日本海ではなく「韓国海」、ドイツ人女性が発見した地図に韓国教授「非常に意味が大きい」

3月13日付け Record China の意見

 

 2024年3月12日、韓国・YTNは「ドイツの博物館で、東海(日本名:日本海)を『韓国海』と表記した地図が見つかった」と伝えた。

 記事によると、ドイツ・フュルステンベルクに位置する陶磁器の博物館に保管されている古地図に「Sea of Corea(韓国海)」との表記があるのを、韓国在住のドイツ人女性Judith Quinternさんが発見。このことを伝える動画を10日にSNSに投稿した。

地図は1744年または1747年に英王室の地図制作者、エマニュエル・ボウエン氏によって制作されたと推定されている。博物館にあるのは複写本だという。ボウエン氏は英国王ジョージ2世、フランス国王ルイ15世の時代の地図制作者で、同時代に最も正確な地図を作り高く評価されたとされている。

 Quinternさんは韓国メディアの取材に対し「韓国に長く住んでいるので東海や独島(日本名:竹島)問題に関心を持っていた」「地図がどれほど重要なものか分からず、情報を広めるために動画を投稿した」「韓国の立場ではとても重要な地図のようだ」と話している。

 韓国の広報活動を行う誠信女子大学の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は「韓国海との表記がある古地図は時折見つかることがあるが、この動画に収められている古地図は従来のものとは違い、非常に意味が大きいと思われる」と話している。出どころや年度などを検証したのち、博物館に事実確認する考えだという。

 この記事に、韓国のネットユーザーからは「大切な資料を発見して教えてくれたQuinternさん、ありがとう。韓国への愛情にも感謝します」「愛国者がドイツにいらっしゃった」「こんな大きな情報を下さってありがとう」「大統領よりすばらしい」など、感謝の声が多数寄せられている。

 その他「親日派の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領にとってはうれしくないニュースだね」「政府は嫌がるニュースだ」といったコメントも多く見られた。(翻訳・編集/麻江)

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<私の意見>

 この記事を読んで日韓関係に関心のある日本人はどのように思われたでしょうか。

 ここに韓国人が意見しているのは、ほんの一部の人たちで多くの韓国人にこのニュースを提供したときどのような回答をするのかがとても興味深いということです。

 

 日本海という呼称は世界的には「Japan Sea」としているとして間違いないことですが、韓国はある時、突如として東海(トンヘ)という呼称にこだわっているのが現実です。

 韓国にとって「東に位置するから『東海』」とは誠にわかりやすいですが国際的感覚をまるで欠如しています。

 これってある子供が自分の父親のことを「お父さん」と呼ぶから、全ての人間に対して「お父さん」という名称で呼べというまともに身勝手な発想です。家庭内では通用する名称かもしれませんが、その子供の友人も自分の父を「お父さん」、父の会社の同僚や上司にも「お父さん」と呼ばせることを強制しているようなものです。

 

 さらに言うと、韓国側は今まで歴史的にも「東海」と言い続けていたのに、「韓国海」という名称が出るや否や乗り換えるというのは「東海」という名称の整合性を頭から否定するものです。

 そもそも18世紀半ばに朝鮮国がどれほど認識されていたのでしょうか。李氏朝鮮がどれほど世界を認識していたのでしょうか。

 海に対して、自国を中心として東とか西程度の知識しかない中で、世界に存在し、区分される海域も全く認識していなかったのではないでしょうか。

 

 韓国人の良く見せる目先の利益に対する飛びつきと反日思想しか理解できない記事です。

 

 

 

 

2024 年3月2日(土)14時開演  東京文化会館

東京二期会【 フランス国立ラン歌劇場との提携公演】
リヒャルト・ワーグナー/歌劇「タンホイザー」(パリ版準拠(一部ドレスデン版を使用))
 

ヘルマン:加藤宏隆
タンホイザー:サイモン・オニール
ヴォルフラム:大沼徹※
ヴァルター:高野二郎
ビーテロルフ:近藤 圭
ハインリヒ:児玉和弘
ラインマル:清水宏樹
エリーザベト:渡邊仁美
ヴェーヌス:林 正子※
牧童:朝倉春菜
4人の小姓:本田ゆりこ、黒田詩織、実川裕紀、本多 都
指揮:アクセル・コーバ

演奏:読売日本交響楽団

合唱:二期会合唱団

 

演出:キース・ウォーナー

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 この年度末は東京において立て続けにワーグナーのオペラがあります。二期会の「タンホイザー」に続き、新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」、月末には東京春・音楽祭の演奏会形式による「トリスタンとイゾルデ」です。

 

 ワーグナー漬けの日々は本当にうれしいことです。

 まず、最初に評価させてもらうと、非常に仕上がりの良い「タンホイザー」でした。なお、この舞台装置は以前見たことがあり、再演だったのでしょうかね。記憶が定かではありません。職人指揮者として名をはせるワーグナー指揮者のアクセル・コーバがどのような音作りをするのかとサイモン・オニールの歌唱を注目していましたが、どちらも大変に素晴らしいものでした。

 

 舞台がまず説得力のあるもので、「性」をこれでもかと表現されるオペラといえば、僕が舞台を見た中では、「ジークフリート」の第3幕、ショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、ベルク「ルル」、R・シュトラウス「ばらの騎士」でしょうか。「カルメン」や「ラ・ボエーム」なども本来であれば濃厚な表現になるのでしょうけど、直接的な表現はカットされ、「でもあったんだよね」という表現にとどめています。

 ワーグナーの「タンホイザー」も「ジークフリート」についてはしっかり表現が描かれています。

 

 今回のタンホイザーは冒頭からダンサーを使用し濃密な表現をしていました。

 

 さて、音楽に戻しますが、コーバの音作りが、大変にオーソドックスなのに驚きました。何かを強調させるということではなく、端正に音作りをしていました。今月末指揮をするヤノフスキもそうですが、特別な音作りをしませんね。

 ショルティの表現、クナッパーツブッシュの表現、さらに異色ですがブーレーズの表現といったものではなく強い個性を出すということはないですね。

 それが非常に望ましく、変な先入感なく聴けました。

 

 サイモン・オニールの歌は巧みでした。この歌を聴けただけでも良かったですね。

 にごりがなく、声がとおり、癖のない歌でした。林さんのヴェーヌスも優れていました。歌の表情もあり、凄みもきちんと表現されていました。

 今回の東京二期会の公演は非常に良かったのですが土曜日の演目にも関わらず、一定の空席があったのは残念です。

 ワグネリアン必聴だと思うのですけどね。

 

 

徴用訴訟の解決策発表1年 韓日関係好転も不安残る(記事)

聯合ニュース 3月3日付

 

【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の徴用被害者への賠償問題を巡り、韓国政府が日本企業の賠償支払いを政府傘下の財団に肩代わりさせる解決策を発表してから6日で1年になる。  日本企業の資金拠出や直接の謝罪など日本側の「十分な呼応」なしに発表された解決策は、両国関係の最大の懸案だった徴用問題を韓国主導で終わらせるという決定だった。  その結果、昨年1年間に韓日首脳が会談した回数は7回に上り、両国関係は急速に回復。韓米日3カ国協力を強化する基盤をつくった。解決策の履行にもある程度進展があったが、一方で日本の呼応不足は依然、不安要因となっている。 ◇賠償金支給進むも財源不足の恐れ  これまでに、2018年に韓国大法院(最高裁)で勝訴が確定した原告15人のうち、解決策を受け入れた11人に賠償金が支払われた。受け入れを拒否している4人については賠償金相当額を裁判所へ供託する手続きが進む。  ただ、昨年末からは「2次訴訟」の賠償確定判決が相次いでいる。  2次訴訟は、徴用被害者の賠償請求権を初めて認定した12年の大法院判決を受けて別の被害者らが起こした9件の訴訟。勝訴が確定した原告は計52人となっている。  これを受け韓国政府は先月、原告側との本格的な接触を開始した。原告側の意思を確認した上で賠償金などを一括で支給する方針だ。  賠償金を代わりに支給する「日帝強制動員被害者支援財団」の関係者はこれまで接触した原告側の意向について、全般的に「否定的ではない」と述べた。  問題は財団の資金が限られていることだ。  最大野党「共に民主党」の朴洪根(パク・ホングン)国会議員によると、国内外の民間から財団に寄せられた寄付金は計約41億6000万ウォン(約4億7000万円)。これには韓国鉄鋼大手ポスコの40億ウォンも含まれる。財団はこのうちおよそ25億ウォンを原告側に支給した。受け入れを拒否した原告に関しては供託金として約12億ウォンを支出する。  残りの基金で2次訴訟の原告に賠償金と遅延利息を支払うには大きく不足する。別の徴用訴訟も続いており支給対象者はさらに増える見通しだ。  財団側は「民間の自発的な寄与を通じて財源拡充のため努力する」としているが、具体策は説明していない。ポスコ以外に1965年の韓日請求権協定の恩恵を受けた韓国企業の参加はまだ不透明な状況だ。 ◇韓国の不満・日本の不安 日本企業の参加は…  韓国政府内外からは、解決策の安定的な推進のためには日本も誠意を見せるべきだとの声が出ている。  徴用問題を巡る韓日の交渉で、日本政府は日本企業の賠償責任を認めるような寄付はいかなる形式であれできないとの立場を固持した。このため韓国政府はひとまず日本企業の参加がないまま解決策を打ち出したが、これら企業が自発的に財源拡充に寄与する可能性を踏まえて「誠意ある呼応」を促してきた。  しかし、被告企業を含めて日本企業が財団に寄付する動きは確認されていない。外交筋からは「韓国の不満、日本の不安」との言葉が聞かれる。韓国は悪化の一途をたどった両国関係の回復へ主導的に努力したにもかかわらず、日本側が相応の対応をしていないとの不満を、日本は解決策の法的な側面や韓国の対日政策の持続性に不安を、それぞれ抱いているというものだ。  今後、解決策の履行が軌道に乗れば日本企業も前向きに参加を検討するのではないかとの見方もある。  また、韓日政府は、解決策をきっかけに急速に進んだ関係改善の流れを維持すべきとの強い共通認識を持っている。  先月、徴用訴訟で日立造船が韓国の裁判所に預けていた供託金を原告が受け取り、一連の訴訟で日本企業の資金が初めて原告側に渡ったことに関しても、両国は事態を拡大させなかった。  韓国の大統領室高官は今月1日、「今後の進展状況により日本側も誠意を見せることができ、これこそが力を合わせて残された宿題を解決していく過程」と強調した。

 

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徴用解決策 日本企業不参加も「進展すれば日本も呼応」=韓国政府(記事)

聯合ニュース 3月3日付

 

【ソウル聯合ニュース】韓国外交部の任洙ソク(イム・スソク)報道官は5日の定例会見で、韓国政府が徴用問題の解決策を発表してから1年が経つが日本企業が参加していないとの指摘について、「解決策が進展すれば日本もそれに呼応すると考える」と述べた  韓国政府は昨年3月6日、勝訴が確定した徴用被害者への賠償金を被告の日本企業に代わって政府傘下の財団「日帝強制動員被害者支援財団」が肩代わりする解決策「第三者弁済」を発表した。韓国側は日本企業による財団への出資などを期待したが、これまで日本企業は参加していない。  任氏は同解決策に関し、「厳しい国際情勢や世界の複合危機のなか、韓日両国が信頼を回復し両国の協力を引き出したきっかけ」として、「合理的な方策」と評価した。そのうえで、「韓日関係の転換点になるよう関連措置に万全を期する」とし、「来年の国交正常化60周年を機に韓日関係を一段階発展させるよう外交部としても積極的に努力する」と述べた。  2018年の大法院(最高裁)で勝訴が確定した訴訟の原告15人のうち政府の解決策を受け入れた11人に賠償相当額が支給された。新たに勝訴が確定した原告らとも接触している。  任氏は「最近確定判決を受けた被害者や遺族のうち多数が解決策に前向きな反応を見せている」として、解決策に対する理解を求めていく方針を改めて示した。

 

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<私の意見>

 

 徴用工問題については、韓国側が「賠償としている案件」が韓国の反日意向のある密室(大多数の韓国人の意向に沿った)で行われていることに大きな問題があります。

 日韓関係において1965年に解決したはずの問題が、韓国政府のその後の不手際により韓国内で解決していない問題を、日本企業の問題として今も「謝罪問題ならびに賠償問題」として存続しています。

 

  徴用工解決提案を韓国が行ってから1年間が経過しました。

 

 その間で日本が一方的に妥協したことは以下の通りです。

① レーダー照射問題を不問に付したこと

② 貿易問題で韓国をホワイト国に復帰したこと

③ 徴用工問題の日立造船に対する裁判において同社が裁判所に預けた日本円にして670万円余りの供託金の差し押さえについて「遺憾」声明のみでなんら対応を行わなかったこと

 

 これに対し韓国が声をひそめた事柄は以下の通りです。

① レーダー照射問題で日本側の哨戒機が低高度で船に近づいたと言わなくなったこと

② 貿易問題で日本をホワイト国にしたこと

③ 福島の原発処理水について「汚染水」という表現で正面切って日本に文句を言わなくなったこと

 

 日本側にとって、いわれのないことを韓国側が言わなくなったに過ぎないということですが、それでも大きな雑音が減少したのは間違いないことなのですが、レーダー照射問題についても、半導体にかかる素材の問題についても韓国の罪を追及できなかったことは、今後起こるであろう日韓の問題で、解決にあたって、「(従来通り)日本が妥協して解決を図る」というパターンは今回も変わらなかったということです。

 そのうえでシャトル外交を続けていくという確認をしていることは正しい外交でないのは確かです。

 

 韓国はいつでも左派政権に代わる可能性があるので、その際に新たに制裁措置を取るエネルギーは相当大きなものになるのは間違いないです。

 供託金の差し押さえについても、単に裁判所の範囲でとどまるのかどうかもわかりません。

 

 1つ目の記事にもあるように、徴用工問題の裁判は、いずれも原告側が100%勝利し、賠償金が支払われる構図に変わりがないため。いずれ第三者弁済の資金になる基金は枯渇することになります。

 仮に原告が徴用工であったかどうかをきちんと検証することなく、賠償金を支払うことが正しいかどうかを問題にすることも関係なく、韓国政府と日本が1965年に支払った経済協力金を手にして経営を拡大した企業で支払うのが当然のことでしかないです。

 

 韓国内政府からしきりに出される言葉として、日本株が好調で企業資産も向上している日本企業からの資金提供を求めるが顕著になっていることです。

 韓国企業の業績が悪化し、韓国政府の財政の悪化も進んでいる中で、額の大小に関わらず、韓国民の風当たりも大きくなるのは間違いないです。

 

 日本側が沈黙に徹しているのは、韓国で春に実施される選挙を見据えてのことであるのは間違いないです。ここで下手に日本側が高圧な態度を取ると、反日姿勢を取る野党側に票が動くことが確実なので、「与党側の勝利となる」選挙が終わるまでは、強い言葉で韓国を非難するのは避けようということかもしれません。

 けんか腰になることが得策でないことは理解できますが、戦後、日韓関係において「どこまでが日本の義務、どこからが韓国の義務」ということが今も線引きできていません。

 いまだに韓国側の「日本に対する甘え」と「日本に対する『無責任な責任論』」をいつまで受け入れるのでしょうか。

 

 ひとつだけ、日本が学習しているのは、たとえば半導体において、韓国をサプライチェーンから、今もはずしていることです。

 韓国側(特に韓国マスコミ)からしきりに日米とのサプライチェーンの構築を提案するとともに、日本の技術力を評価する言葉は出ていますが、過去に日本から技術を盗み、それがブーメランになって自分たちの首をしめてしまったことを反省したのは間違いなく、仮に政府間対話で「(韓国側からの)協力(中身は「支援」ですが)」に対し、大きな変化が見えていないのは救いです。

 

 それでも、サムソンが神奈川に作る「研究施設」(日本の技術を盗もうとする「トロイの木馬」)に支援をすることを打ち出していることに対し、我々は警戒すべきです。

 

 現代自動車がEV車販売に特化する方針でしたが、問題ばかりを抱え、ハイブリット車もまともに作れなかった中で、トヨタが表明した全固体電池で走るクルマの「技術確保(盗み)」に全精力をかけてくるものと思われます。

 とにかく、弱体化したためにここのところ韓国はしおらしくなっていますが、信頼できるもっと言えば理解できる相手ではないことは間違いです。

 

 なお、1965年の意味、国際法の履行云々の記載がこれらの記事には一切ありません。都合の悪いことは一切、出さず、常に相手への要求ばかりをし、自己批判、自己分析ができないのは相変わらずです。

「朝鮮文化を女性で描写したはがき…日帝の支配的な視線を現すもの」(記事)

(朝鮮日報:2月28日付け)

 

 「空を飛ぶゼロ戦と南漢山城の守御将台を一緒に描写するとか、日章旗を持った人々が朝鮮から出征する兵士たちを歓送するとか…。消息を伝えるはがきは親密性の強い私的な媒体ですが、そこで戦争を広報するというのが矛盾的、逆説的に感じられました」

 仁荷大国語教育科の崔賢植(チェ・ヒョンシク)教授は、日帝強占期の写真はがきに注目するようになった背景についてこのように説明した。崔教授は最近、『日帝時代の写真はがき、植民地朝鮮を歌う』(成均館大学出版部)を出版した。日帝時代に植民地観光が活性化するのに伴い、慶州・金剛山といった名勝地や朝鮮の文物を写真や絵画で紹介するはがきが登場した。それが単なる旅行記念品ではなく、異国情緒という外皮の内側に軍国主義イデオロギーを秘めた宣伝メディアだったことを示す著作だ。

 

 崔教授は「これまで収集したはがきは800枚くらいになる」と語った。そのうちおよそ100枚を著書に収録した。「朝鮮的なもの」のイメージに歌詞を添えて紹介する形式が多い。例えば「朝鮮民謡」はがきには石窟庵本尊仏、リンゴを収穫する朝鮮女性の写真と共に、いとしい人を待つ女性の心を歌った歌詞が登場する。「日帝は、崩壊していた石窟庵を再建して観光地とし、本尊仏の美を女性の体になぞらえました。こういう事情を考慮すると、はがきは受動的・女性的存在である朝鮮と、それを見つめる支配的・男性的な日本の視線をあらわにしていると言えます。民謡となっていますが、歌詞も、詩人・金素雲(キム・ソウン)が当時出版した民謡集には出ておらず、日本人が創作した可能性があります」 

 戦車が通過する南大門(崇礼門)の風景に、あめ売りの朝鮮の少年の姿を重ねたはがきのように、発達した近代と落後した朝鮮を対比する戦略も見られる。崔教授は「内鮮一体を主張して植民地として占有すると同時に、朝鮮を異質な存在として排斥してきた日帝の矛盾する視線が現れている」と語った。  

 

 そんな戦略が常に成功していたわけではない。崔教授は「はがきに最も頻繁に登場するアリランは、1930年代に禁止曲に指定されたが、日本に伝わってレコードとして販売された」とし「朝鮮の声で歌うアリランは、日本によって翻訳されたり脚色されたりしない、朝鮮固有のものを現した」と語った。

  崔教授は、大学院の授業でもはがきを活用するという。100年前のはがきを再び見ることにはどのような意味があるのか。崔教授は「多文化時代を生きていく私たちが、当時の日本人の朝鮮人に対して持っていた差別的視線でもって、外国から来た人々を眺めているのではないか-と振り返らせてくれる」と語った。

 チェ・ミンギ記者

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<私の意見>

 韓国内にも、いろんな視点で日韓併合期の朝鮮半島あるいは朝鮮半島出身者の研究がされることは良いことだと思います。

 但し、それには但し書きが必要となります。

 

 絵葉書という媒体から当時の状況を探ることはとても大事なことです。

 はがきは当時のコミュニケーション媒体として最も重要なものだと考えて良いものだと思います。

 

 ここで崔教授なのか記者であるチェ・ミンギかわかりませんが、「戦争を広報するというのが矛盾的、逆説的に感じられました」という言葉を冒頭に記載しています。

 崔教授はどのような葉書を収集していたのでしょうか。

 僕は収集の意味をどこに置いているのかをこの記事で読んだ中ではわかりません。

 

 図柄のことを言っていますが、仮に図柄のことを考察するなら、いつの時期に作成されたはがきかで異なることを理解すべきです。

 1910年当時と1940年代では政情、文化が異なります。

 さらに実際に使用され文字が記載されたはがきか、未使用なはがきかでも異なります。

 

1910年当時のはがき

 日韓併合時のもので朝鮮出身者はほとんどが文盲で字が書けず、対象は日本人に限定されるもの

 本土の日本にとっては異国情緒のあるものが図柄として掲載されると思います

1940年代のはがき

 朝鮮出身者でも一定数の識字率は向上してると思います

 但し、戦時下であり、軍を礼賛する図柄になることは、朝鮮半島がらみではなく、日本国全体に及んでいます

 

 崔教授の考察は、「日朝(韓)関係」のみの考察で、当時の日本の状況を考慮しているかどうかが重要だと思います。

 先にも記載しましたが、1910年代、20年代、30年代、40年代の構図は変化しているでしょう。

 彼がやるべきことは、朝鮮半島の構図だけでなく、日本国内の図柄、あるいは台湾の図柄、南方地域さらには欧米が植民地政策を行った国の関連したものも入手して比較すべきだと思います。その中で朝鮮半島がどのように扱われているのかを見るべきでしょうね。

 1930年代以降、日本は「八紘一宇」という掛け声をもとに拡大主義を続けています。

 

 その中で注目すべきことがあります。

 当時の図柄の構図に「空を飛ぶゼロ戦と南漢山城の守御将台を一緒に描写するとか、日章旗を持った人々が朝鮮から出征する兵士たちを歓送する」とありますが、本土日本国民と朝鮮半島の半島出身日本国民の融合を図柄化していることです。

 

 植民地と表現していることが、この図柄から正しい表現ではないということです。「日本としての一体化」を掲げているものであり、それはまさに「同国民としての併合」を象徴していることを意図していることです。

 併合当時、朝鮮半島出身者に対する差別があったことは否定しませんが、その差別は朝鮮出身者の「非文明性」からくるものであり、ただの奴隷として意図するなら、そのような構図にはなりません。

 欧米諸国がアフリカの諸国を隷属化した中でそのような構図のものを製作したかどうかも調べるべきだと思います。

 

 崔教授の著書を読んだわけではないのでどのような、記載内容全体がどのように考察がされているかわかりませんが、「植民地」という定義で日本が朝鮮半島を支配したか否かは他国が実施した状況を比較対象にして客観的に考察をかけるべきだと思います。

 

 

 

 

 

 

【コラム】日本はあんな国だっただろうか…日経平均株価が史上最高値更新(記事)

 中央日報 2月26日付け

 

 「日本はあんな国だっただろうか」。最近、日本関連のニュース見るたびに自然に出てくる独り言だ。円価値が連日下落して日本経済を懸念する声が出ていたのがつい数日前のようだが、状況が一変した。心配した声は跡形もなく、羨ましさだけがあふれている。
 日本証券市場の代表走者、日経225平均株株価(日経指数)は22日、3万9098.68で取引を締めくくった。
 「バブル経済」時期だった1989年12月29日(3万8915.87)以来、34年2カ月ぶりの最高値だった。

 円安で実績が良くなった輸出企業と半導体株価指数上昇を牽引(けんいん)している。だが、日経指数の最近の上昇は単に人工知能(AI)のような個別好材料で関連企業の株価が急上昇しているのとは次元が違う。

 全般的に日本証券市場に激しい投資の風が吹いているのだ。足踏みを続けている韓国証券市場を見ていると羨ましいことこの上ない。短期間で株価が急騰して「バブル」という指摘も出ているが、歴代級の上昇、外国人投資の増加は結局日本経済のファンダメンタルズがそれだけ堅実だという証拠だからだ。だが、憧れの対象は史上最高値である指数や、日本経済のファンダメンタルズではない。
 台湾の半導体ファウンドリ(委託生産)企業であるTSMCは最近熊本に半導体製造工場を竣工した。着工から竣工までかかった期間はたったの22カ月。工場規模が小さいというわけでもない。半導体製造工程に必須であるクリーンルームだけで4万5000平方メートルあり、東京ドームの面積とほぼ同じだ。当初工事期間も5年だったが、「半導体産業再建」という目標を掲げた日本政府の全面的な支援の中で365日24時間工事を進めた。日本でも類例を見つけるのが難しいほどの速度だ。

 日経指数上昇の土台にも政府の素早い判断と確実な政策支援があった。日本政府は円安現象の中で外国人投資家が増える兆しを感知すると、昨年3月株価純資産倍率(PBR・株価対に対する自己資本比率)1倍以下の低評価を受けた上場企業を対象に改善案を要求した。日本政府は上場廃止まで取り上げて積極的に企業を刺激し、企業は昨年だけで9兆6000億円に達する自社株買い・消却でこれに呼応した。政府が方向性を定めると企業が株主還元を通じて積極的に投資家「誘致」に出たのだ。これが最近の日経指数上昇の原動力だ。
 このような日本政府の歩みと比較すると、韓国政府は存在感がない。状況判断を通じて目標を定めたら国会を説得して日本のように確実に推進する姿を見せるべきなのに、最近はそのような姿はどこにも見えない。政府政策として造成中である竜仁(ヨンイン)半導体クラスターも同様だ。

 いち早く(?)半導体の重要性に気づいた政府は2019年2月竜仁に半導体クラスターを造成することにしたが、各種環境影響評価、用水・電力確保方案を巡り地方政府や環境団体などがブレーキをかけたせいで着工が3年ほど遅れた。竜仁半導体クラスターは最近までも各種苦情、雑音に苦しめられなければならず、相変らず基礎工事中だ。反面、TSMCの熊本工場は計画発表6カ月後に着工した。

 新型コロナウイルス(新型肺炎)パンデミックの時、韓国をはじめ多くの国々が日本をあざ笑っていた。当時、日本医療機関はコロナ感染者と分かれば医師が手書きで感染者発生申告書を書いた後、ファックスで保健所に送った。保健所ではファックスに書かれたデータを一つひとつ手作業で集計する作業を繰り返した。その過程で多くのミスが発生して措置が遅れた。現実とかけ離れた姿に「日本はあんな国だっただろうか」と疑う声も聞こえたが、2年余り過ぎた今はただ驚くばかりだ。
ファン・ジョンイル/日本経済産業エディター

 

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<私の意見>

 

 韓国の経済状態は、現在ズタズタな状況です。

 半導体はダメ、電池もダメ、クルマはもちろんダメ、船舶もパッとせず、記事に上がってきません。

 この記事でもあがっている半導体は韓国の得意分野ということで韓国は吹聴してきていますが、各記者が韓国の開発にかかる実態をそろそろ気づき始めたということでしょう。

 

 その実態とは端的にいうと「韓国が組み立て工場だった」ことを理解し始めたということです。

 文政権時期までは韓国は半導体について「開発力があり」「ずば抜けた生産力を有し」、日米を凌駕する存在になったと自惚れていました。

 しかしながら、素材だけでなく、システム構築も含め、これらは全て韓国で自主開発ができず、構築された技術や素材をいち早く工業化し、先進的に販売体制を整えることで他の追随を許さなかっただけのことです。

 

 素材やシステムを囲い込まれた中で韓国には何も残っていなかったため、今までのアドバンテージは全くゼロになっています。

 

 これから主力になるシステム半導体分野は韓国が全く手を付けられていない分野で、比較的楽に開発できるメモリー半導体に特化してきた同国は、今中国に抜かれつつあり、何もかも失う状況になりつつあります。

 この後者は技術的に困難で台湾のTMCがその生産において独壇場になっており、日米台の三国で生産体制が新たに構築されつつあります。

 韓国は、先の自惚れ、企業家は不得意を理解していましたが、政治家(最大級にバカな文在寅を中心とした当時の与党の中心たち)が国民、マスコミを煽り自国の優秀性ばかりをPRしたことから、横暴な態度を取り続け、さらに中国に売り込みをかけ、西側での技術囲い込みも離脱することで信用を失う結果から、完全に孤立してしまいました。

 

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 情報を保存するメモリー半導体と違い、システム半導体はデジタル化された電気情報(Data)を演算したり、処理(制御、変換、加工など)したりする半導体です。 システム半導体は超小型構成部品(Microcomponents)、アナログIC(Analog IC)、ロジックIC(Logic IC)、光学半導体(Optical Semiconductor)などに分かれます。

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 日本の技術については、韓国企業側からは「侮れない事実」があることをしきりに示されていましたが、文政権から「NO JAPAN」のアドバルーンが上げられ、対日協調の梯子をはずされ、さらに韓国により自主開発する号令がかかったことから仕方なく政府の意向に沿った対応を実施しましたが、ほとんどものにならず、日本との格差を再認識する結果となりました。

 

 尹政権になり、事実を知るところとなり、さらに日本の技術力に対して事実を述べても糾弾されることがなくなった安心感からこのような記事が掲載されたと理解して良いでしょう。

 日米台の一角に加わり、なんとしても「これからの半導体」のサプライチェーンに入るきっかけを何としても作りたいと多くの識者が口にする中、経済評論家もこのような論調になってきています。

 

 文政権時期は散々日本を嘲笑する論調に埋め尽くされていましたが、何としても日本の協力を得たいという記事が今後も踊ることでしょう。

 ファックスをバカにするところは相変わらずですが、電子マネーを利用せず現金主義も含めたアナログ体制の意義も自分たちの発想だけでなく追及する意味、あるいはそのような背景を理解すべきではないでしょうか。

 

 EV自動車にすべてをかけた現代自動車に対して、ハイブリットを維持したトヨタの言葉を全否定し、技術不足と時代遅れと言い続けた韓国の経済評論家は皆豊田 章男(トヨダ アキオ)会長に土下座すべきです。

 韓国の自動車会社はトヨタがハイブリット技術の特許を公開したにも関わらず、結局核心技術を克服できず、「トヨタ・トラップ」に完全にかかってしまいました。

 

 トヨタと協力関係を結び、技術を盗もうとしましたが、一切協力を得られずハイブリット技術をいまだにまともに運用できていません。500万円で1台を作ることすらできません。

 今後も韓国は日本に対し、秋波を送り、猫なで声を続けるでしょうけど、彼らの過去の悪行と本質「悪」である心根が変わることはないと思います。

 彼らに技術を奪われないように最大限の努力を続けるべきです。

 

 

 

 

 

 

 

 僕も出張もちょこちょこ行きますし、プライベートでも朝食のモーニングを外で取りますが、必ずパン食にします。

 健康を考えてごはん(お米)を取りましょうとも言われますが、小麦が好きです。

 パンとうどんは僕にとって鉄板の炭水化物です。

 

 また書きますが、ポケ活を始めて7年になります。開始当初からやり続けている自称「ちょいガチ勢」というグループになります。

 平日は通勤時にちょこちょこする程度ですが、土日は時間が許す限りから、それぞれ4時間ずつやっています。

 そのため、朝早くに都内聖地に出て昼過ぎぐらいまでやり、朝ご飯、昼ご飯は外で取ることとしており、大体トーストか軽い洋食で済ませます。

 

 ポケ活の中心は秋葉原なのでその周辺をうろついてきましたが、近年は「ルート」やガナル三鳥確保から浅草も歩くようになりました。

 浅草~上野~秋葉原の三角地帯は喫茶店の老舗が非常に多いところで、いろんなところに足を運びます。

 浅草と言えば、ローヤルははずせないお店です。

 ここを訪れて5年ぐらいになりますが、土日しか行かない僕にとって明らかに客層が変わりました。新型コロナ感染症盛んな時期は僕も入りませんでしたが、その前とその後での外国人比率は相当上昇しています。

 

 

     モーニングトーストのセット

 

 コーヒー(オーソドックス)

 

 老舗喫茶店はどこもそうです。奥浅草に「Cafe晴蔵」という民家を改造した喫茶店(いずれ記載)がありますが、土日の朝はほとんど観光客です。ローヤルも客層がすっかり様変わりしました。

 SNSの影響で評判良いお店はみんな外国人観光客の「餌食」になります。

 

 ここのトーストは厚切りで量的にも僕にとってちょうどいいです。

 バターの量も豊富で至福の時間が過ごせます。

 コーヒーも自家焙煎されていますが、ここのコーヒーはどちらかというとすっきりしています。僕は酷のあるもの(苦いわけではなく圧力のあるもの)が好きなので、それでもすっきりしたコーヒーが飲みたいときにこの店に寄ります。その②で書いた、現在のスマートに似たような味です。近年はこのようなコーヒーがトレンドなのかもしれません。

 

おいしいトーストが食べたい2023_その② 京都三条寺町スマート | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)

 

 

    取りあえず  メニュー

 

 

2024年2月25日(日)15:00開演オーチャードホール 

第997回オーチャード定期演奏会

 

ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」

指揮:チョン・ミョンフン

演奏:東京フィルハーモニー管弦楽団

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 前回の東京フィル定期は終演時間を結構気にしなくてはならないコンサートでした。

 主催者側が掲示していただいている演奏時間はあくまでも目安なので、いろいろ気にしながら対応しています。

 今シーズンのチョン・ミョンフンは東京フィルに3度来て3つのコンサートを受け持ちます。

 東京フィルの定期公演は簡略化され、どの会場でも同じ演目を聴くことができ、指揮者、オーケストラとも負担を軽減できる代りに思い切った演目を設定できるということでしょうか。

 チョンさんにしても今回の「春の祭典」も大変な演目でしょうが、他の2公演がメシアンっとヴェルディのオペラ(演奏会形式)になりますが、この運営は他のオーケストラではないやり方として肯定的に考えます。

 

 この日のコンサートですが、この指揮者が登壇すると東京フィルの音をガラッと変えてくれます。東京フィルって良いオーケストラなんだなと感じます。

 指揮者の耳、経験はオーケストラを変えるのですね。

 1曲目はベートーヴェンの交響曲第6番だったのですが、冒頭がとても面白かったですね。

 僕はオーチャードホールの比較的前めの席で聴いているのですが、金管と弦楽の音がほんの少しずれていました。オーチャードで時々感じることで、バンダで金管が鳴るときもコンマ何秒かオーケストラ本体とずらすことをゲネプロで調整すると思いますが、この日も会場内で差があったように思います。

 

 オーチャードとNHKホールは配置上、他のホールと比較してオーケストラの縦が長くなり、バランス取りが難しいと思います。

 オーチャードホールは聴衆の多くは評判が良くないですが、演奏する側はどのように思っているのでしょうか。

 その中で、音は小気味良く、またバランスも非常に優れたものでした。比較的早いテンポを設定し全曲をほぼ40分でおさめたけれど、とても上品な音出しでした。

 先の11月にノット=東京soでも聴いたのですが、ずっと柔らかい音色でした。

僕はゴリゴリやるベートーヴェンよりもこのような品格のある音作りに感動しました。

 木管の皆さんが本当にふくよかな演奏に徹していたと思います。

 

 そして2曲目「春の祭典」ですが、意外に実演が少ない曲です。

 僕が実演で聴いたのはメータがイスラエル・フィルで演奏して以来なので本当に久しぶりです。

 実に14年ぶりです。

マーラー/交響曲第1番メータ=イスラエルフィル来日公演11月6日公演 | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)

 

 35分程度の曲ですが編成も大きく指揮者もオーケストラも大変なのでなかなか演目にあがらないのかもしれません。

 演奏時、いつも気にするのは、指揮者がどのような刻みをしてオーケストラを動かすのかを楽しみにしています。

 そういう意味では、この音楽はサントリーホール等のRA、LA、P席で聴きたい(指揮を観たい)音楽でもあります。

 多くの指揮者を見ていると多くが前後の指揮(縦振り)を多く見かけます。

 ある評論家の方がおっしゃるのはこの音楽の映像バイブルは小澤征爾さんがバイエルン放送交響楽団を指揮したものだというのを聴いたことがあります。DVDでも販売していたものです。

 

 チョン氏は第1部をきちんと三拍子や四拍子を刻む指揮をしていましたが、第2部後半は縦振りになっていました。

 刻みを正確に実施するのはどうしても「縦の長さ」が演奏者にとってはわかりやすいだろうなと後ろから見ていました。

 東京フィルが平然と演奏していたのには驚きました。難曲なんですけどね。濃厚な34分でした。

 

 そしてアンコール。チョンさんは曲の一部を使ってよくやりますね。

 第1部の終局部分を演奏してくれました。

 

2024年2月17日(土)14:00 横浜みなとみらいホール

第392回みなとみらいシリーズ定期演奏会

 

グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調Op.16*

マーラー/交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

 

ピアノ:*ニュウニュウ(ピアノ)

指 揮:沼尻竜典(音楽監督)

 

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最近は、神奈川フィルまで足を伸ばす生活になりました。

僕は、土日の活動は庭いじり(草むしり)かポケモンGOかコンサートというのが家の外で行う活動となっていますが、土曜日の14時か18時ぐらいの公演が一番うれしいです。

この日の活動は、朝8時半に家を出て、横浜に向かい、そこでみなとみらい線に乗り換え、10時頃馬車道駅に着き、「トースター」(高匠のパンを使用)といお店でモーニングをしました。

その後演奏会前まで桜木町駅周辺でポケ活をし、コンサートに入り、18時頃に帰宅しました。

NHKホールなら神南周辺でモーニング、トリフォニーなら「ニット」か「マウンテン」、サントリーホールは新橋界隈で軽く食べ、そこから歩いて(ポケ活しながら)ホールに入ります。

東京文化会館の時は必ず秋葉原のベックスでモーニングして、ポンジュースの会社前の自動販売機でお好みのジュースを購入して御徒町、上野まで歩きます。

コンサートもそうなのですが、その前の時間も僕にとっては至福の時間です。

 

ちなみに、24日、25日にポケモンGOでパルキアとディアルガが集中的に湧いていてレイドをたくさん対戦したのでが、確保できた個体はいまいちでした。

 

主題のコンサートですが、今年最初のマーラー演奏会は7番だったので1月の4番に続くものです。今シーズンは日本フィルでウォンが定期的にマーラーを振ってくれるのでたくさんのマーラー演奏に巡り合えます。

 残念ながら、23日のインバルによるクック版の10番は叔父の法事準備等があり行くことができませんでした。是非聞きたかったのですけどね。

コンサート前の沼尻さんの曲解説を後半だけ聞いて「なるほど」と思いながら演奏会に入りました。

 

 1曲目のグリーグは1月の東京フィルでも聴き、聴き比べとなりました。

 先にマルティン・ガルシア・ガルシアによる異色のグリーグを聴いてからなので、ニュウ・ニュウとても健全な(というより聞きなれた)音楽を聴いた気持ちになりました。

 中国のピアニストはラン・ラン(パンダにもいましたが)なりニュウ・ニュウなり擬態語のような名前が出てきますね。

 オーソドックスな演奏でした。アンコールはありませんでした。僕はこれで良いと思います。

 

 2曲目はマーラーの第7番です。沼尻さんが大サービスで2曲にしたと言っていましたが、本当にそうですね。2曲にするなら15分程度の管弦楽曲で良かったでしょうね。

 演奏ですが、沼尻さんが音楽監督になって、曲目が豪勢になりました。

 神奈川フィルでもこのような曲を定期公演でやる時代になりました。本当にいい時代です。

 この曲、僕はどうしても意地悪い聴き方をしてしまいます。

 マーラーの交響曲はどれもこれも金管にとって厳しいものばかりですが、この7番も第1楽章は本当に大変です。

 

 この歳になり、実演で20回以上は聴きましたが、第1楽章を無傷で演奏したものは片手にもなりません。もっと言うと、全曲を通してミスのなかった演奏会を僕は1度も聴いたことがありません。

 一番完全に近かったのは、シャイーがゲヴァントハウス管弦楽団と京都で来日演奏したものです。

 いつも「ここでやっちゃうよね。シカゴでもミスるよね。仕方ないよね。」と思いながら聴いています。

 神奈川フィルの金管、特にトランペットは第1音の出だしを切るような音の出し方をして安全策を取りながら吹かれていました。聴いていてその努力に涙が出そうになりました。

 それでも後半、ちょこっとやっちゃいました。もちろんドンマイです。

 

 沼尻さんは、変に音楽を動かさず、直球勝負の音楽でした。解説の際、マーラーの矛盾についてお話をされていましたが、逆にマエストロはそれらを消化し、聴衆に矛盾が何もないような音楽づくりをされました。インバルなんかとは対極にある演奏だったでしょうか。

 「夜の歌」のギターとマンドリンの音もしっかり会場に飛んでいました。ゲネプロで演奏の音調整の時、少し床を高くしたと言っていましたが、ズバリでした。

 満足のいく演奏を展開してもらってありがとうございました。

 最後にトランペット軍団がトップを称えていましたが、練習時も相当御苦労されたのでしょうね。

 良いものを聴かせていただきました。

 お亡くなりになられた小澤征爾さんについて文字として残しておかなければならないのはマーラー録音についてです。

 高校生の時から小澤征爾さんは僕にとって途方もないアイドルでした。

 そして、音楽として今もそうですが生涯追い続けているのがマーラーとワーグナーの演奏を聴くことです。

 

 マーラー演奏ですが、小澤さんは相当の数の演奏会を行っています。

 ボストン交響楽団に30年間シェフとしてつとめあげていましたが、合計2ツィクルス(3ツィクルス?)全曲演奏をされているようです。

 一方、他のオーケストラへの客演でもマーラーを一定数取り上げています。

 ただ、マーラーの音楽の市民権を得た(誰でも鼻歌で歌って聴くようになった)のは80年代後半以降であり、早い時期での録音を行うことができませんでした。

 

 マーラー録音と言えば、60年代にバーンスタインが初めて全集を製作し、その後ショルティ、ハイティンクが続き、70年代はアバドがグラモフォンの看板をかつぎ、さらにそれが当時の手兵のロンドン交響楽団ではなく、シカゴsoやウィーン・フィルといった一流オーケストラを使い、大きな遺産を残しています。80年代はマゼールが手兵のウィーン・フィルを使って録音しています。

 一方でマーラーのスペシャリストであるインバルやギーレンは放映等が可能であったため、採算をある程度度外視できるドイツの放送オーケストラを使い、80年代に駆け込みのように録音を行なっています。

 

 小澤さんは70年代こそグラモフォンの録音を行っていましたが、その後フィリップスで録音を続けました。

 録音ではマーラーに限らず、全く恵まれておらず、グラモフォン時代、ベルリオーズの大曲の録音もバレンボイムに奪われ、70年代にはベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーといったポピュラーな交響曲をほとんど録音できないでいました。

 70年代にあったのは、ボストン交響楽団によるブラームスの交響曲第1番、ニューフィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番、チャイコフスキーはパリ管弦楽団による交響曲第4番、シカゴ交響楽団とボストン交響楽団による交響曲第5番で得意の第6番はパリ管弦楽団を指揮したものがありました。

 

 小澤さんがベートーヴェンやブラームスの録音を始められたのは90年代のサイトウキネンオーケストラまで待つこととなりました。海外のメジャー・オーケストラに一度も全集を残せていないのは本当に不幸な出来事です。

 シューベルト(未完成のみ)もほとんどなく、モーツァルトも若い時期に名刺代わりに録音したもの(第29、35番)が少しあっただけです。

 ベートーヴェンの5番もテラークでやっと録音しており、ここでルドルフ・ゼルキンとピアノ協奏曲全集を録音できたのは奇跡的なことでした。

 

 さらなる不幸は、80年代後半(カラヤン時代の終焉)になるとレコード会社もコストに見合う製作ができなくなり、録音自体を減少する状況になりました。誰でもベートーヴェンの5番が録音できる時代ではなくなりました。

 音源もレコード、CDではなく次の媒体に移る過渡期に入ってしまっていました。日本ではかろうじてCDセールスが残っていましたが、世界的にはパイが縮小する方向に移り、新たな録音を積極的に製作する方向でなく、1950年代後半からおこなわれてきたステレオ録音を企画ものにして再販する方向に変わりつつありました。

 カラヤンが去り、バーンスタインも亡くなられ、スター指揮者が減少していく中、アバドやテンシュテットなどがギリギリ「録音の灯」を残す状況となりました。

 

 マーラーについては。小澤さんが録音の中心に置いたフィリップスも既にハイティンクとの全集が製作されており、すぐに再製作はできませんでしたが、80年代になり、なんとか小澤さんの録音をもぐり込ませることとなりました。

 これも残念なことに89年以降はスタジオ録音ではなく、すべて製作コストを削減したライブ録音です。

 小澤さんはスタジオ録音よりもライブが素晴らしいという評価でしたが、80年当時のボストン交響楽団はとても非力で米国ビッグ5の末席どころか、セントルイス交響楽団やロスアンジェルス・フィルよりもオーケストラ機能が劣るとも言われる時期でした。枯渇感が半端なく、金管の張りもありませんでした。90年になり飛躍的に機能が増し、小澤さんが退任される頃は金管も強力で弦も厚みのある美しいものに変貌していました。

 本当であれば、この頃から本格的に録音できていたら良かったかもしれません。

 

 ボストン交響楽団の音楽監督はレヴァイン、ネルソンスと続き、すっかり同団の音色は素晴らしくなりました。ミュンシュの頃は品のある音(艶やかな弦に特徴)を出していましたが、現在の音は近代的な幅広い音楽に対応できる音に変貌しています。ネルソンスがショスタコーヴィチを録音していますが、いぶし銀の音を出せるように変貌したと思います。

 小澤さんがオーケストラを変えていく中、クラウス・テンシュッテットやクルト・マズアなど東ドイツ出身のドイツ音楽本流の指揮者も客演されるようになり、音の質は変貌していきました。

 

 それは当時、小澤さんがめざしたドイツ的弦の厚みのあるインストリングスという音にコンサートマスターであったジョゼフ・シルヴァースタインを中心としたミュンシュ、モントゥー時代(1950年代~1965年頃)のフランス的な音を守ろうとする一派からかなりの抵抗に遭い、オーケストラそのものが緊迫した状況にあっただけでなく、外部からはボストングローブ紙の有名な主筆からも小澤攻撃を受け続けた状況にもありました。ニューヨーク・タイムズは当時も小澤さんに肯定的な記事を書いていましたが、地元紙からはねちねちと突き上げを受けていました。

 小澤さんが製作する録音は十分に評価されず、2016年にグラミー賞(オペラ部門)を80歳になるまで得られなかったのは残念なことです。受賞作品はラヴェルの歌劇「子どもと魔法」でしたが、オーケストラは結局サイトウキネンオーケストラのものでした。

 僕にとっても小澤さんが録音するCDの中で本当につまらないと思うのは最も好きな曲の一つであるR・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」です。1981年12月のものですが、ただまとまりのある出来栄えで、小澤さんの熱がちっとも感じないものでした。80年代のボストン交響楽団の録音はこのようなCDが出されてきました。実演の迫力がどれも欠落していました。

 こんなCDなら文句は言いませんけどね!

1990年 小澤征爾&バイエルン放送響 R.シュトラウス「英雄の生涯」 (youtube.com)

 

 小澤さんのマーラー演奏はブザンソンのコンクール段階では全く知らない状況でしたが、欧米で活躍すると早くからレパートリーに入っていきます。それはニューヨーク・フィルでバーンスタインの副指揮者となったことも関係していると思います。

 大曲である第8番を1975年にベルリン・フィルで指揮しています。ボストン交響楽団の録音は1980年で前年の79年に「グレの歌」を録音しており大曲の指揮が定着化した中での録音でした。

 しかしながら、この第8番もショルティの万全な音作りとは程遠く、歌手も貧弱な状況でした。

 この録音の前後にフランスのサンドニ・ホールで演奏したフランス国立管弦楽団と放送交響楽団の合同演奏の方が躍動的で優れた演奏でした。NHKFMで放送されていました。

 第7番の仕上がりなどはさらに貧相な感じです。キズは非常に多かったですがベルリン・フィルとのライブ演奏(1989年)の方が推進力がありました。

 ボストン交響楽団の録音時期に演奏しており、聴き比べることもできます。

 

 Mahler: Symphony No.7 - Seiji Ozawa & Berlin Philharmonic Orchestra - 1989Live (youtube.com)

  (upいただいたYou Tuberさんに感謝します)

 

 

 第3番は1986年2月13日、東京文化会館における小澤指揮/ボストン交響楽団により演奏されており、93年に録音したものも相当オーケストラ機能が向上して良いものになっていますがさらにすぐれた演奏に仕上がっています。ちょうどこの時期、FM横浜で小澤征爾ボストン交響楽団の演奏を、米国の放送局の音源を使って早朝に放送していましたが日本公演は同じ解釈でした。

 

 CDで残されたマーラー録音はやっつけ仕事感いっぱいで、残念ながら本来の小澤さんの音楽ではないように感じます。

 ちなみに小澤さんのマーラー録音は以下のとおりです。

 

(1) 第1番 ボストン交響楽団(1977年10月_グラモフォン)

(2) 第8番 ボストン交響楽団(1980年10,11月_フィリップス)

(3) 第2番 ボストン交響楽団(1986年12月_フィリップス)

(4) 第1番 ボストン交響楽団(1987年10月_フィリップス)

(5) 第4番 ボストン交響楽団(1987年11月_フィリップス)

(6) 第7番 ボストン交響楽団(1989年3月_フィリップス)LIVE

(7) 第9番 ボストン交響楽団(1989年10月_フィリップス)LIVE

(8) 第10番アダージョ(発売は第9番とカップリング) 

         ボストン交響楽団(1990年4月_フィリップス)LIVE

(9) 第5番 ボストン交響楽団(1990年10月_フィリップス)LIVE

(10)第6番 ボストン交響楽団(1992年1,2月_フィリップス)LIVE

(11)第3番 ボストン交響楽団(1993年4月_フィリップス)LIVE

(12)第2番 サイトウキネンオーケストラ(2000年1月_ソニー)LIVE

(13)第9番 サイトウキネンオーケストラ(2001年1月_ソニー)LIVE

(14)第1番 サイトウキネンオーケストラ(2008年9月_デッカ)LIVE

 

 交響曲第1番「巨人」は3回も録音しています。これとは別に、ベルリン・フィルとの演奏がNHK_FMで演奏されましたが、すこぶる素晴らしいものでした。第4楽章の終局部分も変にテンポを変えず、王道を歩む音楽でした。

 この日(同じ週だったかもしれません)の放送で同曲をマゼールが実演したものも放送され、聞き比べの形になりましたが、小澤さんの演奏が比べ物にならないぐらいみずみずしく整然とした演奏でした。

 

 第9番も89年のライブ録音がありますが、You Tubeでも視聴できるボストン交響楽団との最後の公演録音(2002年)が発売された方が良かったですね。というか今からでも発売してもらいたいです。第4楽章だけはNHKのブルーレイでベートーヴェンの交響曲第7番のカップリングとして販売されていますが、全曲をブルーレイだけでなくCDとしても出してもらいたいです。

 

Mahler Symphony No.9 | Seiji Ozawa & Boston Symphony Orchestra | マーラー:交響曲第9番 小澤征爾 & ボストン交響楽団 (youtube.com)

Mahler: Symphony No. 9 Seiji Ozawa & B.S.O (youtube.com)

 (upいただいたそれぞれの You Tuberさんに感謝します)

 

 2010年のウィーンフィルとの来日公演でも第9番を演奏する予定でしたが、食道がんでキャンセルになってしまいました。

 この演奏もウィーン国立歌劇場退任ということからも名演が期待されたので残念です。

 

 小澤さんは大変に偉大な指揮者でしたが、録音、とりわけマーラー録音では実力通りの力量を残せなかったことをとても残念に思います。

 本音を言えば、万全な体制で、サイトウキネンoやウィーン・フィル、ベルリン・フィルを利用してもう一度全集を録音し直して欲しかったです。第1,2,9番の3曲はかろうじてサイトウキネンオーケストラで再録音がかないましたけど、「大地の歌」の演奏は何度もやっているにも関わらず、録音媒体が残っていません。

 

【参 考】

巨星逝く_「英雄の生涯」小澤征爾さんの訃報を聞いて(その1_ベルリン・フィル編) | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)

 

 

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 近代金貨(明治時代以降国による発行)は戦後米軍が接収していましたが、日本政府に財産が戻されています。そして大蔵省、財務省とひきつぎ、2006年の2月から6回にわたりオークションが開催され、ほとんどを民間に払い下げています。

 18年前のことですね。なお、これらについてネットオークションは第1回~第3回に行われています。

 

 当時も今もですけど、僕自身はお金が嫌いという訳ではないですが、財テクには全く不得意分野です。

 記念切手収集や記念硬貨を手に入れることは少しだけしており、これは趣味範囲です。

 株も買ったことないし、投資信託も最近はやりの積立NISAもお話は受けるのですが、手を付けると火傷しそうなのでやっていません。

 その考えは考えとして、近代金貨も趣味の範疇で3回の開催で数枚を落札しました。4回目からは販売枚数が少なくなったのと、高価値の物品が出品されたのでネットオークションではなく現地オークションだったようです。

 趣味のコレクションなので、比較的安価に購入できた1円硬貨(明治4年前期、後期)と10円硬貨(明治36~42年発行)を数枚手にしました。どれも「並品」だったので価値も低いものです。それでも僕にとっては安い価格ではありませんでした。

 

近代金貨オークションの話 | めぐみさんが帰ってくるまで頑張らなくちゃ (ameblo.jp)

 

 購入していたことすら忘れていましたが、この連休に、部屋の整理をしたら机の引き出し片隅から厳重に箱詰めされた数箱の落札金貨が出てきました(ロット番号があり、厳重にケースに入り鑑定書も添付されてます)。

 切手同様希少性価値が落ちているかもしれないと少し調べてみました。

 希少価値レベルという点ではやはり足踏みでしたが、昨今の「金(きん)」の高騰が異なった意味をなしたようです。

 

 1円硬貨の重量は1.67gで90%が金になるので1.5gの金換算です。1円金貨は落札当時から評価が全く上がっていないようです。

 一方、10円硬貨は重量が8.33gだそうで同じく90%の金が含まれており、7.5gの金換算です。

 驚いたのは後者の10円金貨です。希少性は1円金貨同様上がっていないのですが、金の値上がりから、その金相場価格の変動で相当額になっているということです。昨年末には、金1gが10,000円という値をつけており、それだけでも75,000円になるということです。

 美品だとさらに希少価値が加わり、10万円以上の評価になっています。落札価格のほぼ2倍相当額になっているようです。

 

 一方、1円はというと「金」だけの価値は15,000円にしかならないということです。価値も手に入れた当時と変わっておらず、1円金貨は価値が変わらないどころか、逆に取りがみ状態のようです。

 新たに再販売に出ているオークションでは原価割れも散見しています。損をするのに、なぜ転売するのかよくわかりません。

 近代金貨は希少性では「下げ状態」、金(きん)の価値としては「上げ状態」ということのようです。

 

 さらにこれもたまたま所有していたので調べたのですが、平成2年に発行された「天皇即位10万円金貨(実重量30g:金含量30g)」ですが、金価格のおかげで売買価値3倍になっているのですね。流通貨幣としては、当然10万円のまま(近代金貨はもう貨幣として流通できませんが10万円金貨は流通可能)ですけどね。

 ちなみに当時の金の売値は1g2,000円程度だったようです。「天皇即位10万円金貨」は6万円の原価で10万円価値で流通させたようですね。当時の財務省は1枚当たり4万円の利ザヤがあったということですか。発行枚数は20万枚ですから、金貨発行により、80億円の国庫収入を得たということですね。

 

 これは1枚しか手に入れていない(ラミネートに入れたまま)のですが、金の値上がりは、人によっては大きな利益を上げていることを理解しました。10枚持っている人は200万円の利ザヤがあるということですね。なお、手に入れるためには、当時事前の申し込みを有した記憶があり、多くの人たちが手にするため、購入上限があったかもしれませんね。

 

 もうひとつ情報として、「天皇陛下御在位60年記念10万円金貨幣」( 昭和61年発行)の金額はどうかと思い、調べてみると20万円強の評価のようです。含有金が20gなのでやはり金の価格に相当する価値に評価されているようです。この貨幣は残念ながら所有していません。

 

 日本の金貨は、現況では「金評価」が優先され、「希少性」は相当出回っている数が少ないものを除き、その価値が内包され「金(きん)の価値」だけで評価されているようですね。金の急激な上昇はコレクションの世界に「投資」が覆いかぶさったと考えるべきなのでしょうね。ちょっと勉強になった「建国記念の日」の連休でした。