new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -80ページ目

音声時計

 わしは音声時計を使用している。
 いつか展示会で試していいと思い購入したものである。
 ボタンを押すと、
「ただ今より8時30分をお知らせいたします。」
となめらかな女性の声で知らせてくれる。
 その音声時計の電池が無くなった。
 ボタンを押しても、いかにも電池がないというようにゆっくりとした口調で告げるようになり、今朝、とうとう時間が止まってしまった。
 昨年も同じように電池がなくなり、ねじを外して中のボタン電池をやり代えた。
 この時計がないと今何時なのかわからない。
しかーし、不思議なもので、この時計の目覚しき濃を使って毎朝6時に起きていたので、今日も何もならなくても、6時5分前に目が覚めた。
 習慣というのは恐ろしいものである。
 また、明日、妻に中をあけてもらい電池を買いに行き、復活しなければと思うのでした。

さかさま人間

 わしのやることは全てさかさまである。
 視覚障害で目が見えにくく、自分で確認することができないからだとも思うが、やることなすこと全てさかさまなのである。
  今日も寝室のベッドにひいてある電気敷布を直そうと、かけてある布団と毛布を跳ね除けて電気敷布を直した後、もとのように毛布と敷布団を戻そうとした、しかーし、妻のかけている毛布の上下が分からない。
 何かタオルケットらしきものが縫い付けてあるのだが果たしてそれが顔のほうにくるのか足のほうにくるのか迷ったあげく、足側にしておいた。
 そしていざ妻が布団に入ったときに、
「あれー、何か変じゃね。お父さん触った。」
そうわしが妻がきれいにしておいたものをわざわざさかさまにひいてしまったのである。
 シャツはさかさまに着る。
 こうかなと見ているつもりの本はさかさま。
 靴下は裏返し。
 妻もいい加減あきらめたのか何も言わなくなったが随分頭にきているんだろうなぁ。
 ごめんちゃい。
 決して悪気はないのです。
 妻もそれがわかっているので怒るに怒れず、あきれかえっているみたいです。
 今度、こうだと思った反対のことをしてやれば、ちょうどいいんじゃないかとも思いつつ、試してみちゃろうと思うのでした。
 

中学生に戻って

 来週の水曜日から娘の中学校の期末試験が始まる。
 そこで、学校の教科書と問題集を使って、わしが娘にテスト勉強の補助をすることになった。
 久々の数学と英語、そして社会や理科の内容を娘から聞いて、懐かしい重いと、こんなにむつかしいことを習っていたのかとの複雑な思いであった。数学はもっとも好きで得意な教科であったので、まだまだ中学生くらいの内容なら教えられた。
 けんど、わしが苦手だった国語や、少しはできていたと思う英語もその内容は即答できるものではなかった
 知り合いの塾の先生からいただいた教科書に準じた問題集、これがなかなか使いやすい。
 要点がまとめてあり、その後に例題→定着問題とあり、これに基づいてやればいいかなと思っている。
 最近は定期テストを受けるだけでなく、その時にワークという問題集を一緒に提出しなければいけないなど、かなりうっとおしそうである。
 わしの子供の頃はこんなんだったかなぁ?
 あまりに昔過ぎて、思い出せないわしなのでした。

自分で書けない情けなさ

 今日は会社から持ち帰ったいろいろな書類を妻に書いてもらった。
 自己申告書。
 毎年現在の自分の状況と今後どのようにしたいか、して欲しいかを人事部長宛に出すのである。
 わし自身がこの人事部長の下で働いていることでもあり、わしのことはよく知ってもらっているので、サット流して書いてもらう。
 クリスマスケーキとお歳暮の注文。
 そう、わしの会社はスーパーなので、車内販売として夏の進物から始まりうなぎや節分のまき図示など、いろいろな車内販売があるのである。
 
 これらの書類。紙はあるのが見えるのだが、何が書いてあるのかは全く見えないし自力で書くほどの視力はもう残っていない。
 もちろんスクリーンリーダーを使えば、パソコンで音声を頼りに文章を書いたり聞いたりすることはできるんですけどねぇ。
 随分自分で文字を直筆で書くことがないので、娘に自分の名前を書いたものを見てもらった。
 キチンと書かれているとのこと。
 まさに勘を頼りにってとこですかねぇ・・・。
 情けない限りですねぇ。

寒波到来

 とにかく寒い。
 朝、妻が、
「お父さん、今日は寒くなるからコートを着ていった方がええよ。どうする?」
と聞いてきた。
 大丈夫カナとも思ったが、言われたとおりに今年初めての冬用のコートを着て言った。
 会社からの帰り道、やっぱし寒い。半端ではない。
 言われたとおりに着てきてよかった。
 
 わしは暑いより寒いほうがいい。
 暑いと、服を脱ぐのにも限度があるが、寒いととにかく余分に服を着てやればいいのである。
 寝るときは必ず靴下をはいて寝る。
 これで随分違うもんである。
 もう少しすると、ズボンの下にタイツもはく。
 これがまたぬくい。
 一度はくともう駄目である。
 毎日タイツのとりことなってしまう。
 
 最近、朝起きると、まず窓を開けて外の空気を吸う。
 ひんやりとした冷機の中に、冬の匂いがする。
 それに何か昔、子供の頃にかいだことがあるような懐かしい匂いもする。
 今日も生きているんだと思う。
 周りの景色が見えたらもっとええんじゃけど、悲しいかな、霧がかかっているように白くにごっている。
 たまに、なぜかしら調子がいい時は、部分的に妙にはっきり見えることがある。
 すると逆に見えている箇所が迫ってくるようで怖い。
 白杖使って前を確認しているのに、見えている箇所の物体がこちらに迫ってくるのである。
 今、また視力が回復したらどうなってしまうんでしょうねぇ。
 ヒトの顔をどのような感覚で見てしまうんでしょうねぇ。
 夢の中でははっきり見えているとは言え、最近はその表情が人形のような無表情のものとなってきているような気がする。
 このままどんどん見えなくなってしまうんかいなぁ?
  まあ、なるようにしかならんか。

パン作り

 最近、妻はパン作りに凝っている。
 アンパン、クリームパン、食パンとどれもふっくりもっちりとなかなかうまいもんである。
 先日はなんちゃら粉を使って大福もちも作っていた。
 これがまたほんまもんソックリで、言わなければ市販していたもんだと思ってしまうほどであった。
 
 昔、わしが子供の頃、同じように母親がパン作りに凝っていた頃があった。
 パン焼き機を確か開墾で作っていたと思う。
 けんど、長続きはしていなかったのか、断片的な記憶しか残っていない。
 
 妻は最近は週単位で材料を決めてそのシリーズでおかずを作っているという。
 先週の日曜日に一株198円で買った白菜で鍋、煮物の1週間であった。
 キムチ風うどんすき、グラタン、八宝菜、おでん、お鍋と何でも白菜が入っていた。
 結婚20年たって妻の作る料理の味がわしの体にしみ込んできたような気がする。
 何といっても、わしの両親と一緒に過ごしたのが高校3年生までの18年間なのだから、それ以上の月日、妻の作る料理を食ってきたのだからね。
 農家の出の妻は、小さい頃から家の手伝いとして夕食を作っていたと言う。
 だーから包丁を握らすと何でもさばいてしまう。
 スーパー業で店舗で勤務していた頃、水産で魚をさばいたり、農産で野菜のしごをしていたわしより断然うまくセンスもいい。
 スーパーで働かせたら何でもできてしまうんだと、ちょっと怖い。
 妻よ。
 これからも、おいしい料理を作ってくださいね。
 よろしくでーす。

昼飯を食いに行く。

 家族4人で昼飯を食いに行った。
 もちろん妻の運転である。
 そう言えば自動車免許の更新を断念してからすでに17年が過ぎた。
 免許を取りに行った時は、補修は2~3時間で、仮免も本免も一発合格だった。
 縦列注射、坂道発進も自信があった。
 また奇跡がおきて見えるようになったら免許証を取りに行き、ゴツイ車を買って家族を乗せてドライブに行ったるでぇ。 無理か・・・ショボン。
 
 行った所は和食のファミリーレストラン。
 わしはなんちゃら梅入り牛蒡入りソバとちりめん御飯。
 妻は天丼午前。小さいうどん付き。
 お兄ちゃんは、味噌カツ定職。どんぶりに一杯の味噌汁付き。
 娘は、渋くおじやセット。これが一番高く、小さい瀬戸物のお鍋が出てきて、その場でコトコトに込んで卵二個入れ、薬味もいろいろありの本格派でした。
 
 それぞれお腹一杯になり、帰りにメガディスカウントストアで買い物へ。
 ここがいつもはめっちゃ安いんですが、最近の高値ブームでいつもは99円だったものが128円と中途半端な値段となっていた。
 同じスーパーに勤務しているわしとしては複雑な気分であった。
 酒のつまみのカワハギロールも買い帰宅。
 高校3年生のお兄ちゃんと中学2年の娘と妻と4人で久しぶりにスーパーの中を一緒に歩きながらの買い物。
 子供達が小さかった頃を思い出してしまったのでした。
 二人とも随分大きくなったねぇ。
 妻もわしも随分マルマルをとってしまったのねぇ。 苦笑

目で見ること、耳で聞くこと。

 随分前にも書いたことがあると思うが、視覚障害者にとって目で見ることはできない。
 けんど、晴眼者は、全てが見ることから始まる。
 目で見てそれが何かを確認しいろいろと行動に移る。
 視覚障害者はそれができない。
 だーから、まずは、耳で音で様子を伺う。
 匂いで感じ取る。
 そして触ってみる。
 そうしなければそれが何かがわからない。
 困ったもんである。

 仕事をする上でも、晴眼者はパソコンの画面に表示されている文章を目で見る。
 表に並んでいる数字を目で確認する。
 そしてそれを頭の中で理解し思考して仕事をしている。
 けんど、視覚障害者はとにかくパソコンの画面に書かれている文字を音声に変換して耳で聞く。
 それを頭の中で確認し考えキーボードを操作して仕事をしている。
 今となっては目が見えるようになっても書かれているあの小さな文字を見て、正確に仕事をすることができるか不安である。
 
 視覚障害者にとっては中途の視覚障害であれば、耳で聞き、匂いをかぎ手で触った情報を頭の中で昔見えていた時の感覚を頼りにまるで見えているかのような感じでイメージをしているんだと思う。
 もちろん夢の中ではちゃんと見えているしね。
 あと味覚も大事だね。
 目で目の前の食べ物が菜何かはわからないけれども、匂いをかぎ口にして味を楽しむ。
 よってわしはイカが好きなのかもしれない。
 何を書いているのかよーわからんようになったんで、これでおしまい、おしまい。

プーちゃんの掃除

 昨日と今日、たまたま会社やすみであった。
 けんど、どうしても今日中にやらなければいけない仕事があり、言えのパソコンでちまちまと仕事をしていた。
 2日のうち、9時間はこれに費やしてしまった。
 
 今日は娘は校外学習とやらで電車で神戸に行っていろいろと体験と調査をしたそうである。
 お昼の3時にやっと仕事が完了し時間もあったので、ハムスターのプーちゃんの小屋の掃除をすることにした。
 最近は気温が低いのでそれほど匂わないのであるが、妻曰く、滑車と小屋の中もウン子まみれになっているとのことである。
 ほとんど見えない視覚障害のわしではあるが、昔の記憶を頼りに掃除をすることにした。
 いつもは娘と一緒にやっていたのではあるがどうにかなると考えた次第である。
 
 まずは小屋の中にいるプーちゃんを臨時の場所に移動する。
 妻の眼を借りてどこにいるのかを聞きながら、
「プーちゃんおいでーー。」
と、手を差し伸べる。
 いつもは娘が餌やりと相手をしているので軽快しているらしく、滑車の中に入ったりしてなかなか近づいてこない。
 しばらくするとプーちゃんの方からわしの手のひらに乗ってくる。
 臨時の入れ物に非難させて早速掃除の始まりである。
 下にひいてあるわらとチラシの残骸を撤去する。
 まじかにすると随分と匂う。
 滑車や便所などを洗面台に持って行き水洗いをする。
 再びきれいなチラシとわらをひいてやり元の状態に戻す。
 水を替えてやり、餌を満タンに入れてやり、プーちゃんを小屋の中に戻してやる。
 後足で立って、クンクン匂いながら周りの様子をうかがっている様子であるとのこと、
 いつものように滑車をグルグル回り、ご機嫌な様子であった
 ほんまは1週間に一度は掃除をしてやらないといけないそうであるが、なかなかそうはいかず、久しぶりの掃除でスッキリして満足そうなプーちゃんなのでした。

月から見た地球って?

 今朝のニュースで、日本が月へ向けて発射したつき探索衛星の話をしていた。
 月の地平線に沈み行く地球の写真が映し出されていたそうである。
 日の入りならぬ地球入りなのである。
 わしにはその風景は見えないが、頭の中で想像していて不思議な気持ちになった。
 その映し出されている地球の中の日本の中の一部分にわしが住んでいる。
 それも限られた命で毎日を過ごしているのである。
 
 それを思うと、ちっぽけな事で毎日悩み心配している自分が馬鹿らしくなってきた。
 まさに「今を生きる」ってかぁ。
 少々、目が見えにくくたってええじゃないか。
 いろいろと子供には心配をさせられているがまあ生きているだけでええじゃないか。
 無我の境地ですねぇ。
 と言いつつ、今日と明日が会社は休みであるが昨日までにすまなかった仕事を持ち帰り、今からパソコンでやらにゃあならない現実があるのでした。、