり、船は地中海を2週間漂流することになります。

 

漂流後、到着したのがマルタ島でした。


マルタ島の北部に「聖パウロ湾」と呼ばれる湾がありますが、一行はここに着いたと言われています。下の写真はパウロ湾に浮かぶ小島で、ここが漂着したところと言われています。

事件の流れを追ってみると、仮に11月のはじめに漂流し始めたとして、14日間(27章27節)経って11月半ばにマルタ島へ着いたこととなります。3ヶ月間滞在(28章11節)したので2月半ば頃には目的地ローマへ向かって出帆し、3週間ほどかけて(28章12~13節)ローマへ着きました。

パウロ一行は3月初旬ころローマへ着いた事になります。

まだ、風は冷たく雨も残る時期ですが、イアリア南部はすでに春を迎えようとしている時期で、花も咲きはじめ、昼間歩くのにはいい時期だと思います。季節感が分かると、記事が少し読みやすくなり、読み手の想像を掻き立ててくれますが、いかがでしょうか?

 

マルタ島にいた3ヶ月間のあいだ、パウロたちがどこにいたかハッキリとした証拠があるわけではありませんが、島の中心部にラバトという古い街があり、ここの「聖パウロ教会」の地下に
は、ここにパウロが住んだとされる洞窟があります。

 

街の城門のレリーフです。真ん中に立つパウロの左手に、マムシが噛み付いている様子(使徒言行録28:3-6)を描いたレリーフです。

 

町の中には、クリスチャンを葬ったカタコンベ(地下墓地)もあります。

 

さて、マルタ島の中で中心的な最も有名な町はヴァレッタでしょう。

冒頭マルタ島が1530年にヨハネ騎士団へ譲渡されたと述べましたが、その後、地中海へ覇権をのばしつつあったオスマントルコ軍に目をつけられ、1565年大軍に取り囲まれることとなりました(グレートシージ「大包囲戦」)。4万人の兵士と大艦隊に取り囲まれましたが、迎え撃つヨハネ騎士団と地元の兵士は約8000人。マルタ島は何とか持ちこたえることができましたが、この経験から現在のヴェレッタは難攻不落の都市となるよう建設されました。この時活躍し町の防衛に尽くしたのがたのが、当時のマルタ騎士団(ヨハネ騎士団)長
でもあったジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットで、町の名前もここから来ています。

 

要塞として完成したヴァレッタには、1577年騎士団の名前の由来となった聖ヨハネのための大聖堂が建設されました。中は絢爛豪華で、金の装飾が至るところに使われ、当時の繁栄ぶりが偲ばれますが、中でも必見は教会所属の美術館。有名な画家カラヴァッジョの作品が数点収められています。彼は殺人を犯して逃げるようにマルタに来たと伝えられていますが、展示されている「聖ヒエロニムス」「洗礼者ヨハネの斬首」など有名な作品がありますので、マルタへお越しの際はぜひご覧ください。

 

このマルタ騎士団の印に使われていたのが、十字架の四隅が広がった形をした「マルタ十字」と呼ばれる特別な十字架です。マルタ航空の尾翼をはじめ、マルタを象徴するモチーフとしていろいろなところでお目にかかります。お土産物屋さんに入ると、この十字架の形のペンダントヘッドなどがたくさん売られていますので、記念におひとついかがでしょうか?

 

 

さて、マルタ島の歴史順からすると、最初に取り上げるべきだったかもしれませんが、この島には今から6000~4000年前に建てられて大きな神殿跡が30箇所で発見されています。弊社のツアーでは、ジュガンティーヤ神殿(ゴゾ島)やハジャーイム神殿などを訪れますが、それを含めて、6つの神殿が「マルタの巨石神殿群」の名称で世界遺産に登録されています。人類最古の石造建築物と言われています。

いわゆる巨石文化の一つですが、新石器時代、つまりまだ青銅器も鉄器もなく、石しか道具として利用していない時代に、誰が、どのような方法でこのような石を切り出し、運び積み上げたのか。女神信仰のための神殿だろうと推測されていますが、わからないこともたくさんある遺跡です。

 

 

想像を掻き立ててくれる遺跡で、なんとも歴史のロマンを感じさせてくれます。

 

聖書の舞台でもあり、人類最古の石造建築物から東西冷戦の終結を告げる会議まで、魅力いっぱいのマルタ島。みな様もぜひ一度どうぞ。

 

 

◇今回から、数か月前にイスラエルへ移住したH.Mさん(女性)に、折に触れてイスラエルでの様々な生活の様子をリポートいただくことになりました。最近ですと、日本のニュースでも報じられていた情勢の事が頭に浮かびますが、どのような日々を過ごしていたのでしょうか。

 

 

<10日間の混乱の中…>

 

10日間にわたったハマスとイスラエル当局との戦いが、ようやく停戦になりました。

ことの始まりは、5月10日18時2分、突然外でサイレンが鳴ったところからでした。

夕食を作っていたわたしは、急いでコンロの火を止め、外の様子を確認しました。この日は「エルサレムの日」といって、エルサレム統一を記念し祝う日だったので、それにちなんだサイレンかと思ったのです。でも、お祝いや追悼のためのサイレンは1分ほどなのに、随分長いなぁと思いながら調べてみると、ガザからハマスによるミサイルがイスラエルに飛んできたとのことでした。

イスラエル南部の町やテルアビブ、エルサレムなどに、10日間で約4000発のミサイルがガザから発射されました。大学や学校は家でZoomを使って受ける授業に切り替わりました。

ある日本人のお母さんと話していると、「夜中もサイレンが鳴り、寝ている子どもを起こしてシェルターに何度も隠れたので、子どもが寝不足です」とボヤいていました。


写真:家のシェルター(大抵どこの家にもシェルター用に分厚い金属製の扉がついた部屋がある)

 

ミサイルのほかにも、イスラエル国内では、アラブ人とユダヤ人による衝突が増えました。わたしの住む地域でも、アラブ人によるユダヤ人への集団暴行があり、翌朝様子を見るとガラスが割られた自動車がそのまま置いてありました。

 

そんな中、隣のユダヤ人のご家族と一緒にシャバット(安息日)を過ごしました。「イスラエルには、ユダヤ人、アラブ人、いろいろな人種の人が一緒に生活しているけれど、この混乱でできた溝は修復されるのでしょうか?」と尋ねると、その家のお父さんが、4歳の娘さんが通う幼稚園の話をしてくれました。

「うちの幼稚園は、ユダヤ人だけではなくアラブ人も通っているから、少し心配だったけど、子どもを幼稚園に迎えに行くと、みんな仲良く遊んでいるよ。幼稚園では親同士もミサイルや暴動の話はしない。子どもたちには関係ないからね。もし親が怖がったり、お互いを嫌いになったりしたら、子どもも同じように思ってしまう。幼稚園では、ユダヤ人もアラブ人も関係なく仲良く遊んでいるし、わたしたちもそうであってほしいと願っている。」と。

 

停戦し、日常が戻ってきたので町に出てみると、「暴力は反対だ、暴動は起こさない」とヘブライ語とアラビア語で書かれたポスターが、町にたくさん貼ってありました。

 

写真:町中のポスター「エルサレムは暴力に反対する」

 

普段は、街を走っている路面電車に乗っていても、見た目は違うし、話す言葉もヘブライ語、アラビア語、他にもたくさんの言語が聞こえてきます。

ユダヤ教の伝統的な服装や様式を守っている宗教家ユダヤ人夫婦が、5人の子どもを連れて歩いていることもイスラエルでは珍しいことではありません。

宗教家ではないけれどユダヤ文化を大切にしている無宗教の若者、世界各国から帰還してきたユダヤ人、イスラエル独立前から代々イスラエルに住んでいるアラブ人、エチオピア系ユダヤ人など本当にいろいろな人が生きている場所です。

時々衝突は起きますが、生きてきた背景が違い、人種も宗教も違う人たちが、「イスラエル人」として協力しながら生活している姿には感動します。

 

 

◇主婦の目線で、日本との生活の違いから驚いたエピソードを伺いました。

 

 

<買い物でのエピソード>

 

主婦目線といえば、やはり市場やスーパーマーケットでの買い物でしょうか。

野菜や果物の積み上がり具合が日本のスーパーマーケットと違います。この量は腐らずに消費できているのかしら…と思います。たくさん積み上げるので、トマトやレモンがよく床に転がっています。日本では見たことがない光景です。

 また、大袋で売られている野菜の袋を破って自分の好きな量だけカートに入れたり、レジで精算する前に食べたり飲んだりして…日本と違うことが多く、最初は戸惑いしか(・ ・)ありませんでした。

 前にいる人のクレジットカードがうまく読み込めず、レジに30分並ぶことも。やっと列が進み、自分の番が来たと思ったら、急にパンを食べ、コーヒーを飲み始めるレジ打ちのおばちゃん…、マスクの下で「えー!?お客が目の前にいるのに!?」と開いた口が塞がらない状態でしたが、日本の常識で考えてはダメ、「ここはイスラエル!」と何度も自分の心に言い聞かせています。

こういうところにも、ルールに縛られないイスラエルの民族性を感じますよね。

 

写真:野菜や果物市場

 

イスラエルはコロナワクチンの高い接種率のおかげで、屋外でのマスク着用義務がなくなりました。それに伴い、コロナで一年間閉まっていた場所(園の墓や各教会等)が開き始めています。

イスラエルでは、観光客が再びイスラエルに戻ってくることを今か今かと待っています。

イスラエルに来た時は、もちろん聖地も回りつつ、賑わいをみせる市場やスーパーマーケットにも寄られることをオススメします!

 

写真:普段の街の様子(旧市街 ダマスカス門)

 

◇様々な面において魅力的なイスラエルの日常の様子を今後も掲載していければと思います!

 

 

今回はイスラエルで映像や動画などを学ぼうとされている、YMさんにインタビューを行いました。

 
●イスラエルに留学しようと思ったきっかけは何ですか? 

日本で大学の学びを終え、就職活動を通る中、自分のやりたいことを問い直したときに、一度はあきらめていた映画監督になるという夢が迫ってきました。私は、小さい頃から映画が好きで、様々な作品に囲まれながら育ちました。

大学生のころには1年間に300本(うち映画館での鑑賞が約150本)ほど映画を観るほどでした。多くの作品に触れる中で、世界にある数多くの映画には、主にキリスト教をベースとした価値観が存在しており、当時全く知識のなかった私は作品をより深く知りたいという思いから、宗教学も勉強するようになりました。

その時、おのずと三大宗教の聖地イスラエルという国に辿り着きました。今ある世界の基礎ともいえる聖書が生まれた舞台で、自分の新しい挑戦をしたい、そんな思いが湧いてきました。そしてイスラエル留学を決意しました。

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(エルサレムの通りで撮影しているYMさん)

 

 

●今はイスラエルで何をしているのですか? 

現在は映画学校へ入学するために、ヘブライ語の勉強と映画の研究をしています。また、YouTubeや多くの活動を通して日本にイスラエルの魅力を発信しています。

 

●何故イスラエルで映像を学ぼうと思ったのですか? 

イスラエルは地理的にも西洋と東洋のちょうど中間にあり、多くの文化が混在する中で、多彩な表現に感化されるのではないかという思いがありました。また、世界中から多くの祈りが集う地には何か不思議な力や目に見えない世界があるかもしれないと、その空気の中でインスピレーションを授かりたいと思いました。
 

●イスラエルへ来て、日本にいる時と何か変わった点はありますか? 

より日本のことを考えるようになりました。イスラエルでは多くの国から人々がやってきて、自身の国のことを話します。日本にいた時は、なかなか考えることが少なかったですが、自分の国の歴史や自分自身の素性、日本人としてのアイデンティティを考えるようになりました。
 

●イスラエルで印象に残っている体験を教えてください。 

イスラエルの人々は本当に気さくですぐに仲良くなることができます。
月に一度訪ねる友人の家族もその都度食事に呼んでくれて「お前は家族だから」と言ってくれます。また、祝日や祭りの日に、一人ひとりが自国の歴史や聖書の出来事に思いを巡らしている様が印象的でした。多くの親せきが集まる過ぎ越しの祭りに出席させていただいた時には、民族の歴史が次の世代へと受け継がれている様子を実際に見ることができ、感動しました。
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(キブツの里親家族とともに)
 
●今後の抱負をお聞かせください。 
まずは希望している映画学校へ入学し、目標としましては学生のうちに国際的な映画祭で賞を受賞したいです。現代社会では感動するということが少なくなっているように感じます。映画を通し、感性を刺激するような、目には見えない心が動く体験を生み出していきたいです。最終的には世界の一人ひとりに訴えかけられるような、そして日本の人々の意識に作用するような作品を作っていきたいです。世の中には人の心を動かす様々な仕事や役職がありますが、私は映画という分野で日本の為に何か光を放てるような作品を作ることができればと思います。
 
 

YMさんは弊社で企画しているオンラインツアーのガイドさんに同行され、その模様を配信してくださっています。いずれご本人が登場することもあるかもしれませんね。

 

 

YMさんが撮影、編集した動画作品です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=CpnWwej7uAA