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大阪府立高校の吹奏楽部の演奏会がこんなに変わった?それとも変わってない?〜池田高校吹奏楽部定演

大阪府立高校の吹奏楽部の演奏会がこんなに変わった?それとも変わってない?〜大阪府立池田高校吹奏楽部定期演奏会

 

 

1980年代に、大阪府立の高校の吹奏楽部で活動した経験と、その後、1990年代に同じく府立高校の吹奏楽部を教員の立場で指導した経験をベースに、久しぶりに聴いた府立高校吹部(という言い方は昔はなかったが)の定演の変わりっぷりに驚いた。

ところが、演奏会の中で挨拶したその吹部の顧問の先生は、「大阪の吹奏楽部定演のよくあるパターン」というのだ。つまり、全体が3部構成で、最初は真面目な古典的な楽曲、真ん中はお遊びありのエンタメステージ、で最後はポップス中心。こういうのが大阪の吹奏楽部のよくやる演奏会構成だという。

だが、一昔前は、違った。3部構成なのは同じだが、最初に吹奏楽オリジナル曲、真ん中にポップス曲、最後にクラシック有名曲のアレンジものなど重厚な長めの曲、という構成が普通だった。

いつ頃から、高校吹奏楽部の演奏会の構成が、ポップスで締めるようになったのだろう。

しかも、これは池田高校独特のやり方なのかもしれないが、演奏会最後の曲で、3年生のメンバーにそれぞれソロをとらせて、卒業演奏みたいな演出をしていた。

これは、とてもセンチメンタルなコンセプトで、まるで卒業ステージ、のような考え方だ。

その最後の曲のあと、お約束のようなアンコールが3曲続いた。客席の半数以上が同校の関係者や、生徒の出身中学の生徒たちだから、毎年このパターンで伝統的なステージを作ってきたのだろう。

この高校のような、歴史の長い伝統校の場合、多かれ少なかれ、こういうセンチメンタルな構成をして演奏会を作ってきたのかもしれない。

 

(豊中市立文化芸術センターが、この日の演奏会は満席となった)

 

 

 

そこで、一昔前を振り返ってみたい。

1980年代の、私たちが経験した吹奏楽部の演奏会では、先に述べたように、3部構成でジャンル別に分け、最後は重厚な有名楽曲で締めくくる、というパターンが多かった。この構成は、実のところ、多くのクラシック・オーケストラの演奏会で踏襲されている構成の変形バージョンだ。たいていのオーケストラ演奏会は、メイン曲というべき大きな楽曲を中心に、前半を協奏曲などで占める。今でもこの構成は大して変わっていない。だから、80年代の私たちの高校吹奏楽部の演奏会は、クラシックの演奏会構成を真似して作ったのだ。

その後、90年代を通じて、クラシック演奏会の方はあまり変わったとはいえないが、高校吹奏楽部の方は、おそらく変化してきたのだろう。

それにしても、今回聴いた池田高校の演奏会では、構成もさることながら、顧問の教師や外部指導者の先生が、生徒たちと非常に和気藹々とステージに参加していた。これは、一昔前にはなかった特徴だ。80年代の教員は、部活の生徒とあんなにはしゃいでみせたりしなかったように思う。

教師と生徒は一線を画していて、部活の演奏会でも、生徒は自主的に活動しているという体裁を強調していたように記憶している。

その分、演奏も、演奏会の組み立ても稚拙だったが、あくまで生徒たちが協力して自力で幼いながらもプライドの高いステージを作っていたように思う。

その意味では、今回の演奏会は、生徒と教員・指導者が仲良く一緒に作るステージ、という印象が強かった。それは、時代の変化というものだろう。

 

最後に、この演奏会の中であいさつしていた3年生の元・部長さんが、ユーフォニアム担当の女生徒で、まるで『響け!ユーフォニアム3』の黄前さんみたいだった。「しんどいことの方が多かったけど」と素直な感想を語ってくれたのも、よかった。演奏会や、バンド活動をリードしていく役割は、毎日が悩みの連続だから、華やかなスポットの当たる生徒指揮者やソリストよりも、部長・副部長といった幹部生徒をもっとみんなほめてあげてほしい。

ちなみに、私自身も、数十年前、高校吹奏楽部で部長だった。やれやれ、しんどかったなあ。

 

 

 

※土居豊の吹奏楽関連記事

『コロナ禍の下での文化芸術』特別編【吹奏楽コンクールの是非 〜 世界的にも特異な日本の吹奏楽文化】

https://note.com/doiyutaka/n/n16667cde9374

 

『コロナ禍の下での文化芸術』4章「吹奏楽や合唱など、学校での音楽活動の可否 〜 吹奏楽部はコロナ感染のリスクがある?」

https://note.com/doiyutaka/n/n647edcb40ffd

 

十数年ぶりに、大阪府吹奏楽コンクール北摂大会を観に行った

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12500401833.html

 

※土居豊の吹奏楽小説

ウィ・ガット・サマータイム!

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南海なんば駅前のなんば広場が、維新の会によるイベント会場化で市民の分断の象徴に

南海なんば駅前のなんば広場が、維新の会によるイベント会場化で市民の分断の象徴に

 

2024年4月26日、連休手前の朝早く、たまたま通ったら、南海なんば駅前のなんば広場が、こんなことに。

 

 

 

 

 

 

 

連休イベントの準備でしょうけど、なんだこの閉鎖感は?

広場じゃなくて、単なるイベント会場。

特に、丸井側が通りにくい。

 

 

イベント会場優先で、広場になってない。イベントに関係ない人は、排除されてる雰囲気。

これが、維新の会のやり方。市民を分断する。だから、維新に投票してはいけないのだ。

 

ちなみに、なんば広場は、普段は、こういう感じでがらんとしている。時々、イスとテーブルが置かれたりするが、観光客の休憩場所にしかならない。

 

2023年11月

まだこの頃は、歩道を歩く必要がなくなって、観光客が高島屋側から戎橋筋側へ自由に行き来している。

 

 

 

 

少なくとも、車椅子の人には、通行が便利になっていた。

 

2024年1月

なんば広場に、イスとテーブルが配置された。

 

 

 

 

相変わらず、自転車の通行もあって、歩行者にとっては危険である。

 

 

元々、この場所は道路で(今も法的には道路なのだそうだ)、南海なんば駅を出たところでタクシーをひろえるロータリーだった。

2012年のなんば駅前は、こんな感じで、大いに賑わっていた。

 

 

 

 

 

 

今は、広場にされてしまったので、タクシーをひろうのはぐるっと反対側に回らなければならない。

しかも、南海なんば駅周辺の、御堂筋からの交通が、駅前ロータリーを潰したことで完全に行き止まりの失敗道路になってしまっている。

 

 

 

このように、なんば広場の手前で道路が遮断され、事実上、御堂筋と日本橋側から繋がるこの道路は死んでしまっている。

 

 

ちなみに、この広場、賃貸料金は100万単位でかかるという。

まさか、この広場、選挙になったら維新の会がずっと占領するんじゃないだろうな?

 

 

関連記事

なんば広場の例にみる、維新の会の大阪府政・市政の失敗〜 せっかくのミナミの魅力が失われ、広場は自転車事故の危険も

 

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12830578189.html

 

 

 

 

リアタイ視聴の感想〜NHKBS 小澤指揮ベルリン・フィル演奏会 1986年来日

 

 

 

小澤征爾の指揮、ベルリン・フィルの演奏、サントリーホールのオープニング記念演奏会をNHKが収録生放送していた1986年の映像を、NHK-BSで深夜放送していたので、リアタイした。

これは、元々はカラヤンが指揮するはずだった演奏会だが、病気キャンセルで小澤が代役で登場したもの。

 

※【BS】2024年3月18日 午前0:05~ 

小澤征爾 指揮 

ベルリン・フィル演奏会 

1986年来日公演

 

この時のNHK生放送(だったようだが)は、実のところ、試聴した記憶がない。当時、大学2年生で、勉学やアルバイトや音楽活動に多忙だったので、見逃したのだろう。しかし、その後も、再放送などで見た記憶もないし、もちろんディスク化もない。

これは、「N響事件」以来、関係断絶した小澤とNHKがまだこの86年当時、険悪だったということなのだろうか。小澤とNHK(とN響)が関係を修復したのは、1995年の、阪神大震災チャリティでの小澤&N響の共演だったので、それより10年も前のこの段階では、いろいろと複雑だったのだろう。

 

以下、3月17日深夜の再放送をリアタイした感想をまとめる。

 

 

#小澤征爾指揮 

#ベルリン・フィル演奏会 

1986年来日公演

このNHKの放送、ついに小澤征爾のインタビューはなかった。これはNHK側が依頼しなかったのか? 小澤が断ったのか? いずれにせよ、「N響事件」がまだ尾を引いている感じがありありと伝わってくる。

そもそも、ベルリン・フィル演奏会の放送で、指揮者のコメントがない、という事態はあり得ないはずだ。

 

この演奏会は、1986年サントリーホールのオープニングコンサートで、小澤征爾はベルリン・フィルを指揮するはずだったカラヤンの病気キャンセルの代役だった。

演奏開始前、来賓の、当時の浩宮様が着席するのをきちんと映している。

この公演、コンマスは、日本人初のベルリン・フィルコンマスの安永徹だ。

曲目は、シューベルト「未完成」、R.シュトラウス「英雄の生涯」。これは本来、カラヤンが振る曲目そのままだったのだろうか?

もしこの時カラヤンの来日が叶っていたら、まさに彼の晩年の絶頂期における日本での演奏が実現していたはず。その後の最後の来日では、さすがのカラヤンも健康状態の悪化と、演奏の雑さが目立っていた。

 

小澤とシューベルト「未完成」は、相性のいい曲だ。何度も録音しているが、今回の86年ベルリン・フィルは、小澤にしては異例なほどルバートを効かせて、超ロマンティックな演奏となっている。

それにしても、86年当時のベルリン・フィルはやはり音が分厚い!

その後のアバドの音楽監督時代の音とは全然違う。NHKのテレビ用収録だが、非常に奥行きのある音響がとらえられている。低弦の深い響きまではっきり聴こえる。この演奏、小澤としては異例なほど、響きの重心が低い。

こうして改めて聴くと、小澤はベルリン・フィルと相性が良かったように思える。

小澤の「未完成」、他の録音ではこんなに金管を朗々と鳴らさなかった気がする。あるいはカラヤンとベルリン・フィルのやり方を尊重したのだろうか。

それにしても、86年のベルリン・フィルの金管は分厚い響きで、カラヤン時代の絶頂期の音そのものだった。

最後、消え入るように締めくくられる「未完成」の曲終わりで、今の聴衆のような「ブラボー屋」がいなくてよかった!

 

番組は、生中継だったようで、演奏会の休憩時間の幕間に、同じサントリーホールで展示されているベルリン・フィルの歴史を見ながら、楽団員のインタビューを交えて解説している。なんと、会場にはカラヤンの肖像画!も展示されている!

やはり、このNHKの番組作りは、あくまでカラヤンとベルリン・フィル来日、というのがメインテーマだったのだろう。もしや、この放送で小澤のインタビューは、ないのか?

幕間、コンマスの安永徹のインタビューもあった。まだ、就任3年の時期だった!

だがやはり、小澤征爾のインタビューは、ない!

NHK、露骨だなあ。

 

さて、リアタイ後半は、R.シュトラウス「英雄の生涯」。

小澤とベルリン・フィルの「英雄の生涯」は、「未完成」の時とは違って、安全運転だ。長丁場をいかにもたせるか、という感じで進む。

小澤の指揮は、「未完成」でのタクトを持たない振り方とは違い、いつもの長めのタクトを持って、実に細かく振り分けている。まだ50代、若かった当時の小澤の指揮は本当に機能的で、オケのコントロールを隅々までつかんでいる。だがその分、いささか窮屈でもある。

あるいは、小澤はカラヤンの十八番である「英雄の生涯」をベルリンフィルと演奏することに、ものすごいプレッシャーを感じて、あくまで小澤のR.シュトラウスを実現しようと、過剰に細かい振り方になっているのだろうか。

そういえば、この当時、小澤がカラヤンの後継者でベルリンフィルの常任になるかも?と噂されていた頃だったかも?

「英雄の生涯」の「戦闘」のところで、ずっと律儀に右手で拍を刻み続ける小澤の指揮ぶり、なるほどオケは安心して弾けるのだろう。ただ、細部にこだわるあまり、大きなフレーズの流れが分断されているという感じもする。

比較してみると、小澤がボストン交響楽団と録音した「英雄の生涯」は、この当時の小澤&ボストン響らしく、非常に明快で透明度が高い反面、R.シュトラウスというにはちょっと軽すぎ、薄味すぎ、という印象だった。それに比べると、やはり今回はベルリン・フィルの重厚さがプラスに働いていたようだ。

ベルリン・フィル86年当時のホルン・セクションは、これこそドイツ本流のホルンという分厚い響きだ。このような厚みのあるホルン・セクションは、90年代以降、ベルリン・フィルだけでなく他の欧州のオケからも、失われていったように思う。

 

「英雄の生涯」演奏終了後は、直ちに舞台袖にカメラが切り替わる。ステージから戻る指揮者を、ピッタリと追う。小澤は水を一口飲むと、怖い表情のまま、演奏者の誰を答礼させるか周囲に尋ねる。このカメラ撮影は、明らかにカラヤンが指揮する予定だった時のままなのだろう。カラヤンの指揮後の姿を、なんとしてもカメラに映そうという意図を感じる。

すぐに舞台に引き返して、順番に奏者に答礼させたのち、小澤は意外なほどあっさりと、ベルリン・フィルの楽員たちを舞台から引き下がらせた。これは最初からの予定だったのか? それともベルリン・フィルの演奏会はいつもこのぐらい、あっさりと退いていたのだろうか?

舞台袖に引っ込んだ小澤は、いかにも疲労困憊だ。引き上げてきたベルリン・フィル団員たちと言葉をかわしながらも、あまり笑顔はない。思ったような演奏にはならなかったのか? それとも、舞台袖の姿をカメラで追いかけられているのが気に入らないのかも?

はたしてカラヤンが指揮していたら、NHKのこのカメラワークは実現しただろうか? カラヤンは舞台袖の表情など、撮らせてくれただろうか?

ともあれ、86年のサントリーホールのオープニングで、小澤とベルリン・フィルの生演奏を聴けた人は、なんと幸運だったことか。

そういえば、86年にはまだ、客席から花束を指揮者に手渡すことができたのだ、と感心した。思えばのどかな時代だった。しかし、小澤は花束を指揮台に載せたっきり、そのまま置き去りにして舞台袖に引っ込んだ。このことも、いささかそっけないステージマナーに思える。そのぐらい疲労していたのか、あるいは、やはり演奏が今一だったのだろうか。

 

これはぜひ実現してほしいのだが、NHKはベルリン・フィル側と交渉して、今回のサントリーホールオープニング演奏会の、小澤&ベルリン・フィルの映像と音盤を、ブルーレイやCDで発売してほしい。時代の記録として、実に貴重な生収録だったことは間違い無いのだ。

 

 

 

 

※【小澤征爾追悼】

「世界の」小澤と「世界の」村上春樹

https://note.com/doiyutaka/n/nda901739a5dc

 

※小澤征爾のオペラの思い出 ヘネシー・オペラ・シリーズ・ヴェルディ『ファルスタッフ』

https://note.com/doiyutaka/n/nacb8f06204e0

 

ヴェルディ『ファルスタッフ』

指揮:小澤征爾、演出:デイヴィッド・ニース、舞台デザイン:ジャン=ピエール・ポネル

サー・ジョン・ファルスタッフ:ベンジャミン・ラクソン、クイックリー夫人:フィオレンツァ・コソット、ナネッタ:ドーン・アプショー 他

新日本フィルハーモニー交響楽団

1993年5月16日、尼崎・アルカイックホールにて

 

 

※エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第32回小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜

(期間限定・無料公開中)

https://note.com/doiyutaka/n/n83909833b931

 

小澤&ボストン響来日公演

第22回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1989年

https://note.mu/doiyutaka/n/n2cc998df03fa

2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱

2024年大阪府立高校の異常な倍率差、維新の会教育改悪はもう取り返しがつかない大混乱

 

2024年大阪府立高校受験倍率(全体)

https://www.sankei.com/common/js/lib/pdfjs/web/viewer.html?file=https://www.sankei.com/module/edit/pdf/202401/osaka_syutugan20240306.pdf

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料1

 

 

旧1、2学区は、文理学科の北野・豊中・茨木が君臨し、その下の普通科高校も異常な高倍率で、成績中堅レベルの生徒の行き先が少なすぎる。

旧2学区時代から人気だった春日丘高校の1.44倍は、相変わらずめちゃくちゃ高いが、旧2学区で中堅だった山田高校が1.24倍というのは、ちょっと異常な高倍率だ。

大阪府立高校トップ10である文理学科以外で、本来なら中堅私大進学を狙えていた中堅クラスの府立高校が軒並み、維新の府立高校統廃合政策で次々に減らされた。そこで、成績中堅層の生徒は、これまた維新の会主導による私立高校授業料無償によって、結果的に私立へ流れる仕組みである。これが、維新の会の政策による一部私立高校への利益誘導を疑わせる理由だ。

 

だが、2024年春の府立高校受験の様相は、これまでよりひどい。さらに今後、私立高校授業料無償の所得制限が撤廃される予定で、これによってますます混乱が増すだろう。大阪府下の高校進学は、完全にカオス状態で、中学校による進路指導はもはや不可能な有様だ。

もし、維新の会の大阪府政が今後も引き続き、定員割れの府立高校を統廃合の対象にし続けるなら、旧1、2学区では渋谷、北摂つばさ、高槻北、阿武野、摂津といったかつての中堅校が軒並み潰されかねない。これからも中ぐらいの成績の生徒の進学先は、ますます選択肢が狭まる一方で、授業料無償に引っ張られて私立へ誘導されるだろう。

 

 

一方で、大阪府立高校の成績上位校も、現状、展望は明るくない。大阪府立高校トップ10の文理学科のうち、豊中高校1.57倍、高津高校1.56倍という異常な高倍率は、いくらなんでもひどすぎる。これはさすがに、高校受験の倍率ではありえない。大学入試と違って、高校受験は基本的にやり直しがきかないので、進学希望者全員の進路を保証することが教育行政に求められるからだ。

成績上位の受験生徒は、もちろん事前に相応レベルの私立を滑り止めにキープしているだろうが、府立トップ10の高倍率加熱が、結果的に大量の成績上位者を確実に私立に流す仕組みとなっているのである。これは、一部私立への露骨な利益誘導だといえる。

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料2

 

 

もう一つ、維新の教育改悪のとばっちりで定員割れになってしまったのが、平成の頃には花形の学科だった総合学科の各校だ。本来、総合学科は現在の文理学科を先取りしたような、学校裁量で文系理系横断の多種多様な教育ができるのが持ち味だった。ところが、維新の会支配下でいびつな府立高校ランク分けが進行した結果、どんどん定員割れが増えてきて、今やすっかり凋落させられてしまった。柴島高校の総合学科は、唯一の高倍率1.24倍を保っているのだが、大阪市内、特に東淀川区の特殊事情もあって、希望者が集中しているのかもしれない。

 

 

※2024年大阪府立高校受験倍率

資料3

 

さらにひどいのが、大阪のものづくりを支えるはずの工業や商業など職業高校の定員割れだ。あの全国一の吹奏楽部で有名な大阪府立淀川工科高校でさえ、今年は定員割れだ。今宮工科と佐野工科はまだ希望者が多いようだが、今のうちにテコ入れしていかないと、工業系が総崩れになってしまってからでは、職業高校の立て直しは教員の人材的にも難しいのだ。

また最近、維新の会の政策で大阪市立の高校から府立に移管させられた、元の大阪市立の工業系・商業系の高校も見る影もなく定員割れ続出だ。

本来は地元・大阪の経済を先々支えるための人材育成に注力していた職業高校を、こんな無残な状態にした維新の会の教育政策は、完全に間違いだったのが明白である。

 

 

 

 

 

※過去の関係記事

2023年度高校入試、大阪府立高校倍率は維新の会の教育政策の最悪の結末だ

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12792660974.html

 

2023年の大阪府立高校希望調査と、私立高校希望調査をみて

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12786413545.html

 

2022年大阪府立高校入試の倍率、やはり維新の会の教育改悪の結果、子どもたちは苛烈な競争に追い立てられている

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12730121136.html

 

2021年度大阪府公立高校入試の倍率、確定。高倍率と定員割れの格差を作ったのは維新の会の教育政策だ。

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12660782281.html

 

2020年大阪府立高校の入試出願の中間発表と最終発表、今年は変だ

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12580614066.html

 

2020年春の大阪府立高校の難関大学合格結果を考察した。この10年の維新の会による大阪府教育改革はこれでいいのか?

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12589793890.html

 

(まとめ)2019年の大阪府立高校入試と大学入試の結果で、維新の会教育改革失敗が証明された

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12450639923.html

 

大阪府立のハイレベル高校、大学入試の結果は維新の会教育改革の失敗を示している

https://ameblo.jp/takashihara/entry-12449967911.html

小澤征爾追悼

小澤征爾追悼

(再録記事)

【小沢征爾指揮のウィーン・フィルを聴いて】

2000年11月12日

 

小沢指揮のウィーン・フィルのコンサート、曲目はブラームスの交響曲第4番と第1番。

もちろん満席で、立ち見も大勢いた。期待に身を乗り出す聴衆の前に小沢が登場、割れんばかりの拍手が沸き起こる。小沢は両手を上げてそれを制した。おもむろにこう語りだした。

「昨日、オーストリアで悲しい出来事がありました。アルプスのケーブルの事故で、百何十名もの人が亡くなりました」
これは、オーストリアのキッツシュタインホルン山で起こったケーブルカー事故のことである。同じオーストリア人として、ウィーン・フィルのメンバーは大きな衝撃を受けていたのだろう。小沢は、その事故の犠牲者と遺族に哀悼の意を表して、この夜のコンサートを、バッハの『G線上のアリア』で始めた。大変心のこもった、胸にしみる演奏だった。その後、オーケストラのメンバーが立ち上がり、満場の聴衆もみな立ち上がって、じっと黙祷を捧げたのだった。

これが、小沢の人間性なのである。その場にいた全ての人の心に影響を与える力を持っている、自然とにじみでる人格の魅力である。

その後、コンサートは始まった。もちろん、ブラームスはすばらしかった。特に、第1番では、小沢の指揮にウィーン・フィルは見事に応え、白熱した演奏をくりひろげた。アンコールにJ・シュトラウスⅡの『ウィーン気質』が演奏されて、満席の聴衆はすっかり満足した。

だが、この夜、最後まで心に響いていたのは、最初に哀悼の意をこめて演奏された『G線上のアリア』だった。コンサートのあと、シンフォニーホールを出て公園の木々の間を歩きながら、まだ『アリア』のメロディが鳴っていた。音楽は心で奏でるものなのだと、改めて知った夜だった。

 

 

 

 

※土居豊のエッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第32回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜(期間限定・無料公開中)

https://note.com/doiyutaka/n/n83909833b931